日付:1974年8月10日
場所:プラシャーンティ・ニラヤム
クリシュナ神降誕祭の御講話より
クリシュナというのは、すべての御名を意味する一つの御名であり、すべての考えを包含する一つの考えであり、すべての行いを包含する一つの行いです。クリシュナの降臨を祝うこのお祭りを、バクティ(神への信愛)を育むことに役立たせなさい。バクティは、すべての存在に内在する神の実在を発見する手段であると定義されています。経典には、この努力を成功させるのに役立つ4つのステップが定められています。それは、〔1〕永続的なものと非永続的なものを識別すること、〔2〕五感に迎合するプロセスから身を引くこと、〔3〕感情と思考と娯楽を積極的に制御すること、〔4〕すべての束縛からの解放を絶え間なく切望することです。
バクティは、これら4つの努力すべてとして現れる衝動です。しかし、この単語は、あらゆる類いの欲望や規律に広く無差別に使われているため、快楽主義とさえ同義と見なされています! バクティは、「バ bha」すなわち「バガヴァーン bhagavaan」すなわち「神」から派生した単語です。バクティは、常に心(マインド)に神を置くよう、そして、自分の内にいる神への愛を育むよう、人間を導きます。バクティは、自分の中からエゴを取り除くよう、五感の欲望を抑えるようにと人に説き勧めます。そして、自分の志と達成の絶頂まで昇るように、と。
バクティは、神と呼ばれる一なるものを悟ることから生じる英知へと人を導きます。幼少期が老年期へと成長し、それによって実を結ぶように、信愛は英知へ、つまり、バクティはグニャーナ(霊的英知)へと成長します。バクティの必要性を否定し、バクティという予備段階なしにグニャーナを獲得できると主張する人もいます。しかし、バクティは幼少期と同じように必要かつ避けられないプロセスなのです。
信愛は最も貴重な宝物
信愛は最高の美徳を育みます。それは最も貴重な宝であり、最も真実である道であり、神への唯一の道です。人はバクティの中で、バクティのために、バクティを通して生きなければなりません。なぜなら、バクティとは最も清らかで最も高貴な形態の愛だからです。そのような愛は、生命を維持する呼吸であり、魂が大いなる魂に溶け込む努力を支えるものです。愛の光がない中で送った人生の年月は、破滅と屑(くず)と病の年月です。死んで朽ち果てたのも同然の年月です。
愛は人を神聖な存在に変えることができます。愛は人の核である神性を顕現させるのに役立ちます。愛は最も凶暴な獣でさえも飼いならすことができます。愛は人に、この世を喜びで満たし、その喜びにあずかるように促します。愛は、その歓喜、魂の向上を希求する深く悲痛な渇望を植え付けます。クリシュナとしての主のアヴァター(神の化身)と、地上でのクリシュナの一生は、教訓と模範によってこのプレーマという神聖な愛の原理を広め、促進するためのものでした。
プレーマ(最高の愛)はエゴを超えています。プレーマは清らかで、甘く、神聖で、聖化するものです。プラフラーダにはそのプレーマがありました。ですから、何が降りかかってこようとも——痛み、悲しみ、拷問や屈辱——そのすべてに耐えたのです。なぜなら、プラフラーダは自分のハートに祀った神以外、何も意識していなかったからです。ミーラーもまた神に飢えており、あまりにも神との分離に苦しんでいたために、いつも神の魅力、神の力、そして神の神秘だけを歌っていました。
神は人間にとって最も身近で愛しい親族
あなたは、プラフラーダとミーラーが示した真剣さと献身と信愛を授かることを切望しなければなりません。それこそが、あなたにこの上ない至福を与えることができるのです。しかし、今、多くの人がその心境を得たいという願望を述べてはいますが、その努力はすべて、自己顕示と巧妙に自分を大きく見せることへと向けられています! 当時、サーダナ(霊性修行)は、静かで地味でした。今ではもっぱら騒々しく派手です。バクティは、神はすべての人の中にいることをあなたに明らかにします。ですから、あなたのハートの中から込み上げてきて神へと向かっていく愛は、すべての人に向かって流れなければなりません。なぜなら、すべての人は全く同一の神の化身たちだからです。
