サティヤ サイババの御言葉

日付:2001年5月6日
場所:ブリンダーヴァン
イーシュワランマの日のババの御講話より

母の祈りが世界を支えている

白檀(びゃくだん)の木は、挽(ひ)けば挽くほど、白檀のペーストができてくる
サトウキビは、潰(つぶ)せば潰すほど、甘い汁が出てくる
金は、熱を加えれば加えるほど純度が高くなり、輝きが増す
それと同じように、高潔な人の中にある善い資質は、
人生の波乱をくぐり抜けていくうちに、ますます開花していく

(サンスクリット語の詩)

愛の化身たちよ! 高潔な人生を歩む人にとって、人生の困難は何の障害にもなりません。そのような人は、困難な状況にあっても常に平穏で、常に神を黙想しています。

バーラタ〔インドの正式名/神を愛するもの〕では、母と子の関係は古代より非常に神聖で甘美なものと考えられてきました。

ラーマの神性は、カウサリヤーの愛情深い世話の下で開花した
シーターの優しい気持ちと厳格さのおかげで、ラヴァとクシャは名声を手に入れた
母プタリーバーイーに愛情深く育てられて、ガンディーはマハートマ〔偉人〕となった
ジージャバーイーの愛のこもった世話が、シヴァージーを偉大な戦士にした

(テルグ語の詩)

ニームの種を蒔いても、甘いマンゴーは期待できません。マンゴーが欲しければ、マンゴーの種を蒔かなければなりません。大地は一つですが、種はさまざまです。自分が収穫したいものを蒔かなければなりません。母親の胎内は大地のようなものです。親の思考しだいで子供は善くも悪くもなります。

ジャントゥーナーム ナラ ジャンマ ドゥルラバム
(すべての生き物の中で、人間として生まれることは最もまれなことである)

人間として生まれることは大きな幸運です。人間として生まれる恩恵を受けた以上、高潔な思考を身につけ、内なる至福を経験すべきです。そうして初めて、本当に幸運な人だと言えるのです。

母と子の関係の神聖さ

マハートマ・ガンディーの母親であるプタリーバーイーは、カッコウの鳴き声を聞いてからでないと食べ物を口にしないという誓いを立てていました。ある日、たまたまカッコウの鳴き声が聞こえないことがありました。当時まだ少年だったガンディーは、母親が長い間、食を断っているのを見ていられませんでした。母への愛と心配から、ガンディーは家の裏に行き、カッコウの鳴き声をまねしました。それから家の中に入り、カッコウの鳴き声が聞こえたからご飯を食べていい、と母親に言いました。この行いの意図は間違いなく善いものでした。しかし、プタリーバーイーは息子が嘘をついていることが分かっていたので、とても悲しくなりました。プタリーバーイーは、目に涙を浮かべて嘆きました。「嘘をつく息子を生んでしまったとは、私は何の罪を犯したのでしょう!」。そう言うと、プタリーバーイーは嘘をついた息子を叱りつけました。ガンディーは、今後、絶対に嘘はつかないと誓いました。母の言いつけに従って、ガンディーは最期まで真実を固守し、高い評価を得ました。

プタリーバーイーにはランバーという女中がいました。「ヤタ ラージャ、タタ プラジャー」(王のとおりに国民はなる)と言われるように、ランバーもプタリーバーイーと同じく純粋な心の持ち主でした。ある日、ガンディーがランバーのもとに駆けてきて、怖いよと言いました。ランバーはガンディーに、恐怖に襲われたときにはラーマ神の御名を唱えるようにと言いました。それ以来、ガンディーは最期の時まで主ラーマの御名を唱えました。このように、母親や家族が神聖な道を歩んでいれば、子供は必ずそのまねをして、人生で高い地位を得ることができるのです。

シャンカラーチャーリヤ(シャンカラ アーチャーリヤ)の母親であったアリヤンバーは、すべての時間をイーシュワラへの礼拝に費やしていました。毎日、シヴァリンガにアビシェーカ〔灌頂(かんじょう)〕を行って、その聖水を飲み、息子にもそれを与えました。彼女は常にシヴァ神の御名を唱えていました。シャンカラーチャーリヤは世界的な導師となり、このような高潔な母のもとに生まれたことで、大きな名声を得ました。

