サティヤ サイババの御言葉

日付:1972年7月20日
場所:プッタパルティ
イーシュワランマ ハイスクール開校式の御講話より

模範を示して教えなさい

体の各部分には、それぞれ固有の名前と形と働きがありま す。どの神経も、筋肉も、関節も、体を維持させるため、成 長させるための、独自の役割を持っています。「体」という 言葉は、これらすべてをまとめて表しているものです。

それと同じように、「村」という言葉も、「プッタパルティ」 〔ババが生まれた村〕という名前も、個人や家族や共同体が そこでまとまって生活し、働いていることを表しています。

どれか一つの神経か筋肉か関節が病気になれば、体全体が 患い、効果的な働きは失われます。それと同じように、たと え村の一人、あるいは一家族でも、楽でなく困窮していたり、 障害を抱えていたり、病気だったり、寝たきりだったり、必 要なものが買えなかったり、無知だったりしたら、村全体に その不幸が感染します。足の指をぶつけると、目は涙を流し ます。最下層と最貧層が飢えたり、しいたげられたりしてい イーシュワランマ・スクール Smt. Easwaramma English Medium School, Prasanthi Nilayam 1972 年5 月6 日に没したババの生母イーシュワランマの理想を継承 すべく、同年7 月20 日にプラシャーンティ・ニラヤムに創立された ババの学校。長い間、地元のテルグ語でのみ授業を行う学校だったが、 2009 年より英語で授業を行う学校となった。 サティヤ サイ大学付属の小中高等学校とは別の学校 15 サイの御教え ると、最上層と最富裕層にも影響が及びます。

どの人も同じ「国という一つの体」の互いに補い合う一部 であると認識されていた時代には、国には平和があり、田畑 には笑いがあり、戸口には花綱が飾られていました。

ところが、今では、体のどの部分も、他の部分に傷を負わ せようとしています。何の協力も協同もありません。そして、 体は痛みを感じて横たわっています。生きること、幸せに暮 らすことは、社会の中で、そして、社会のおかげをもっての み、できることです。社会はエゴイズムや貪欲や嫉妬の上で 繁栄することはできません。これらは人が他人に牙を向くよ うに仕向けます。

国という一つの体の細胞である村々は、今、こうした恐ろ しい病気に悩まされています。そのため、子供たちを正しい 道に導くため、そして、大人たちを寛容と奉仕と互いへの愛 の模範であれと鼓舞するために、この学校は設立されました。 真理、善、正義、愛によって、この村に喜びと平和を取り戻 さなければなりません。これらの理想に献身するという姿勢 を一人ひとりが身につけて、初めて各自が自分に課せられた 義務を最高の形で果たすことができるのです。

祖国の文化の根を守りなさい

どの村も、四つのアーラヤ(家)を備える必要があります。

第一の家は、ボージャン アーラヤ〔食事の家〕(食堂や宿屋) です。ここは、手ごろな価格で、清潔で栄養のある食べ物を 提供しなければなりません。もちろん、人はそのような食べ 物だけを食べているわけではありません。きれいな水と空気 も摂り入れ、さらには、目と舌と触覚を通じて食す物も、汚 染や毒のないものでなければなりません。

第二の家は、アーローギャ アーラヤ〔健康の家〕(病院) です。これは不可欠なものとなっています。なぜなら、人は 健康的な食習慣を持っておらず、それを身につける気もない からです。

第三の家は、ヴィッディヤー アーラヤ〔光を照らす知識 の家〕(学校)です。これは暗闇を遠ざけておくために灯す ランプです。学校は、若者を教え、老人を鼓舞し、祖国の文  サイの御教え 16 化の根を守らなければなりません。

第四の学校、デーヴァ アーラヤ〔神の家〕(寺社)は、信心、 畏敬の念、不動心という血液を、国という一つの体のすみず みまで流れさせます。

村が学校から影響を受けるのと同じくらい、学校も村から 影響を受けます。学校で、子供たちは、一年のうち何ヶ月も、 毎日数時間、数々の規律と技術を学び、そして、かなりの量 の情報を習得します。子供たちは、すでに親や親戚や年長者 たちによって、ほとんど取り返しのつかないほどに形作られ ています。子供は身内の年長者を慕い、彼らの偏見や好みを 真似して吸収します。子供は年長者の助言や説教には従わな いかもしれませんが、年長者の振る舞いをよく見ていて、そ れらのほうを重視します。子供は、ごまかしのベールや偽善 の覆いを透かして見ることができるのです。

