日付:2000年4月2日
場所:ブリンダーヴァン
トライー・ブリンダーヴァンでの御講話より
バジャンを歌うための指針
まず、私たちは自分の行いにおいて清らかでなければなりません。あなた方はスワミに手紙を書きますが、その手紙は芸術なのか本当の愛なのか、私にはわかりません。あなた方はとてもきれいに手紙に装飾を施します。「シュリー・サイ・マーター」と書くと、さらにその「マーター」という言葉にも装飾を施します。装飾のせいで、かえってごちゃごちゃしてしまいます。それと同じように、歌い手も、歌を歌うときには、(たとえば)「パールティ プリーシャ」と正しく発音しなければいけません。「パールティ」という言葉には多くの意味があります。彼らは「パールティ!」と言いますが、「パールティ」〔プリター(クンティ妃)の子を意味する「パールタ」の呼称〕はアルジュナを意味します。「プラシャーンティ ニラヤム」という言葉でさえ、発音は難しいものです。
それだけではありません。彼らはガナパティのバジャンを歌うとき、その歌の節に合わせるために言葉を乱してしまいます。男子たちは「ヴィグネーシュヴァラ ヘー ガナナータ」というバジャンを歌います。(スワミは音の曲線を示しながら間違いを指摘なさいました。) 彼らは「ヴィグナ」ではなく「ヴィーグナ」と言ってしまいます。「ヴィグナ」は「障害」という意味です。「ヴィグナ ヴィナーシャ」とは、「障害を取り除く者」という意味です。しかし「ヴィーグナ ヴィナーサ」と言ってしまうと、意味がなくなってしまいます。聞こえはいいかもしれませんが、正しくありません。しかし、正しく発音する人もいます。歌い手は、どこで音を伸ばすべきか、どこで止めるべきかを知っていなければなりません。「ヴィナーシャ」という言葉は、(ナーサではなく)「ナーシャ」と発音しなければいけません。これは「滅びること」を意味します。ある詩人が次のように書いています。
「チンタク プルプ、レードゥ
イェッラ・チーマク・トンダムカダ」
この行で言葉を区切る場所を間違えると、「タマリンドは酸っぱくない」「赤アリには象のような鼻がある」という意味になってしまいます! あなた方は、言葉を発する前にその言葉の意味を知っていなければなりません。あなた方はサンスクリット語を正しく学ばなければなりません。テルグ語を話す男子たちの中にも、言葉を間違って発音する者がいます。
歌は聞いて心地よいものです。その歌の節はどこで伸ばして、どこで短くしなければならないかを知っていなければなりません。なぜなら、歌の節はとても重要だからです。人々の中には「スワミはアートマニヴァースィ(アートマの内に住むお方)です」と書く人がいます。神自身がアートマであるのに、アートマニヴァースィであるとはどういうことでしょうか? それでは、アートマの中に誰か別の存在が住んでいるということになってしまいます。それは、卵の中にさらに体があるようなものです。アートマニヴァースィというのは適切な言葉ではありません。神自身がアートマであるのに、アートマの中に住むことができるというのでしょうか? アートマニヴァースィと言う場合、アートマは檻のようなものとなります。アートマは神の姿そのものであり、檻ではありません。他に神にふさわしい良い名前がたくさんあります。あなたがそれを知らなかったとしても、それはあなたの過ちではありません。
アーナンダの段階
ある人たちは神を「ブラフマーナンダム」〔ブラフマ アーナンダ/ブラフマンの至福にある存在〕と表現します。アーナンダにはさまざまな段階があります。ブラフマーナンダ〔ブラフマンの至福〕とはどういう意味でしょうか? この世であなた方が楽しむあらゆる喜びや安楽は「マヌシュヤーナンダ」〔マヌシュヤ アーナンダ/マヌの子孫すなわち人間の至福〕です。心の幸福を味わうとき、あなたはマヌシュヤーナンダを忘れます。それはマヌシュヤーナンダの何千倍も大きく、「ニッティヤーナンダ」〔ニッティヤ アーナンダ/永遠の至福〕と呼ばれます。その次が「ヨーガーナンダ」〔ヨーガ(合一)を通じた至福〕と呼ばれるものです。これはニッティヤーナンダの百倍です。ヴィジョン(神の御姿)を見たとき、あなたは至福の中で我(われ)を忘れます。これは「アティーターナンダ」〔アティータ アーナンダ/超越した至福〕と呼ばれ、ヨーガーナンダの千倍です。ブラフマーナンダはヨーガーナンダよりもさらに高位のものです。神の状態は、ブラフマーナンダの千倍です。ブラフマとは「広大で無限」という意味です。それは遍在で、終わりなきものです。
