サティヤ サイババの御言葉

日付:2001年8月11日
場所:プラシャーンティ ニラヤム サイ クルワントホール
バガヴァン シュリ サティア サイ ババ様の御講話

犠牲は私の喜びである

貪欲ほどの病はなく 怒りほどの敵はない
貧困ほどの不幸はなく 英知ほどの喜びはない

(サンスクリット語の詩)

病気は肉体に限ったものではありません。思考と感覚も同様に病気に冒されます。その主な病気は「貪欲」です。貪欲のためにドゥリヨーダナとその兄弟たちがこうむった災難は誰もが知っています。貪欲は人間を苦しめている主な病気の一つです。私はいかなる種類の身体的な病に苦しむこともありません。なぜなら、私にはほんのわずかの貪欲もないからです。ですから、肉体的な病は私にとっては見知らぬ ものです。
「怒り」に匹敵する敵はいません。私は誰に対しても嫌悪を抱くことはなく、また誰も私に対して嫌悪を抱くことはありません。私はすべてを愛し、それと同じように誰もが私を愛します。万人の内にある生命原理は同じです。宇宙全体が一つの住まいです。人類全体の中での人間同士の関係は、一つの家庭の中での家族の一員同士の関係と同じようなものです。嫌悪と怒りがあらゆる分裂の原因です。私にはほんのわずかの怒りも嫌悪もありません。それゆえ、すべての人が私を愛するのです。
「貧困」に匹敵する不幸はありません。私はいかなる意味においても貧しくはありません。私の内にある愛が私の財産です。私がそれほどの富を備えているというのに、どうして貪欲が私に触れることができるでしょう。私には貧困はありません。
 すべての人にとって、これら三つの否定的な性向をもたないようにすることが不可欠です。私はそれらをもっていないため、永遠なる至福の状態にあるのです。私が心配事に悩むことはまったくありません。

幼子バラクリシュナはガルガの祈りに応える

愛の化身である皆さん!
 聖仙ガルガはパーンダヴァとカウラヴァの両一族から大変尊敬されていました。彼はナンダ〔クリシュナの養父〕とヤーダヴァ族〔クリシュナの属する部族〕のクラ グル(一族の師)であり、豊富な知識と英知を備えた偉大な学者でした。ガルガは二人の赤子〔クリシュナと兄のバララーマ〕の命名式を執り行うためにナンダとヤショーダー〔クリシュナの養母〕の家を訪れました。
 あまり広くは知られていない、いくつかの深遠な事柄があります。神の化身は通 常、シュクラ(白)、アルナー(オレンジ)、ピタ(黄色)という三種の肌のどれかをもって生まれます。しかし、そこにいた赤子の一人は黒い肌をしていました。そこでガルガは考えて、もっともふさわしい名前は「クリシュナ(黒)」であると思いつきました。命名が終わると、ガルガはその幼子の人生に起こるであろうさまざまなエピソードを語り、そのいくつかを体験して楽しむために延滞してから去っていきました。

