サティヤ サイババの御言葉

日付:1971年1月1日
場所:ボンベイ〔現ムンバイ〕のクルラ区
元日の御講話より

ナットとボルト

〔スワミは12月21日から1月9日までボンベイ(現ムンバイ)に滞在なさり、ダルマクシェートラでダルシャンをお与えになった。1月1日には、ボンベイ郊外でカマーニ・エンタープライズ社のコミュニティー・センターを落成なさり、集まった大勢の人たちに御講話をしてくださった。〕

今日はおめでたい日です。なぜなら、この聖なる日に、大きな期待と共に新年が迎えられ、旧年が盛大に別れを告げられるからです。毎年、人は古い年に別れを告げ、新しい年を迎えます。これは人間の歴史が始まった時から続いています。しかし、その結果はどうなっているでしょう? 絶望や苦悩、不安や異常な恐怖ばかりです! 今日は、なぜそうなってしまったのかを調べて発見する機会です。

誰もが自分自身と社会(自分がそこで生きなければならない共同体)が平穏であることを求めて努力し、成就を見いだそうとしています。そして、他者に対する権力を思いどおりにできるもの、安らぎを与えてくれる便利さや快適さを思いどおりにできるものである、富を蓄積することにより、その平穏を得ようとしています。また、権威と影響力のある地位へと自らを引き上げ、それによって自分の目的や夢に都合よく物事を運ばせることができるよう、努力してきました。しかし、このどちらの道にも恐怖がつきまとい、それらの方法で確保した平穏は、すぐに、そして時には暴力的に消滅しかねないことに、人々は気づきました。

では、人はどうやって平穏を達成できるのでしょうか? それは愛によってのみです! シャーンティ(平穏、平安、平和)は生命の木の果実であり、それがなければ木は不毛の切り株となってしまいます。それには価値も効力もありません。あなたも気づいているはずですが、果実は苦い皮に包まれていて、それによって甘い果汁を略奪者から保護すること、守ることができるのです。中の果汁を飲んで自分を強くするためには、まず皮を取り除かなければなりません。分厚い皮は、愛に満ちたハートをすっぽりと包んでいる6つの邪悪な激情、すなわち、情欲、怒り、貪欲、妄執、高慢、憎しみの象徴です。厳しい常修を重ねて皮を取り除き、中にある甘さに触れることのできる人は、私たちの誰もが望む平穏を手に入れることができます。その平穏は、永遠に続く、変わることのない、絶大なものです。

この地にはびこる不安の理由

車も、銀行預金も、この都会の高級住宅地にある家も、いったい何の役に立つでしょう? もしあなたがこれらをすべて持っていても、ハートに愛がないならば、あなたのハートは暗い荒れ果てた寺院となり、そこではその明けない夜に情欲と怒りというコウモリが繁殖します。そのようなハートは、不潔で、恐怖と誤りに冒されています。

今日、カマーニ・エンタープライズ社〔現カマーニ・エンジニアリング・コーポレーション・インターナショナル・リミテッド〕のさまざまな分野から成るカマーニの組織の労働者たちが、大勢ここに集まっています。産業、農業、商業、政治、行政――これらは人間の活動を維持している5つの生気のようなものです。この5つは対立してはなりません。これらは愛と互いへの敬意によって促され、一体となって働かなければなりません。そうして初めて、共同体は平穏と安全と幸福を得ることができるのです。もし、この5つが互いに理解し合うこと、協力し合うことがなかったら、あるいは、5つのうちのどれかが道を踏み外してしまったら、災難は避けられません。

この協力関係は、残念ながら現時点では見られません。その一方で、派閥の利害が優勢であり、労働、政治、行政、商業、農業――あらゆる分野で競争が繰り広げられています! そのせいで、農村部でも都市部でも、その地に不安と不穏がつきまとい、どこででも死や災難に脅かされながら自分の仕事をしなければなりません! 不気味な不確実性が、あらゆる場面で影を落としています。そして、人の思考はその荒療治としての暴力と革命へと向かっていくのです。

義務は神であり、仕事は礼拝である

しかし、それは決して治療にはなりません。病気を悪化させるだけです。興奮は理性を鈍らせます。激情、暴力、残酷さが問題を解決してくれることはなく、さらなる問題が引き起こされます。これらは今、豪雨となって、その地に洪水を引き起こしています。何の訓練も受けず、責任を負って職責を果たすことへの真摯な思いもない者が、権力の座に就いています。職務を遂行し、重荷を背負う意欲と能力――これらがあればこそ、人は他者を支配する権威を持つ資格があるのです。義務は神であり、仕事は礼拝です。役職が与える権力は、感謝と敬意の態度をもって扱われなければなりません。

