サティヤ サイババの御言葉

日付:1968年11月21日
場所:プラシャーンティ・ニラヤム
第2回サティヤ・サイ・オーガニゼーション全インド大会 連続講話(下)

オーガニゼーションの心臓部

各地区の代表者たちによる協議を受けて、地区の会長たちから私に提出されたレポートと提案を見て、私はあなた方がその中に自分たちの希望と抱負、そして、自分たちを幸せにするためのアイデアを盛り込んだことがわかりました。言っておきますが、あなた方が今従事している、そして将来着手するであろう、すべての活動の主な目的は、心を洗うことです。洗濯屋に手渡すものは、ズボンであったり、ブッシュコートであったり、タオルであったり、さまざまです。しかし、それらを洗濯屋に手渡した目的と、洗濯屋が行う作業は、洗濯することだけです。それと同じように、あなた方が奨励している瞑想であれ、手配している講演であれ、執りまとめているバジャンであれ、あるいは、貧しい人たちに提供している衣料であれ、執り行っている礼拝であれ、その目的は、心の中にあるエゴ〔アハンカーラ、自我意識〕、貪欲、憎悪、悪意、肉欲、嫉妬という汚れを取り除くことだけです。これらすべての結果としてあなた方が身につけなければならない一つの性質は、「お互いへの愛」です。それが、サイの信者の印、あらゆる姿をとる神の信者の印です。

人は生まれ、死にます。その中間に、人は成長し、衰えます。成長の印は、無私の奉仕(セヴァ)として表現された「お互いへの愛」です。裕福な人、高い地位にいる人には、仕えてくれる人が大勢います。あなた方は、仕えてくれる人が誰もいない人に奉仕しなければなりません。他人に仕えることで何とか生きている人たちに奉仕しなさい。そうした目的のためにすでに何千もの団体が働いていますが、私の名前を冠した組織に特別に必要なものは何でしょう? あなた方は、すべての人の中に私を見出し、敬虔な献身の精神ですべての人に奉仕しなければなりません。

全託の精神が行為の一つひとつを動かしていなければならない

海の波の上を漂う枯葉の上に、一匹の蟻が必死になってしがみついていました。鳩がそれに気づいて飛んできて、その枯葉をくちばしにくわえて陸に運んでいきました。蟻もまた、極小の殻に入れられた神性なのです。神の目には、ジャングルや海にいる多くの大きな生き物と同じように、蟻も重要なものなのです。神は、助けるようにとあなたを促す愛を、痛みを和らげるようにとあなたを駆り立てる慈愛を量ります。サティヤ・サイ・オーガニゼーションは、霊性修行(サーダナ)として無私の奉仕(セヴァ)に着手し、万物に内在し原動力を与える存在(サルヴァーンタラヤーミー)として私を見て、礼拝の儀式(プージャー)として無私の奉仕(セヴァ)をしなければなりません。

地区の会長と各ユニットの会長は、霊性修行(サーダナ)を実践しなければなりません。神へのまったき信仰を持っていなければなりません。さらに、その信仰心が、語る言葉と思考と行いの一つひとつに中に、はっきりと示されていなければなりません。全託の精神が、行いの一つひとつを動かしていなければなりません。会長は、会員たちを感動させるような、そうした仕事の各項目に着手しなければなりません。もし、どうしてもオーガニゼーションを成功させようという気があるなら、会長はこの名と姿〔ババ〕を固く信じるべきです。昔、ハヌマーンをドワーラカーの都に連れてくるために、クリシュナがガルーダを遣わしたときのことです。そこでお決まりの口論が始まりました。というのは、ハヌマーンはラーマ以外の誰の命令にも従わなかったからです。そのためクリシュナは、再びガルーダを送って、(クリシュナではなく)ラーマに会いに来るように求めることで、ハヌマーンをなだめなければなりませんでした。

他人に権力を振るうことを求めてはなりません。むしろ、他人の役に立てる機会を見つけることを求めなさい。自分の義務を怠れば、権威ある地位は頭痛の種となりはじめます。召し使いでいなさい。神の召し使いでいなさい。そうすれば、あらゆる力と喜びが、あなたに付加されるでしょう。主人であろうとするならば、周りのすべての人々の中に、妬み、憎しみ、怒り、貪欲を呼び起こすでしょう。自分は神の手の中にある道具であると思って、神にあなたを形作らせ、神が知る最良の方法であなたを使ってもらいなさい。

がんじがらめの状態から人を救うことができるのはウペークシャーのみ

私は、各ユニットが仕事を開始した後に、以前は広く存在していた誠実さが消えてしまったことに気づきました! 意見の違いが誇張され、癇癪(かんしゃく)を起こしてイライラし、誤解と内輪もめが頭をもたげています。共にいた人たちが、だんだんと離れています。「タット」(あれ)〔神〕と「トワム」(これ)〔人〕は同じものですが、あなた方はそのことを忘れてこれ〔ババ〕から遠ざかりつつあります。五感に近づけば魂〔真我(アートマ)〕は遠くなります。魂に近づけば五感は遠のきます。感覚で知覚できるもの、現世のものに執心するなら、つまり、アペークシャーを育むなら、あなたは自分を好き嫌いの鎖に縛り付けることになります。

