サティヤ サイババの御言葉

日付:1973年3月30日
場所:チェーンブール
チェーンブールでのババの御講話より

サブコー サンマティ(正しい理解)

皆さんは劣った国の国民ではありません。バーラタ〔インド〕は、まさにディヴィヤ・ブーミ〔神聖な国〕――古くから神への信愛と献身の染みこんだ国です。神への道は、一般庶民にさえも求められていました。霊的な鍛錬が、生活のあらゆる活動、日常生活のあらゆる細部に浸透していました。皆さんは、外国人支配と政治的抑圧の猛攻撃に耐えてきた、偉大な文化を受け継いでいるのです。

この文化は、心(マインド)の強さと思考の清らかさを掲げ、それらは進歩的な人間の必須条件としての、有益な決意と願望になっています。神の神秘と光輝は、清らかな心と、はっきりと見ることのできる目によってのみ、はっきりと理解することができます。だからこそ、主はアルジュナに新たな目を授け、主の栄光に対して困惑しないようにさせたのです。

心が選びとった決意は、湖に投げ込まれた石のようなものです。〔それが悪い決意である場合には〕それは波紋を生み出して、湖面全体に影響を及ぼし、平静を乱します。善いサンカルパ(決意)は、同様に一連の思考を作り出し、それぞれが浄化と強化のプロセスに貢献します。バーラタ文化は、サンカルパの清らかさを重視します。なぜなら、サンカルパは、手にとった香りの良い花のように、他の人々に有益な影響を及ぼし、それはさらに、その人たちを通じて、人々が営む社会と共同体に有益な影響を及ぼすからです。悪い考えは、個人だけでなく、共同体の神聖も汚します。不幸も伝染します。あなたの不純物も、他のものを汚染する可能性があります。心(マインド)は、知性や識別力のある理性に従属して行動するなら、内なる真理の顕現の助けとなるでしょう。もし、心が五感の引き寄せる力に屈したら、心は束縛を強めてしまうでしょう。

神の恩寵を得るために謙虚さを備えよ

善い考えは受け入れられ、悪い考えは排除されなければなりません。考えの一つひとつが、ヴィヴェーカ〔識別心〕という最高裁判所で裁かれなければなりません。そして、その裁定は、不可侵のものとして扱われなければなりません。このような状況の中で、私たちは、「サブコー サンマティ デー バガヴァーン」(神よ、すべての人に正しい理解をお授けください)というガンディー〔ガンジー〕の祈りを思い出さなければなりません。

さらに、社会という湖に生まれた個人は、穏やかな水の中を泳ぎ、浮かび、進歩という川に合流し、恩寵という海に溶け込まなければなりません。人間は、「私」というスタンスから「私たち」というポジションへと移行しなければなりません。今日、私たちに見えるのは、社会を憎み、最も非社会的な行動をとる、エゴに陥った個々人の乱舞だけです。

水は、高い所から低い所へ流れます。神の恩寵もそれと同じです。神の恩寵は、謙虚に身をかがめる人へと流れ落ちます。ですから、エゴを捨て、嫉妬心を克服し、愛を育みなさい。神の恩寵を勝ち取る努力をしないで、どうして自分が平安でいること、そして、他の人が平安でいることができるでしょうか?

自然の贈り物を最大限に活用しようと努力するとき、あなたはまず、謙虚さと素直さを身につけなければいけません。さもなければ、あなたは多くの満たされない欲望によって、破滅へと引きずり込まれるだけでしょう。ラーヴァナは、自然(畑のうねで赤ん坊の姿で見つけられたシーター)を欲しました。しかし、神の恩寵を得るための努力を重ねなかったために、その結果として、破滅を迎えました。欲望は、満たされないと怒りにつながります。怒りは体を弱らせます。怒りは消化器系を損ない、老化を早めます。

ハートに愛(プレーマ/神聖な無私の愛)が据えられていれば、ハートに嫉妬や憎しみや非真は存在しないということを覚えておきなさい。愛の中で生き、愛を込めて生き、愛を込めて動き、愛を込めて話し、愛を込めて考え、愛を込めて行動しなさい。これが最良の、最も実りあるサーダナ(霊的努力)です。自分が人に愛を与えることを拒否しておいて、人から愛を欲しがってはいけません。愛の往来は一方通行ではありません。

すべての人への愛が、あなたのハートから自然に流れ出し、あなたの言葉のすべてに甘味をつけるようにすべきです。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.12 Ch10