ラングーン解放戦争の後、やっとの思いでチェンナイにたどり着いた一組の母子がいました。雨露をしのぐ場所も、食べるものもありませんでした。母は自分のことよりも息子のことを心配しました。それが母の愛です。母の愛は言葉では言い尽くせません。バスの停留所が親子の家になりました。母親は毎日、家々を回って物乞いをし、そのほとんどを息子に与え、自分は残ったわずかな量を食べていました。十分な量が得られなかったときには息子に全部あげて、自分は食べずに済ませました。その結果、母親の健康状態は次第に悪化していきました。ある日、息子が言いました。「お母さん、お母さんが僕の面倒をずっと見てくれていたけど、今度は僕がお母さんの面倒を見る番だよ。今日からお母さんは休んでいて。僕が二人分の食べ物を持ってくるから」。息子は毎日、物乞いに行き、そのほとんどを母親に渡し、自分はその残りを食べていました。その結果、息子も大変衰弱してしまいました。

ある日、息子は、ある役人の家の前に立ち、「ああ、先生、僕はお腹が空いています、僕はお腹が空いています」と呼びかけました。役人は、安楽椅子でくつろぎながら新聞に目を通していましたが、少年の悲痛な呼びかけを聞いて家に入り、葉っぱの皿に食べ物をよそって持ってきて、座って食べるようにと言いました。しかし、少年は、「家に持って帰ります」と言いました。役人は、「どうして家に持って帰らなければならないのだね? 本当にお腹が空いているのなら、ここに座って食べなさい」と言いました。役人がここで食べるようにと言っているうちに、少年はめまいがして地面に倒れてしまいました。少年は何かを言おうとしていましたが、大変衰弱していたので、よく声が出せませんでした。役人は少年に近づき、何を言っているのか聞き取ろうとしました。少年は、「先にお母さんに、お母さんに・・・」と言っていました。その言葉と共に、少年は息を引き取りました。それを見た役人は、胸を打たれて涙を流しました。役人は、母親のために命を犠牲にしたとは、なんと幸運な少年なのだろうと思いました。これほど立派な息子を生んだ母親は恵まれています。

母と子の間にある愛を言葉で言い表すことはできません。バーラタ人は、母の愛は真の愛であると考えています。しかし、残念なことに、現代の若者は母の愛の神聖さをわかっていません。彼らは親よりも自分のことを優先しています。彼らは親が自分に対して抱いている愛を理解しようとしません。親に幸せを与える子だけが、真の息子、娘です。

高潔な母には高潔な願いがある

イーシュワルチャンドラ ヴィッディヤーサーガルは、コルカタ(カルカッタ)近郊の村で母親と暮らしていました。彼は、経済的には貧しくとも、徳という富に恵まれていました。母は息子によくこう言いました。「かわいい子よ、ただお腹を満たすための教養は教養ではありません。おまえは社会に貢献するために勉強すべきです。祖国の解放のために教養を役立てなさい」。貧しかったので、ヴィッディヤーサーガルは、街灯の下やバスの停留所で勉強をしました。実質ともに母の言葉を忠実に守り、心血を注いで勉強しました。母の祝福は、どんな子でも偉大にすることができます。子供が善くても悪くても、母親は常にわが子を愛し、わが子の幸せを願っています。母の心はわが子への愛と思いやりに満ちています。

教育を修めた後、ヴィッディヤーサーガルは就職しました。あるとき、村で宗教のお祭りがありました。村のお金持ちたちは正装をして祭りに参加していました。しかし、ヴィッディヤーサーガルの母親は、お祭りの日にも着古したサリーを着るしかありませんでした。上等なサリーは持っていなかったからです。それを見て、ヴィッディヤーサーガルはとても悲しくなりました。初めての給料をもらった時、彼はそれを母親の足元に置いて、これで上等なサリーを買ってくださいと懇願しました。母親は言いました。「息子よ、私はおまえの稼ぎを私のサリーや宝石に使ってほしくありません。社会に貢献するために使いなさい。私の望みは、おまえが出世して良い評判を得ることだけです」。そして、こう付け加えました。「私にはいくつかの願いがありますが、それは、ふさわしい時期になったら言いますよ」

