日付:1990年9月28日
場所:プラシャーンティ・マンディル
シルディ・サイ・ババに関する御講話より
舌の先端には繁栄の女神が宿る
そこには友人と近親者が宿る
束縛は舌の先端によってもたらされる
死は舌の先端で確実に待っている
神の愛の化身たちよ! 人が手に入れる富はすべて、話す言葉によって得られます。人の友情や関係は、話す言葉によって築かれます。人は話す言葉によって足かせを作ります。最後の審判においては、死さえも、話す言葉のゆえに人を襲います。
人の生涯において、話す言葉は極めて重要です。話す言葉が清らかであれば、人は聖化されます。どのような状況においても、言葉の使い方には気をつけるべきです。話す言葉の清らかさは、善良な人々との交わりによってのみ保証されます。
善良な性質と善良な思考なしに、心は神の憶念に集中できるだろうか?
レンガとモルタルなしに、家を建てることができるだろうか?
テルグ語の詩
人間のみならず、すべての生きものは6つの敵(欲望、怒り、貪欲、執心、高慢、嫉妬)に包囲されています。6つの敵のうち、主な敵は欲望と怒りです。欲望と怒りの2つは別の形をしていますが、怒りは欲望から派生したものです。貪欲、執心、高慢、嫉妬も、欲望の産物です。6つの敵は、最初の敵である欲望から派生したものなのです。
欲望は期待を呼び起こします。期待は感覚と結びつきます。期待が実現されないと、失望が怒りに変わります。怒りはサムモーハ(心の異常)を生じさせます。その異常は、(何が正しくて何が間違っているかに関する)記憶を失うことへとつながります。その記憶を失うと、知性が破壊されます。知性が破壊されると、すべてが失われます。このように、欲望が、すべての破滅、悪名、悲しみの根本原因です。ですから、欲望をコントロールし、自制の生活を送ることが不可欠なのです。
サイ・ババ生誕の地、パトゥリでの降臨
今日はナヴァラートリやシヴァラートリについて話すつもりはありません。私は今日、これまで誰も知らなかったことを明らかにしようと思っています。
かつてのニザーム領に、パトゥリという辺境の村がありました。その村に、ガンガーバディヤとデーヴァギリアンマという夫婦がいました。二人は子供がいないことを嘆いていました。二人の祈りに応えて、1835年〔現行の暦では1838年〕の9月28日〔日の出を境に日付が変わるインドの暦では27日〕に息子が生まれました。今日はその記念日です。その子はサイ・ババでした。ガンガーバディヤは完全なる無執着と捨離の気持ちを培っていたため、子供が生まれたにもかかわらず森に隠遁(いんとん)することにしました。夫を神と仰いでいたデーヴァギリアンマは、子供を置いて夫について行くことにしました。
幼少期
その村にはスーフィー〔イスラム神秘主義者〕のファキール〔行者〕がいました。彼も子供がいなかったので、その子を預かって自分の家で育てました。その男児は4年間ファキールの家にいました。ファキールは時の流れの中でこの世を去りました。ファキールの妻は悲しみに暮れました。彼女は少年に大きな愛情を注いでいましたが、少年が起こしている問題行動という心配ごとが覆いかぶさってきました。当時、その地域ではヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立が深刻化していました。2つの共同体の一員たちの間には、苦々しい感情がかなり存在していました。
少年は、ヒンドゥー教の寺院を訪れては、アッラーを賛美する歌を歌っていました。また、ヒンドゥー寺院の中で、「メー アッラー フー(私は神なり)、アッラー マリ ケ(アッラーは至高の神)!」などと宣言していました。ヒンドゥー教徒たちは、その行儀の悪さに対してさまざまな方法で少年を懲らしめました。少年の問題行動はそれだけではありませんでした。少年は、モスク〔イスラム寺院〕に入ると、「ラーマは神だ」、「シヴァはアッラーだ」などと宣言したのです。ヒンドゥー教の寺院でアッラーについて歌い、モスクでラーマとシヴァについて歌う行動は、世間を困惑させました。それぞれの共同体に属する人たちは、ファキールの妻のところに行って少年の行動について苦情を言いました。事態に対処しきれなくなったファキールの妻は、家の近くに住んでいたヴェンクサという高貴な魂を持つ敬虔(けいけん)な学者に少年を引き渡しました。少年は1839年から1851年までの12年間、ヴェンクサのアシュラムに滞在しました。ヴェンクサは少年をたいそう可愛がりました。どんなことでも、年若いババの意見を優先しました。それを見ていたアシュラムの一員たちは、次第に少年への妬みを募らせていきました。