その後しばらくしてから、ガルガはクリシュナに会いに再びナンダの家を訪れました。ガルガは非常に厳格な人物で、自分の食事は自分の手でこしらえていました。誰かが触れた食物さえも食べはしませんでした。そこでヤショーダーは、ガルガが自分で食事を作れるように、はなれを提供しました。ガルガは小麦粉とジャガリー(刈ったばかりのサトウキビからとれる黒く濃い糖液)と牛乳を少々求めました。当時はまだ甘味料としての砂糖は知られていなかったので、お菓子はジャガリーで作っていました。ガルガは材料を器に入れて甘いお菓子をいくつかこしらえると、食べる前にいつものようにそれをヴィシュヌ神にささげました。すると突然、幼いクリシュナがガルガの部屋へと駆け込んできて、器に入っていた甘いお菓子を食べはじめたのです。祈りをささげていたガルガは目を開き、自分のために用意した食事を幼子が食べているのを見つけました。ガルガはヤショーダーを呼んで言いました。
「母よ、そなたの息子のゴーパーラのしていることが見えるかね? 私はお腹がすいているのに、彼は私が食べる前に食事を食べてしまったのだ」
 ヤショーダーはクリシュナを捕まえると、こう言ってクリシュナの行いを注意しました。 「おまえは尊いガルガ様が私たち一族の師であるということを知らないのですか? おまえはガルガ様の食事を汚してしまったのですよ。お客さまにふさわしい態度で敬意を払うのは私たちの義務ではありませんか?」
 クリシュナは答えました。 「お母さん、ぼくは自分では何もやってはいないよ。お菓子を食べるようにぼくを呼んだのは彼なんだ」
 そこでヤショーダーは、近づけないようにしていたクリシュナをどうして呼んだのかとガルガに尋ねました。しかしガルガは、自分はクリシュナを呼んではいないと抗議しました。するとクリシュナはこう言って異議を唱えました。
「賢者さん、どうしてあなたはうそをつくの? 食事を食べる前にあなたはいったい誰に食事をささげたの? あなたが祈りをささげたのはぼくにではなかったの? 最初にぼくにすべてをささげておきながら、不平を言い始めるなんてどうしてできるの?」
 ガルガは、しばらくの間当惑していましたが、クリシュナはヴィシュヌ神自身に他ならないということに気がつきました。ガルガはヴィシュヌ神に祈り、クリシュナがその祈りに応えたのです。この気づきにより、ガルガはクリシュナが食べたお菓子の残りを食べることに幸せを感じたのでした。

幼子クリシュナの奇蹟

実際にはクリシュナはいつ生まれたのでしょうか? クリシュナはキリスト紀元前3228年7月20日、午前3時に生まれました〔インドでは日の出とともに日付が変わるため、日本での日付は7月21日となる〕。今年は2001年ですから、今日クリシュナは5229歳を迎えることになります。吉祥なるシュラーヴァナ月の、バフラパクシャ(月が満ちていく2週間)の、アシュタミの日(月の相の第8日目)、ローヒニーの星の下、聖なる幼子は誕生しました。このアシュタミとローヒニーの組み合わせは、多くの驚くべき出来事を引き起こしました。

当時、バランタキという名の女悪魔がいました。女悪魔のこの本名は誰にも知られてはおらず、女悪魔は通 常プータナーという名で呼ばれていました。プータナーは村から村へとぶらついて毒入りミルクで幼児を殺し回るのを常としていました。ぶらついているうちにプータナーはレーパレーにたどり着きました。プータナーは美しい姿に変身すると、ヤショーダーの家に入り幼子クリシュナに猛毒の母乳を与えはじめました。幼子クリシュナは、ミルクと毒と一緒に、プータナーが死ぬ まで生気をも吸い尽くしました。ズシンというプータナーが床に倒れた音を聞いて、ヤショーダーは急いでクリシュナのもとにやって来ました。死んでいる女悪魔を見て、ヤショーダーはクリシュナになぜ彼女のもとに行ったのかと尋ねました。クリシュナは答えました。 「お母さん、ぼくは行ってないよ。彼女の方がぼくのところにやって来たんだ。本当だよ。ぼくを殺そうという悪い目的でやって来るこういう残酷な女悪魔を殺すのは、ぼくの義務なんだ」

クリシュナは大きくなると、他の牧童たちと一緒に毎日牛の放牧をしに森へ行くようになりました。ある日、彼らが遊びに夢中になっている間に、いつのまにか牛たちは別 の森へと移動していました。突然、その森に大きな火の手が上がりました。炎に驚いた牧童たちは、自分たちと牛たちとを助けてくれるよう懸命にクリシュナに頼みました。クリシュナは、大丈夫だからと少年たちをなだめて彼らの恐れを払い、しばらくの間、目を閉じているようにと言いました。牧童たちがクリシュナの言いつけに背いたことは一度もありませんでした。牧童たちはクリシュナが言ったとおりに目を閉じました。しばらくすると、猛威を振るっていた火の手はおさまり、牛たちは無事に戻ってきはじめました。この出来事に驚いた牧童たちは、村に帰って村人たちにこの奇蹟の話をしました。牧童たちは言いました。「クリシュナは普通 の人間じゃない。クリシュナは本物の神様なんだ。だって普通の人間があんな奇蹟を起こすことなんてできやしないよ」

