サティヤ サイババの御言葉

日付:1987年8月26日
サティヤ サイ大学寮新館落成式での御講話より

あなたのハートにランプを灯しなさい

ランプには、他のどんなものにもない無類の力があります。それは、ランプは闇を払うということです。そのため、バーラタ人〔インド人〕は常に光りを灯したランプを崇めてきました。吉事や宗教的な行事を始める前には、儀式用のランプに火を灯します。ランプのもう一つの特質は、炎が上方に向かうことです。これはブラフマンへの道です。罪深い道は下へと向かいます。

しかし、ランプの光は外の闇を照らすことができるだけであり、前世から持ち越した執着や嫌悪のせいで、ハートを覆っている闇を取り除くことはできないのです。ハヌマーンがランカーに火を放った時にランカーを火の海にした炎の光は、ラーヴァナのハートの闇を取り去ることができませんでした。ラーヴァナのハートは情欲と憎悪でいっぱいだったので、どんな光もそこに入り込むことはできなかったのです。

ランプに火をつけるには、容器、油、芯、マッチ棒が必要なように、内なる炎を灯すには、ヴァイラーギャ〔離俗/無執着〕という容器、バクティ(信愛)という油、心の集中という芯、タットワ・グニャーナ(真の気づきというマッチ棒)が必要です。この4つのうち1つでも欠けていれば、真我の光を灯すことはできません。

執着がないところに恐れはない

今の世の中は恐れと苦しみに浸っています。恐れから解放される唯一の方法は、ヴァイラーギャ〔離俗/無執着〕を養うことです。執着がないところに恐れはありません。無執着と離俗によってのみ、人は内なる光明を経験する能力を得ることができるのです。離俗とは、財産や社会を捨てて森に身を置くことではありません。必要なのは、あらゆる悪しき傾向を断つことです。それはヨーガ〔神との合一の行〕です。

ギーターでは、3つの道が示されています。

マット カルマクルト マット パラモー マド バクタハ
(私のためだけに働き、私を唯一の避難所と見なし、私を信愛する者)

バガヴァッド・ギーター 第11章55節より

とクリシュナは述べています。ここでの「マット カルマクルト」(私のためだけに働き)とは、クリシュナへの奉仕をすることを意味するのではありません。この「私」というのは、普遍的な存在を表しています。この世界のすべてには神が浸透しているのですから、人は第一の義務としてすべての人に奉仕をするようにと命じられているのです。すべての行いは社会の中で行わなければなりません。あなたは自分の国に奉仕しなければなりません。個人と共同体と世界は、神性の三位一体の側面です。このうちの一つでも無視することは、生きる目的が果たせないことになります。個人の善意は社会の福祉を促進します。社会の幸福は、国家の幸福の基礎となります。

ヴァイラーギャ〔離俗/無執着〕を養うには、一定の自制と規律の実践が必要です。欲望を抑えなければなりません。あなたは、社会の助けを借りて得た知識や技術を使って得たものを、社会に還元しなければなりません。実際には社会から得たものである自分の富や力や資質を他の人たちと分かち合うことが、真の犠牲です。

自分の義務と責任を果たすことを怠ってはなりません。義務をきちんと果たすことは、悟りを得るために必要な霊的規律の一部なのです。疑念を抱く余地を与えてはなりません。多くの人が、あらゆる種類の疑念に悩まされています。疑念が残っている間は、束縛からの解放はあり得ません。

犠牲は神との交わりをもたらす

学生は模範的な生活を送るよう努めるべきです。すべての社会的な人間関係や行いを完全に放棄することのできる人は誰もいません。ですから、人はすべての行いを神に捧げ、それによって無執着の感覚を身につけるべきなのです。今の社会に蔓延している混沌と暴力を取り除くには、あなた方がカルマヨーギ〔行為によって神との合一を果たす人〕となって、自分の知識と能力と活力のすべてを社会の変容のために捧げる必要があります。大切なのは富ではありません。人格こそが重要です。ボーガ(五感の快楽)は、ローガ(病気)につながるだけです。ティヤーガ(犠牲)はヨーガ(神との交わり)へと導きます。

私は今日、寮でランプを灯しましたが、それは皆さんのハートの中に灯さなければならない霊性の光の象徴です。霊的な悟りは、学問的な知識と同じくらい重要です。霊的英知以外のすべての学問の部門は、霊的英知という大海原に合流する川のようなものです。

学生時代に人格の清らかさを育て、正しい習慣を身につけなさい。座るといったような日常的な動作においても、ぞんざいであったり無頓着であってはなりません。座っている時に背中が曲がっていると、(脊柱を通る)スシュムナー ナーディー〔人体でプラーナが流れるナーディー(気道)のうち最も重要なもの〕が曲がってしまい、記憶力の低下などの弊害が生じます。規律は重要です。不必要な会話や、目的のない付き合いは避けなさい。勉強のために来たのですから、自分の本来の任務に集中しなければなりません。あなたの行いと成績で両親を喜ばせ、大学に信用と名誉をもたらすよう努力しなさい。そうしてこそ、あなたの生活は他の人たちの手本となるのです。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.20 C14