サティヤ サイババの御言葉

日付:1969年7月29日
場所:プラシャーンティ ニラヤム
グルプールニマーの御講話(下)より

グルプールニマー

アドヴェーシター サルヴァブーターナーム
(いかなる生き物にも敵意を持たず)

サルヴァブータ ヒテー ラターハ
(いつもすべての生き物の幸福を向上させることに携わる)

サマハ スハットローウ チャ ミットレー チャ
(敵と友を等しく見なす)

ギーターの中にあるこういった宝石は、皆が知っているように、普遍的な愛の必要性への指針です。ギーターは、俗人が悲哀の海を泳いで渡るのを助けるために、こうした指針を豊富に提供しています。ギーターにおいて、クリシュナ神は、

「すべての行為を私のために行いなさい。私のものになりなさい。私を信愛しなさい。私以外のものへの執着をすべて手放しなさい」

という理想を定めました。

人は生きとし生けるものの世界の一切に対して悪意を抱いてはいけないと宣言することによって、ギーターは、すべての生き物、そしてすべての物の中にも、活力に満ちた輝ける原理、あるいは神、あるいは、適切な言い方をすれば、アートマとして、原動力と意思が存在する、という計り知れないほど貴重な内的意味を持つ教訓を据えています。

イーシャーヴァースヤム イダム サルヴァム
(このすべては神に包まれている)

サルヴァブータ アンタラアートマ
(すべての生き物に内在する中核は神である)

ヴァースデーヴァハ サルヴァミダム
(このすべては神である)

というヴェーダの言明は、この深遠な真理をしっかりと打ち立てています。

生き物を憎むこと、生き物に傷を負わすことは、神、つまり、遍在の神性に対する不正行為であり、言い換えるなら、それは自分を憎み、自分に傷を負わせるのと同じく悪いことです。その理由は、傷を負わされた者の中には、傷を負わせた者の中に存在しているのと同じように、内なる中核として神が存在しているからです。

偉大なテルグの詩人ポータラージュ(ヴィヤーサ仙がサンスクリット語で記した『バーガヴァタ』をテルグ語に翻訳した南インドの詩人)は、この真理を悟り、『バーガヴァタ』の中にこう書きました。

授け給え、おお、主なる神よ
厳しい自制の果報を受け取る準備はできております
授け給え、おお、主なる神よ
貴方の蓮華の御足への礼拝という果報を
貴方の蓮華の御足を崇める者との親交という果報を
そして、すべての世界のすべての生き物への
深く、広く、限りなき慈悲を与え給え

悪意や憎悪によって愛を曇らせることはできない

あなたが自分の神性(デーヴァタットワ)に気づくまで、すなわち、あなたが自分の個別性(ジーヴァタットワ)を意識している限り、そして、あなたが自分は自分、神は神と感じている限り、あなたは心構えと目標を据えて努力を重ねるしかありません。この段階は霊性修行者(サーダカ)の段階と呼ばれるものです。この段階では、先に述べたような、愛と、思いやりと、慈悲の性質を身につけるよう努めなければなりません。なぜなら、それらを身につけていなければ、ヨーガと英知(グニャーナ)は確保できないからです。

愛は命の支えです。愛は神です。あなたの行為を、神に捧げるのにふさわしいもの、神の恩寵を勝ち得るほどに純粋なものとするためには、あなたの行為を愛の顕(あらわ)れにしなければいけません。その顕れが輝けば輝くほど、あなたは神に近づきます。愛(プレーマ)は、カーストや宗派や宗教を考慮して動かされることも、加減されることもありません。愛は、妬(ねた)みや悪意や憎しみによって曇ることもありません。

これらの悪に毒されないよう愛を守りなさい。憎しみのない感情、差別のない感情を育むよう努めなさい。すべての宗教の根、すべての聖典の内容、すべての道の合流地点、すべての人のインスピレーションは、愛の原理です。愛の原理は、人の生涯の使命のための最も固い土台です。愛の原理は、世界の平和、世界の繁栄を確実なものにする光です。