翌日、彼らは再び森に行きました。遊び始めてからしばらくすると、お腹がすいたとクリシュナが言いました。牧童たちは村に食べ物を取りに行きたがりました。するとクリシュナは、近くで神聖なヤグナ〔祭犠〕が行われているから、そこに行ってブラーミン〔僧侶〕に食べ物を求めるようにと牧童たちに言いました。ブラーミンは、最後の供物をささげ終わって自分たちが食べたあとの残り物しかあげられないと、ぶっきらぼうに彼らの願いを退けたのでした。牧童たちががっかりして帰ってくるのを見て、クリシュナは「子どもの苦しみがわかるのはお母さんだけだ。ブラーミンの奥さんたちに食べ物をくださいと言っておいで」と言いました。霊性の道において、とりわけ容易に神を認識するのは女性です。牧童たちはブラーミンの妻たちのところへ行って言いました。「お母さん、ぼくたちのクリシュナがとてもお腹をすかせているんです。クリシュナが食べ物を欲しがっているんです」。全宇宙を守護しているクリシュナが、自ら自分たちに食べ物を求めているということに、母たちの喜びは留まるところを知りませんでした。彼女らはすぐさま、夫に告げもせずに食事を詰め、クリシュナのもとに行きました。そして、クリシュナと牧童たちにごちそうをふるまい、クリシュナのすぐそばで至福を体験したのでした。それから、クリシュナは夫たちが待っているだろうからもう戻るよう妻たちに告げました。

カルタヴャム ヨーガムチャテー
己の義務を遂行することすなわちヨーガなり

あなたの義務を行ないなさい。ぐずぐずしてはなりません。
 妻たちは夫のもとへと戻り、起こったことを話しました。クリシュナの意志は夫たちの心を変えました。夫たちはとても喜び、その上、クリシュナのプラサード〔神にささげた供物のお下がり〕をくれないかと頼んできました。

跳ね返ったカンサ王の策略

日がたつにつれて、カンサ王は自分にはクリシュナを殺すことは不可能だということに気づきました。カンサ王は自らが執り行う神聖なヤーガ〔供犠〕にバララーマとクリシュナを出席させようと大臣のアクルラを遣わしました。この招待の裏にある邪悪な意図をよく知りつつも、アクルラはバララーマとクリシュナを連れてくるためレーパレーへと向かいました。なぜなら王の命令に従うことはアクルラの第一の義務であったからです。バララーマとクリシュナがアクルラの二輪戦車に乗り込むのを見ていた牧女と牧童たちは、道をさえぎってアクルラがクリシュナを自分たちから引き離すことを許しませんでした。「おお、クリシュナ、どうか私たちを残して行かないで。あなたがいなくなったら誰が私たちの救い主になってくれるというの? 邪悪なカンサのところへなど行かないで」と彼らは懇願しました。クリシュナは悲しみに打ちのめされている牧女と牧童たちを時宜を得た優しく甘美な言葉で慰めました。

一行はマトゥラー〔ヤムナー川の岸辺にある都、クリシュナの生誕地〕に到着しました。そこではクブジャという背の低いせむし女がカンサ王に香水を運ぶという務めを与えられていました。クブジャを見たクリシュナは、「小人のお嬢さん、いったい何を運んでいるの?」と尋ねました。クブジャは、カンサ王がとても香水を好むので王に香水を運んでいるのだと答えました。するとクリシュナは、クブジャのそばに近寄ってすばやく両足を踏みつけると、あごの下に手を入れてクブジャの体をぐいっと持ち上げました。すると、せむしで背の低かったクブジャは、背骨がまっすぐになり、美しく変わったのです。

これらのリーラ(奇蹟)はティヤガラージャ〔18〜1世紀インドの歌手兼作曲家〕によって次のように詳しく述べられています。

あなたは どんな言葉も 人間の理解も 超えています
ブラフマーに等しいあなたの栄光と輝きを はかることなどできますか?
我らはずっと あなたの恩寵を待ち続けています
おお 神よ! 私の嘆きに耳を傾け 私をお救いください
あなたは あなたの師の死んだ息子をよみがえらせたお方です
蛇王カーリヤを帰順させ
ヴァースデーヴァとデーヴァキーを出獄させ
ドラウパディーを屈辱から救ったお方です
あなたは クチェラの願いを叶え
醜くかったクブジャを美しく変えました
あなたは パーンダヴァ一族と 16,000人の牧女を守りました
あなたは どんな言葉も 人間の理解も 超えています

