サティヤ サイババの御言葉

日付:1965年3月25日
場所:カーキナーダ市
カーキナーダ市でのヴィッドワン マハーサバーの御講話より

起きよ! 目覚めよ!

皆さんは、ゴールに到達するために、押し留めることのできない衝動を携えて霊性の道をたどらなければなりません。あらゆる邪魔物から解放されたいという切実な願いを培わなければなりません。自分は、ダルマ、富、欲望、解脱という四本の丈夫な柱で建てられた家に住まなければならない、ということを覚えておきなさい。ダルマ(正義)こそが富を手に入れる手段であり、解脱こそが唯一の欲望であるべきです。どれほど多くの富を手に入れようとも、あるいは、どれほど大きな権力を手に入れようとも、あなたの内にある至福の源泉を開かない限り、平安と永続的な満足を得ることはできません。

真理の本質、永遠性の本質は、あなた方の内にあります。それらを外で手に入れる必要はありません。人生の目標である四本の柱は、各人の内にある真理と永遠性の本質という、実に神そのものである岩盤、そこに人間が乗るための岩盤の上に立てることによって、しっかりとした頑丈なものになります。

マーナヴァ(人間)とは、「ほんのわずかな無知も有していない者」を意味します! ですから、もしこの名前にふさわしくなろうとするならば、善良な衝動に動機づけられた行為を絶えず行うことによって、無知を取り除かなければなりません。しかし、努力は小さいのに期待は大きく、達成したことは小さいのに自慢は大きい、というのがあなた方です。水を運んでいる人に、誰かがその人の持っている革の水筒は清潔かどうかを尋ねると、水を運んでいた人は、「あなたが水を入れている水筒よりも清潔です」と答えました。外側よりも内側の清らかさを見なさい。自分で調べなさい。他人の判断に任せてはなりません。貝殻ではなく真珠を探しなさい。キラキラ光るまがい物ではなく宝石を探しなさい。

誰もが解脱を果たすことができる

「解脱を探し求める人は解脱を得る」ということを聞いたことがあるはずです。解脱(モークシャ)に対して多くの人が抱いている印象は、極わずかな人だけが手に入れることのできる、滅多にない名誉であるとか、楽園であるとか、選ばれた人の特区であるとか、英雄のような人だけが登ることのできる高みである、といったものです。そうではありません。英雄であろうと、なかろうと、解脱は誰もが果たすことのできるものです。解脱を否定している人でさえ、最終的には解脱を果たさなければなりません。なぜなら、人は皆、喜びや平安を探し求めているその時に、解脱を探し求めているからです。喜びや平安を探し求めない人が誰かいますか? 永続する喜びと平安をあなたが持っている時、それが解脱です。はかない喜びと束の間の平安に疲れ果て、人はようやく、永遠の喜びと平安の秘訣、言い換えるなら、輪廻生死からの解脱の秘訣を知ろうと努力します。

永遠の喜びと平安への道を知ったときにのみ、人々は感覚の喜びという脇道に逸れてさまようことがなくなります。夢の中で感じた喜びは夢から覚めると消えてしまうように、起きている状態で感じる喜びも、英知(グニャーナ)という、より高次の意識に目覚めると消えてしまいます。それゆえ、ウパニシャッドは、「立ち上がれ、起きよ、目覚めよ」と述べているのです。時間は飛ぶように過ぎていきます。使えるうちに、今の瞬間を最も善い使い道のために、すなわち、万物の内なる神に気づくために使いなさい。あなたが死ぬときには、木や獣や虫のようにではなく、自分は神だと悟った人間らしく死になさい。それこそが、あなたが人間という枠の中で過ごしたすべての年月の完結です。

この重要な教えが、現代の教科の中に見当たりません。男も女も、喜びあふれる生活、平安に満ちた生活の秘訣を知ることなく、長い年数を生きています。教育を身に付けた人は、本当なら、教育を身に付けていない人よりも穏やかで、心の動揺に支配されないはずですが、現代では、教育を身に付けた人のほうが、教育のない人よりも満ち足りていません。現代の教育は、エゴと偽善を補強する薄い化粧版です。

万人は神へと向かう旅人

砂糖の入れ物に「塩」と書いてあるのを見た人が、その理由を尋ねると、「蟻を騙すためです!」という答えが帰ってきました! 若者向けの現代の教育と訓練システムに貼られた「教育」というラベルは、教育の真の目的である、「人間の内にいる神を顕現させること」を求める思慮深い人を騙すことはできません。謙虚さと、敬うという態度は、人間にとって必須のものです。しかし、これらは現代の教育プロセスでは促進されません。この二つを確実なものにするプロセスは、ウパニシャッドに提示されています。

「母を神として崇敬しなさい、父を神として崇敬しなさい、師を神として崇敬しなさい、客人を神として崇敬しなさい」と、ウパニシャッドは強く勧めています。誰の内にも神がいます。ですから、誰も軽蔑されたり、ぞんざいにされたりすべきではありません。あなたに真実を悟るためのこのすばらしいチャンスを与えてくれた両親、あなたの中にある宝へとあなたの目を向けてくれた師、そして、あなたの家で生身の神の化身に奉仕するという贅沢なチャンスを与えてくれた客人は、皆、深く敬われ、謙虚に奉仕されなければいけません。教育を身に付けた人たちは、自分がどこに行くのかわからないまま鉄道の予約窓口で切符を求める人のようです! しかし、誰もが旅人です。もっと正確に言うなら、誰もが巡礼者です。人を自らのもとへと引き寄せる神へと向かう巡礼者です。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.5 C14