サティヤ サイババの御言葉

日付:2007年3月20日
場所:プラシャーンティ ニラヤムのサイ クルワントホール
ウガディ(テルグ語圏の新年)午前の御講話

村の発展のために一致団結して働きなさい

愛の化身である皆さん!
テルグ暦でプラバヴァ(どし)からアクシャヤ年に至るまでは60年かかります。この他には、ヴィバヴァ、シュクラ、プラモードゥタ、プラジョートパッティ、アンギラサ、シリムカ、バーヴァ、ユヴァ、ダトゥ、イーシュワラ、バフダーンヤ、プラマーディ、ヴィクラマなどといった名前のついた年があります。この周期は60番目のアクシャヤという年に完了します。この体はアクシャヤ年に生まれ、60年後に別 のアクシャヤ年を見ました。この周期は再び120年かけて繰り返されます。

気高い望みを抱きなさい

サルヴァヂットと名づけられている本年は、人が自らの神性を発現するには、とても重要な年です。人はおびただしい数の望みをもっています。サルヴァヂットは気高い望みをかなえ、道徳的、物質的、宗教的、科学的、霊的といったあらゆる分野における進歩にとって重要な年です。気高い望みを抱くなら、何も不足はないでしょう。気高い望みをもっていれば、だれでも人生における勝利は確実です。それゆえ、人は気高い望みを抱き、固い決意をもってその望みをもち続けるべきです。サルヴァヂットは人間のあらゆる気高い努力にとっての勝利の年です。サルヴァヂットは60年の中でもっとも重要な年です。年の名前そのものがあらゆる分野における人間の努力の勝利を示しています。「ヂット」は勝利を意味しますから、「サルヴァヂット」は「多方面 にわたる勝利」という意味になります。それゆえ、もし皆さんが人生における成長と前進を望むなら、気高い望みだけを抱くべきです。気高い望みを抱いていたにもかかわらず苦しい人生を送った人はいません。ですから、このサルヴァヂット年に、心を気高い望みで満たし、幸福と至福を味わいなさい。

この年をサルヴァヂットと名づけたのはパールヴァティ女神でした。パールヴァティは、イーシュワラ神(シヴァ神の別 名)を得るために、何年も食べることも寝ることもせずに厳しい苦行をしました。パールヴァティの苦行を喜んだイーシュワラは、パールヴァティの前に姿を現し、「そなたは何のためにそのような苦行をしているのか?」と尋ねました。「私はあなたを得るためにこのような苦行をしているのです」とパールヴァティは答えました。するとイーシュワラは、「そなたの願いは実を結んだ。そなたは私を得た」と言いました。

パールヴァティの望みが実を結ぶ前、多くの神々と女神たちがパールヴァティを説得し、イーシュワラを得ようという気高い望みをかなえるのを思いとどまらせようとしました。神々たちの助言の趣旨は次のようなものでした。

おお! ガウリーよ!
おまえはとても若々しいのに、サンバシヴァは年老いている
サンバシヴァの髪はもつれ、トラの皮をまとっている
雄牛にまたがり、いつも動き回っている
サンバシヴァは蛇で身を飾っている
いったいどうしてサンバシヴァに求婚したのか?
そなたはこのことをすべて知っているのか?
サンバシヴァには自分の家もなく、火葬場で眠っているのだよ

(テルグ語の詩)

「なぜにおまえは家から家に物乞いに歩く年寄りを得たいと望むのか?」と神々は尋ねました。パールヴァティは「あなたがたはただサンバシヴァの体だけを見ています。あなたがたはサンバシヴァの内にある真我の原理(アートマ タットワ)を悟ろうと努めていません。私は、決して変わることのないその真我の神聖原理を得ようと望んでいるのです」と言いました。それからパールヴァティはイーシュワラに従い、イーシュワラと共に幸福な生活を送りました。このようにして、このウガディ(新年)の日は、パールヴァティがあらゆる困難を乗り越えて気高い望みを得ることができたことから、サルヴァヂット(多方面 にわたる勝利)と名づけられました。