プッタパルティは、世界中で崇められている名前であり、 あらゆる国の人々に慰めと安らぎと勇気を与える聖なる言葉 となっています。ですが、この村は教育の面では他の村に比 べてはるかに遅れています。私はそのことを承知しています。 ですから、私には、何も言う必要も知らせる必要もありませ ん。私は、洪水でしばしばハイスクールのある近隣の場所に 行けなくなることを知っています。この村の少年少女は、そ こに通うのに何マイルも歩かなければなりません。そのため、 それを解決するために、このハイスクールを建てることが決 まりました。

疑心暗鬼に陥ってはならない

私の活動は、宣伝やプロパガンダのためではありませんし、 人に喜びを与えるためでもありません! 私の活動は、元来、 私自身に喜びをもたらすためのものです! 私には、人を喜 ばせる必要も、承認や感謝を得る必要もありません。なぜな ら、私とあなたは別個の存在ではなく、あなたは私であり、 私はあなただからです。私はすべての電球に流れ込んで電球 を照らす電流です。私を別個のものとして見る人は、偽りを 見ているのです。私はあなた方のハートの中にいます。あな た方は私のハートの中にいます。疑心暗鬼に陥ってはなりま せん。犬が吠え、ジャッカルがうなるかもしれませんが、真 実は堂々と前進します。

村の人は誰も皆、それぞれ独特の色合いと香りのある花で す。花々は集められ、つなげられて、主の花輪になります。 すべての花を貫き、すべての花をつなげ、花々に主の魅力を 高めることができるようにさせている糸は、ブラフマ スー トラ、すなわち、ブラフマンと呼ばれる一つにする糸です。 この真実は万人に明らかにされなければなりません。一人ひ とりが失敗にも成功にも立ち向かうことのできる信心を持つ ことができるよう、この真実はハートに刻まれなければなり ません。これはこの学校の内的な目的です。

これはこの学校が保証する贈り物です。けれども、贈り物 が無駄に使われたり、捨てられたりすることなく、最大限に 活用されたときにだけ、贈り主は幸せな気持ちになるのです。 知性と感謝の気持ちを持って受け取られたときにだけ、贈り 主はまた贈りたい、もっと与えたいという気になるのです。 この地域の必要に応じるために、この学校を大学まで引き 上げようという意向はありますが、大学は、インドのすべて の州に見られる、同類のサティヤ サイの高等教育の体系に ある他校と提携することができます。

英知だけが平安をもたらすことができる

誰も飢えに苦しむことのないように、この村に有益な雇用 の機会を設けようという計画もあります。意向はありますが、 その実現はあなた方の熱意と信念しだいです。

薬は効きますし、手の届くところにありますが、薬を飲ん で、きちんと処方箋のとおりにしなければ、薬で治すことは できません! ぼうっと空想をして時間を無駄にしてはなり ません。そうする代わりに、身をもってあなたの誠実さと信 心を示しなさい。つまり、子供を学校に通わせ、子供の勉強 を手助けし、進歩に必要とされる環境を子供に提供しなさい。

銀行の金庫にはたくさんのお金がありますが、そのお金は あなたにとって何の役に立ちますか? そのお金のことを話 しても、あなたの貧困を取り除くことはできません。働くこ とだけが収入をもたらすことができ、英知だけが平安をもた らすことができるのです。

親への感謝は基礎的な美徳です。親への敬意は、過去への 敬意であり、過去の伝統への敬意、過去が集めて保存してき た偉大な英知の宝物への敬意です。私は自分が模範を示すこ  サイの御教え 18 ガネーシャ チャトゥルティー祭の前日、2012年9月18日から イーシュワランマ スクール校長室の玉座と写真に現われた ヴィブーティ〔神聖灰〕の祝福 とでこのメッセージを広めています。

間もなく村にできあがるカッリャーナ マンダパム〔結婚 式場〕は、「父」を記念するものです。皆さんも知ってのと おり、彼はこの村の最善のために熱心に奉仕しました。その マンダパム〔式場〕は、宗教的な儀式と霊的な理想の普及の ためのコミュニティー センターになります。この学校は「母」 を記念するものです。

私がよく言っているように、私の人生は私のメッセージで す。私は、「真実を語りなさい、正しく行動しなさい、母を 神として敬いなさい、父を神として敬いなさい、師を神とし て敬いなさい」というウパニシャッドの訓戒を、再び強調し てきました。私は、言葉だけでなく、行動でも強調しています。 あなた方は、自分の技術と収入と知性を両親への奉仕に捧 げ、子としての義務を果たさなければなりません。もしこれ を怠っているなら、あなたはインド人としての栄光、人間と しての栄光に値しません。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.11 Ch43