ヴィッディヤーサーガルは、段々と高い地位を得て、それに伴って給料も増えていきました。そこで、母親に望みを教えてほしいと頼みました。母親はヴィッディヤーサーガルを自分の脇に座らせて言いました。「私のかわいい子、おまえは教養が高く、地位も高くなりました。けれど、母親として、私はおまえにとって何が善いことかを伝えなければなりません。私がおまえに言うことはすべて、母の愛から出たものです。私は自分のためには何も欲しくはありません。私たちの村は小さな村です。村に学校がないので、子供たちは教育を受ける機会がありません。だから、おまえに小さな学校を建ててほしいのです」。母の願いに応じて、ヴィッディヤーサーガルは村に小さな学校を作りました。しばらくして、彼は母に言いました。「お母さんの願いどおり、私は村に学校を建てました。他に何か欲しいものはありますか?」。母は言いました。「息子よ、私たちの村には医療施設がなくて、人々が苦しんでいます。咳や風邪や熱のような小さな病気でさえ、治療してくれる人がいません。だから、おまえがここに小さな病院を作ってくれたら、みんなにとって、特に子供たちにとって、便利になるでしょう」。母の言うことに応じて、ヴィッディヤーサーガルはすぐに小さな病院を建てました。

選ばれし母、イーシュワランマ

母イーシュワランマも、そうした高潔な願いを持っていました。サイの栄光が広く伝わりはじめたある日、彼女は私のところに来て言いました。「スワミ、私は小さな子供たちが学校に通うのに、はるばるブッカパトナムまで歩いていくのを見ると、心が痛みます。どうか小さな学校を建ててください」。彼女の願いに応じて、私は小さな学校を設立しました。しばらくすると、彼女はここに小さな病院も作ってほしがりました。彼女は、母親たちが治療のために自分の子供をわざわざブッカパトナムまで連れていくのを見るのは耐えられないと言いました。そこで、私は小さな病院を建てました。私が設立した小さな学校は、今では大きな大学になっています。私が建てた小さな病院は、高度専門病院になっています。こうした大きな仕事は、母イーシュワランマのサティヤ サンカルパ(高潔な願い)とサイのニッティヤ サンカルパ(神の意志)の結果として達成することができました。イーシュワランマの最後の願いは、村に飲み水を提供することでした。彼女は、女性たちがほとんど干上がりそうな深い井戸から苦労して水を汲んでいることを指摘しました。私はすぐに村に飲み水を提供しました。今では、シュリ サティヤ サイ恵みの水プロジェクトの下で、私はアナンタプル県全体に飲み水を提供しています。

あなたがひとたび母の愛の受け手となったなら、それ以外、何も必要なくなります。皆さんも気づいているかもしれませんが、母イーシュワランマは、亡くなってから30年経った今でも、数々の方法でスワミへの愛を表現し続けています。今日に至るまで、彼女は肉体を持った姿で動き回っています。時折、私のところに来て、私の安寧のために母として気にかかることを口にします。あるとき、彼女は私に、みんなからハンカチをもらわないようにと注意しました。私は彼女に、人々が信愛からハンカチを差し出してくれたときには受け取らなければならないと言いました。イーシュワランマは言いました。「スワミ、間違いなくそのような高潔な人は何千人もいるでしょう。でも、中にはハンカチに毒を塗ってあなたに差し出すような悪意のある人もいるのです。ハンカチで口元をぬぐうのは危険です」。私は彼女の助言に従うと約束しました。今でも彼女は私の部屋に姿を現します。私の部屋で寝ている青年たち〔夜番のセヴァ役〕も、それを目撃しています。彼女が来て私に話しかけると、彼らはベッドの上で上体を起こして聞いています。