ババがシルディにやって来る
1851年のある夜、少年はアシュラムを出ていきました。少年は、当時はとても小さな村だったシルディにやって来ました。少年はシルディに2ヶ月間だけ滞在し、その後あちこちを放浪しました。何年も放浪した後、彼はドゥープ・ケーダという場所にたどり着きました。彼がその地に住んでいたとき、地元でチャンドゥ・パテルの兄弟の息子の結婚祝いがありました。ババは結婚祝いに参列し、それから再びシルディにやって来ました。それは1858年のことでした。その日から1918年まで、ババがシルディを離れることはありませんでした。ババは60年間シルディに留まりました。
シルディにいる間、ババは自分のもとを訪れる人々と会話を交わし、彼らの問題に関する助言を与え、彼らの悩みに対して勇気と慰めを与えました。そうするうちに、ババの活動は全国に知られるようになりました。
当時、マハーラーシュトラに、収税と入植の副長官を務めるH・V・サテ(ハリ・ヴィナーヤク・サテ)という役人がいました。彼は妻を亡くして悲しみに暮れていました。サテの友人であるG・G・ナルケ教授がサテの家にやって来て、悲しみに暮れていても仕方がない、悲しみを癒すために場所を移るように、と勧めました。さらにナルケは、聖者のダルシャンを受けるのがいいと言い、シルディに行くように、とサテを説得しました。
サテは並外れた人物でした。シルディに着くと、サテとナルケはババのダルシャンを受けました。その中で、ババは何度か、サテを見ると、笑ったり、歌ったり、奇妙な仕草をしたりしました。サテの心に、ババは本物の聖者なのか、それとも風変わりな人物なのか、という疑念が生じました。ババには誰もサテについて何も言っていませんでした。サテとナルケは、ただババに会いに行き、ババの前に座っていただけでした。ババはサテに言いました。「何も心配するな。体は水の泡のようなものだ。体に執着してはいけない。デーヒ(体の中に宿る神霊)に執着するのだ。心配は過ぎ行く雲だ。勇気を持ちなさい。自分の子供を守りなさい」 最後の言葉は、サテの妻が子供を産んだ後に亡くなったことを指していました。ナルケでさえ、その子の生存については聞いたことがありませんでした。ババの言葉を聞いて、サテはババが狂人ではなく、トリカーラ・グニャーニ(過去・現在・未来という三つの時を知る者)であることがよく分かりました。サテはババのダルシャンだけを目的に短期間滞在するつもりでいましたが、もう2日間滞在を延ばすことにしました。
頻繁にシルディを訪れていたため、サテは、シルディにはババのもとを訪れる人々のための適切な設備がないことに気づいた最初の人となりました。サテが訪問者に宿泊施設として提供した場所が、「サテ・ワダ」〔サテ邸〕です。サテはシルディにアパートを建てた最初の人でした。
シルディでの建築
こうして奉仕をしている間、サテは収入を得たり富を蓄えたりし続けることに何の意味があるのだろうかと感じ始め、再びシルディに足を運びました。サテを見ると、ババは微笑んで言いました。「おまえは自分の仕事に興味を失っているようだ。手に入れた富をどう処分するか悩んでいる。なぜ誰かにくれてやることがある? 大義のために使いなさい。シルディにコーティ(大きな屋敷)を建てなさい」。すると、サテはババに言いました。「スワミ! 私は大金持ちではありません。どうしたらここに大きなお屋敷を建てることができますか?」 ババは答えました。「できる限りのことをしなさい。私がここにいるのに、なぜ恐れるのか?」 ババはこのようにしてサテを励ました。
やがて、サテの母方の叔父ケルカルがシルディに居を構えました。サテはプーナから資金を送金し、叔父はシルディで建設工事を続けました。
こうして、ババはサテを自分の道具として使いました。ババはあらゆる事柄において、サテを自分の右腕と見なしていました。ババがずっとサテを自分の近くに置いて万事サテに頼っていたことから、シルディの住人たちはサテに嫉妬するようになりました。