このように、この年をサルヴァヂットと名づけたのはパールヴァティだったのです。サルヴァヂッドのあとには、サルヴァダーリ、ヴィローディ、ヴィクルティという名の年がやって来ます。ヴィクルティはあらゆる悪いことを意味します。ヴィクルティのあとには、ナラ、ピンガラ、カーラユクティ、シッダールティ、ローウドリ、ドゥルムキ、ドゥンドゥビ、ルディロードガーリ、ラクタクシ、クローダナという名の年がやって来ます。人はこれらの年をすべて経たのちに、アクシャヤにたどり着くことができます。神が化身するのはアクシャヤ年のみです。この体はアクシャヤ年のブランマムフールタ(早朝)の時間に生まれました。すべての物事の内なる意味を理解して、初めて何が善で何が悪かがわかるようになるのです。

チェンナイの人々への水の供給

パールヴァティは全世界に水をもたらす責任も負っています。パールヴァティはイーシュワラにこの恩恵を授けられました。カンジス河(ガンガー)はパールヴァティの化身です。ガンジス河がガンガー デーヴィ(女神なるガンジス河)として崇められているのはそのためです。何年か前、私は車でマドラス(チェンナイ)に行きました。チェンナイの近くにレッド ヒルズと呼ばれる場所があり、そこには水を蓄えるための巨大な貯水池があります。チェンナイ全土への水の供給はその貯水池からなされています。ところが、そのとき、貯水池には水がまったくありませんでした。それではそこから何が供給できるというのでしょうか? ある帰依者たちが、この貯水池にはこの10年水がないのですと私に言いました。私たちは、あちこちで子どもが水たまりからくんだ雨水を飲んでいるのを見かけました。それはとても汚い水でした。人々はその水を飲み水にも料理にも使っていると、私たちは聞かされました。

帰依者たちは私に、「スワミ! いったいいつこの貯水池は一杯になるのですか?」と尋ねました。物事を成就するには、カーラ(時)、カルマ(行為)、カーラナ(原因)、カルタッヴィヤ(道徳的責務)が適切に結合する必要があります。私は物事に着手している間、つねにこれらを念頭に置いています。そこで私は言いました。「私は今後10年チェンナイに足を踏み入れることはありません。チェンナイ住民のためにチェンナイ全土にきれいな飲み水が供給されたとき、私は再びチェンナイにやってきます」。それから10年が過ぎました。先日、私はチェンナイに行きました。チェンナイのいたる所に水が豊富にありました。飲むためだけでなく、作物を育てるためにも、水は十分にありました。

先日、私は再びテーイナムペートへ行きました。この地域の人々は嬉しそうに私に知らせました。「スワミ! 今、私たちは冷たくておいしい水を飲んでいます。私たちはどのようにしてスワミに感謝の気持ちを表したらよいでしょう? この感謝の気持ちは言葉では言い尽くせません」。私は言いました。「その水を飲んで幸せでいなさい。それで十分です。私には他に何も必要ありません」。神は何でもできます。けれども、人々の中には無知のために神性を認めない者もいます。そのような愚か者にはよい教訓を教える必要があります。お金をたくさん持っている裕福な人々は大勢います。けれども、彼らは物乞いに1パイサすら与えようとしません。そうであれば、彼らに何を期待できるでしょうか? そこで私はテーイナムペートの帰依者たちに言いました。「皆さんはだれにも何も頼む必要はありません。宇宙の創造者である神は、皆さんにすべてを与えることができます。ただ神に祈りなさい」。人々は心の底から祈り、祈りはかなえられました。今や、水道管を通 じてすべての家に水を供給するための設備が整いました。あばら家にさえもです。今、すべての人においしい飲料水が行き渡っています。私の心は甘露で満たされています! 皆の幸せが私の幸せです。これは、「ローカー サマスター スキノー バヴァントゥ」(世界の皆が幸せになりますように!)。他の人の幸せを自分の幸せと考えなさい。これがこの祈りの内なる意味です。あなたがたすべてがこうした態度で祈るべきです。