ある日、私は青年たちに、絹のドーティーを私の腰にしっかりと巻きつけるためのベルトを求めました。彼らが私に差し出したベルトは、バックルが光っていて、私が着ているローブから透けて見えました。私は、サイ ババは金のベルトをしていると思われるといけないので、そのベルトを使いたくありませんでした。その後のある日、イーシュワランマが朝早くに私の部屋に来て、私に話しはじめました。すると、サティヤジットとサイナートとシュリーリニヴァース〔夜番の青年たち〕が起きてきて、私が誰と会話しているのか知りたがりました。彼らは、エレベーターには鍵をかけてあり、鍵は自分たちが持っているのに、誰がどうやって私の部屋に入ることができるのかと不思議に思いました。そこで私は、グリハム アンマーイ〔家の娘〕(母イーシュワランマ)が来ていたのだと言いました。私は彼女からもらったベルトを彼らに見せました。そのベルトにはバックルは付いていませんでした。この世には、このような高潔な母親が大勢います。しかし、イーシュワランマは選ばれた人でした。私は彼女を自分の母に選んだのです。それが母イーシュワランマと私の親密な関係です。

チャイタニヤ マハープラブの真の信愛

あるとき、チャイタニヤ マハープラブは寺院に行ってこう祈りました。「ああ、主よ、私はあなたが世界の支配者であることを知っています。あなたは遍在で、全能で、全知であられます。あなたは私が願うどんな望みも叶えることがおできになります。でも、私には世俗的な願望はありません。私はお金も宝石も、物質的なものは欲しいと思いません。信愛にも放棄にも興味はなく、解脱を切望することもありません。しかし、私には一つ願望があります。私にあなたを愛する強さをお与えください。あなたを愛することができればそれで十分です。これに勝るものはありません」。チャイタニヤ マハープラブは神を心から愛していたので、全世界に愛のメッセージを伝えました。「ひたすら神のことを考えなさい。神の御名を唱えなさい。この世には神の他には何も存在しないのです」。これが、チャイタニヤが伝えたメッセージでした。

チャイタニヤの母は、息子がラクシュミーという娘と結婚することを望んでいました。彼女は良家の出で、きわめて信仰のあつい娘でした。けれども、チャイタニヤは結婚には関心がありませんでした。彼は、自分は一生を神に捧げていると言いました。チャイタニヤの母親は、「おまえは、自分の心は捧げているかもしれないけれど、体のほうはどうなのですか? 人生は霊的な面と身体的な面の両方を備えているべきです」と言いました。母親のその主張に従って、チャイタニヤはラクシュミーと結婚しました。結婚後、すぐにチャイタニヤは巡礼に出ました。チャイタニヤは神の教えを広めることを望んでいました。彼は長い年月、巡礼から戻ってきませんでした。妻のラクシュミーは信心深い女性で、無私の愛に満ちた純粋な心をもっていました。彼女は絶えずチャイタニヤを想いつつ息を引き取りました。チャイタニヤが家に戻ったのはラクシュミーが死んだ後でした。チャイタニヤの母は事の成り行きにひどく落胆しました。母は、ラクシュミーのように信心深く、清い心を持っている娘をもう一人もらうのは無理だと思いました。その後、母はチャイタニヤをヴィシュヌプリヤーという別の娘と結婚させました。再婚の後、チャイタニヤは再び神の教えを広めるために旅立ち、その間、家のことはすっかり忘れていました。チャイタニヤは神を唯一の避け所と見なしていました。チャイタニヤの心には、それ以外何の思いもなかったのです。