多くの者は、自分では何もせずとも満足しているが、
他人が何かをするのを見るのには耐えられない
テルグ語の詩
中には、ババに会いに来て、よくサテのことをとやかく言っている者たちがいました。そのような話をする者にふさわしい名前は何でしょう? 彼らは「物乞いの敵」(すなわち、吠える犬)と呼ばれるべきです。
判事のための判事
シルディで、よくババは注目すべき二つのことを行っていました。一つは、ババのもとを訪れた誰からもお金を受け取ることでした。ババはダクシナー(謝礼金)を求めるのがつねでした。大金を要求することはありませんでした。2ルピーか5ルピー程度でした。ババはお金を受け取ると、相手の目の前ですぐにそれを人にあげていました。自分の懐(ふところ)には一銭も入れることはありませんでした。
ある日、プラダンという男がババに会いに来ました。彼はババに20ルピーを寄進するつもりでした。当時は、紙幣というものはありませんでした。すべて銀貨で、それは今の合金の硬貨とは違っていました。当時の1ルピーは1トラ〔11.66グラム〕の純銀でできていました。プラダンは、銀貨を何枚も寄進するよりも、ソブリン金貨1枚をババに寄進したほうがいいと考えました。ババはその硬貨の表裏をよく見て言いました。「こんな硬貨は見たことがないが、これはどういう代物だ?」 ババの近くにいた人が「それは金貨です」と言いました。すると、ババはこう言いました。「これはいらない。お金はルピーでよこしなさい」 ババはソブリン金貨の価値はどのくらいかを尋ねました。当時、ソブリン金貨は15ルピーの価値がありました。プラダンはソブリン金貨を引っ込めて、ババに15ルピーを手渡しました。すると、すぐにババは言いました。「プラダン! あと5ルピー渡してもらわねば!」 プラダンは当時、判事をしていました。プラダンも周りにいた人たちも、ソブリン金貨の価値はちょうど15ルピーなのに、なぜババはさらに5ルピーを要求するのか不思議に思いました。
プラダンのためらいに気づいたババは、「まず5ルピーを出して、それから考えなさい」と言いました。プラダンは5ルピーを手渡しました。すると、ババは言いました。「家を出たとき、おまえはババにいくら捧げたいと思った? おまえは20ルピー渡すつもりだった。だが、おまえは15ルピーしか出さなかった。だから、私はあと5ルピーを要求する権利があったのだ」。その言葉を聞いたプラダンは茫然としました。そして、サイ・ババこそ良い判事であると認めました。このように、ババには、自分のところに来る人からお金を集めて、それを貧しい人々に配る習慣があったのです。
サイはグル
ある日、ババはケルカルを呼び出して言いました。「今日はグル・プールニマー〔導師に感謝を捧げる満月の日〕だ。私にグル・プージャーをしなさい」。その場にいた誰もグル・プージャーの意味を知りませんでした。ケルカルはババにグル・プージャーの意味を尋ねました。ババは尋ねました。「おまえは誰がグルであると思う? グルというのは僧団の高僧であるグルたちのことはない。サンニャースィン(出家行者)であるグルたちのことでもない。神のみがグル(導師)である。
ブラフマーナンダム、パラマスカダム、ケーヴァラム グニャーナムルティム、
ドヴァムドヴァーティータム
(彼は最上の至福であり、神聖な幸福を与える者、最高の不二一元論の知識の権化、
あらゆる二元性を超越する者である。彼は至高の神なる導師なり)
彼はブラフマーであり、ヴィシュヌであり、マヘーシュワラであり、至高の絶対者である。その至高のグルに敬礼せよ。真のグルは、創造と守護と消滅を司る神である三位一体の三つの姿を兼ね備えた者だ。このように、神のみが真のグルなのだ」と、ババは宣言しました。
それを聞いたケルカルは尋ねました。「私が拝むべきなのは、ブラフマーですか、それともヴィシュヌですか、ルッドラ〔ルドラ〕ですか? ババは怒ったような声で断言しました。「ああ、悪魔め! 私がここにいる! 私に礼拝を捧げよ!」 これによって、ババは、自分がブラフマーであり、ヴィシュヌであり、ルッドラであることを知らしめたのです。その場にいた人は皆、ババは神の化身であると感じました。
サテがシルディを去る