もしあなたが「昨日、私はブラフマーナンダを体験した」と言うなら、今日はどうでしょうか? あなたは今日も同じブラフマーナンダを体験していなければなりません! それは減るものではないのです。もしあなたが昨日それを味わったというのなら、今日はどうですか? もし体験が日ごとに変わるなら、それはブラフマーナンダではありません。
大きな木を想像してごらんなさい。大木には多くの枝や葉や実が付いています。それらはどこから来たのでしょうか? そのすべては小さな種から出てきました。あなたが種の中を見ても、それらは見えません。
清らかであれ、そうすれば他のすべては付いてくる
それと同じように、ヴェーダは、神は原子よりも小さく、宇宙よりも大きいと述べています。原子と宇宙のどちらにも一つの原理があります。それは唯一の物質的原理です。それはすべてのものに浸透しています。ヴェーダーンタを理解すれば、すべては一つになります。「エーカム エーヴァ アドヴィティーヤム ブラフマ」〔ブラフマンはただ一つ、第二のものは存在しない〕。ブラフマンは一つであり、二つは存在しません。これがブラフマンの原理です。この原理はすべての人の中に存在しています。あなたはそれを理解するために努力をしなければなりません。努力が足りないために、多くのことが誤解されています。ほんの小さな誤解でも、毒々しい結果へとつながります。
あなた方はティンマイヤ将軍のことを知っているでしょう。彼はカリアッパ〔インド独立後初のインド人陸軍総司令官〕の後任としてここに来ました。カリアッパは、ラクナウ〔ウッタル・プラデーシュ州の州都〕で、スワミの前でティンマイヤに職務を引き継ぎました。当時の州知事はブルグラ・ラーマクリシュナ・ラオでした。ティンマイヤは引き継ぎが終わるとすぐに家に帰りました。時間の空白はありませんでした。スワミはティンマイヤに軍事のことについて話し、規律が最も重要であると告げました。彼の家で大宴会が開かれ、魚料理が出されました。彼は魚の肉団子を食べ、次の瞬間に亡くなりました。医師たちは、死因は食中毒と診断しました〔史料では心臓発作で亡くなったとされる〕。そいったわけで、スワミは肉食、飲酒、喫煙は良くないと言っているのです。
ほかの生命に苦しみを与えてはなりません。また、あなたに苦しみを与える人を苦しめて仕返しするのもいけません。そうする代わりに、お返しにその人に何か善いことをして、相手の内面に変化を引き起こすべきです。不注意な態度によって多くの命が失われてきました。だからこそ、ナポレオンは「清らかであれ」と言ったのです。
あなた方はあらゆることにおいて清らかでなければなりません。清らかでなければ、善いことに従うことはできません。「清浄は神聖なり」と言われています。あなたの内に神聖さがあれば、どんな毒もあなたに影響を及ぼすことはできません。逆に、毒は甘露に変えられてしまうでしょう。
あなた方はミーラーの信愛を知っているでしょう。彼女は何か食べ物が出されると、まず神に捧げてから口にしました。あるとき、夫は悪意をもって彼女に毒入りの飲み物を与えました。ミーラーはそれをクリシュナに捧げ、それから飲み干しました。クリシュナはその毒で全身が青くなりました。実は、クリシュナは青い肌ではありませんでした。もし生まれつき青い肌だったら、見世物にされていたでしょう。クリシュナは色黒でした。バララーマはいつもクリシュナをからかっていました。「ナンダとヤショーダーは色白なのに、どうしておまえは色黒なんだ? おまえは実の息子じゃない。よその子だ」。クリシュナは泣きながら母のもとへ行き、「兄さんが僕を、母さんの子じゃないと言っていじめるんだ」と言いました。ヤショーダーは、クリシュナが自分の子ではないことを知っていました。クリシュナはデーヴァキーの息子でした。ヤショーダーは真実を知っていましたが、それを表に出しませんでした。
ミーラーは毒の杯をまずクリシュナに捧げてから飲みました。それと同じように、プラフラーダも父親から毒を盛られましたが、何も起こりませんでした。プラフラーダはいつも「オーム ナモー ナーラーヤナーヤ」といって主の御名を唱えていたからです。もしあなたのハートに神への思いがあれば、どんな毒もあなたに害を及ぼすことはできません。
善き交わりの大切さ