神はあなたと最も密接な愛の絆で結ばれています。両親は仲たがいするかもしれません。兄弟は兄弟に対して武器を取るかもしれません。姉妹は姉妹を無視して立ち去るかもしれません。子供たちは両親を敬わず、あるいは無視さえするかもしれません。こうしたもの〔人間関係〕は「社会的あるいは経済的なつながり」にすぎないと、彼らは言うかもしれません。一方、神は決してあなたを見捨てたり、否定したり、背を向けたりはしないでしょう。
神は、人間にとって最も近く、最も愛しく、最も愛情深く、最もひたむきな仲間であり、同志であり、親族です。このことは、マハーバーラタやバーガヴァタで語られているクリシュナの行いの中で完璧に示されています。
創造は創造主を前提としています。大いなる意志がなければ何も起こりません。物事の始まりの前に、そうさせるのだ、という大いなる意志がなければなりません。物事がどのような名前や姿形をとったとしても、神のみがその一切となったのです。その大いなる意志は愛であり、英知です。その大いなる意志は力であり、至福です。あなた方一人ひとりが、その大いなる意志と保険契約を結んで「自分の命に保険をかける」必要があります。他の保険会社と同様に、この保険会社が損失や清算を被ることはありません。決して破綻したり機能不全に陥ったりすることはありません。規則に従って定期的に保険料を支払えば、あなたはその「保険金」を請求して受け取ることができます。
平安は利己主義者との付き合いを恐れる
あなたが支払うべき保険料は、あなたのハートからわき出てくる、すべての存在へと向かう「愛」です。痛みと悲しみからの解放、永遠の至福が、あなたが得る「保険金」です。あるいは、このプロセスを木に例えて描くこともできます。木は、手間ひまかけた世話というプロセスの末に、果実を実らせます。真実(真理)がその種であり、真我を信じること、神が愛情深く世話をしてくれることへの信心が、その木をしっかりと支える根です。ですから、根を養いなさい。神の御名を唱えること、賛歌や聖歌を歌うこと、あなたを包んで高めてくれる栄光を瞑想すること——これらが木を養う雨です。至福がよい香りの花であり、グニャーナ(解放をもたらす英知)が果実です。
自分に対するこの義務を怠ると、人は悲嘆に暮れます。その人は平安と安心感を打ち消され、落ち着かず、恐れを抱きます。平安は、自己中心的なエゴイスト、打算的な守銭奴、冷酷で残酷な悪魔との付き合いを、ひどく恐れます。平安は、寛大な与える人、徳の高い稼ぎ手、賢明な賢者の近くにい続けます。あなたは、平安が近づいてきて平安がある状態を自分に授けてくれるような類いの人間になりたいと切望しなければなりません。
一方、もし愛の道から外れたら、人間だけでなく自然さえもが、あなたの進歩を妨げる障害物を投げつけてくるでしょう。というのも、あなたの中にある悪があなたの道の障害物として現れてくるからです。それらの障害物は、あなたの敵が置いたものではなく、あなた自身の感情と衝動が置いたものです。善いことを考え、善い気分でいて、善い行いをし、善いことを話せば、道は自由で、公正で、容易で、楽なものになるでしょう。悪いことを考え、悪い計画を立て、悪いことをすれば、道は恐怖と失敗でいっぱいになるでしょう。
クリシュナは教訓と手本によって自らのメッセージを説いた
道を平坦にするためには、心(マインド)を浄化しなければなりません。帰依者は、単に施しをしたり、聖地を訪れたり、宗教的な講話を聞いたりするだけでは、帰依者の地位に値しません。心を愛で満たし、憎しみや妬みを取り除き、筋の通った考え方と計画を採用しなさい。それだけで帰依者の地位に値します。神との融合という目的地に向かって、黙々と地道に歩んでいきなさい。