日が経つにつれ、シルディの住人たちはサテに憎しみを抱くようになりました。なぜなら、サテはババへの献金をすべて募金箱に集め、そのお金をマンディル〔礼拝所〕の建設に使おうとしていたからです。ちょうどそのころ、サテが保管していた純銀の馬車と純銀の馬が泥棒に盗まれました。管財人の長をしていたのはサテでした。シルディの人々は、サテが盗みに加担しているのではないかと疑いました。ある日、住人の一人が、道中のサテを斧で襲う計略を立てました。それを嗅ぎつけた母方の叔父がサテに電話をかけ、その地に留まるのは危険だから、すぐに立ち去るように、と促しました。叔父はサテに、どこにいてもババを礼拝することはできると言いました。サテは仕方なくシルディを後にしました。
ババは絶えずサテのことを尋ねていました。しかし、サテは不在でした。ババはとても苦しんでいるように見えました。サテはババにとって、身近で大切な存在でした。帰依者たちは、ババがサテの不在にひどく心を痛めているように感じました。
そのころ、シャームの両親がシャームを連れてシルディにやって来ました。シャームはまだ2歳の子供でした。父親がちょうど現役を引退し、シルディに定住することを決めたのでした。その子の名前はモハン・シャームで、両親は彼をモハンと呼び、ババはシャームと呼んでいました。シャーム少年はシルディの学校に通い、やがて学業を終えると、教師としての訓練を受けました。彼はシルディで教師に任命されました。学校はババの住む部屋の隣にありました。日中、シャームは学校で教えていました。ババの部屋と教室を隔てる壁には換気窓が付いていました。シャームは夜、よくその換気窓越しにババを見ていました。シャームはババが独り言を言ったり、時に怒ったり、一人笑いをしたり、奇妙なことをしているのに気がつきました。ババは天井から吊るしてあった18インチ(45.72センチ)幅の板の上で寝ていました。シャームは、ババが寝ている間に高くて狭い板から落ちてしまうのではないかと心配でした。
帰依者へのババの配慮
あるとき、シャームはババの御足をマッサージしていた際に勇気を出してババに尋ねました。「スワミ! あなたは夜、全く眠っておられないようです。一人で笑ったり、しゃべったりしておられます。その秘密は何なのでしょうか?」 「この馬鹿者! 私がこの世で心配しているのは、おまえのことだけだと思っているか? 私に祈っている者は大勢いる。私はその者たち皆と話をしているのだ」とババは答えました。「私が指を回すとき、私は彼らの心(マインド)を回している。私が笑うとき、私は彼らの愚かさを面白がっている。これらは私が帰依者のためにしていることなのだ、愛しい子供よ」。シャームはババに懇願しました。「スワミ! 私は授業にあまり時間をとられてはいません。残りの時間をあなたと一緒にいさせてください、あなたに奉仕させてください」。当時は、ラクシュミーバーイーという女性がババの食事を作っていました。シャームはよく彼女のところへ行って、ジョワール・ローティ〔ジョワ―ル粉で作る薄いパン〕を作るのを手伝いました。ババは茄子が大好物でした。シャームはラクシュミーバーイーのところへ行って、茄子の料理の作り方を習いました。シャームはこのようにしてババに奉仕し続けました。シャームだけが、このような奉仕から得られる喜びを知っていました。
ババが帰依者をしつけるやり方
ババは、しばしば癇癪(かんしゃく)を起こしました。しかし、それは外見だけのことでした。時には、10フィート(約3メートル)離れた誰かに向かって棒を投げつけることもありました。シャームはあるときババに尋ねました。「スワミ! あなたは怒りにまかせてあの男に棒を投げつけておられます。もし男に何かあって死んでしまったら、悪い評判が立つのではないですか?」 ババは鋭く答えました。「悪魔め! 黙っておれ。あの男の命は私の手の中にある。私の許しがあってのみ、あの男は死ぬ。おまえは自分のやることに集中しなさい。なぜ他人のことを気にするのか? あの男が正気に戻るのは、こんな私を見たときだけだ。私が甘やかせば、ああした輩(やから)は人を見下そうとするだろう」。このようにして、ババは脅しや厳しい言葉で人々をしつけていました。「私が怒りを示すのは、この目的を念頭に置いたときのみであり、他の目的のためにそうすることはない」。この秘密は、ババがシャームだけに明かしたもので、他の誰にも明かしてはいませんでした。ババの一生はまさに愛の物語であり、それ以外の何ものでもありません。