もし、このことを労働者の一人ひとりが心に留めて実践するなら、どのような場所であれ、仕事は幸福と満足と平穏をもたらし、当事者にも、その人が手足として属する社会にも、幸福をもたらすでしょう。カマーニは国中に送電鉄塔を建てています。一つひとつのナットとボルトがしっかりと、確実に、きちんと固定されているときにのみ、鉄塔は雨風という厳しい試練に耐えることができるのではありませんか? その建設において、誰々の役割はより重要だ、誰々の役割はさほど重要でないなどと、誰が言うこと、ジャッジすることができるでしょう? それぞれの仕事は、その責任分担が及ぶ限りにおいて不可欠であり、価値があるのです。その責任分担を遂行する技術と意欲を持っていることが、共通の事業においてその人をそのポジションに位置づけるものなのです。ある種の仕事を高級だと言い、別の種の仕事を低級だと言うことはできません。それは悪意や憎しみを生むだけです。そして、それは正しいことでもありません。

それぞれが自分の技術と知性を使わなければならない

ある男が道を歩いていた時、かたわらの木に熟した果実がなっているのを目にしました。心はその果実を食べたいと思いますが、それだけではその欲求を満たすことはできません。足は男をその木の近くまで連れていってくれます。しかし、それでも事は成就しません。腰がその身をかがめさせ、手が石を拾い、肩がその果実めがけて石を投げれば、果実は地面に落ちます。しかし、話はそれで終わりではありません。果実は指でつままれ、口に運ばれなければなりません。歯がそれにかじりつき、よく噛まなければなりません。舌はそれを胃まで届ける責任を負わなければなりません。こうして、食べる部分の仕事は終わります。

しかし、果実が食べたいという話はこれで終わりではありません。とてもたくさんの道具がそれをかなえることに協力したのですから、その一つひとつに感謝しなければいけません。ですから、胃は、果実を手に入れて食べるという冒険を分かち合ったすべての器官――目、足、手、指、肩、舌、歯、食道――に、力と満足感を送ります。それらの器官は、どれ一つとして無視されたり、冷遇されたりすることはありません。

それぞれの器官は、その器官に託されて引き受けた義務を果たすために、的確なタイミングで効果的に働かなければなりません。そうすれば、身体は健康を保ち、自らの能力と潜在力のすべてを発揮して、最高の状態で存続することができるでしょう。このことは、人間が同胞と共に取り組む事業にも当てはまります。各人は、自分の義務を果たすために自分の技能と知性を使うことを決意しなければなりません。

愛は分かち合えば分かち合うほど深みを増す

人間がこの世に生を受けたのは、しばらくの間、舞台を闊歩(かっぽ)し、ものを食べ、愉快に遊びまわるためではありません。人間がこの世に生を受けたのは、それによって、愛を実践し、愛を育むことによって、神の臨在に浴することができるようになるからです。地球は巨大な企業であり、忙しい工場です。そこでの生産物は愛です。サーダナ(霊性修行)をすることによって、愛を生産し、それを必要としている何百万、何千万もの人々に愛を輸出することが可能になります。愛は分かち合えば分かち合うほど深みを増し、甘くなり、喜びが大きくなります。愛によって、人は神に近づくこと、神の御前に留まることができます。なぜなら、神は愛であり、人が愛に生きるとき、その人は神に生きているからです。もしあなたが怒って神を否定するなら、それは自分のハートの中にある愛の泉を干上がらせているということになります。もしあなたが神はどこにもいないと断言するなら、それは自分のハートに夜のとばりを下ろし、闇取り引きや悪行する準備を整えているということになります。

昔むかし、黄土色の衣をまとった僧侶が、たまたま無神論者ばかりの村に入ってしまい、反抗的な若者の一団に出くわしました。若者たちは、僧侶が崇拝している神は本当にいるのか見せてみろ、と挑んできました。僧侶は、それはできる、しかし、その前に牛乳を一杯所望したい、と言いました。

目の前に牛乳が出されましたが、僧侶はそれを飲みませんでした。好奇の目が注がれる中、僧侶は長い間じっと静かにその牛乳を眺めていました。若者たちは我慢ができなくなり、執拗(しつよう)に野次を飛ばしはじめました。僧侶は言いました。

「しばし待たれよ。牛乳の中にはバターが含まれていると聞いている。だが、このコップの中にはバターはないと言わざるをえない。どんなに懸命にのぞき込んでみても、私にはバターが見えないのだ!」