(テルグ語の歌)

クリシュナの栄光と奇蹟の話が村全体へと広まりはじめたことは、カンサ王のクリシュナへの憎悪の炎に油を注ぎました。カンサ王は、バララーマとクリシュナの殺害計画の一つとして、二人を宮廷に呼び寄せてレスラーと戦わせるためにアクルラを遣いに出しました。一行が道を通 ると、家の中にいた女性さえもがバララーマとクリシュナに挨拶をしようと通 りに出てきました。彼女たちは、「あの輝かしい姿をした子どもたちはいったい誰なのかしら? きっと皇帝の息子たちだわ」とささやき合いました。
 バララーマとクリシュナはレスリングの試合が行われているカンサ王の宮廷に入って行きました。レスラーたちは誰かに勝っても他の誰かに負けるため、試合には勝者がいませんでした。突然、バララーマとクリシュナは、カンサ王が試合の成り行きを見守っている高い壇に跳び乗ると、王を引きずり下ろしました。王は床に倒れました。クリシュナはカンサ王のお腹を踏みつけると、王を八つ裂きにして殺してしまいました。

カンサ王には二人の妻アスティとプラシャースティがいました。二人の妻はそこに留まることができず両親の家に帰って行きました。二人の父親も強力な悪魔でした。カンサ王が死んだことを聞くと、父親は激怒してすぐにバララーマとクリシュナを殺すために出かけて行きました。彼は幾度となくバララーマとクリシュナと戦うために出かけて行きましたが、その度に打ち負かされて、恥ずかしい思いをして戻って来なくてはなりませんでした。

クリシュナの奇蹟には二つの要素があります。第一に敬虔な者たちを守ること、次に邪悪な者を滅ぼすことです。これはドゥワパラ ユガ〔金銀銅鉄の意をもつ四時代のうちの銅の時代、クリシュナの時代〕のダルマであって、その他のユガのダルマではありません。甘美な言葉と理想の姿によって、人は正しい道に向けられなければなりません。

無私の愛への報酬

ある日、一人の老女が果物を売ろうと果物を布に包んで持ってきました。当時は金銭取引はなく物々交換だけでした。穀物と交換するには果 物を持っていかなければなりませんでした。老女はバララーマとクリシュナの美しい姿を見ると至福に浸りました。老女は二人をそばに呼ぶと、上等な果 物をいくつか選んで二人に与えました。クリシュナは果物のお礼に何かお返ししなくては、と言いました。そこでクリシュナは家に入って、赤ん坊のような手のひらに米をほんの少し持ってきたのですが、途中でその半分をもこぼしてしまいました。クリシュナの手の中に残っていたわずかな米を受け取った老女は、それを自分の布の包みの中にしまいました。しかし、老女はその神聖な子どもからのささげ物にはほとんど注意を払いませんでした。老女にとって果 物と穀物の交換は毎日のことで、一人の子どもの手からの小さなささげ物に目を留めることなどほとんどなかったのです。しかし、家に戻って老女が包みを開けてみると、驚いたことにその米粒全部がキラキラ光るダイヤモンドに変わっていたのです。

こうしたことは神の化身の驚くべき御業の特質です。そうした御業は実に不可思議であり、人間の頭での理解を超えるものです。それはウパニシャッドにあるように「理解できずに言葉と思考が無益に跳ね返ってくるところの特質」なのです。

牛飼いたちはクリシュナの神の特質を体験し、楽しみました。その当時の生活は元来神聖でした。人々は利己的な行為にではなく、無私の活動に従事していました。すべての人が常に他の人を助け、決して傷つけることはありませんでした。こういった具合に、当時の人々は神を直接的に認識することができたのです。それゆえ、私たちは常に自分たちの活動が無私の態度で行われるよう監督し、決して利己主義にふけってはなりません。私がしきりと言うように、常に助け、決して傷つけてはなりません。牛飼いたちが常にこのような態度で行動していたおかげで、多くの人が幼子クリシュナの超自然的な特質に気がつきました。現代の状況は当時と同じではありません。