あるとき、チャイタニヤが通りでクリシュナ神の栄光を歌っていると、チャイタニヤの評判が高まっているのを妬んだ何人かの悪党が、チャイタニヤの手からターラムをひったくりました。それからは、チャイタニヤは神の御名を歌いながら太鼓をたたくようになりました。ところが、その太鼓さえも悪党たちに壊されてしまいました。けれどもチャイタニヤは少しもうろたえませんでした。チャイタニヤは、神の御名を歌うのに楽器を使う必要はないのだと思い、今度は手をたたきながらバジャンを歌いはじめました。そうなると、悪党たちは無情にもチャイタニヤを袋だたきにしました。チャイタニヤの体からどくどくと血が流れ出しました。それでも、チャイタニヤは神の御名を歌い続けました。ところが、チャイタニヤの母親がやって来てその姿を見た時には、体には一滴の血も付いていませんでした。血痕(けっこん)はすべて奇跡的に消えてなくなっていたのです。それは、チャイタニヤが自分の体は神のものであると固く信じ、体に一切執着を持っていなかったからでした。

悪人は神さえも惜しまない

母親のハートが清らかであれば、その子供も清らかなハートを持つようになります。自分の母親を尊敬し、決して母の気持ちを傷つけてはいけません。スワミが旧マンディルに滞在していた時、異常なほどの人出があった日がありました。危険を感じたイーシュワランマが私のところに来て言いました。「スワミ、あの人たちには何か下心があるようです。あなたに危害を加えようとしているのではないかと、心配です。私は安心して眠ることができません」。私はイーシュワランマを勇気づけて言いました。「恐れずにいなさい。体はいつの日か滅びるものです。だから、体への執着を捨てなさい」。当時、私は葉葺き小屋に一人で寝ていました。その夜、イーシュワランマの心配どおり、悪意ある者たちが小屋の四方に火をつけました。周囲は猛烈な火の海となりました。それを見て、スッバンマとイーシュワランマが走ってきました。現場に着くと、驚いたことに、小屋の上に激しく雨が降っていました。しかし、周囲には全く雨は降っていませんでした。私が小屋から出てくると、二人は私が無事であることがわかって大喜びしました。

マハーバーラタにも似たような出来事があります。主クリシュナは、戦争を回避するためにパーンダヴァ兄弟の使者となり、カウラヴァ兄弟に妥協案を持ちかけに行きました。カウラヴァ兄弟のもとに行く前に、クリシュナはパーンダヴァ兄弟に一人ずつ声をかけ、意見を求めました。ダルマラージャは、クリシュナのような高潔な人物が、特使の役割を担って邪悪な心を持つカウラヴァ兄弟に近づくべきではないという考えでした。アルジュナとビーマは、ラジョー グナ(激性)で満ちていたので、クリシュナがカウラヴァ兄弟のもとに行くことに賛成しましたが、邪悪なカウラヴァ兄弟を罰することができるよう、クリシュナに戦争に甘んじてほしがりました。それから、クリシュナはドラウパディーに意見を求めました。女性は本来、心優しいものです。ドラウパディーは戦争を望みませんでした。戦争は双方に計り知れない悲しみをもたらすからです。さらにクリシュナはナクラとサハデーヴァのところへ行きましたが、二人は何も言いませんでした。

クリシュナはハスティナープラの都に行き、盲目の王ドリタラーシュトラに話をし、妥協案を成立させようと最善を尽くしましたが、すべては無駄に終わりました。クリシュナが戻ってくると、ナクラとサハデーヴァはクリシュナに抱きつき、喜びの涙を流しました。二人はこう言いました。「クリシュナ、あなたがカウラヴァ兄弟の悪の巣窟から無事に帰ってきてくれただけで十分です。和平交渉に出かける前、あなたは私たちに何を望むかとお尋ねになりましたが、私たちが望んでいたのはあなたが無事に戻ってくることでした。あなたの幸福は私たちの幸福です。あなたは私たちのすべてです」

女性は慈愛の権化

ドラウパディーはクリシュナに言いました。「ああ、兄上、私もあなたが邪悪なカウラヴァ兄弟のところに行くべきではないと思っていました。人は、女は心が弱いと言うかもしれません。しかし、実際には、女は大変勇気があり、犠牲を払うときには、われ先にと立ち上がるのです」

