サティヤ サイババの御言葉

日付:2005年3月16日
場所:プラシャーンティ ニラヤム
サイ大学の学生に向けた御講話より

謙虚さは教育の証し

森羅万象は真理より生じ、真理に帰融する
この宇宙に真理の存在しない場所などあろうか?
この純粋で汚れなき真理を心に思い描きなさい

テルグ語の詩

愛の化身たちよ! 学生諸君!

皆さんは教育を求めてこの教育機関に入学してきました。まず、教育の真の意味を理解するよう努めなさい。謙虚さと人格は教育を身に付けたしるしです。しかし昨今の学生は謙虚さを身に付けません。学位を取得することにしか関心がありません。けれども、この点に関して私たちの教育機関は例外です。学位を取得するという目的だけでここに来る学生はほとんどいません。本校の学生の大多数は、スワミの理想に適(かな)うよう努力して、人生において高尚な地位を得てスワミを喜ばせたい、という唯一の目的を持ってここに来ます。本校の学生は善行をすることで両親を幸福にしています。

真の教育とは何を意味するかを理解しなさい

学生諸君!

教育というものは、ただ学位を取得することではありません。

おお、人よ!
自分でよく考え、調べてみるがよい
夜明けから日暮れまで、神を忘れて知識を蓄え
富を稼ぐことにすべての時を費やして
いったいどれほど大きな幸福を得たというのか

テルグ語の詩

ある人は、文学士や文学修士といった
高い学歴を手に入れ
高い地位に就くかもしれない
ある人は、富を蓄え、慈善活動を行い、
名声と評判を手に入れるかもしれない
ある人は、体力に恵まれ、
健康な長寿を楽しむかもしれない
ある人は、ヴェーダを学びヴェーダを解説する、
偉大な学者であるかもしれない
しかし、誰一人、神の真の帰依者と言える者はいない

テルグ語の詩

この教育機関の正門をくぐったのであれば、教育というものの価値と真の意味を理解しようと努めるべきです。それらの側面を理解して初めて皆さんは真に教養のある人と呼ばれることができます。本にはたくさんの知識が書いてありますが、頭に泥がいっぱい詰まっていたら、何の役に立つでしょう? 知識を頭に入れてしまえば、本を調べる必要はなくなります。

大人たちは自分の子供の教育に関心を持つべきです。大人たちは子供が教育機関で学んでいることについて尋ねて、いつも子供の進歩を観察しているべきです。現代の学生は大人からの質問に無礼な態度で返答します。学生たちは大人たちを口八丁で困惑させています。

学生は社会で良い評判を得て、自分の学び舎の名声と威信を守るべきです。教育機関は大木のようなものです。様々な教科はその大木の大枝や小枝のようなものです。美徳は大木に咲くかぐわしい花のようなものです。信仰は根のようなものです。信仰という根元に水を与えれば、至福という果実を手に入れます。

現在、あらゆる教育機関が、学生にとって人格は非常に重要であると感じ始めています。教育の目的は人格です。人格は善良な行いをすることを意味するだけではありません。人は人類同胞を自分の兄弟姉妹と見なさなければいけません。人は感情の清らかさを養わなければいけません。それは最終的に英知の成就へと導きます。

教育機関は有徳の男女を生み出すべき

本校の学生は非常に高徳です。本校の学生は私の財産であると、私は繰り返し述べています。それほどの財産を持っているのですから、私が何か心配する必要などありますか? 私はGATE試験(難易度の高い工学系の資格試験 Graduate Aptitude Test in Engineering)を受験した学生たちに尋ねました。

「愛しい皆さん! 試験はどうでしたか?」

学生たちは言いました。

「スワミ、あなたの恩寵と祝福のおかげでよくできました。学生はスワミの財産であるとスワミはおっしゃいます。スワミの学生となる機会を得る祝福に恵まれたのですから、私たちの唯一の目的は、スワミの理想に適った生活をして、母校に良い評判をもたらすことです」

私は学生たちの返答に大変満足し、深く感動しました。本校にこのような理想の学生たちがいることを知ると、励みになります。国家が繁栄し、進歩しているのは、こうした高潔な学生のおかげです。有徳の男女がいなければ、世界はどうやって光を輝かせることができるでしょう?

本校の学生は口先だけの美辞麗句に耽(ふけ)ることはありません。本校の学生たちは行動の人です。学生たちの誠実さは私を幸せにします。私は、学生に理想的な教育を伝え、美徳を教え込むために降臨しました。

教養と知性があっても
愚かな者は本当の自分を知り得ない
心の卑しい者は自らの悪い性質を手放さない

テルグ語の詩

現代の教育は、ただ議論へと導くのみで、
完全な英知へ導くことがない
不滅の命へと導くことのできない教育を身に付けて
何の役に立つのか?
あなたを永遠不滅にさせる知識を手に入れよ

テルグ語の詩

あなたがひとたび真我の知識を獲得しさえすれば、その他のものはすべて手に入ります。この英知の言葉は本校の学生たちの心に刻み込まれています。

愛の化身たちよ! 学生諸君!

