サティヤ サイババの御言葉

日付:1968年3月29日
場所:ヴェーンカタギリ
テルグ正月の御講話より

失くした鍵

このお祭りのご馳走である霊的な講話にありつくことを熱望して、何千人もの人たちがここに集まりました。これは新年を祝うのに最善な最も有益な過ごし方です。虎は、ジャングルの獣道(けものみち)の脇の薮(やぶ)の中で待ち伏せします。そうやって獲物を捕らえて、ねぐらに引きずって帰るのです。それと同じように、死は人を待ち構えています。死は、音もなく人の後ろを付いて歩き、時が来ると飛びかかって人の人生の歩みを終わらせます。花はしおれ、果実は腐り、木は枯れます。人生は誕生と死の合間にすぎず、生まれた瞬間から墓場への行進が始まるのです。

神をあなたのランプとしなさい。そうすれば、人生を安全に送ることができます。舌の上に神の御名を保っていなさい。神は、その御名のとおりの姿をとらざるをえません! ラーマの御名を憶念する、ナーマスマラナ〔唱名〕の霊性修行を習慣にすることを、今日、決意しなさい。「ラーマ」には、「至福そのものである者、至福をもたらす者」という意味があります。叙事詩の霊的な意味を強調している、霊的なラーマーヤナを読みなさい。

ラーマーヤナの全編は、二人の女性と二つの激情が発端となっています。それは、侍女のマンタラーの表す怒り、そして、羅刹(らせつ)女のシュールパナカーの表す色欲です。マンタラーはラーマを森へ追放することをたくらみ、シュールパナカーはシーターの誘拐とその報いである羅刹族の滅亡を引き起こしました。物語の中で、この二人の女性は卑しむべき登場人物ですが、鍵となる役割を果たします。というのも、二人が表した激情が引き金となって、痛みと悲しみに満ちた一連の長い出来事が起こったからです。怒りと色欲は原子爆弾よりも破壊力があります。しかし、ラーマがハートに安置されると、それらは線香花火のようにあっけなく消えてしまいます。

恩寵を祈り、恩寵が得られるよう霊性修行をせよ

よく効く薬をあなたが喜んで受け入れるように、こうした叙事詩を喜んで受け入れなさい。それらは、心に深く根を張っている病を治療することができます。心の持つ好き嫌いや、内部器官〔心、知性、意識、自我〕の障害や、内部意識の欠陥を治療するために、薬としてマントラを受け入れなさい。神へと向かう道において、それらはあなたの行く手を明確にし、あなたを強くし、ぐらつかなくさせます。

神の恩寵は、雨のようなもの、日光のようなものです。それを得るためには、何らかの霊性修行をしなければなりません。それは、雨を受けとめるために器をまっすぐな状態に保つ霊性修行や、日光が射し込んでくるようハートの扉を開ける霊性修行です。神の恩寵は、ラジオで放送される音楽のように、あなたの周りのあらゆる所に存在しています。けれども、あなたはラジオのスイッチを入れて、特定の周波数に合わせる必要があります。そうすれば、それを聞いて楽しむことができます。恩寵を求めて祈りなさい。しかし、少なくとも、こうしたささいな霊性修行をしなさい。恩寵は、すべてを正しく整えます。恩寵の主な果報は真我顕現ですが、それ以外にも利益は付随します。たとえば、この世での幸せで満ち足りた生活や、波立つことのない平安の中に確立される、冷静で勇ましい気質を得ることなどです。

宝石から得られる主な利益は、個人的な喜びです。しかし、財布の中身が小銭一枚になってしまったら、宝石を売って生活を立て直すことができます! それは副次的利益です。バナナの木には、主な贈り物として、房が付いています! けれども、葉っぱや、幹の柔らかい芯や、花のつぼみは、有効に利用することのできる副産物です。これが恩寵の特質です。恩寵はさまざまな要求を満たすのです。

どの家でもヴェーダの教えが無視されている

どの家でもヴェーダの教えが無視されている あなたが神への信心を持っていないなら、恩寵の効きめを測ることはできません。もしあなたがラーマやクリシュナを捨てるなら、彼らはあなたが必要とする時にあなたの力になれません。あなたが愛着の絆でサイ ババと結びついていないなら、サイ ババの恩寵を受け取ることはできません。もしあなたが、皮肉や疑いから始まって、批判しよう、誤りを見つけようとするならば、その結果としてさらなる無知と混乱に陥ります。神聖でない考えが心を有毒ガスで曇らせてしまいます。それでどうやってビジョンが明快になることができますか?

