サティヤ サイババの御言葉

日付:1964年3月13日
場所:ブッカパトナム
ブッカパトナムでの御講話より

ランプのようでありなさい

あなた方は皆、この行為の地(カルマ クシェートラ)を通って、正義の地(ダルマ クシェートラ)というゴールに向かって移動をしている巡礼者です。今、あなた方に話をした文学者や詩人、教師や役員たちは皆、あなたの手助けをするガイドです。けれども、その道は、初めから終わりまで、あなたが自分で歩かなければなりません。

カヴィム プラーナマヌシャースィターラム
――詩人は、命じる者であり、時を超越した古来よりの法を敷く者である

〔バガヴァッドギーター8章9節より〕

これはヴェーダが述べていることです。ですから、詩人も人々に正しい行いの規則を示し、人々が道を外れないうちに警鐘を鳴らさなければいけません。詩人は、他の人に正しい道を示すと同時に、自分が道を外れないよう、よくよく注意しなければなりません。カヴィ、すなわち詩人は、万人の目を持つ者(クラーンタ ダルシ)と呼ばれます。詩人は、マントラを見る者(マントラ ドラシタ)であり、詩人の役割は人間に神を解説することです。カヴィ(詩人)は、意味のない話にふけったり、意味のないことを書いたりすべきではありません。それは詩人の役割を降格させることになります。詩人は際限なく質問をしていてはなりません。なぜなら、詩人は自分の疑問や難問を他の人に吹き込むことなく、黙って探求して答えを得るべきだからです。

人生は蜃気楼です。蜃気楼は目に見える雨から生じることはなく、目に見える海に現れることもありません。昔、ある男が、死に際に大勢の身内に悩まされていました。両親、妻、子供、兄弟、姉妹――皆が、その男の最期にベッドを取り囲んで泣いていました。彼らは男に、「私たちはどうなるの?」と問いました。瀕死の男は、枕からほんの少し頭を起こして問い返しました。「私はどうなる? 今の私には、この問題のほうが、おまえたちはどうなるのかという心配よりも重大だ」

誰も皆、手遅れになるまで待つことなく、今のうちからその質問をして、自分で答えを出しておいたほうがいいでしょう。「私は何のためにいるのか?」、「私は何をすべきか?」これらの問いは、あなたが追求して答えに到らなければならない問いです。

人間は本来、幸せである

あなた方の本性は、サット・チット・アーナンダ(実在・覚醒意識・至福)です。私の言うことを信じなさい。だからこそ、あなた方は今、そのように振る舞っているのです。あなた方は、永遠に存在していたいと欲し、生き続けることを楽しみ、自分の死に関する話はいっさい回避しようとします。これは、あなたは本来、実在(サット)の化身である、と結論づけるのに十分な証拠です。さらに、あなた方は、驚きと好奇心、そして、周囲の世界を知りたいという欲求でいっぱいです。あなた方は、ありとあらゆることに関して、「何が」、「なぜ」、「どのように」、「いつ」と、絶えず問いかけています。これは覚醒意識(チット)による促しです。そして、あなた方はいつも何らかの方法で喜びを求めています。悲しみを避けようとし、その代わりに喜びを味わおうとします。そうするのは人間の特質です。なぜなら、人間は本来、至福(アーナンダ)の化身であるからです。人間が至福を求めるのは、海が海に呼びかけるようなものです。

あなたが誰かに「お元気ですか?」と尋ねられ、「とても元気です、ありがとう」と答えたら、相手は立ち止まってどうしてあなたは元気なのかと尋ねることはしません。あなたが「私は病気です」と答えた時だけ、相手は立ち止まり、病気の原因や症状、治療法について心配し、探りを入れます。「健康」は自然なことであり、「病気」は不自然なことです。不安は、もっぱら不自然なことが原因で生じます。ですから、あなた方は本来、幸せ(スカ)の化身でもあるのです。

誘惑に負けない強さを持ちなさい

サット・チット・アーナンダ(実在・覚醒意識・至福)は真我(アートマ)の属性であり、あなたは真我であって体ではありません。昔、占星術を固く信じていた王様がいました。その王様は、息子が生まれた日はナクシャットラ(星宿)がムーラ(尾宿)であることを知るや、この子は王家に災難をもたらすだろうと恐れ、兵士に息子を殺して死骸を密林に捨ててくるよう命じました。その家来は、その幼い王子をたいそう不敏に思い、殺すことなくただ密林に置いてきました。その子は洗濯屋に見つけられ、育てられました。何年かしたある日、少年が洗濯物を広げて乾かしていると、道に迷った王様が洗濯屋と少年が共に暮らす村に迷い込んできました。王様は、洗濯屋の家で休んでいた時、洗濯物を乾かしている少年は自分の息子だということがわかりました。王様は少年を連れ戻し、若き王として即位させました。さて、その少年は、洗濯屋と一緒にいても王子としての地位を失うことはありませんでした。少年は自分が本当は誰なのかを知らなかっただけでした。あなた方は皆、それと同じ境遇にあります。あなた方は、自分は洗濯屋であると誤解して自らの立派な身分を知らずにいる王子であり、自分は短命でもろい体にすぎないと言っている魂〔真我/アートマ〕なのです。