マハーバーラタの戦争中のある夜、ドローナーチャーリヤ(ドローナ アーチャーリヤ)の息子、アシュワッターマが、寝込みを襲ってパーンダヴァ兄弟の子供たちを虐殺しました。アルジュナは、アシュワッターマの首をはねることを誓いました。アルジュナは、復讐(ふくしゅう)の行為としてドラウパディーにアシュワッターマの血を注いでやる、と言いました。アルジュナはアシュワッターマを探し出し、縄で縛ってドラウパディーの前に引きずり出しました。わが子を容赦なく殺した者を、母親が許すでしょうか? しかし、ドラウパディーはどうしたでしょう? 彼女はその悪漢を呪うどころか、アシュワッターマの足元に倒れ込んで言いました。

私の夫たちが知っていることはすべて、
あなたの父上、ドローナーチャーリヤの足元で学んだことです
ドローナーチャーリヤの息子であるあなたが、
私の子供たちを殺すことは適切だったのでしょうか?
武器も持たず、年若く、静かに眠っていて、あなたに何の恨みも持っておらず、
あなたに危害を加えようとも考えていなかった子供たちを殺そうという殺意を、
どうやってあなたは持つことができたのですか?

(テルグ語の詩)

怒りに燃えたアルジュナが、アシュワッターマに襲いかかろうとしました。ドラウパディーは片手を上げて、殺さないでと頼みました。彼女は言いました。

ああ、パールタ〔大地の子アルジュナ〕よ!
恐れている人、勇気を失っている人、眠っている人、酔っている人、
逃げようとしている人、女の人を殺すのは正しいことではありません
アシュワッターマを殺してはいけません
彼はあなたの導師の息子なのですから

(テルグ語の詩)

ドラウパディーは言いました。「アルジュナ、今日、私はわが子の死を泣いています。もしあなたがアシュワッターマを殺したら、彼の母親がどんな状態になるか想像してみてください! 母親を悲しませてはいけません。だから、彼を殺すのはこらえてください」。しかし、誓いを立てたアルジュナは、殺すことに固執しました。ドラウパディーはアシュワッターマの前に立ち、アルジュナがアシュワッターマに向かってくるのを止めました。それを見かねたビーマが、怒りを爆発させて叫びました。「解放せずに殺せ。おまえがそうしないなら、俺がそいつの頭をこの強力な拳(こぶし)で叩き割る」。ドラウパディーは許すようにと訴えました。

許しは最高の美徳
許しは真理であり、正義であり、非暴力
許しは天国であり、すべての世界のすべてである

(テルグ語の詩)

パーンダヴァ兄弟は徳高く勇敢でしたが、ドラウパディーが持っていた慈悲の精神は彼らには見られませんでした。女性のハートは甘美な愛と思いやりに満ちているので、非常に神聖です。だから、容易に和らぐのです。時には女性も怒ることはありますが、すぐに後悔して和解します。カリの時代の影響で、現代の女性には愛の精神が欠けていることがあります。ですが、現代でも美徳と人格を備えた女性はたくさんいます。そのような高潔な女性たちのおかげで、今のバーラタがあるのです。国の発展は女性にかかっています。ですから、決して女性を見下してはいけません。年配の女性は皆、母として扱い、若い女性は姉妹として扱いなさい。男たちがそうした高潔な気持ちを持ってこそ、国は安全で安泰になるのです。この真実を理解し、それに基づいて行動するとき、あなたは神性さえも手に入れることができます。母親は普通の女性ではありません。まさしく母は神です。母を崇拝し、母の恩寵を得なさい。ひとたびあなたがあなたの母の祝福を受けたなら、あなたはこの世のどんなことでも達成できるでしょう。決してお母さんに反抗したり、お母さんに嫌な思いをさせたりしてはいけません。

アビマンニュは、母の願いに反して戦場に飛び出しました。母スバドラーは言いました。「息子よ、あなたの父アルジュナと叔父クリシュナは、別の場所で敵と戦うのに忙しい。そんな時にあなたが戦場に入るのは適切ではありません」。しかし、アビマンニュは母の忠告に耳を貸さず、どうしても戦場に行きたいと言いました。母はこう言って息子を祝福しました。「息子よ、おまえは私の願いに反して行くのですね。あなたに勝利がもたらされますように!」。そして、母はこう祈りました。

ターラカ阿修羅(ターラカアスラ)を殺した時に
母なるガウリーが息子に授けた祝福
シャンバラ阿修羅(シャンバラアスラ)を殺した時に
バールガヴァが母から受けた祝福が
あなたと共にあり、あなたを守ってくれますように!

