サティヤ サイババの御言葉

日付:1967年10月4日
場所:プラシャーンティ・マンディール
ナヴァラートリー祭初日の御講話より

リングの虎

ナヴァラートリー祭は、『デーヴィーマハートミャ』と『デーヴィーバーガヴァタ』〔女神神話集〕に述べられているところの、パラーシャクティ(小宇宙と大宇宙に内在するエネルギーの女神)がアスラ〔阿修羅〕すなわち悪の勢力に対抗して得た勝利を称えて祝われます。パラーシャクティは、クンダリニー シャクティ(眠っている霊的な力)としてすべての人に内在しており、それが目覚めると心(マインド)の中の邪悪な性癖を滅ぼすことができます。それゆえ、ナヴァラートリー祭は、外界と内界の平安と歓喜を得ることを目的として、内外の神性をなだめんがために、すべての人が捧げるべきものなのです。

体系的なサーダナ〔霊性修行〕という方法を用いれば、神が人に授けた内なる源泉を開いて、さらに純粋で、さらに幸福な、実在の領域まで自らを高めることが可能です。野獣の調教師を見てごらんなさい。動物の中でも最も獰猛(どうもう)な虎を、まるで猫を連れてくるようにサーカスのリングに連れてきて、火の輪くぐりをさせたり、皿のミルクをぺろぺろと舐めさせたり、山羊(やぎ)と差し向かいで椅子に腰掛けさせたりします! 調教師は虎の獰猛な性質を押さえ込んで、虎を飼い慣らし、おとなしいおもちゃの身分にまで変えてしまいます! いったいどうやってそのようなことができたのでしょう? 調教師はサーダナをしたのです。そして、虎にもサーダナという厳しい訓練をさせ、それで成功したのです! 虎で成功したのであれば、人の心の獰猛な動物でも成功できないことなどありますか?

シャクティの三つの様相

あなたにはできます。これぞ、ナヴァラートリー、すなわち、主たるエネルギーの勝利を祝う九日間のお祭りのメッセージです。そのエネルギーは、浄性の様相で顕現すると、偉大な教師、人を感化する御方、マハーサラスワティー女神として描写されます。激性の様相では、偉大な施与者、維持者であるマハーラクシュミー女神として描写され、鈍性の様相では、一見穏やかで鈍性を表には出さない、偉大なる黒い破壊者、人を惑わす御方、マハーカーリー女神として描写されます。シャクティは、すべてに遍満し、全能で、極小であると同時にすべてのものを包んでいるがゆえ、外界の自然でも、内なる意識の中でも、どこでも触れることができます。

プラフラーダは疑い深い父親に言いました。

「なぜ、疑い、議論し、引き延ばすのですか? どこでも探してごらんになってください。父上はそれを見ることができます」

それは、近くにも遠くにも、前にも後ろにも脇にも、すべてのものの中に、知っている世界にも、知らない世界にも存在しています。

人々は大胆にも、女神や神をああだ、こうだと描写しますが、それはその人の想像力を示しているにすぎません。どう描写しても、神の全体像を描くことはできません。直接の悟りを勝ち得ると、舌は物が言えなくなります。全体像は描写不可能なものです。それは人間の知性や想像の及ばないものです。しかし、人は限られた枠の中にとてつもなく壮大な絵を描こうとします。そして、その中にアヨーディヤーやドワーラカー、マドゥライやカンニャークマーリーといった聖地を置いて、自分がそこにたどり着けるよう、そこに住めるよう、名と形を与えるのです。名と形は、それを見分けさせることはできますが、制限することはできません。あなたがどこかの海に飛び込むなら、それは海全体に飛び込んでいるのであり、海の一部に飛び込んでいるのではありません。なぜなら、海はどこでも同一だからです。あなたは海に線を引いて区分けすることはできません。どこででも飛び込みなさい。それは、まったく同一の至福に飛び込むことになるのですから。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.7 C30