皆さんは何十万人という学生がいる中で自分の価値を証明し、GATE試験で優秀な成績を収めました。(大拍手) GATEの試験官たちは、本校の学生たちの知性と振る舞いに深い感銘を受けました。そして、本校の学生たちが、どの地域の出身者であるか、東か西か、南か北かを知りたがりました。学生たちは答えました。

「教官、私たちは東西南北、どの地域からきたわけでもありません。私たちはシュリ サティヤ サイ大学の学生です」

本校の学生たちは、自分の達成したことに満足していません。もっともっと多くの栄誉をもたらそうと一所懸命に努めています。皆さんがどこへ行っても、本校の学生が母校の理想を広めるような模範的な生活を送っているのを目にするでしょう。

あるとき、本校の学生たちに、どういう種類の食事が好みか、菜食か非菜食かを尋ねた人がいました。学生たちは声をそろえて答えました。

「菜食でない食事は悪い思いと悪い感情を生み出します。ですから、私たちは決して菜食でない食事には手を触れません」

本校の学生は一〇〇%ベジタリアンです。以前は菜食でない食事をしていた学生でさえ、本校に入学するとすぐに菜食になりました。あるとき、学生の一人に、

「たくさん栄養素が含まれているから」

と言って、菜食でない食ベ物を食べるよう説得を試みた人がいました。しかし、その学生は自分の姿勢を変えませんでした。その学生は言いました。

「そのようなビタミンやたんぱく質は欲しくありません。菜食にも私が必要とするあらゆるビタミンとたんぱく質が含まれています。私は真理の道を歩みたいと願っていますが、菜食でない食べ物は少しも霊的成長の助けになりません。私は世間の教育と一緒に霊的な教育も身に付けて、世の中に霊的な教育を広めたいと思っています」

このように、サイの理想を広めるために固い決意でいる学生は大勢います。本校が世界的な名声を博しているのは、こうした高潔な学生たちのおかげです。

幼少時から直ちに健康的な習慣を身に付けよ

学生たちは、健康と幸福を味わうために幼年時代から直ちに良い習慣を身に付けるべきです。これに関して、次のような詩があります。

雄鶏(おんどり)が鳴く早朝に起き、
朝の禊(みそぎ)ののちに、お風呂に入り、
きちんとした服を着て、
きちんと食べ、かつ腹八分目にし、
学校に行って、しっかり勉強しなさい
良い評判を得なさい
雨の日には歩き回らず、
水の濁った貯水池には決して近づいてはなりません
運動の試合に参加して、走り、競技しなさい
もし、以上の規律をすべて守るなら
健康と富の両方に恵まれることでしょう

テルグ語の詩

学生は食習慣の制限を実践すべきです。このことに関しては、鳥や野獣や動物たちですら、一定の規則を守っています。人間として生まれ、教育を身に付けたのであれば、食べ物に関する正しい規律に従うことが期待されるのではありませんか? 幼少時からずっと菜食でない食事をしていた学生たちも、本校に入るとその習慣をやめます。子供の変容は両親が驚くほどです。本校の学生が学校の休みに帰省したとき、母親が菜食でない食事を出そうとしました。その学生は食事に手をつけることを拒み、母親に今後は菜食でない料理を出さないでほしいと頼みました。その学生は、菜食でない食べ物を摂(と)ることによる悪影響を両親に説明しました。

菜食でない食ベ物は、癌(がん)をはじめとする様々な病気を引き起こします。皆さんも雑誌や新聞で読んだでしょうが、シンガポールではほとんどの人が魚を食べており、その結果、いくつかの有害な微生物に感染しています。バーラタ(インド)の様々な地域でも同様の事例が報告されています。人々が病気にかかるのは体によくない食事のせいです。多くの人は、菜食でない食べ物を食べると力がつくという誤った認識をしていますが、実際には、菜食でない食べ物は人を弱くします。菜食でない食べ物を口にすることでひとたび健康を損なってしまったら、残りの人生を森で果物と塊茎(かいけい)類を食べて過ごしたとしても、決して健康を回復することはできないでしょう。

以上は、学生たちが食習慣についての質問を受けたときに返した答えです。本校の学生のこの説明は聴衆にとても大きな影響を与え、それにより、聴衆の多くは完全なベジタリアンになりました。心は食べ物の通りになります。人間は心の通りになります。ですから、人が幸福で健康的な生活を送るためには、神聖で浄性の食物を摂取しなければいけません。最近、バーラタ人(インド人)の間にも、人の心に食物が及ぼす影響に関する自覚が高まっています。そのため、人々は食習慣をより良いものに変えつつあります。私たちの体は肉でできています。なぜ肉に再び肉を与えなければいけないのですか? そうした神聖でない食べ物は、神聖でない思考を生じさせます。

学生諸君!

食習慣に関する規則を守るだけでは十分ではありません。良い習慣も身に付けなければいけません。定期的にスポーツや試合に参加しなければいけません。体と精神の力の開花の助けとなるそういったスポーツの試合に参加しなさい。健全な食べ物と良い習慣を身に付ければ、人生で高貴な地位に就くことでしょう。

純金である愛しい学生諸君!