あなたの話す言葉の一言一言を愛で満たしなさい。あなたの行いの一つひとつを愛で満たしなさい。あなたの口から出る言葉が、ナイフの一刺、弓矢の衝撃、ハンマーの一撃のごときものとなってはなりません。あなたの口から出る言葉は、甘い甘露でできたもの、励みとなるヴェーダの英知の助言、花を開かせる優しき道であらねばなりません。あなたの口から出る言葉は、平安と喜びを降り注ぐものでなければなりません。

愛は恐れを知らず、偽りを遠ざける

愛ゆえに愛しなさい。物質的な目的のため、世俗的な欲望を満足させるために愛を表してはなりません。欲は怒りを生み、怒りは罪を呼びます。なぜなら、欲に駆られると友が敵に見えるからです。あらゆる不幸の根底には怒りがあります。ですから、怒りの餌食(えじき)になってはなりません。誰であろうと、一人ひとり、すべての人を、一切を包み込む慈愛をもって扱いなさい。すべての人間が、自然にこのような建設的な共感をもって反応するようにならなければなりません。

息を吸うとき、息を吐くとき、呼吸を愛で満たしなさい。一瞬一瞬を愛で満たしなさい。愛は恐れを知りません。愛は偽りを遠ざけます。恐れは人を偽りと不正と過ちに引きずりこみます。愛は賞賛を求めません。それが愛の力です。愛のない人だけが、報酬と名声が欲しいという欲求を募らせます。愛それ自体が愛の報酬です。

神の御前に供物を供えたいと思ったら、朽ちてなくなってしまう物を供える代わりに、愛を捧げなさい。愛は、まさに愛の光であり、すべてを包含する行動規定です。

愛は商品ではありません。愛の値段を交渉してはなりません。愛が、ハートから、真理の泉、英知の川となってよどみなく流れるようにさせなさい。愛が、頭や口からではなく、ハートから、あふれんばかりに、自由に出てくるようにさせなさい。これは最も高位の義務であり、最も気高い敬虔(けいけん)さです。

一日を愛で始めなさい。一日を愛で生きなさい。一日を愛で満たしなさい。一日を愛で過ごしなさい。一日を愛で終えなさい。これが神への道です。「神、神」と繰り返し唱えていても、ハートに怒りや欲望や憎しみや妬みを受け入れるなら、あなたは神性へと上昇することはできずに、魔性へと滑り落ちてしまうでしょう。

グルプールニマーの日のメッセージと教訓

今日の祝祭は「グル プールニマー」と呼ばれています。これは意味深い名前です。「プールニマー」は、「光り輝く満月」を意味します。「グル」(「グ」は無知、「ル」は滅ぼす者の意)は、「ハートから暗闇と迷妄を取り除き、より高尚な英知でハートを照らす者」を意味します。

月と心(マインド)は、物体とその写しとして、相関関係にあります。グルプールニマーの日、月は満ち、白く、涼やかで、その光は新鮮で、心地よく、安らかです。ですから、心(マインド)の光も、心地よく、清らかでなければいけません。これがグルプールニマーの日のメッセージです。言い換えるなら、心(マインド)はハートの天空に浮かぶ月です。その空には厚く垂れ込めた雲があります。その雲は感覚の欲望と世俗的な活動であり、あなたが月の光から得る喜びを損ないます。ですから、愛の強い風を吹かせて雲を散らし、あなたに涼やかな月の光の美しさをもたらすようにさせなさい。信愛が完全に光り輝けば、ハートの空は美しさで満ち、人生は至福(アーナンダ)へと続くすばらしい道へと変わります。グルプールニマーの日の教訓を覚えていて、それを悟るなら、心を介して、ハートの美しさと人生の至福を勝ち得ることができます。

スワミの恩寵によって強くなり、スワミの祝福によって勇気を得て、霊性修行(サーダナ)に励みなさい。そして、人生の目的を悟ることによって成功を収めなさい。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.9 C16