サティヤ サイババの御言葉

日付:1978年
夏期講習の御講話(1)より

開会の辞

〔バガヴァンは、学生たちの行進と共に朝9時にブリンダーヴァン(バンガロールのホワイトフィールド)のサティヤ・サイ・カレッジにいらっしゃり、キャンパスの中央に安置されたサラスワティー女神像を落成された。それからバガヴァンは、カルナータカ州知事ゴーヴィンド・ナライン氏、カルナータカ州教育大臣(文部大臣)スッバイアフ・セッティ氏らを伴って大学の講堂へと入っていかれ、夏期講習を開会なさった。州知事と大臣による祝辞に続いて、バガヴァンによる御講話が始まった。この年の夏期講習は5月15日から6月20日まで開催された。〕


この神聖なバーラタの国では、これまでずっと堪忍寛容が最も偉大な伝統だった。
真理〔真実〕を固く守ることも、また別の重要な理想だった。
母親の愛情あふれる面を尊敬するという、
この国で広く受け入れられている習慣ほど喜ばしいものはない。
さらに、私たちの名誉は私たちの命よりも価値がある。
私たちは、自らの名誉を守るためなら命を捨てる覚悟がある。
ああ! それなのに今、私たちはこのような理想を忘れてしまい、
自分の住んでいる場所で外国の理想を受け入れようとしている。
私たちは自らの文化を忘れてしまった。
この国の市民である皆さんに対して、他に何が言えるだろう?
自分の力を知らない象のように、この国の市民は自分たちの力を知らない。

善き理想、善き行い、真理を固守することが、私たちの教育の結果であるべきだ。
これらの面を促進することこそ、まさに真の教育だ。
これらの性質を身に付けた人だけを、真に教養のある人、と呼ぶことができる。

教育家、教育の権威者、教育の擁護者、学生、教師の皆さん、

今日、私たちの国では霊的な価値が消えてしまい、ダルマ(正義)は衰退し、真理〔真実〕の固守はどこにも見られません。残酷さや不親切、真理の欠如、利己主義という悪魔的な特徴が至るところに広がっています。かつて、この国はダルマに基づいた行為で全世界に知られていました。誤った養育を身につけた自分の子供たちを見て悲しく思う両親のように、母国インドは、霊的伝統を失ってしまった私たちを見てとても悲しんでいます。このわが母国を平和にするために地域社会に奉仕し、教育が教えるよう期待されている正しい事柄を学ぶことは、若い学生である君たちの義務です。この国は、ただ塵芥(じんかい)や土からできているわけではありません。この国は、ここに住む人々から成り立っているのです。国を正すということは、人々を正し、人々に適切な道を歩ませることであることを、学生たちは理解しなくてはなりません。教育の第一の自然な成果とは、国に対して何らかの奉仕をする能力であり、この国の霊的価値を復興することでなければなりません。それゆえ、私たちはこの面で全世界のリーダーであることを示すべきです。

個人の価値は、その人の文化しだいです。人の文化とは、大変神聖な側面であり、先人たちから受け継がれてきたものです。文化を表面的に解釈したり、理解したりしてはなりません。文化にはとても深い意味があるのです。日常生活において悪い行為を捨て、日常の習慣を改めることは、すべての人にとって第一の義務です。君たちが国のために役立つ市民になる資格は、学生の間に手に入れておくべきです。人の一生において、もっとも重要な時期は学生時代です。学生は人生という木の根っこのようなものです。そのような真理をよく理解し、幸せな学生時代を送って、そこから良い教訓を身に付けなければなりません。

今日、政府には人々を正す能力もなければ、その権利もありません。人々が自分を正すことのできる神聖さは、政府の中には存在していないのです。市民にも政府を正すだけの能力がありません。霊的見地から見れば、統治する側にも統治される側にも、自らを正すことのできる能力が見られません。その理由は、人々が幼いころ、大人になった時に自分の人生を有益なものにできる方法で人生を正してこなかったからです。大きくなった時、どのような種類の行為が自分たちに役立つかを見分ける能力がなかったせいです。そのような状況を考えれば、学生諸君は大人になった時に人生を役立てることができるよう、若いうちから人生に必要な矯正手段を取り入れるべきであることに気付かなくてはなりません。学生は、その手にこの国の未来を握っていなければなりません。どこで集まろうとも、そこには落ち着きと平安があること、そして、地域社会の人々も彼らを尊敬していることが、見て取れるべきです。学生たちの集まる場所は、平安と幸福の象徴〔シンボル〕となるべきです。それが正しい教育の兆しです。今日の学生がダルマの伝統を失っている主な理由は、西洋文明との接触にあります。学生たちは自分の目で物事を見ていません。自分の心〔マインド〕やハートで物事を体験していません。他人の目を借り、他人の思考を借りているのです。彼らは人生を模倣し、不自然なものにしています。

学生たちよ、

青年期は、人生という木の根っこのようなものであると気づく必要があります。私たちが施す肥料や水は、枝や葉ではなく、根に与えなければなりません。疑いなく、私たちは常に平安と幸福——枝や葉のようなもの——を心に留めてはいますが、根のようなものであるダルマの行為を重視することを忘れています。その意味で、道徳とダルマの行為という形を取った肥料と水は、人が学生時代に受け入れ、実践すべきものであるということを理解すべきです。残念なことに、学生たちの純粋で感じやすい善良なハートは、政治的指導者〔リーダー〕たちの身勝手な目的によって扇動され、汚され、台無しにされています。そうして彼らは、若い学生たちの将来の全人生を破滅させているのです。