時たま奇妙なニュースが広まります。サイ ババがXさんやYさんに対して腹を立てていると言っている人がいます。サイ ババは誰に対しても悪い感情を持っていません。それと同じように誰もスワミの敵ではありません。誰もがスワミを愛しており、スワミを嫌っている人は誰もいません。スワミの使命はよく知られています。

無償の教育、医療そして飲料水

皆さんは最近の「子どもたちの教育」に何が絡んでいるかを知っていますね。子どもを小学校に入れるためには、二万ルピー程度を費やさなくてはなりません。一方、サイの学校では、幼稚園から大学院まで、教育は差別 なく無料で施されています。博士課程さえも無料で行われています。私たちの学校では、ここにいる学生たちから一パイサさえ集めることはありません。何千人もの学生がそうした恩恵を享受してきました。これは全世界の知る事実です。

同じように、医療の分野においても、心臓手術にどれほどの費用がかかるかを皆さんは知っていますね。手術一回につき約二十万から三十万ルピーかかるでしょう。そのような治療を貧しい人々が受けられますか? そんな大金をいったいどうやって工面 できますか? こうした現状は喜ばしいものではありません。すべての人が高度な医療を受けられるようにという目的で、スワミはプッタパルティに高度専門病院を建てました。

こうした機関は一切の援助を受けていません。政府からさえもです。教師たちの給料でさえ全額スワミによって支払われています。皆さんは教育関係者の給与水準が近年どれほど高騰しているかを知っていますね。スワミの学校では正式な政府の規定に従って給料を支払っています。人は自分の生まれや地位 にかかわらず、規則規定に反するべきではありません。プッタパルティの高度専門病院の場合も同じです。プッタパルティの高度専門病院が開かれてから10年になりますが、すでに12,000例の心臓手術が行われました。こうした多くの人々の命を救う責任を誰が負っているのかは、皆さんの想像におまかせします。
 今年の初めに、バガヴァンはバンガロールにもう一つの高度専門病院を開きました。そして、6ヶ月の間に1,500例の手術が無事に行われました。そこで苦しんでいた人々を助けたのは誰でしょう? 専門医たちは高給を支払われています。そのうちの何人かは十万ルピーを受け取っています。これに反対する意見が上がったとき、私は、規則規定に関してはいかなる妥協も許してはならないと言いました。私が報酬の面 倒を見ているのに、どうして誰かが心配する必要があるでしょう?

アナンタプール地区〔アーンドラ プラデーシュ州ラヤラセーマ地方の一地区、サティア サイ女子大学がある〕での恵みの水プロジェクトを取り上げてみましょう。今でも水が不足している地域が何箇所かあります。私は30億ルピーを費やして、できる限り水が供給されるようにしました。もう一ヶ所、テーランガナ地方〔アーンドラ プラデーシュ州を構成する三つの地方の一つ〕における水不足の地域、マフブーブナガル地区を例に挙げてみましょう。私は主任技術者であるコンダル ラオに、そこに水の供給設備を整えるにはどのくらいの費用がかかるかを尋ねました。彼は約6億ルピーと見積もりました。私は彼に費用については心配せずにプロジェクトを進めなさいと言いました。掘った井戸からポンプで水をくみ上げるといったような、括弧 してしまう水源を利用したプロジェクトを立ち上げるのは無駄なので、私は約11億ルピーをかけてクリシュナ川〔マフブーナガル地区の南を東へと流れる川〕から水を引くことに決めました。現在、工事はメーダク地区〔マフブーブ地区の北東150キロメートル〕にまで発展しました。このようにテーランガナ地方の恵みの水プロジェクトは進行中です。その他にも同種のプロジェクトが多数計画中であり、それらも同じ様な方法で対処されることでしょう。私たちの手は永遠に、人々を傷つけることにではなく、人々を助けることに従事するのです。

