サティヤ サイババの御言葉

日付:1963年12月5日
場所:シュリーシャイラム
シュリーシャイラムにおけるババの御講話より

霊的英知の贈り物

ここシュリーシャイラムの聖地でさえ、このような歓喜に満ちた吉祥の祝賀は何年も行われていませんでした。タパス(苦行)のみが重要だとされるこの国、このカルマブーミ(霊的な行為の地)では、アシャーンティ(混乱や動揺)が広がる理由は何もありません。アシャーンティの一切の原因は、霊的な満足ではなく五感の悦びへの欲求と欲望が増大していることです。

今日、アキラ・バーラタ・アーリヤ・ヴィシヤ サンガムが、ここでニッティヤ・アンナプールナー・アンナダーナ・サットラム(貧しい人々に食物を贈る場所)を開設したことすらも、信仰と力の衰退の印なのです。食べ物を与える必要はないはずです。「ください!」「ください!」という叫び声は、豊かで繁栄したこのアンナプールナー〔豊穣の女神〕の国では聞こえてこないはずです。この神の場所へは、謙虚さと祈りの精神で近づかなければいけません。ピクニックのパーティーや観光客の居場所はここにはありません。

シュリーシャイラムの寺院には多くの伝説があります。マリッカーアルジュナは、色白で、よい香りのする、ニルマラ(純粋)な神、恩寵を与えるシヴァ神であり、信者のわずかな望みにも慈悲深く身をかがめる神です。バーラマラーンバ(マリッカーアルジュナの神妃)は、香りのよいマッリカ(ジャスミンの花)のマカランダ(蜜)に引き寄せられて花の上を飛び回る蜂であり、バクタ(信者)の真のお手本です。

先祖たちが大切にしてきた伝説

先祖たちが収集して大切にしてきた伝説を笑ってはなりません。それらはこの場所に神聖さを与え、何世代にもわたって人々の考えや思いを高めてきました。この神社は毎年、何千何万という敬虔な人々を慰め、元気づけてきました。シャンカラチャーリヤはここで、この場所の神聖さと、ここで味わった穏やかさを歌いました。彼はチャクラ(神聖化された聖なるシンボル)を安置しましたが、それはパーターラ・ガンガーのそばの小さな洞窟の中にあると言ってもいいかもしれません。

貧しい人々や飢えた人々に奉仕したいという気持ちは善いことです。ところが、それが、施設を建設し、資金を集め、寄付を求める方向に進んでいます。そういったことに手を染めているうちに、エゴが増し、妬みが広がり、劣等感や優越感が湧き上がってきます。ことに巻き込まれているうちに、自分が持っていた心の平安はすっかり失われてしまいます。委員会があっても、あらゆる苦労が一人の人にかかってきます。そして、ついに施設が完成すると、所有意識が芽生え、すべての施設は主のものであり、主なくしては何も生じず、何も存在できないというのに、人々はそれを忘れて、一切の手柄を主張するのです。

災難をもたらす可能性もあるので、私は社会福祉を行っている人すべてにそれを防いでほしいと思っています。そのためには、まず自分自身の心を清め、それから他の人に助言しなさい。自分自身の心の平安と強さを得て、それから他の人にそれらを確保させなさい。自分自身が永続する幸せの秘訣を身につけ、それから他の人を幸せにするよう努めなさい。人工の手足ではなく、本物の手足を求めなさい。現在の発作を和らげてくれる医者ではなく、「この先、あなたは病気にならない」と保証してくれる医者を探しなさい。

聖地の雰囲気は良くなるはずです。サンニャースィン(僧侶)たちの姿に抜本的な是正が必要です。あまりにも多くのサンニャースィンが世帯主の仕事に従事しています。あまりにも多くのサンニャースィンが世俗的な名声や富を追い求めています。この是正の一切は、ダルマスターパナの一環として私が行うでしょう。ヴィーラバドラ シャーストリ〔学者〕が話したプラシャーンティ・ヴィッドワン・マハーサバー〔ヴェーダを復興するためのヴェーダ学者の会〕は、このダルマの復活のための道具の一つです。

人間にはもっと魂のための食べ物が必要

人間は、胃袋のための食べ物以上に、魂のための食べ物が必要です。アンナプールナーデヴィー〔食を満たす女神〕が与える「アンナ」(食べ物)は、ご飯やカレーといった食べ物ではありません。女神が求められるべきビクシャー(施し)はグニャーナ・ビクシャー〔英知の施し〕であり、あなた方が考えているような一握りのお米ではありません。それはグニャーナ・ビクシャー(霊的英知の施し)、プレーマ・ビクシャー(愛の施し)、バクティ・ビクシャー(信愛の施し)、アヌグラハ・ビクシャー(恩寵の施し)です。もっと多くのグニャーナ〔英知〕、もっと多くのプレーマ〔愛〕、もっと多くのバクティ〔信愛〕、もっと多くの恩寵を得るために、女神の恩寵を求めなさい。

この聖地で巡礼者に奉仕するとき、奉仕の水準を下げてはいけません。ここでは、バクティ〔信愛〕、ヴァイラーギャ〔無執着〕、グニャーナ〔英知〕に重点を置きなさい。ここで華やかさや不実を奨励してはなりません。もし誰かが心からの信愛でナヤパイサ〔一銭〕を差し出したなら、1000万ルピーを差し出されたかのように受け取りなさい。もし1000万ルピーを差し出されても、それが富を誇示すること、あるいは無執着を宣伝することを目的としたものであったなら、受け取ってはいけません。

私は、このサットラム(巡礼者の休憩所)の新しいレンガの礎石を据え、皆さんがアンナプールナーという御名の意味が無視されないように行動できるよう祝福します。皆さんは私の祝福が十分にあります。この仕事に携わっているあなた方全員が手を取り合って、すぐに成功させなさい。無差別に食事を施すことで、ここを怠け者の収容所にしてはなりません。この神聖な雰囲気の中で何日か過ごしたいと切望してやって来た人にだけ食事を施しなさい。そうしてこそ、人々は感謝するでしょう。ここにサーダナ〔霊性修行〕をするために、神の臨在の中で人生を送るためにやって来た人に食事を施しなさい。霊的努力から生まれる喜びの生きた手本となる人に食事を施しなさい。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.3 C36