ババは、シャームをそばに置いて自分に仕えることを許して、何年も過ごしました。ある日、ババはプラダンを呼び、小さな棺(ひつぎ)をこしらえるよう頼みました。こうして、プラダンはババのサマーディ〔お墓〕の建設に携わる初めての人となりました。
1918年のことでした。生まれ故郷の村に住んでいたプラダンの妻は、ババが亡くなったように見える夢を見ました。その日、プラダンはシルディにいました。目が覚めると、プラダンの妻は夢の中でババが亡くなったと泣き出しました。その時、彼女は家の中でこう宣言する声を聞きました。「ババが死んだとは言うな。ババはサマーディの状態にあると言うのだ」。サマーディとは、平らな心という意味です。「生と死は同じである。喜びと悲しみ、利益も損失も同じだ。ゆえに、ババには死というものは存在しない」。 これが、その声の宣言でした。その声がどこから聞こえてきたのか知ろうとしていたとき、彼女は夫からババが亡くなったという知らせを受け取りました。それはヴィジャヤダシャミーの日のことでした。9月28日〔日の出を境に日付が変わるインドの暦では27日〕がババの生まれた日でした。そして、ヴィジャヤダシャミーの日に、ババは肉体を捨てました。ヴィジャヤダシャミーは、今年は9月29日ですが、ババのサマーディの年は別の日〔28日〕でした。
サイの降臨、その謎
時間と状況の移り変わりによって、ババの誕生と逝去の正確な日付を知る者は誰もいなくなりました。それに関連して、ババの誕生にまつわる謎に注目すべきです。ある帰依者が(サンスクリット語の)詩を書き、その中に、「パトゥリに生まれ、ドワーラカーマーイ〔ドワーラカ―にあったババのモスク〕に住み、帰依者の守護者であったお方に敬礼を捧ぐ」とありました。
ガンガーバディヤとデーヴァギリアンマがパトゥリ村に住んでいたとき、二人はイーシュワラとパールヴァティーを礼拝していました。二人には長い間、子供がいませんでした。二人は強く祈りました。ガンガーバディヤは生活のために村の近くで舟を漕いでいました。ある夜、大雨が降っていたとき、ガンガーバディヤは舟の手入れをするために家を出て、妻に今夜は戻らないだろうと言いました。夫が出かけた後、デーヴァギリアンマは早めに夕食をとって床に就きました。午後9時、ドアをノックする音がしました。デーヴァギリアンマは夫が帰ってきたのだろうと思い、ドアを開けました。すると、ずいぶんと年老いたおじいさんが家に入ってきました。老人は請いました。「外はとても寒いのです。お母さん、中にいさせてください」。敬虔な貞女であったデーヴァギリアンマは、老人が家のベランダに泊まることを許し、内扉に閂(かんぬき)をかけて家の中に入りました。
しばらくすると、内扉をノックする音がしました。デーヴァギリアンマは扉を開けました。老人は言いました。「お腹が空いているのです。何か食べ物をください」 食べ物はなかったので、彼女は小麦粉にカード(凝乳)を混ぜて老人に渡しました。しばらくすると、またノックがありました。ドアを開けると、老人が言いました。「足が痛むのです。お母さん、足をマッサージしてくれませんか?」 デーヴァギリアンマは家の中に入り、祈りの部屋に座って祈りました。「ああ、お母様〔母なる女神〕! どうしてこんなふうに私を試すのですか? 私はどうしたらいいのですか? 私は彼に仕えるべきなのですか、それとも拒むべきなのですか?」
デーヴァギリアンマは裏口から家の外に出て、奉仕をしてくれそうな人を探しに行きました。しかし、誰も都合がつきませんでした。再び老人がノックしました。それと同時に、一人の女性が裏口をノックしました。その女性は言いました。「あなたは私の家に来て女性の助けを求められたようですが、私はちょうど留守をしておりました。私はどのような奉仕をすればよいでしょう?」 デーヴァギリアンマは、パールヴァティー女神が自分の祈りに応えてその女性を遣わしてくれたことを嬉しく思い、老人に奉仕してもらうためにその初対面の女性をベランダに行かせ、扉を閉めました。