何人かの嫉妬深く心の狭い人々が、デマとでっちあげをばらまいています。私はそのことには気を留めません。私が感心があるのは自分の役目を果 たすことだけで、他の人の批評には感心はありません。私は知っています。私がすべての人を愛するのと同じ量 だけ、すべての人が私を愛するということを。人類という一つの家族の中に、嫉妬や憎悪が入り込む余地があるでしょうか? そうしたものは単なる空想です。誰がどのような想像をしても、私の真実は揺らぎません。

サッティヤム ブルーヤーット
プリーヤム ブルーヤーット
ナ ブルーヤーット サッティヤマプリヤム
真実を話しなさい
感じよく話しなさい
不快な真実は話してはなりません

この宇宙には真理よりも偉大なものはありません。真理は神です。愛は神です。愛に生きなさい。愛は私の財産です。犠牲は私の喜びです。犠牲よりもすばらしい喜びを私はもっているでしょうか? 私はこれまでずっと同じ歓喜の状態で過ごしてきました。私の行いはすべて良い結果 を生みます。私が行なうことはすべて善のためです。良い行いは批判されるべきではありません。良い行いは常に成功を収めます。

業務状況を知っている人は誰もいないでしょう。バンガロールの病院は月に3千万ルピーの経費を必要とします。特別 な医薬品、人工心弁などをアメリカから輸入しなくてはなりません。同様に、プラシャーンティ ニラヤムの病院も月に2千万ルピーの経費がかります。私は政府からのいかなる援助も支援も望みませんし、政府はそれらを与えはしません。さらに、プラシャーンティ ニラヤム、アナンタプール、バンガロール〔カルナータカ州の州都〕、ムッデーナハリ〔バンガロールの北38キロにある都市〕、そしてラージャフムンディ〔アーンドラ プラデーシュ州の州都ハイダラーバードの東500キロにある都市〕には教育機関があります。これらは月に約1千万ルピーかかります。このように、月にざっと計6千万ルピーの費用がかかるのです。その費用はいったいどこから来るのでしょうか? いずれにせよ、私がその費用をまかなっています。病院と学校を運営するのに十分な利息を生み出すには、資本金として60億ルピーが必要となります。これが実現されれば、無償で今の水準の医療と教育を続けて行くことができます。ここには何千人もの人々がいますが、私は決して誰にも援助を頼んだことはありません。私の手は常に上にあり(与えるための仕草)、決して下にはありません(受け取るための仕草)。私の手は愛を受け取るためにだけ伸ばされるのです。けれども、このことを十分に理解している人は誰もいません。
 私は60億ルピーを必要としていたのですが、つい今しがた、アメリカから計60億ルピーが届くという知らせを受けました。この総額をバンガロールの病院に30億ルピー、プッタパルティの病院に20億ルピー、そして10億ルピーを教育機関に分配し、投資すれば、そこから得られる利息で運営費用をまかなうことができるでしょう。私には何も個人的な望みはありません。私の存在すべてが無私なのです。私にはまったく利己心はなく、誰にも求めることはありません。単に求められたからといって、いったい誰が10億ルピーをあっさりと与えるでしょうか? そのような人は誰もいません。しかし、ある個人が60億ルピーを引き渡しましょうと申し出てきたのです。私はその人物と直接的な関わりはありません。その人物からの通 知には、「スワミ、あなたは月曜の正午に総額をお受け取りになるでしょう。お受け取りになったら、どうかすぐに、30億ルピーをバンガロールの病院の口座に、20億ルピーをプッタパルティの病院の口座に、定期預金として預けてください」とありました。完全に私心のない人を見つけることは困難ですが、もしもあなたが無私の奉仕を始めるならば、財源は自ずと生じるのです。

バーラタ〔インド〕はボーガ(感覚的な悦楽)の国ではなく、ティヤーガ(犠牲)と、ヨーガ(霊性)の国です。

ナ カルマナ ナ プラジャヤ ダネーナ
ディヤーゲーナイケーナ アムルタットワ マナス
行為によっても 子孫や財産によっても 永遠の命は得られない
それは犠牲によってのみ 得ることができる