今日は、クリシュナのこと、そして、クリシュナが人の姿をとって生まれたことを思い出させる日なのですから、クリシュナは地上での生涯を通じて教訓と手本によって愛のメッセージを教えたということを思い起こすのが一番よいのです。バーガヴァタやマハーバーラタは、神と神の全創造物へのひとすじの愛、すなわちバクティを培うための教えに満ちています。パーンダヴァ兄弟と妃は、この高い地位に到達していた帰依者でした。兄弟たちの妃であるドラウパディーは、王宮の広間で従兄弟たちから侮辱され、公然と不名誉にさらされた時、数々の戦いに打ち勝った勇敢な英雄である、天の弓と棍棒の武器を携えた強力な夫たちに助けを求めませんでした。ドラウパディーはクリシュナに助けを求めました。なぜなら、クリシュナこそが最も近しい親族であり、盾であり剣であることを知っていたからです。
何年も後になって、ドラウパディーがあの時のクリシュナの対応はかなり遅かったと皮肉を言うと、クリシュナは、あの時ドラウパディーがクリシュナを呼んだ言葉をもう一度言ってみなさいと言いました。ドラウパディーは、「おお、ゴーピー(牛飼いの娘)たちのハートに住むお方よ! おお、ブリンダーヴァンの花の茂みをさまようお方よ! おお、ドワーラカーに住むお方よ!」と言って助けを呼び求めたと語りました。するとクリシュナは、祈りが向けられた先が間違っていたために遅れたのだと説明しました。クリシュナは言いました。「あなたの言葉のせいで、私はあなたのもとに行く前にブリンダーヴァンとドワーラカーへ行かざるを得ませんでした。もしあなたが『おお、私のハートに宿るお方よ』と叫んでいたら、私はその瞬間にあなたの前に現れたでしょうに」
内を見る目を養い、それがもたらす至福を味わいなさい
ですから、あなたは主をあなたのハートに据えるよう努め、主はそこにいるのだといつも意識していなさい。ラーダーだけが、その意識と、その知識から得られる途切れることのない至福を持っていました。その知識、その親密さを培いなさい。あなたが常に、身体と、身体に注意を払ってくれという騒々しい要求だけを意識していたら、どうやって内にいる神に集中できるでしょうか? 内観、内を見る目を養い、それがもたらす至福を毎日少なくとも30秒間味わいなさい。そうすれば、必ずや大いなる強さと安心感が授けられるでしょう。ラーダーは、地上での生活という乾いた砂漠で焼け焦げないように、クリシュナの面前という涼しい木陰に自分を留めてくださいと祈りました。
普遍なる真我の化身たちよ! 聖典は無数にあり、サーダナ(霊的修行)の数は数えきれないほどですが、機会は少なく、時間はすでに詰め込まれすぎています。しかし、これらのハンディキャップにもかかわらず、愛で自分を武装すれば、人生の戦いに容易に打ち勝つことができます。愛はあらゆる聖典の神髄である教えであり、あらゆる種類のサーダナの目的であり、あらゆる機会を最大限に活用できる方法であり、貴重な資本である時間を利用する最も有益な方法です。クリシュナが少年時代を過ごしたゴークラ村で牛の世話をしていた素朴な男女たちは、サーダナを知らず、シャーストラ(霊的科学)も学ばず、誓いも立てず、寺院も訪れませんでした。彼らはただ、自分が一緒に行動していた神の御名と御姿を、常に自分のハートの神殿に留めていました。そして、彼らは救われました。
愛の化身たちよ! 現代の世界は不安と不穏の波に翻弄されており、あなた方が動揺していることを私は分かっています。けれども、そのことでこの世界を責めてはなりません。不安は、あなたがこの世界に投影した、あなた自身の不安の写しにほかなりません。あなたの頭(マインド)の中で不穏が燃え上がり、あなたのハートの中で恐怖が鎌首をもたげています。世界の力、自然界の生き物はどれも、影響を受けず、変わっていません! あなた方が変わってしまったのです。あなた方は神経質になり、恐れていて、平安を持っていません!