その老人と女性は、神の夫妻、パラメーシュワラとパールヴァティーにほかなりませんでした。パラメーシュワラはパールヴァティーに「この女性の大切な望みを叶えてやりなさい」と言いました。パールヴァティーはイーシュワラに「あなたは至高者です。どうかあなたが恩寵を与えてください」と言いました。イーシュワラは言いました。「私は彼女を試すために来た。君は彼女の祈りに応えて来た。だから、君が彼女を祝福しなければいけない」。再びドアがノックされました。この時には〔自分一人ではなく〕もう一人女性がいたので、デーヴァギリアンマはすぐにドアを開けました。すると、目の前にパールヴァティーとパラメーシュワラの神々しい姿がありました。喜びを抑えきれず、デーヴァギリアンマは二神の御足にひれ伏しました。すると、パールヴァティーが、「私はそなたに、家系を維持するための息子と、カンニャーカーダナ(嫁いでくる娘)を授けましょう」と、デーヴァギリアンマを祝福しました。次に、デーヴァギリアンマはイーシュワラの御足にひれ伏しました。イーシュワラは言いました。「私はそなたの信愛を大いに喜んでいる。私はそなたの3番目の子として生まれてこよう」。デーヴァギリアンマが体を起こした時、神の夫妻はもういませんでした。この体験で法悦に浸ったデーヴァギリアンマは、朝になって夫が戻ってきたら一部始終を話して聞かせようと胸を躍らせて待っていました。
朝、夫が戻ってきました。夫の到着を心待ちにしていたデーヴァギリアンマは、作夜の出来事をすべて話して聞かせました。夫は言いました。「デーヴァギリ! そのおかしな話は何だ! それは全部夢だ。パールヴァティーとパラメーシュワラがおまえの前に現れてダルシャンを授けるなんて! まったくの空想だ!」 ガンガーバディヤは、その出来事はすべて信じがたい空想だと断じたのです。
しかし、数年が経つと、デーヴァギリアンマは妊娠し、息子が生まれました。その一年後には、娘が生まれました。ガンガーバディヤは、二人の子供の誕生はパールヴァティーとパラメーシュワラの祝福の結果だと確信しました。彼は妻に言いました。「(神の夫婦に福福されるとは)おまえは幸運だった。私にはそのような幸運はなかった」。デーヴァギリアンマが再び妊娠すると、ガンガーバディヤは、温かい家庭も家も捨てて神の夫妻を探しに行きたい、という衝動に駆られるようになりました。彼は妻に、苦行をしに森へ行くと告げました。献身的な妻であったデーヴァギリアンマは、妊娠9ヶ月目でしたが、夫について行くことにしました。しばらく歩くと、陣痛が始まりました。彼女は男の子を出産しました。デーヴァギリアンマは赤ん坊を布にくるんで道端に残し、夫の後について行きました。
このような状況だったので、その子の親が誰かは誰も知りませんでした。その子を見つけたファキール〔イスラムの行者〕が、家に連れて帰って面倒を見ました。ババの生い立ちは、シルディに着いた時からしか知られていません。
帰依者と弟子の違い
1917年のあるとき、ババは、アブドゥル・ババ、ナナ・チャンドルカル、ムハルサパティ、ダス・ガヌと他の者たちを呼び、一人ひとりに尋ねはじめました。「おまえは自分が誰だか知っているか?」彼らはそれぞれ、「私はあなたのシシヤ(弟子)です」と答えました。ババは言いました。「馬鹿な! そんな言葉はもう使うな。この世に私の弟子はいない。私には無数の帰依者がいる。おまえたちは弟子と帰依者の区別がついていない。誰でも帰依者にはなれる。しかし、弟子の場合はそうではない。弟子とは、グル(導師)の命令を黙って実行する者である。シシヤ(弟子)の印は、導師に完全に帰依していることである。導師以外この世には誰もいないと言う者だけが、弟子である。おまえたちは私の命令をどこまで尊重してきたか? どうしておまえたちに私の弟子だと主張する資格などあるか? 私の影のように私に従う者だけが、私の弟子だと主張できるのだ。帰依者とは、どこにいても主に祈りを捧げる者である。したがって、弟子と帰依者には大きな違いがある。弟子と導師は、一つの魂を持つ二つの肉体のようなものだ。弟子は、導師から分離しているという感覚を持ってはいけない。弟子は『私とあなたは一つである』と感じるべきだ。この世でそのような弟子は見つからない。帰依者は何百万人もいるが、弟子はいない」
ババと唯一の弟子シャーム
