サティヤ サイババの御言葉

日付:1985年12月9日
場所:ブリンダーヴァン
御降誕60周年祭のババの御講話①より

平安の探求

〔1985年12月7日から15日までの1週間、カルナータカ州のサティヤ サイ オーガニゼーション主催により、ババ様の御降誕祭60周年記念祭がブリンダーヴァンで開催されました〕

世界をもとのレールの上へと引き戻さなければなりません。愛と平安だけがこれを達成できます。あなた方の思い、言葉、そして行為を愛と真理と平安で満たし、奉仕活動に従事しなさい。

私たちは、常に平安と慰めを熱望しています。しかし、それはどこで見つけることができるのでしょうか? それは私たちを取り巻く物質世界の中で見いだすべきものなのでしょうか? 経験は、外界のものから得た平安や幸福は永続しないことを教えてくれます。それはまるで蜃気楼のようなものです。惑わされた動物がそこへ向かって走っていっても、渇きを癒すことは出来ません。平安の本当の源は、各個人の中にあります。真の喜びを与えることが出来るのは、その内なる平安です。聖ティヤーガラージャは、平安なくしては幸福はあり得ないと、歌の中で断言しました。どんな喜びや苦痛、賞賛や非難、利益や損失にさらされようとも、すべての出来事において平常心を保つことを達成した場合にのみ、このような平安を得ることが出来ます。人は、悪意や嫉妬や憎しみから引き起こされる非難に影響を受けるべきではありません。そのような非難に反応するなら、人の心の平安は打ち砕かれてしまうでしょう。もし、その非難がもっともであれば、自分自身を正すべきです。悪意や嫉妬から来る根拠の無い非難は無視するべきです。私たちは、自分自身の善良な性質に忠実でいて、平静さを保っているべきです。

サーダカは平安を周囲のすべてに幸せを放射すべし

サーダカ〔霊性修行者〕全員が守っていく必要があり、得ようと努力するべきものとは、シャーンティ(平安)です。平安は、純粋な愛から生まれるかぐわしい花です。平安は、善い行いの結果として得られる芳香なのです。この高貴でかぐわしい平安の特質を失ってしまったら、あなた方は人生のすべてを失ったことになります! はるか昔より、この国では、シャーンティ(平安)の偉大さを示すために聖者や賢者たちが努力してきました。彼らは非難され、笑い者にされ、馬鹿にされ、言葉では言い尽くせないほどの厳しい試練を受けました。しかし、彼らは決して平安という支えを失うことはありませんでした。

あなた方は、たとえ斧で切られても芳香を放つサンダルウッド(白檀)の木のようであるべきです。線香に火がつけられれば、線香はひとりでに燃え尽きます。しかし、線香は辺り一面に芳香を放ちます。それと同じように、真のサーダカ〔霊性修行者〕、真の帰依音は、あらゆる状況下で完全な平安を保つことに気をつけるべきです。辺り一面に幸福を広めるべきです。これこそが第一のサーダナ〔霊性修行〕です。サーダナを通して平安を得ようと試みなさい。平安は、外の世界からは得られません。私たちの親類、物質的な持ち物、あるいは名声は、私たちに平安をもたらしてはくれません。平安とは、あなた方の内から湧き上がるものであり、外界から集めるものではありません。

私たちは平安を欲しますが、平安を与えることとはかけ離れたことをし続けており、不安や心配を生じさせています。ささいなことが人の心の平安をかき乱しています。真のサーダカ〔霊性修行者〕は他の人の言ったことに動じないでいるべきです。

三重のシャーンティ

「シャーンティ」という言葉は、あらゆる祈り、儀式や供犠の最後に三回唱えられます。この背後にある意味とは何でしょうか?

最初のシャーンティの意味は「私たちが肉体の平安を得られますように」です。その意味は、肉体は嫉妬、憎しみ、執着や好みという感覚によって興奮するべきではないということです。どんな知らせを受けようとも、それを冷静、沈着に受け止めるべきです。

二番目のシャーンティは心(マインド)に関係します。誰かがあなたに対して何か真実でない事を言ったとしても、興奮すべきではありません。あなたはただ、それを何か自分とは関係ないこととして受け流すべきです。怒ったり、いらだったりすれば、心の平安を失ってしまいます。あなたは自分自身に対して言うべきです。「誰かが真実でないことを私に言ったからといって、なぜ私が心の平安を失わなければならないのだろうか?」自分の真実を貫き、自分自身の本質に忠実であることを決意しなさい。

三番目のシャーンティは魂の平安に関係します。この平安は、愛を通して実感されなければなりません。

世界をもとのレールの上に引き戻さなければなりません。愛と平安だけがこれを達成できます。あなた方の思い、行為、衝動を、愛、真理、そして平安で満たしなさい。私たちを憎む人がいるかもしれません。しかし、彼らをも愛しなさい。

サティヤ サイ オーガニゼーションで活動する人たちは、愛と平安の精神に満たされて奉仕活動に携わるべきです。利己心や憎しみが存在する場所があってはなりません。どのような困難に遭っても、意気消沈したり、落胆したりすべきではありません。あなた方は、大胆に、勇敢に、そして熱心に、社会への奉仕に従事しなければなりません。これが、サイが皆に求めることです。これがあなた方の前にある理想です。我慢、忍耐、平安、愛を育みなさい。そしてあなた方の仕事を続けなさい。これがあなたがたの真のサーダナ〔霊性修行〕です。

9つのバクティの形には、2つの必要不可欠な要素である愛と平安があります。偉大なマハーバーラタの英雄、ビーシュマはシャーンティ バクティ〔平安の信愛〕の最高の模範です。56日間、彼は忍耐と平安をもってあらゆる痛みに耐え、魂を神にゆだねる吉兆の瞬間を待ちながら、矢の床に静かに横たわっていたのです。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.18 Ch 27

*この御講話はサイラムニュースVol.60(1998年5・6月号)pp.1~3に掲載した御講話に加筆・修正を行ったものです。