日付:1965年4月6日
テルグ正月の御講話より
この新年はヴィシュワーヴァスと呼ばれるもの〔テルグ歴60年周期の一つで、次回は2025年3月30日から始まる〕であり、あなた方はそれを、ヴィシュワーサ(信心)を強化するための呼びかけと受け止めなければなりません。それは、あなた自身のアートマ、あなた自身の神性への信心であり、愛、不死を求める願望、無執着、美徳への称賛、自然が引き起こすことへの畏怖や感嘆として現れるものです。
しかし、人は、素晴らしい機会、自分自身の真の偉大さを吸収する機会を、無視しています。人は、炭として売るために白檀の木を燃やすことを選んでいます。なぜなら、人は白檀の価値を知らないからです。人は神を単なる人間と見なしています。人が自分に課している目標は、スカ〔喜び〕やシャーンティ〔平安〕を獲得することです。それは行うべき正しいことではありますが、人は数歩進んだところで立ち止まり、偽物を本物と取り違えているのです。それが悲劇です。人は、自分が一日二度の食事にありつけ、何メートルかの服地を手に入れ、頭の上には屋根があり、ぜいたく品をいくらか持っていれば、目標を達成したと信じています。しかし、そこから得られる喜びは、取るに足らないものであり、悲しみと入り混じって容易に苦痛へと変わり、他人に害を及ぼし、慢心や嫉妬、悪意や貪欲といった有害な要素で満ちています。
数時間も新鮮さを保てないような食物で維持されている身体が、どうして長く新鮮でいられるでしょうか? 作られ、損なわれたものは、まさにその理由から、真実のものではあり得ません。なぜなら、真実は作られて損なわれることはないからです。真実は、何の変化もこうむることなく、昔も今もこの先も存在します。
人の不滅の部分とは何でしょうか? それは、蓄えた富、築いた住居、鍛えた体、手に入れた健康、育てた家族でしょうか? いいえ、人が行ったことや発展させたこと、稼いだものは、すべて壊されます。人はそのすべてを、時間の経過による損壊の中に置いて逝くしかありません。人は自分がすこぶる愛した土地の一握りの土さえ持って逝くことはできません。もし死人が一握りずつ土を持って逝けたなら、たいへんな土不足になって、土はとっくに配給制になっていたはずです! 不滅の「私」を発見し、それがあなたの中にある神の火花であるということを知りなさい。大きくて計り知れない至高者との親交の中で生きなさい。そうすれば、あなたは大きくて計り知れない存在になるでしょう。
あなたがこの世で集めたすべての物は、巡礼中に、このカルマ・クシェートラ(行為の地)において、この大きな宿で使うために「信託」されたものである、と見なしなさい。それらはあなたが発つときに返却しなければなりません。それらは他人の所有物です。札束を手に持って、「これは私のものだ」と誇らしげに言うとき、札束はあなたを笑います。札束は言います。「ああ、このようにおごった人を私はどれほど見てきたことか!」。肉体はテントにすぎません。その幻を大事にしすぎてはなりません。その中に住み、それを動かし、それに考えさせ、結論を出させ、行わせる者である、デーヒ(内在者)を渇望しなさい。
肉体は巡礼者にとってのテントにすぎない
大工が木を、鍛冶屋が鉄を、金細工師が金を形作るように、主は自分の好みに合わせて、プラクリティ、すなわち、創造された宇宙であり、空間と時間とグナで編まれた多様性であるものを、独自の方法で形作ります。主が基盤であることを知り、すべての恐れを捨てなさい。小さなスズメが嵐に揺れる枝に止まるのは、自分の翼は強いということを知っているからです。スズメは揺れる枝に頼って止まっているのではないのです。それと同じように、神の恩寵に頼り、恩寵を獲得して保持しなさい。そうすれば、嵐がどれほど強力であっても、あなたは害を受けることなく生き残ることができます。
識別しなさい。常に識別しなさい。ヴィヴェーカ〔識別力〕とヴィグニャーナ(霊的知識)、そして、起きている状態、夢を見ている状態、熟睡している状態の体験を、活用しなさい。夢を見ている状態では、五感は無効になり、ブッディ(知性)は機能せず、心(マインド)のみが主人となって、独自の「世界」を創造します。夢の中で、ある男が虎に襲われ、蛇に足を深く噛まれて、あらゆる痛みと恐怖を感じました。どうやってこの不幸な男を治療したらよいのでしょうか? 医者も、呪文を唱える魔術師も、連れてくる必要はありません。その男を起こしなさい。そうすれば治ります! そうすれば、彼は、虎も蛇もおらず、噛まれてもいなければ、痛みもなかったことが分かります。それと同じように、グニャーナ〔英知〕は、非現実のものから生じる喜びと悲しみといった二元の経験の一切を、即座に取り除いてくれるでしょう。