多を一なるものの中に含めるよう努めなさい
あなたは色の付いた眼鏡をかけていて、すべてをその眼鏡を通して見ています。あなたの視力を正しなさい。そうすれば、世界は正されます。自分自身を改善しなさい。そうすれば、世界は改善されます。あなたは自分が選んだ世界を創り出します。あなたが多を見ているのは、一なるものではなく、多くを求めているからです。多を一なるものに、つまり、あなた自身と他の人々の体、家族、村、共同体、州、国家、世界を、一なるものの中に含めるように努めなさい。そのようにして、徐々にもっともっと包括的な忠誠を目指して歩を進め、思考と言葉と行動の一致の段階に到達しなさい。これは愛のサーダナです。なぜなら、愛は拡大であり、包含であり、相互化だからです。個人は、普遍化され、ヴィシュワ・スワルーパ(宇宙の姿)に拡大されなければなりません。
このサーダナに入るときには、憎しみ、貪欲、嫉妬、悪意の傾向をすべて抑え、常に万人への愛を拡大することに集中しなければなりません。あらゆる方面からの妨害に遭うかもしれませんが、それを忍耐力のテスト、誠実さや不屈の精神のテストと見なしなさい。あなたの実の両親、兄弟姉妹、妻や子供、親類縁者、友人やお気に入りの人、同胞などが、あざけりや脅しを用いてあなたを道から外させようとするかもしれません。あなたは、道に障害を置いたといって神に嫌悪感を抱くようになるかもしれません。信仰心を押し潰そうとする無神論的な考えがあなたの中に芽生えるかもしれません。けれども、あなたは勇気と自信を持ってそれらを乗り越えなければなりません。
善良な人は、常に悪意や嫉妬、意地の悪い人からの誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)や侮辱の標的になるものです。あなたの善良さはこれらの試練に耐えられるほどタフになれると確信しなさい。アヴァター(神の化身)たちも、そうした邪悪な勢力による注目から逃れることはできません。
悪の勢力は墓穴を掘る
クリシュナは、まさに揺りかごにいた時から地上での生涯を終えるまで、そうした障害に遭わなければなければなりませんでした。個人的な恨み、嘘で固めた誹謗中傷、根も葉もない悪口や名誉棄損が、常にクリシュナの後を追ってきました。クリシュナが周囲に放つ光と愛に耐えられなかった悪鬼たちは、クリシュナの御名を汚し、クリシュナの使命を妨害しようと共謀しました。悪鬼たちはクリシュナを拘束しよう、計画を失敗させよう、クリシュナの道具を悪用しようと試みました。しかし、真実が勝利し、虚偽は暴露され、辱められました。
真実は誹謗中傷の霧によってしばらく曇るかもしれませんが、勝利は確実です。憎しみの勢力は彼ら自身の策略によって打ち負かされ、墓穴を掘ります。彼らの行動は結局、自分に返ってきて、自滅することになるのです。クリシュナが和平交渉のために宮廷に出向いた時、カウラヴァ兄弟は、ドリタラーシュトラの宮廷でクリシュナを縛って身動きができないようにしようと企てました。しかし、それはどうなったでしょう? その策略は彼ら自身に跳ね返り、カウラヴァ兄弟は滅ぼされました。クリシュナが彼らの謀略と中傷の宣伝戦によって痛手を受けることはありませんでした。カウラヴァ兄弟が誹謗中傷の宣伝戦をやりたい放題していたとき、多くの信者は大いに苦しみました。例えば、パーンダヴァ兄弟の末っ子であるサハデーヴァは、帰還した主クリシュナを軍のキャンプで出迎えて、「あなたの交渉が失敗したことは気にしていません。すべてはあなたの計画の一部だと分かっています。逆に、私はあなたがあの悪魔の巣から無事に戻ってきてくださって、ほっと胸をなでおろし、大喜びしているのです」と言いました。