親愛なる学生たちよ! 神への愛は非常に重要です。悪い思いが入り込む余地があってはなりません。悪い性質が悪い思考の原因です。悪いものを読むこと、悪ものを見ること、そして、悪い習慣が、悪い思考を生み出します。これらについて、いつも清らかでありなさい。悪い本を読んではなりません。悪い付き合いをしてはいけません。
あなたが瞑想していて、隣に座っている人が悪い人だったとします。すると、あなたは悪い波動を受け取ってしまいます。千人の男子がその人に触れたとしても、皆、悪い波動を受け取ってしまいます。周囲に悪い人がいたら、少し距離を置きなさい。瞑想には、木の板に鹿の皮を敷いて、その上に清潔な薄い布をかけて座る必要があります。これが瞑想で座るべき方法です。瞑想中に誰かがあなたに触れると、その人に電流が流れていきます。私たちは他人に触れるべきではありません。相手がどんな感情を持っているかわからず、それがあなたの中に入り込んでくることがあるからです。
あなたは「サット サンガ」〔善き交わり〕を持たなければなりません。それは何でしょう? 多くの人は、それは神を瞑想することやバジャンを歌うことだと思っています。しかし、それは「サット」ではありません。サットとは、覚醒であり、永遠のものです。あなたは永遠なるものと関係を持たなければなりません。「サット サンガ」とは、神との友情を育むことです。一緒に集まってバジャンを歌う人たちもいますが、それは「サット サンガ」とは言えません。それは「サット サマージ」〔善い集会〕と呼ぶことができるでしょう。「サット サンガ」とは神との合一です。あなた方は「サッチダーナンダ」〔サット・チット・アーナンダ〕という概念を知っているでしょう。サットは覚醒、チットは存在です。サットとチットの両方とあるとき、至福(アーナンダ)が得られます。覚醒の中にいることがアーナンダなのです。
BABA(ババ)とは、BA(学士号)を二つ持っているという意味ではありません。BABAは、B(Being存在)、A(Awareness覚醒)、B(Bliss至福)、A(Anandaアーナンダ)を表しています。ババはサッチダーナンダの体現者です。すべてのものには意味があります。サットサンガとは、単に良い仲間に入ることではありません。サットは永遠です。それによってチットが得られます。チットとは覚醒であり、完全な理解です。サットとチットがあなたの中にあるとき、あなたはアーナンダを得ます。一つひとつの名前には、多くの意味があるのです。
バジャンは正しく歌いなさい
学生諸君は深い信愛と正しい節で歌わなければなりません。なぜスワミはこれらのことをあなた方に説明しているのでしょう? それは、他の人たちは皆、プラシャーンティ・ニラヤムで学生たちが歌うやり方を真似するからです。学生たちが正しく歌えば、他の人たちもきちんとそれに倣うようになります。あなた方は他の人たちの手本とならなければなりません。スワミがこうしたことを話しているのは、あなた方が正しい理解を得ることができるようにするためです。
正しいカーブ〔音程や節、歌い回し〕、正しいライン〔言葉の区切りや歌詞〕、正しい意味〔言葉の理解〕を身につけて歌いなさい。朝、スワミは何人かの外国人にインタビュー〔謁見〕を与えました。スワミが「あなた方はどんなバジャンを歌いますか?」と尋ねると、ある女性が「私たちはスワミのバジャンを歌っています」と答えました。スワミが「他には何を知っていますか」と尋ねると、彼女は「スップラバータムも歌っています」と言いました。しかし、彼女はスップラバータムが何であるかを知りませんでした。彼女は(スップラバータムのことを)「スーパー ブータム」(スーパーな悪魔)と言ったのです! 彼らはこの単語のことをよく知らないのです。けれども、彼らは間違っているわけではありません。彼らが言っているのはスップラバータム〔「善き目覚め」という意味の朝の讃歌〕のことで、単語が違っているだけです。このような間違いが起こるのは、彼らがサンスクリット語を知らないからです。あなた方が正しく歌えば、彼らも正しく繰り返すことができるでしょう。もし何か理解していないことがあれば、スワミに尋ねなさい。スワミが説明しましょう。スワミはあなた方に何でも説明する準備ができています。その一方で、あなた方自身は受け取る準備をしていなければなりません。
サイババ述
翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:“My Dear Students Vol.1” Discourse 3 後半