若者たちは、僧侶の物知らずを笑って言いました。

「愚か者め! そんな馬鹿げた結論に飛びつくな。バターは牛乳一滴一滴に含まれている。牛乳が栄養満点なのはそのためだ。もしどうしてもバターを別の塊として見る必要があるならば、まず牛乳を沸かし、それを冷まして、酸っぱいカード〔凝乳〕を加え、固まるまで数時間待ち、それから、かき混ぜて、球になって浮いてくるバターを丸めるんだ」

「ああ」と僧侶は言いました。

「それは、君たちに神を見せるという私の仕事を容易にしてくれるものだ! 神は宇宙のあらゆるもの、あらゆる存在、あらゆる原子の中におわす。それゆえ万物は存在し、私たちはそれらを認識することができ、楽しむことができるのだ。神を一つの有形の存在として見るためには、定められた手順を、真剣に、厳格に、誠実に踏まなければならない。そうすれば、最後には、主の恩寵と主の栄光を体験することができるのだよ」

神はどこにでも、近くにも遠くにもいる

私たちの身の周りに、私たちと共にある自然は、神の衣です。どこに目を向けても、私たちの周りすべてに、神の美しさ、神の善、神の英知、神の力の証拠があります。しかし、私たちは神を認識する術を知らず、それゆえ、神を否定し、暗闇の中で生きています。私たちの周りのどの空気にも、世界中の放送局から発信された音楽が流れていますが、通常それが耳に入ってくることはありません。私たちはどの放送局の放送にも気づきません。しかし、もしあなたが受信機を持っていて、正しい周波数に合わせれば、どの放送局の番組でも聞くことができます。もし周波数を合わせるのに失敗したら、ニュースの代わりにノイズが聞こえるだけです! それと同じように、神は、上にも、周りにも、下にも、横にも、近くにも、遠くにも、どこにでもいるのです。それを認識するために必要なのは、ヤントラ(機械)ではなく、マントラ(神秘的な文言、心理的な基調を持つ強力なもの)です。ディヤーナ(瞑想)とは、バンド〔周波数帯域〕内の放送局の正確な位置〔信号の送信源〕を特定することです。愛とは、正しい周波数に合わせることです。実在とそれがもたらす至福を悟ることとは、楽しく明瞭に聞くことです!

愛の精神でWork(ワーク、仕事、行為)しなさい。それはあなたをWorship(ワーシップ、礼拝)へと導きます。つまり、あなたがそれをすることによって得る利益の程度を気にすることなく働きなさい、ということです。働きなさい、なぜなら、それはあなたの義務だからです。働きなさい、なぜなら、あなたは働くことが好きだからです。働きなさい、なぜなら、それは神があなたに与えてくれた技能に対して神に感謝を捧げることのできる方法だからです。この種のWork(ワーク、仕事、行為)はWisdom(ウィズダム、英知)へとつながります。英知とは、あらゆるものには神が内在しているという認識です。

鍛錬の習慣だけで幸福を確かにすることができる

労働者と雇用者の関係は、心臓と体の関係であるべきです。両者は互いに密接に結びついており、存在自体を互いに依存し合っています。雇用主は父親の役割を引き受け、従業員は父親への愛と感謝の念で結ばれた子供の役割を引き受けなければなりません。両者の関係を支配するのは、憎しみや妬みではなく、愛と愛情でなければなりません。もし一部の者の怒りや不遜な態度が他の者たちを盲目にすることを許せば、全員が苦しむことになります。

先ほど私が落成したコミュニティ・ホールで、毎週あるいは毎月、バジャン会(グループで霊歌を歌うこと)やサットサンガ(霊的な志向の集まり)を開いてほしいと思います。そういった機会に、善良なアーディヤートミカ(霊的、アートマ的)な話やディスカッションを企画しなさい。また、あなた方の子供たちのためにバーラ・ヴィハーラ〔子供の学びの会〕を開いて、聖典や叙事詩からの物語であるとか、あらゆる宗教に属する聖人の伝記を学ばせることを私は望みます。子供たちには、清潔を保つこと、助け合いや協力といった習慣も教えなければなりません。子供たちには、バジャンの歌を歌うこと、古典から選んだテーマで寸劇を演じることも、教えることができます。また、鍛錬の習慣も身につけさせなさい。というのも、それだけで個人的にも社会的にも幸福を確かにすることができるからです。

神霊の具現たちよ! 皆さんに会えて私は幸せです。新年があなた方に心の安らぎを与えますように。そして、真我顕現という人生の理想が成就しますように。あらゆる快適さと完全な満足があなた方に加えられますように。これが私の祝福です。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.11 Ch1