クリシュナは負け知らずで、常に清く明るく、常に名声に輝いています。クリシュナを裏切ろうとする者は、自らの闇によって永遠に汚名を着せられます。クリシュナの栄光に耐えられない人々の敵意ある行為は、自分たちに永遠の不名誉をもたらすだけで、クリシュナには少しも影響しません。クリシュナの栄光は、そうした誹謗中傷を広める者たちが挑戦してくるたびに百倍に増すでしょう。邪悪な人々は、プラフラーダのような帰依者を迫害したり拷問したりすることによって、主に悪評を招こうとしました。しかし、帰依者たちが喜々として不屈の精神であらゆる挑戦に立ち向かった結果、邪悪な者たちは恥ずべき失敗に終わりました。プラフラーダはより大きな栄光を得て、主の真実は見事に立証されました。
アヴァターたちでさえ誹謗中傷の宣伝戦に直面してきた
アヴァターの栄光に耐えられない人々は、どの時代〔ユガ〕でもそうした宣伝戦にふけりました! どの時代においても、彼らは主の輝きを高めること、メッセージを広めることに貢献することになりました。彼らの活動はすべて、世界中に主の栄光を広めるための手段なのです。
今日でも、そうしたことは起こります。しかし、あなた方は皆、それらの必然性とそれらは根本的に虚偽であることを認識し、衰えることのない熱意と喜びと共に、まったき信心と確信を持ってサーダナを続けていかなければいけません。サイの原理、サイの神性は、いかなる誹謗中傷にも左右されません。それはいかなる策略にも揺るがされることはありません。その進行を止めることはできません。吠える声が聞こえてきても、注意を払ってはなりません。
野良犬が立ち止まって、小川に映る自分を見ます。そして、それを他の犬と間違えて、大声で吠えはじめます。すると、それが発火点となって付近の犬たちが吠えはじめ、後にはその地区の犬たちが一斉に吠え出します。最初の犬が吠えた理由は、その犬が事実を知らなかったからです。他の犬が同じように吠えはじめたのは、最初の犬が音頭を取ったからです。明らかに誤った考えの上に巨大な恐怖が築かれるのです。このようにして、次から次へとストーリーが付け加えられていきます。
クリシュナの時代に信者たちが動揺しなかったように、あなた方も動揺せず、毅然とした態度でいなさい。信心はあなたに勇気と平静を授けてくれるはずです。クリシュナの生涯は、醜聞や嘘を流す者に耳を傾けたり心を貸したりしてはならないという教訓を、他の何よりも多く教えてくれます。
神への信愛は繁栄をもたらす
クリシュナは、生涯を通じてそうした中傷者と直面し、一人また一人と倒さなければなりませんでした。そうした輩(やから)のせいで、クリシュナの親も伴侶も信者も、誰一人として平安を得ることができませんでした。この祭日のメッセージは、御名を汚すような風説や言い伝えの中に隠されている真実を見なければならないということです。
神への信愛はあなたに至福と繁栄と平安を与えてくれます。それが痛みや動揺、あるいは個人的な不安を引き起こすことはできません。それは愛を育み、すべての人を兄弟として一つにまとめます。アヴァターは、取るに足りない策略には少しも影響されません。クリシュナは愛そのものです。ですから、いつも至福にあり、いつも歌い踊って幸せです。
クリシュナは、自らの本性である恍惚とした状態で歌い踊り、生涯の年月を過ごしました。花畑でも戦場でも、クリシュナはいつも鼻歌を歌っていました。
私も賞賛や非難には影響されません。私の至福(アーナンダ)は決して減ることがありません。愛のあるところには至福があり、至福があるところには音楽があります。だからクリシュナは、戦いを待ち構えるずらりと並んだ兵士たちからホロコーストの始まりを告げるラッパの音が鳴り響くという中で、バガヴァッド・ギーター(神聖な歌)を歌ったのです。
愛には、恐れも、嘘も、不安も、悲しみもありません。私は愛です。私は愛を降り注ぎます。私は愛を分け与えます。私は愛に喜びを感じます。私はあなた方が、もっと多くの人たちへの、もっと多くの愛を持つよう祝福します。愛は神、愛は愛——それが、シュリ・クリシュナ・ジャンマアシュタミーのメッセージです。
サイババ述
翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.12 Ch36