名声と安楽が欲しくてたまらないという気持ちから自分を引き離すなら、つまり、ウペークシャー〔何にもどのようにも心を動かされずに傍観者でいること〕を育むなら、あなたは自由になります! ウペークシャーだけが、がんじがらめの状態から人を救い、究極の真理を示すことができるのです。人は自分を動物や鬼にしてはなりません。人は神に変わらなければなりません。大きな石が、想像力豊かな芸術家に彫られて、横笛を持つ魅力的なクリシュナ神の像になるように、人間も運命の一打一打を、芸術家の打つ鑿(のみ)の一彫りとして扱わなければなりません。

私は、あなた方に考察してもらうために私が提示した項目に関する、あなた方のレポートを丹念に読んでいました。私は、資金集めについてのあなた方の提案は、どれを取っても悪いものだと言わざるを得ません。この件については、あなた方は一様に同じ考えで、それは私を満足させるものではありません。お金は根本的に激性(ラジョーグナ)であり、危険と害をはらんでいます。明日のための蜜を集めて蓄える蜂のように、人間もお金を集めて蓄えますが、哀しいかな、蜂は燻(いぶ)し出され、蜂蜜は盗まれてしまいます。お金を集めて蓄えようというアイデアには、私はどれにも一切賛成しません。私はあなた方が資金集めに歩き回ったり寄付を募ったりすることを好みません。

お金のかかる道具一式は無用な妨げ

もしあなた方が価値のある目的のために真摯に祈るなら、資金は入ってくるということを私は保証します。信じなさい。そして、資金が流れ込んでくるのを見なさい。古代の聖仙たちは、信仰と誠実さ以外、何の財源もなしに、多くの供犠(ヤグニャ)を行いました。今、あなた方は、信仰と誠実さよりも、むしろ慢心に、不安に、自信のなさに動かされています。そのせいで、小さな投入口が付いた箱に会員限定で一人ずつ順番に秘密厳守で入れていく、という私の提案を試してみようともしないのです!

加えて、私は皆さんに、仕事の項目の多くはそれほどたくさんのお金を必要としない、ということを言っておかなければなりません。ハートの中に切なる思い、舌の上に神の御名――バジャンやナガラサンキールタンにはこれだけで十分です。ゴーピー(ブリンダーヴァンの乳しぼりの女)たちは、朝早くバターを作るために壷をかき回しているときに、神の御名を歌いました。手首の腕輪がシャカシャカとリズムを刻み、壷の中で攪拌棒をグルグルと回す音が伴奏となって、かぐわしい朝のそよ風が、ゴーピーたちの歌を近隣のすべてのものの耳に届けました。

そうそうたる人たちを大勢集める必要はありません。お金のかかる道具一式は必要ありません。それらは無用な妨げです。講師や講演者に多くのお金を使ってはなりません。もし金銭的な報酬や華やかな接待を要求する者がいたら、そのような人とは距離を置きなさい。椅子と机で十二分に事足ります。あなた方の会のほとんどには、スピーカーは贅沢です。スピーカーは、必要なものというよりは、ステイタスシンボルになっています。資金は注意深く大切に使い、無駄な出費を避けることで、周辺のオーガニゼーションの模範となるように努めなさい。会は、集まれる余裕のある回数だけ行い、やらなければならないからといって集合をかけてはなりません! 人々が会を待ち遠しいと思うようでなければなりません。多すぎると感じるようではいけません。

サミティの仕事にとってお金は最も重要性が低いものと見なしなさい

サミティやサンガを構成する15人あるいは20人の人々は、大騒ぎも虚勢も、活動に必要なお金もなしで、集まることが可能でなければなりません。持っているかもしれないお金目当てで、人を会員に引き入れてはなりません。グナ(属性)はアンナ(お金)よりも価値があります。私が訪問するとき以外は、村で特別な催しを行う必要はありません。巨大な会を催すために、ずる賢い方法で巨額のお金を集め、そうして集めた資金をいかがわしい経路で無駄にしている他の人々のことを、あなた方は批判します。それならば、あなた方自身もそのような過ちを犯すことを避けるべきです。

自尊心を持って、今、あなた方が手にしている比類なき特権を維持していきなさい。あなた方は、誰にも求めず、誰からも奪わず、ただ与えるだけ、求める者に豊富に与えるだけの主を手にしているのです。私は見知らぬ土地に入り、見知らぬ人々の間に、愛という贈り物を携えて行きます。ウペークシャーが私の力です。私はどのような点に関しても、人と人との違いを知りません。それゆえ、誰もが等しく私を愛するのです。お金はあらゆる誤解と内輪もめの根源です。お金は目立たない所に置いておきなさい。お金は最も重要性が低いものと見なしなさい。愛、謙虚さ、無執着、そして、奉仕を、あなた方の資金としなさい。

内なる愛という水路があり、それが目と足を結んでいます。目が路上で茨(いばら)を見つけると、足はそれをよけます。体の幸福はこうして守られています。それと同じように、地区の会長とユニットの会長は、目のように行動し、茨がないか注意して、足が傷を受けないようにしなければなりません。

世界大会については、3年に一度開催すべきだと私は思っています。全インド大会はオーガニゼーションの心臓部であるプラシャーンティ・ニラヤムで開催するのが最良です。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.8 C44