それを聞いて、シャームは深い苦痛に陥りました。彼は心の中でこう思いました。「あなたの御足のもとで奉仕すること以外、私には何の関心もありません」。するとババは別の部屋に行き、シャームを中に呼び入れました。「全世界で、私にとっておまえは唯一の弟子だ。他の者は皆、帰依者であるのみだ」。その瞬間、シャームはババの足元に倒れ、「あなただけが、あなただけが」(私の避難所です)と声を上げ、息を引き取りました。
82年を超える生涯で、ババが帰依者の前で涙を流したことは一度もありませんでした。シャームが亡くなった時、ババは3粒の涙を流しました。その場にいた帰依者たちは言いました。「スワミ! なぜそれほど悲しんでおられるのですか? すべてはあなたの手の中におありです」。ババはこう答えました。「愛しい諸君! 私はまったく悲しんでいない。彼の罪はすでにほとんどすべて拭い去られていた。私が流した3粒の涙によって、(シャームの)残りの罪は洗い流された」
ババの言動は、すべて帰依者のためだけのものでした。最期に向かいつつある時、アブドゥル・ババがババのもとにやって来ました。ババは彼に言いました。「私は再び現れて、お前にダルシャンを与える」 「それはいつですか?」とアブドゥルは尋ねました。ババは「8年後に」と言いました。「サイの最初の降臨はマハーラーシュトラだった。二度目の降臨はマドラスだ」と、ババは言いました。この姿(サティヤ・サイ)が降臨したとき、アーンドラ・プラデーシュはマドラス管区に属していたということに留意すべきです。
シルディ・サイの後のサティヤ・サイの降臨
次はどのような姿で降臨されるのですか、と聞かれて、シルディ・ババはアブドゥルだけに言いました。「私は真理を守るために、サティヤ〔真理、真実〕という名前でダルシャンを与えよう」。それが、現在の降臨です。
二人の肉体は違いますが、神性は一つです。最初の降臨は神性を明らかにするためのものでした。二度目の降臨は(人間の中の)神性を呼び起こすためです。次の降臨は神性を広めるためのものです。3人のサイとは、シルディ・サイ、サティヤ・サイ、プレーマ・サイです。
この一切を話しているのは、今日がシルディ・ババの誕生日に当たるからです。シルディ・ババは1918年にサマーディに至りました。肉体は束の間のものです。肉体という衣は、帰依者のためだけにまとうのです。神が姿をとってやって来ないかぎり、姿なきものへの信仰を育むことは誰にもできません。人の姿をとった神は、形なき絶対者を理解するための準備なのです。
神についての真実は誰にも理解できません。神は限りなく大きい。そして、神は原子よりも小さい。何が大宇宙で何が小宇宙なのかは、誰にも分かり得ません。この神秘ゆえに、ある帰依者はこう歌いました。
誰かあなたの謎を解き明かすことのできる者はいますか、おお、クリシュナ!
あなたは最も大きなものよりも大きい
あなたは原子よりも小さい
世界の無数の存在は、あなたの不可解な神秘を理解することができません
あなたの計り知れない広大無辺な姿を誰が知ることができましょう、おお、クリシュナ!
それだけではありません
大泥棒の中であなたは一番の大泥棒です
どうやって誰かにあなたを知ることができますか、おお、クリシュナ!
普通の泥棒は富や豊かさを奪います。しかし、この特別な神なる泥棒は人のハートを盗みます。それゆえ、神がチッタ・チョーラ(ハートを盗む泥棒)、あるいは、バダー・チッタ・チョーラ(ハートを盗む大泥棒)と表現されるとき、その呼び名は軽蔑的なものではなく、喜ばしいものなのです。
もしあなたが誰かを「この泥棒!」と呼んだら、相手は怒るでしょう。しかし、「チッタ チョーラ ヤショーダー ケー バール」(ハート泥棒、ヤショーダーの愛しい子)と歌えば、誰もが喜びます。チッタ・チョーラ〔ハート泥棒〕は、ハートを盗んだ相手に喜びを与えます。しかし、ヴィタ・チョーラ(あなたから富を奪う者)は悲惨をもたらします。俗世の泥棒はあなたの富を奪います。しかし、主はあなた方のハートを盗みます。
それゆえ、誰にとっても、主のやり方を理解することは容易ではありません。神のやり方を理解できないときは、沈黙を守り、少なくとも誤ったひどい解釈にふけるのは控えるのが最善です。それゆえ、神のやり方を理解するために、信愛と礼拝によって神を体験するよう努めなさい。
サイババ述
翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.23 Ch28