今日のリーダーたちも、かつては全員学生であったことを理解すべきです。もし、大人になってリーダーになりたいのであれば、あなたを善良なリーダーにする神聖さを、今の若い年齢の時に培わなくてはなりません。政治はそれなりに良いものですが、若い学生にとっては良いものではありません。学業を終えた後は、自分にとって何が良いかを自分で決めてもかまいません。しかし、もし学生時代に政治に参加すれば、どちらの分野でも成功することはできないでしょう。これは、正しい行為でも良い行為でもないのです。政治の領域には、あなたを悪い誤った道へと追いやる嫉妬、エゴ、怒りのようなくだらない感情がないとも限りません。政治の領域は、人々の間にある相違を助長します。それは人々の間に調和〔ユニティ〕をもたらしません。情欲は悪魔のようであり、嫉妬は狂人のようであり、エゴは恐ろしいものです。これらのものが日常生活の一部になってしまったために、私たちは人生からあまり良いものを生み出すことができません。人は、エゴに満たされているために、生来の人間的な性質を失いつつあります。自分の真の姿を理解していません。また同胞である人間を理解しようともしていません。このエゴは非常に悪い性質であるため、人間だけでなく神々や天使たちさえ台無しにしてきました。このエゴが学生の心〔マインド〕に入れば、まさに教育の根本的な側面が彼らの心から消えてしまいます。教育は皆さんに謙虚さを与え、謙虚さはそれ相応の価値をもたらし、そして富が与えられるのです。富によって皆さんはダルマの道を歩むことができるでしょう。それゆえ、学生はまず謙遜を身につけ、謙虚に振る舞うべきです。今、学生はほとんど学んでいないにもかかわらず、とても高慢になっています。そのせいで、持つべき広い心〔ハート〕を失っているのです。

教育はただ富を蓄えることを目的にしているのではありません。教育は人生の神聖な真の性質を明らかにすることを目的としています。それだけではなく、学生たちが集めることのできる尊敬と社会で得る名誉は、彼らが示す性質にかかっています。人間にとって最も大切なものは人格です。学生たちが自分の人格を磨くことができれば、国の役に立つことができるでしょう。私はまた、ここに臨席している文部大臣に、あらゆる側面——世俗の面、ダルマの面、道徳の面——において、善良なことが教えられ、学生たちの感じやすい未熟な心が守られることを期待し、要望したいと思います。

昨今の学生たちは、学位を取るのに大変な苦労をしていながら、その学位を、生計を立てるために使っています。彼らはほんの少しの時間でも、自分の中の善い性質を増やすために使っているでしょうか? 皆さんは、自分のわずかな教養を誇ったり、教育はただ学位を取るためだけのものだと考えたりしてはなりません。教育は、あなたがエゴのない奉仕をし、あなたの国と国民が繁栄するのを助けることができるようになることを目的としています。私たちは、教育の神聖さを物乞いのお椀という形に変えています。今、まさに必要なことは、学生たちに価値観を吹き込み、彼らが微笑みながら喜んで国の繁栄のために犠牲を払うことができるよう訓練することです。世間の魅力に翻弄されている限り、私たちは今ある苦境から逃れることはできません。十分に犠牲を払う準備が整った時、私たちの繁栄もまた大きくなるでしょう。

私たちは積極的に仕事をする覚悟のある戦士にならねばなりません。怠け者が大勢いても国は繁栄できません。時間や人生を無駄にすることなく、霊性探求の道を歩み、この偉大なバーラタ〔インド〕の国の神聖さを促進することができなくてはなりません。皆さんは学位を取るために何千ルピーも使って両親に多大な迷惑をかけ、その学位を物乞いのお椀に変えて、仕事を求めて会社から会社へと回ります。私たちは、自分の足と資質で自立できる人間にならなければなりません。勤勉の価値を学ぶのは学生の第一の義務です。両親に感謝を示し、それから地域社会に奉仕する決意を育てなくてはなりません。国の幸福と安寧が皆さんの第一の目標であるべきです。教育の真の意義は、両親と自分の国に満足を与えることだと認識しなければなりません。このことは、国に繁栄をもたらすことでしょう。

私は、知事と文部大臣が、インド文化と霊性に関する夏期講習の開会式に臨席してくれたことを嬉しく思います。皆さんがこの夏期講習からインスピレーションを引き出し、良き理想を学び、それらを実践できるように望んでいます。今、学生の集まる場所はどこであれ、動揺(扇動)と不安が見受けられます。これは、教育の本当の意味を理解できていないからです。学生として大学に入っておきながら、それを言い訳に感覚の快楽を追いかけるのは正しいことではありません。彼らは教養を求めて大学に入りましたが、真の教養を得ているでしょうか? 学生はある目的を持って入学し、それとは異なる目的を達成しています。もし問題があるなら、学生には大学当局へ行って、責任者と話し合う権利があります。しかし、他人を傷つけたり他人に害を与えたりする権利はありません。

明日から、皆さんは年長者たちから、すべての宗教の一体性〔ユニティ〕とインド文化の神聖さについての話を聞くでしょう。皆さんがここから偉大な理想を持ち帰り、それらを実践することを願っています。皆さんは、この神聖な国がかつて楽しんだ栄光を、この国に取り戻すよう懸命に努力すべきです。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Summer Showers in Brindavan 1978 Ch1