犠牲の精神こそが、こうした成就を可能にします。私の頭にはまだまだたくさんのプロジェクトがあります。

女性の名誉を守りなさい

皆さんは朝一番に新聞を読みます。新聞は、私たちの文化とは完全に相反する、いかがわしい写 真と記事でいっぱいです。バーラタの女性の行動規定は何と神聖なのでしょう! 古より、女性たちがどれだけ高貴に私たちの伝統を崇めてきたことでしょう。あらゆるエネルギーは女性原理から生じます。この神聖な女性原理が、映画や雑誌によって、見苦しく不道徳な形へと、はなはだしく歪められています。そのような下品な自己顕示がバーラタ文化を破壊するのです。私たちは、自分たちの文化を守り、女性の振る舞いを元の正しい状態に戻さなくてはなりません。これを成し遂げるには、いくつかのしかるべき方法を探さなくてはなりません。マスメディアにおける女性の真価と伝統を、復興し、維持するために、進んで適切な活動を提供できる人たちに、スワミは数10万ルピーを支援したいと思っています。もしもお金があるなら、皆さんはこのような価値のある目的を達成すべきです。この世では、お金で多くのことを果 たすことができますし、正義を守る仕事にお金を使うことに何ら害はありません。
 新聞や各種媒体からあらゆる猥褻な手法を排除しなければなりません。若者たちをそのような映像にさらすことは、彼らの思考に悪影響を及ぼし、人生を台無しにしさえします。このような風潮に抗して働くためなら、バーラタ文化を補強するためなら、私はいくらでも援助する準備ができています。真理は示され、正義は讃えられなければなりません。不正と悪は阻まれ、淫らなものは抹消されるべきです。そして、女性を尊び敬うことを守るべきです。バーラタ文化への敬意は女性に注がれる深い尊敬の念に基づいています。女性の幸福は真の意味でのバーラタの幸福です。しかし、私たちは幸福の女神たちを不品行の対象物へと変えつつあるのです。

我らのクリシュナ カント(インドの副大統領)がここにいます。彼の母親は非常に敬虔な婦人です。彼女は絶えず神を想っています。実のところ、今日クリシュナ カントが高い地位に就いているのは、その母親の影響によるものです。この国の多くの偉大な人物の偉大たるゆえんは、母親の影響に負うところです。そのような人たちを見ることができて、私はとても幸せです。今でも彼の母親は、まるで彼が小さな子どもであるかのように、息子に正しい道を助言するのです。また、クリシュナ カントは模範的な息子でもあり、母親を深く尊敬し、母親の望みに大変謙虚に従うのです。今日必要なのは、そのような母と子が増えることです。もしも母親が善良であれば、子どももまた善良です。
 母親としての適性と子どもの養護を確かなものとするために、私はバンガロールに母子健康センターを建設することを提案しています。今の親子の関係は、理想とはほど遠いものとなっています。親は子を虐待し、子は親に従いません。これは大変不幸な状況です。

マトゥル デーヴォー バヴァ ピトゥル デーヴォー バヴァ
アチャリャ デーヴォー バヴァ アティティ デーヴォー バヴァ
母を神として崇めよ 父を神として崇めよ
師を神として崇めよ 客人を神として崇めよ

親は人生のすべてを子どもの幸福のために費やします。子どもはこのことを自覚し、そのお返しに、それにふさわしい態度で振る舞うべきです。クリシュナ カントは母に優しく、ずっと母に従順で、母の愛の中でとても幸せに過ごしてきました。国中がこうした手本を見習わなければなりません。