羊飼いの少年が、地面に落ちていたダイヤモンドを拾い、それをガラスだと思って羊の首にゆわえました! そこはダイヤモンドが着けられるべき所ではありません。人は、自分の高貴さ、自分の神性を見過ごしています。自分をガラスの地位へとおとしめて、羊の首にぶら下がっています。人は自分がいるべきでない所にしがみついています。

国もこうした地位の格下げを共にしています。バーラタ〔インドの正式名〕は、長い間、人間の教師、永続する喜びを求めるすべての国民の教師として、尊敬されてきましたが、今、その本来の役割を忘れ、他の国のドアの前に立って頭を下げて手を伸ばし、施しを乞うています。「母親を神として敬いなさい」というヴェーダの教えが、どの家でも無視されています。その結果、「母国」は自分の子供たちに豊かさと平安を恵んでいないのです。両親を敬い、教師を敬いなさい。これはサナータナ ダルマ〔古よりの永遠の法〕の教えです。兄弟には兄弟にふさわしい愛情を持って接しなければなりません。兄弟を忌み嫌う人の運命は、完全なる破滅です。これは、第五のヴェーダとして無数の人に崇敬されている古代の叙事詩、マハーバーラタが説いている教訓です。

あなたの思考、言葉、行為を神性で満たしなさい

ある時、一人のグル(霊性の導師)が弟子たちから捧げられた果物を、「各々、一番好きなものを一つ取りなさい」と言って弟子たちに与えようとしました。弟子の一人が、どの果物も取らず、無関心に部屋の片隅に座っていました。グルはその弟子に「おまえが一番好きなものは何かね?」と尋ねました。弟子は「自分です」と答えました。これは適切な態度です。もしあなたが自分を一番好きならば、自分を最大限に活かし、自分を明瞭かつ正確に知り、自分を深く敬い、最善を尽くし、自分の才能と技術を最大限活用して、永続する平安と歓喜へと自分を連れて行きなさい。

神のいない肉体、シャヴァ(死体)にではなく、あなたの中のシヴァ(神)に頼りなさい。一息ごとに神の栄光を吸い込み、神の栄光を減じるすべてのものを一息ごとに吐き出しなさい。あなたの思考、言葉、行為を神性で満たしなさい。そうすれば、あなたは死を克服し、不滅になることができます。シヴァの御名を唱えて自分を救いなさい。あなたは、本当は真・善・美の化身なのです。ところが、あなたは泉を開通する鍵を置き忘れてしまったのです。その鍵はあなたの内部の意識の領域にあります。しかし、暗い室内で失くした針を外の明るい街灯の下で捜すお婆さんのように、人は外の世界の物質の領域でその鍵を捜しているのです。

神の御名を連ねたバジャンをいくつか歌って私が講話を締めくくるのは、ナーマスマラナ〔唱名〕をするよう皆さんを促すためです。インドの行政機関の役人でも、自分の子供にアルファベットを教えるには、石板の上にA、B、C、Dと書いてそれらの文字を発音してみせなければなりません。あなたは役人がそうするのを見て、その役人自身がアルファベットを勉強しているなどとは思わないでしょう? ですから、私がバジャンを歌っても驚いてはなりません。私は単に、この最も効きめのある霊性修行を伝授しているにすぎないのです。こうしたナーマ サンキールタン〔集団で神の御名を歌うこと〕によって、自分を強くし、自分を浄化し、自分を教化しなさい。大きな声で、人々と共に行いなさい。加わってきた人々に耳を傾けさせ、かつ、神の御名という甘露も飲ませてあげなさい。以上が、新年に当たって私が皆さんに贈るメッセージです。

愛、奉仕、崇敬を通じて神を顕現させなさい

新しい年が皆さんに信愛と甘美な霊的体験を授けてくれるよう、私は皆さんを祝福します。今日、プラヴァンガの年〔テルグ暦六十周期の四十一番目の年〕が去り、キーラカの年がやって来ました。人類の歴史において、これは何度繰り返されたことでしょう! 時の巡りは、こうした出来事をこれまで数え切れないほど見てきました。この機会を、これまでのように、ただ過ぎさせてはなりません。「キーラカ」には、くさび、大黒柱、支柱、柱といった意味があります。あなた方の今日の課題は、あらゆる霊的な成功を支える柱を発見することです。私が皆さんにそれは何かを言いましょう。それは、すべての人々に内在する万物の主への、愛と崇敬と奉仕です。その愛と崇敬と奉仕を通して、神を顕現させなさい。それは最高の霊性修行です。人を神と見なして奉仕しなさい。飢えている人に食べ物を施しなさい。食べ物は、自然の女神アンナプールナー〔豊穣の女神〕の贈り物です。愛を込めて謙虚に食べ物を施しなさい。神の御名で食べ物に甘味を付けて施しなさい。

天球は、回転しながら崩壊に向かっています。時間は矢のように過ぎていきます。世代は変わり、時代は次の時代へと移りゆきます。生まれた肉体は成長し、終わりを迎えます。ところが、人生を善い働きと善い思いで神聖なものにしたいという熱意は、どこにも見られません。真摯な霊性修行の芳香は、どこにも見つけられません。「手放す」過程を通じて、偉大なことを成し遂げることができます。無執着を育みなさい。そうすれば、神はあなたに愛着を覚えるでしょう。しかし、過去は取り戻せません。日々は過ぎ去りました。けれども、明日があります。明日を愛と奉仕と霊性修行で神聖なものにしようと決意しなさい。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:SathyaSaiSpeaksVol.8 C16