昔あるとき、神々が自分たちの勝利に舞い上がって慢心し、敵を撃退するのを助けてくれた至高神の恩寵のことなどすっかり忘れて、祝いの宴を盛大に開いていました。宴たけなわの時、至高神は膨れ上がった神々の慢心に一刺ししようと決めました。そこで、至高神は神々の目の前に得体の知れないものを創り出して注意を引きつけました。神々は好奇心から恐るおそるそれに近づきました。すると、その得体の知れないものも神々に近づいてきました。神々が「自分たちは共に勝利を祝っているところだ」と言うと、その得体の知れないものは、「私が地面に置いたこの草の葉をお前たちの力で倒して気概を証明するがよい」と神々に挑みました。火の神アグニはその草を燃やそうとしましたが、失敗しました。風の神ヴァーユはその草を吹き飛ばそうと力を尽くしましたが、できませんでした。このようにして、それぞれの神がその小さな草に向けて自分の神業を使って自分の真価を証明しようとしましたが、結局、至高神の恩寵がなければどの神も戦いに勝つことはできずに負けることになる、ということを身をもって知ったのでした。このようにして、慈悲深い至高神は、おごった神々に謙遜を教えたのです。

あなたを向上させてくれる文献を読みなさい

人は謙虚でなければいけませんが、誘惑をはねつけるときには強くありなさい。狡猾な感官の当てつけに、臆病者のように屈服してはなりません。学校での時間は、情報収集や生活に必要な収入を得るための技術を身につけることに使うだけでなく、満足して穏やかでいる方法、落ち着きがあって勇気を持っていられる方法を身につけることにも使いなさい。学校では、この世界と自分自身に関する真実を知りたいという渇望も培わなければなりません。あなたの言葉は蜂蜜のように甘く、あなたのハートはバターのように柔らかく、あなたの態度はランプのように周囲を照らすものでなければならず、人を混乱させるようなものであってはなりません。特定のチームの成功や失敗に影響されることなく、試合を見て定められた規則に従ってプレーを判定する、サッカー場の審判のようでありなさい。

私はまた、あなたが自分の真我についての問答を促すことができるような本も読んでほしいと思っています。私が今日、発刊させる「Educator」〔“教育者”という意味の雑誌〕のような、善い内容の、あなたを向上させてくれるような文献を読みなさい。私はその刊行物のために、時折いくつか論説を書くつもりです。というのも、生徒たちにインスピレーションを伝える教師たちがそれを読むであろうからです。私は、アナンタプル地区の教員組合が、お互いのために雑誌を発行するという仕事を引き受けてくれたことを嬉しく思います。彼らは、私を今日ここに、私の名を冠したこの学校に、連れてきてくれた人たちです。私は、この学校が毎年恒例の学校の日〔創立記念日〕を祝っていることを嬉しく思います。校長には、地元の人の熱意を育み、学校のためになるようにそれを方向づける、という特別な責任があります。そして、計画が学校のためになるものである場合には、校長先生を助けるために全員が手を組むべきです。

恩寵は努力に比例する

私はこの町から、不和の声、そして、「サティヤ サイ ババが本当に神だというのなら、どうしてブッカパトナムの貯水池は1年のほとんど干上がっているのか」と耳打ちする声が上がるのを聞いています。ここにいるあなた方の何人かは、宇宙の法則の働きについての知識がない無責任な人たちが発した、そうした主張を聞いたことがあるかもしれません。私の真実と、あなた方の村の貯水池を満たす水との間に、どんな関係があるのですか? 「ここから4マイル〔約6キロ半〕も離れていない所にサイ ババがいるのだから、ブッカパトナムの貯水池は一年中水を湛えているべきだ、貯水池より下にある土地は地主にとって好都合な利益を生むべきだ」というのは、本当に馬鹿げた考えです! なぜ私が特別にその貯水池に私の恩寵を注ぐ必要があるのですか? 近ければ近いほど愛着が湧くべきだというのですか? 私にとっては、どの場所も同じように私に近いのです。そして、もしどの場所も善良な道から逸れてしまったら、すべての場所は同じように私から遠くなります! 私にとって、距離はマイルでは測れません。よその大陸にある貯水池が、チットラーヴァティー川を渡った所にある貯水池と同じように私に近いということもあり得るのです。

加えて、もしこの村の人たちが銀行に預金をしていなかったら、銀行は預金を引き出すための小切手を村の人たちに発行できますか? あなたは、神への信愛、人類同胞への奉仕、そして、自分がしている霊性修行に対する信念を預けていますか? それらがあって初めて、あなたはそれらの努力によって、恩寵を勝ち得ることができるのです。恩寵は努力に比例します。

また、私は皆さんに、「あなたはどんなふうに苦しんできたのですか?」と聞くかもしれません。このあたりの他の村々が衰退して村人たちが大きな町に移り住んでいくのに対して、ブッカパトナムは繁栄し続けています。それは、この村を通ってプッタパルティ〔ババのアシュラムのある村〕へと入る敬虔な巡礼者たちの流れのおかげです。プッタパルティに集う神聖な人々との親交によって、空気は涼しくなります。あなた方の近隣に顕現した至高の神の力(マハーシャクティ)と、その場所から放射される神への至高の信愛(マハーバクティ)は、数々の恩恵をもたらしてきました。あなた方はそのことを否定できません。この学校は、その数ある恩寵の証拠の1つにほかなりません。どのような御名と御姿に対してであれ、あなた方の神への信愛がますます深みを増し、さらに大きな神の恩寵を得ることができるよう、私は皆さんを祝福します。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks VOl.4 Ch14