孤児と貧窮者の社会復帰

不幸にも今日、この国では父親や母親のいない多くの子どもが貧困にあえいでいます。そのような子どもたちを特定し、彼らが理想的な市民となれるよう、住居や教育やその他の設備といった適当な施設を整えようと私は決意しました。私はこの件について地元の収税官と話をしました。彼は援助に同意し、そのための土地をいくらか割り当ててくれました。まもなく建設が開始されるはずです。私の行動には、隠し立てするようなことも、突き止められるようなことも何もありません。私の行いはすべてガラス張りです。そうした生活保護の対象となる孤児や、父親のいない子どもであれば、どんな子どもでも私のところに連れて来なさい。そうしたら、私は、子ども一人につき10万ルピーを割り当てて、彼らが自立できるようになるまでそれを定期預金とし、〔その利子を〕教育費にあてるための手はずを整えます。私の行うあらゆる行為の背後には高い理想が掲げられています。
 私はすでに、先ほど自作の詩を吟唱したナガルジュナ建設の会長に、建物の建設にとりかかり、迅速にそれを完成させるよう指示してあります。彼は即座にそれに同意しました。母子家庭のために家を一軒ずつ建てて、子どもが教育を受けて分別 がつくようになるまで、生活費と教育費を施すというプロジェクトです。
 今日、教育を受けた子どもはたくさんいますが、その多くは識別力に欠けています。教育は必ず、識別 力をもたせるものであるべきです。私はそのような識別を広く行き渡らせることを固く決意しました。私は他の人が言うことには関心はありません。なぜなら、私が提案していることは良いことなのですから。私は誰に対しても悪い感情をもってはいませんし、すべての人を等しく愛しています。すべての人を等しく愛しなさい。そうすれば、そのお返しにすべての人があなたを愛するでしょう。「愛には愛を」、「心から心へ」です。敵対的な批評はすべて無視しなさい。あなたの決意を固く守りなさい。

決意すべきことを決意したなら 成功するまで続けよ
望むべきことを望んだならば 成就するまで続けよ
願うべきことを願ったならば 叶うまで続けよ
考えるべきことを考えたならば 実現するまで続けよ
甘くやわらかな心には 神は願いを叶えねばならぬ
さもなくば 我を忘れて一心に神に請うべし
やり遂げよ 辛抱強くあれ 決してあきらめてはならぬ
決して引き下がらず 決めたことは放り出さず
それが 帰依者の性格であるがゆえ

(テルグ語の詩)

外国に行き、その国の何かの資格を取得し、大金を稼ぐことが、偉大さの象徴なのではありません。あなた方はインド文化に固く立脚し、自国の名誉を守らなければなりません。善なる仕事に従事しさい。あなたを侮辱する人さえも愛しなさい。私はその現行の模範です。私の人生が私のメッセージです。あなたも同じであるべきです。善はいくつかの障害にぶち当たります。果 実がなっている樹は石を投げつけられます。それと同じように、善良な人々は罵詈雑言ばりぞうごんを浴びます。そこで揺れてはなりません。ダイヤモンドの原石は、カットされ研磨されて価値を得ます。同様に、悪言あくげんは変じて光を添えるものとなるのです。ですから、私たちは悪言に注意を払わず、自分たちの正しい理想を固守すべきです。クリシュナとバララーマを取り巻いていた牛飼いたちは理想的な人物になりました。同じように、私はここにいるすべての学生たちに理想的な人物となってもらいたいのです。親に仕え、親を敬い、親には絶対的に従いなさい。これは実にインド文化の真髄です。

ローカー サマスター スキノー バウァントゥ
みんな幸せになりますように

これが私たちの目標です。自分の幸せを追い求めてはなりません。全宇宙の幸福を切望しなさい。利己心を捨て、他者の幸福を追い求め、パラマールタ(至高の目標)に到達しなさい。それが真の教育〔の目的〕です。

愛の化身である皆さん!
 皆さんの受けている教育は、単に富を得るためのものではなく、善良な性質を獲得するためのものです。皆さんは、富や健康や友情を欲しますが、すぐれた人格を備えていなければ、それらを得ても少しも意味がありません。ですから、皆さんは人格を磨くべきです。世界中にバーラタの偉大さという紋章を飾りなさい。それにより世界全体がバーラタと一つになることでしょう。

この聖なるクリシュナ降誕祭の日に、私は皆さんに断言します。パキスタンであれ、中国であれ、ドイツであれ、ロシアであれ、この世界のその他の小さな国であれ、大きな国であれ、全世界がもうすぐ私たちの友となるということを。それを私たちの決意としましょう。私たちの「本来の善良さ」は、それを助けてくれる一つの要因です。それはこうした一体性を望む根本的な原因です。一体性には純粋さが含まれており、純粋さは神へと導きます。皆さんは、一体性と純粋さと神という三つ揃えを勝ち取るために懸命に努力すべきです。

 

サイババ述

翻訳・監修:サティア サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.34 p207〜p227