実に、皆さんは純金のようです。皆さんの神聖な気持ちを言い表すことは不可能です。皆さんはハートの奥深いところから話をします。皆さんの語る言葉はありふれたものではありません。それはアートマの言葉です。皆さんは神聖な気持ちで生活を送っています。それでもなお、悪い仲間からは離れていなさい。

「あなたの仲間を教えなさい、そうすればあなたがどんな人かを言い当てましょう」

「人は仲間の通りになる」

と言われています。ですから、いつも善良な仲間と共にいなさい。善良な言葉を話す人たちの仲間でありなさい。辛辣(しんらつ)な言葉と神聖でない言葉は決して口にしてはなりません。もし不親切な言葉を使うなら、人はあなたを敵のように扱うでしょう。もしあなたが優しく穏やかに話すなら、人はあなたと一緒にいることを楽しみ、どれほど長い時間でもあなたと話をするでしょう。

人と一緒にいるときには、自分の体が清潔か、口から嫌な臭いがしていないかを確かめなさい。可能な限りのあらゆる方法で、自分の健康にきちんと注意を払うようにしなさい。あなたの体が清潔で健康で、あなたの思考と言葉と行いが純粋であれば、あなたは誰からも愛されるでしょう。

学生諸君!

どこへ行っても、あらゆる点において、人前に出て恥ずかしくない、歓迎される人間でいることを確実にしなさい。そうして初めてあなたは人の尊敬を得ることができます。いつも口を清潔に保っていなさい。口臭は様々な病気を引き起こします。それだけではありません。口臭は他の人たちに迷惑をかけます。あなたの口から嫌な臭いがしたら、人はあなたを避けようとするでしょう。ですから、朝、寝床から起きたら、すぐに歯を磨き、それから舌の全面をきれいにしなさい。口をさわやかで清潔な状態に保っていれば、健康を享受することができるでしょう。私は夜も眠りませんが、床に就く前には歯を磨きます。私は自分の口をさわやかで清潔に保つために、一定の間隔で規則的に歯を磨いています。私に何一つ健康上の問題がないのはそのためです。私にはどこも痛いところはありません。

歯の間に食べ物の滓(かす)が残っていないよう気をつけるようにしなさい。硬い歯ブラシで歯を磨く人がいますが、その結果、歯茎から血が出るようになります。私はとても柔らかい歯ブラシを使っています。私の歯は今でもとても丈夫なので、檳榔(びんろう)の実を噛(か)んで割ることもできます。私の身体的な力を目にすると、私の学生たちは畏敬と驚嘆の念に打たれます。

学生諸君!

健康を害して自分の身を医者の手に委ねるのは恥ずかしいことです。ですから、各自、自分の健康に注意しなければいけません。人は決して他人に依存すべきではありません。これは私が学生たちにかなり頻繁に教えていることです。朝早く起き、身体を健康に保つために適度な運動やジョギングをしなさい。試験期間中、学生たちは夜遅くまで勉強して起きています。そして、教科書の前で居眠りをしています。そんな勉強は何の役にも立ちません。眠くなったら無理して勉強するのはよしなさい。本は脇に置いて、穏やかな気持ちで床に就きなさい。心がはつらつとして集中できる状態のときにだけ勉強するようにしなさい。

おお 人よ! 身に付けた教育と学識を誇るなかれ
もし、神に敬意を表すこと、
信愛の念で神を黙想することをしないなら
身に付けた教育はいったい何の役に立つことか?

テルグ語の詩

エデュケーションとエデュケアは 手を取り合わなければいけない

学生諸君!

まず自分の健康に留意しなさい。もしきちんと健康を保っていなければ、あなたが身に付けた教育は無駄になるでしょう。世俗のエデュケーション(世間一般の教育)で満足していてはなりません。エデュケアも身に付けなければなりません。エデュケーションは外側の情報を集めることに関連していますが、エデュケアは内面の変容に関連しています。エデュケアは人間的価値を内側から開花させるものです。あなたがエデュケアを身に付けたか、単なるエデュケーションを身に付けたかは、あなたの話す言葉で明らかになります。これに関して一つ忠告があります。それは、ぞんざいに話すべきではないということです。特に目上の人に話をするときには、自分が口にする言葉に注意して、ありったけの謙虚さと尊敬を込めて話すべきです。真の教養は教科書の知識に限ったものではありません。皆さんは、真理、正義、平安、愛、非暴力という人間的価値を表出させるべきです。真理を単に言葉だけに留めるべきではありません。真理は行動に移さなければいけません。

学生諸君!

ここへ来て最高水準の教育を身に付けたのであれば、有徳の人生を送りなさい。他の人たちにあなたの知識を分け与えなさい。

共に皆で前進しよう
共に皆で成長しよう
皆で団結し、知識を分かち合おう
友情と調和を持って共に生きよう

テルグ語の詩

これが、今日、皆さんが身に付ければならないことです。いつも笑顔でいて、他の人たちの善良な友人であるようにしなさい。善良な友人とは、いつも善良な思考を抱き、善良な言葉を語り、善良な行為をする人のことです。そのように生活するなら、あなたは理想の人となり、他の人たちのインスピレーションの源泉となることでしょう。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.38 C6