(テルグ語の詩)

母国を愛し、母国に仕えなさい

今日でも、高潔な母親は不足していません。高潔な母親は、わが子が正しい道から外れていくのを見ると心を痛めます。高潔な母親は、わが子を正すためにあらゆる手段を講じます。母の愛を言い表すのは不可能です。母の愛は父の愛よりもはるかに大きいものです。あるとき、母なるパールヴァティーとイーシュワラ〔シヴァ神〕が、今にも折れそうな木の枝に人が座っているのを見かけました。母なるパールヴァティーは、その人を助けてほしいとイーシュワラに懇願しました。イーシュワラはからかうように言いました。「なぜ私が彼を守らなければならないんだ? 彼を最初に見かけたのは君だ。彼を救うのは君の義務だ」。パールヴァティーは言いました。「あなたの恩寵なしでどうやって私に彼を守ることができますか。私は陰(いん)であなたは陽(よう)です。あなたが彼に恩寵を与えないかぎり、彼は救われません。どうかこれ以上遅らせないでください」。すると、イーシュワラは答えました。「私に助けを求めるのは彼の義務ではないか? 呼ばれてないのにどうやって助けに行くことができる? 諺(ことわざ)にもあるように、招待されていない行事に出席してはならないのだよ」。パールヴァティーは、母の慈悲の心から、何としてもその人を守りたいと思いました。そこで、イーシュワラにこう言いました。「もし、あの人が落ちた時にアンマ(お母さん)と叫んだら、私があの人を助けに行きます。もしアッパ(お父さん)と叫んだら、あなたがその人を守るべきです」。イーシュワラはその提案に同意しました。二神が今か今かと待っていると、その人は「アッヨー」(あー!)と叫びながら落ちました。生涯一度も両親を敬ったことがなかったその男の口からは、アンマ(お母さん)という言葉もアッパ(お父さん)という言葉も出てこなかったのです。それが彼の運命の巡り合わせでした。両親のことをすっかり忘れている人を、神はどうやって救い出すことができるでしょうか? 母は神、父は神――という気持ちで、両親に感謝の気持ちを捧げなさい。

今日、私たちは、母性の素晴らしさを広めるためにイーシュワランマの日を祝っています。世界は母たちの祈りによって支えられています。女性の祈りは、男たちの1000の祈りよりも強力です。女性は純粋で心優しいからです。決してお母さんに嫌な思いをさせてはいけません。お母さんの気持ちを傷つけてはいけません。そうすれば、神はあなたのあらゆる努力を助けるでしょう。人は自分の国を母国と呼び、父国とは呼びません。このように、母は世界で尊い地位を与えられています。自分の国を自分の母親と考えて、その発展のために働きなさい。どんなことがあっても、あなたのお母さんと母国に危害を加えてはなりません。これが今日の祝典の意義であり、主な教えです

今から数分後に、皆さはP・スシーラらによる音楽プログラムを聴くでしょう。彼女は40年来の信者です。彼女に子供がいなかった時、私は彼女に息子を授けました。息子の結婚式も私が執り行いました。義理の娘も音楽家です。彼女たちは皆、信愛の歌を歌ってすべての人に幸せを与えるために、今日ここに集っています。その音楽プログラムの後、バール ヴィカス〔子供の開花教室〕の子供たちがカッリャーナ マンタパムで劇を上演します。なぜこのようなプログラムが組まれているか分かりますか? 人の心は狂った猿のようなものです。講話や音楽プログラムや祈りの会は、心の揺れを制御するためのものです。体は水の泡のようなもので、心(マインド)は狂った猿のようなものです。体や心に従ってはいけません。良心に従いなさい。ここで見たこと、聞いたことを黙想しなさい。それを実行に移し、そこから至福を得なさい。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.34 C8