サティヤ サイババの御言葉

日付:1947年5月25日

ババから兄への手紙

サティヤナーラーヤナ・ラージュ(後のシュリ・サティヤ・サイ・ババ)は、1940年、14歳の時に、自分はサイ・ババである、自分はアヴァター(神人)であると宣言し、人々を助け導くために家を出ました。それから7年後、21歳になったババのもとに、兄のシェーシャマ・ラージュから弟の行動を懸念する手紙が届きました。それに対する返信として、ババは1947年5月25日(日曜日)、兄に手紙を書きました。そのテルグ語の手紙には、ババの使命が明らかにされていました。


私の親愛なる人! あなたがしたためて送ってくださった手紙を受け取りました。そこには、あふれんばかりのあなたの信愛と愛情と共に、疑いと心配の念も見受けられました。私に言わせるなら、グニャーニ〔英知者〕、ヨーギ、苦行者、聖者、賢者などの胸中を量り、その本質を見いだすことは不可能です。人にはさまざまな性格と心の傾向が授けられており、それゆえ、それぞれが自分の角度から見て判断し、自分の性質に照らし合わせて話し、議論します。しかし、私たちは、世間の評価に左右されることなく、自分の道、自分の英知、自分の決意を貫かなくてはなりません。ことわざにもあるように、果実を実らせた木だけが、通行人から石を投げられるのです。善人は常に悪人を刺激して中傷へと駆り立て、悪人は常に善人を刺激して嘲笑へと駆り立てるものです。これは世の常です。そうならなかったときにこそ驚かなくてはなりません。

その人たちも、非難されるより、むしろ同情されなければなりません。彼らは知らないのです。彼らには正しく判断するための忍耐がありません。彼らはあまりにも、欲望、怒り、うぬぼれで満ちているために、はっきりと見て、十分に知ることができないのです。それゆえ、あらゆることを書き立てます。せめて知りさえすれば、あのように話したり書いたりはしないでしょう。私たちも、そういった批判を重視して、あなたがそうであるように、胸を痛めるべきではありません。真実〔サティヤ、真理〕はいつか間違いなく勝利するでしょう。虚偽が勝つことは決してあり得ません。虚偽が真実に勝利するように見えることもあるかもしれませんが、その勝利はやがて色あせ、真実が地位を確立するでしょう。

偉大な人物は、人から崇められれば増長し、冷笑されれば意気消沈するというものではありません。実際のところ、偉人の生活を規制する規則を定めて、偉人が採り入れなければならない習慣や態度を規定している聖典はありません。偉人は自分が歩まなければならない道を知っており、彼らの英知が彼らの行動を規制して、彼らの行動を聖なるものとするのです。自己への信頼と、有益な行動――この二つが偉人を特徴づける印です。彼らはまた、信奉者たちの幸福を促進すること、彼らの行為の果報を割り当てることに携わることもできます。私が二つを固守しているかぎり、なぜ、あなたが疑いや心配に惑わされる必要があるでしょうか? 結局のところ、民衆の賞賛や非難がアートマ、すなわち真我に触れることはなく、それらはただ外枠である肉体に触れるだけなのです。

私には「任務」があります。人類すべてを育み、彼らすべてにアーナンダ〔至福、歓喜〕に満ちた人生をもたらすという任務が。私には「誓い」があります。正しい道から外れた人々を再び善へと導き、救い出すという誓いが。私は自分の愛する「仕事」に固執しています。貧しい人々の苦しみを取り除き、足りないものを与えるという仕事に。私には「誇りに思う理由」があります。なぜなら、私は、私を拝み、崇めるすべての人を、適切に救済するからです。私には「帰依」〔バクティ、信愛〕についての私なりの定義があります。私は、私に帰依する人々に、喜びと悲しみ、利得と損失を、等しく毅然とした態度で受け止めることを期待します。これは、私に身を任せる人々を私は決して見捨てないということを意味します。このようにして私が自分の有益な任務に携わっているとき、あなたが懸念されているように私の名前が汚されることなど、どうしてあり得るでしょうか? そのようなばかばかしい話は気に留めないことをお勧めします。マハートマ〔偉人、偉大な魂〕は、誰かにそう呼ばれるから偉大さを得るわけではなく、卑小と呼ばれたからといって卑小になることもありません。賞賛や非難によって心を動かされるのは、アヘンや大麻にふけりながら自分は比類なきヨーギであると称する低級な人たち、自分の虚栄心と慢心を正当化するために聖典を引用する人たち、自分の詭弁や論法に得意になっている無味乾燥な学者たちだけです。

あなたは、聖者や神人の伝記を読まれたことがあるはずです。それらの本の中で、彼らにはもっとひどい虚や、さらに悪質な非難が浴びせられていたことを読まれたはずです。それは、あらゆる土地、あらゆる時代におけるマハートマの宿命なのです。であれば、なぜそういったことをそれほど気にすることがありますか? 星に向かって犬が遠吠えするのを聞いたことはありませんか? 犬はどれほど長く吠え続けられるでしょう? 真正〔しんせい〕は、じきに勝利します。

私は、自分の使命を断念することも、自分の決意を断念することもありません。私は、自分はそれらを果たすことがわかっています。私は、その結果生じるかもしれない名誉や不名誉、名声や非難を、等しく平静に受け止めます。内面においては、私は何の関心もありません。行動はしますが、それは外界においてだけです。私が話したり動き回ったりするのは、外界のため、そして、私が来たことを人々に気づかせるためです。これがなければ、私はそれらにすら関心はありません。

私はどの場所にも属していません。私はどの名前にも執着していません。私には「私のもの」「あなたのもの」という区別はないのです。どのような名前をあなたが用いても、私は返事をします。どこで私が必要とされても、私は行きます。これは私の第一の誓いです。私はこのことをこれまで誰にも明かしたことはありませんでした。私にとって、世界は、遠く、離れた存在です。私が行い、動くのは、ひとえに人類のためです。誰であろうとも、どんな方法で探求しようとも、どんなに長く努力しようとも、誰にも私の栄光を理解することはできません。

あなたは今後何年かのうちに、完全なる栄光をその目で見ることができるでしょう。帰依者は根気と忍耐強さを持たなくてはなりません。

私はこれらの事実が知られることについて、関心もなければ心配もしていません。私にはこのような便りを書く必要はないのですが、もし私が返事をしなければ、あなたが心を痛めると思い、これらを書きました。

あなたのババより

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathyam Shivam Sundaram PartⅡ Ch1