神聖な思考によってすべての瞬間を聖化しなさい
あなたは、「私は起きていた」「私は夢を見た」「私はぐっすり眠った」などと言います。では、その「私」とは誰なのでしょうか? その三つの状態を持たず、生まれてから死ぬまで一貫していて、身体とすべての器官と五感、さまざまなすべての感情と衝動と経験を「それ自身のもの」「その所有物」「その道具」として扱う、その「私」とは誰なのでしょうか? その「私」は知られるべきものであり、それをひとたび知ったなら、あなたは心(マインド)をそこから逸らしてはなりません。
空っぽの金庫は、中に宝石が入れられると価値が上がります。肉体は、意識という宝石と美徳と呼ばれる貴重品が入っていると、尊ばれます。人生は、美徳を開花させる機会を得るために生き抜かなければなりません。そうでなければ、人間は地球の重荷であり、食物を消費する生き物であるのみです。好むと好まざるとにかかわらず、あなたの人生の長さは日毎に短くなっていきます。太陽は、沈むときに一日を奪っていきます。あなたは神にその貢ぎ物を納めなければならないのです。あなたがどれほど切望し、もしその一日を返してくれたらもっと良いことに使います、と約束しても、その一日を取り戻すことはできません。一度失ったら、それは永遠に失われます。さらに、あなたは自分に明日があることをどうやって確信できますか? あなたは明日を見るまで生きられないかもしれません。ですから、神聖な思考と言葉と行いによって、一瞬一瞬を神聖なものにしなさい。
たとえあなたが、神への信心、あるいは、内在する力の特定の名前や姿形への確固たる信心を持っていなくても、心(マインド)の気まぐれと、あなたを引き戻すエゴの力と、あなたを魅了する五感への執着を、コントロールすることから始めなさい。他人の役に立ちなさい。そうすれば、たとえ他人があなたに感謝しなくても、あなたの良心があなたに感謝し、あなたを幸せで満足した状態にいさせてくれるでしょう。人生は、地道にゴールへと向かっていく行進であり、無意味な投獄期間でもなければ愚かなピクニックの類いでもありません。忍耐強く、謙虚でいなさい。他人や他人の動機に関して、結論を急いではなりません。
あなたの中には六つの炎が燃えている
火が燃え盛ると、人は砂や水を投げ入れて消そうとします。そのために、砂や水を常備しておくのです。一方、人の中には六つの火が燃え盛っています。それは、欲望、怒り、貪欲、執着、傲慢、憎しみです。これらを消すために、あなたは何を常備していますか? サティヤ〔真実、真理〕、シャーンティ〔平安〕、ダルマ、プレーマ〔愛〕を常備しておきなさい。これらはそれらの炎を消すのに役に立つ、効果的な消火剤です。
人はそれぞれ、自分の空腹を満たすために食べます。同様に、人はそれぞれ、自分の霊的な空腹を満たすための一番の方法を見つけなければなりません。他人の嘲笑や勧めに惑わされてはなりません。五感を静めて心をコントロールすることによって作り出した静寂の中で、自分の実在と接しなさい。その静寂の中で聞こえる声があります。あなたがその声に耳を傾けたことの真の証拠となるものは、あなたの行動です。木は、静かな大地の中へと伸びていく根によって支えられ、養われます。同様に、根があなたの内なる意識の静寂の中へと深く入っていけば、あなたの霊的開花は保証されます。
昨日、とても多くの老人と女性と子供が、大変な苦労をしました。なぜなら、場所を求めて押し合いへし合いする人々で、大混雑していたからです。皆、私へのプレーマ〔愛〕によって動かされていたので、私はそのすべてに責任を感じました。私は時たま、場所を移動すべきではないと感じることがあります。というのも、何十万もの人が来ると、静かにすることが難しくなるからです。拡声器も、行動規制による混乱に輪をかけました。あなた方は、忍耐を失わず、待つこと、そして、チャンスを最大限に活かすことを、身に付けなければなりません。
サイババ述
翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.5 C28