東西ゴーダーヴァリー川のシュリ サティア サイ恵の水プロジェクト

その後、私たちは東西ゴーダーヴァリー地区の恵の水プロジェクトを開始しました。西ゴーダーヴァリー地区の区長、バスカール・ラオが今ここに来ています。それはとても難しいプロジェクトでした。低地を流れる水を汲み上げるのは非常に困難でした。私はプロジェクトに携わっていた人たちに言いました。「あなたたちは自分の仕事をしなさい。その結果 はすべて私が引き受けます」。私は、ラルセーン・アンド・トウブロー前副社長ラーマクリシュナとアーンドラ プラデーシュ州の前エンジニア長コーンダル・ラオを送って、プロジェクトの仕事を監督させました。後日私が二人に会ったとき、「どうやって水を引き上げたのだ! どうやって水を引き上げたのだ!」と、二人は驚嘆していました。これは言葉で説明できるものではありません。百聞は一見にしかずです。

昨日、ラーマクリシュナとコーンダル・ラオがやって来て、私に懇願しました。「スワミ、どうか東西ゴーダーヴァリーの村々を訪れてください。村人たちはスワミの訪問を心から祈っています」。私は、行きましょうと告げました。近々、私はラージャムンドリーを訪れましょう。けれども、ラージャムンドリーから車で村々に行くことはできないので、歩くしかありません。以前、村人たちは私に嘆願しました。「私たちはスワミのお身体にいかなる負担も強いるようなことはいたしません。私たちはスワミに歩いていただかずにお連れいたします。必要とあらば、スワミを私たちの肩の上に乗せてお運びいたします」。村人たちはこのようにして喜びを表現していました。

バガヴァンが新しく始める村の発展計画

ウガディというこの神聖な日に当たって、私たちは村の向上のために新しい計画に着手します。すべての村のすべての家を清潔にすべきです。家の内外をこぎれいに清潔に保つためのプログラムを始めるべきです。村の子どもも、清潔で健康な子どもに育てられなければなりません。私はこのセヴァが村から村へと伝わって実施されることを望みます。これには、もちろん何千万ルピーという費用がかかります。しかし、私たちはお金のことに気をもみません。お金は入っては出て行くものですが、他の人に施された援助は永遠に残ります。ですから、可能なあらゆる方法で、村の発展に努力を傾けるべきです。ウガディという神聖な時にちなんで、本日から私たちはこの計画に着手します。大人も子どもも、富める者も貧しい者も、皆このプロジェクトの成功のために一致団結して働きなさい。このセヴァはありとあらゆる人を団結させるべきです。一体性の精神を育み、村の人と町の人が団結すべきです。私たちはこの仕事を今日この時から始めます。この計画はすぐに現実のものとなるでしょう。次のウガディまでにすべての村がこの計画に組み入れられることが予想されます。学生も含め、すべての人がこのセヴァの仕事に参加し、それを神への奉仕と見なすべきです。人への奉仕は神への奉仕です。

目下のところ、私たちは個人的なレベルに留まっています。しかし、私たちは一体性の精神を育み、国全体を団結させるべきです。先日チェンナイで開かれた会議には、数多くの大臣、インドのさまざまな州の州知事や知事、多くのインド行政官(インドの上級国家公務員)、そしておびただしい数の一般 人が参加しました。チェンナイで見られた一体性の精神を胸に、すべての人が団結して、この村々の発展計画に参加すべきです。もし、すべての人が団結すれば、全世界は即座に一つになります。私たちは固い決意をもってこの仕事に加わるべきです。決してだれのところにも資金集めに行ってはなりません。私がすべてを与えます。必要なものは何であれ、私に頼みなさい。私が与えます。すべての川が最終的には海に流れ込むように、だれに対して行うセヴァも私に届きます。恐れを抱いてはなりません。必要なものは何でも、ためらうことなく私に求めなさい。必ずや私がすべてを与えましょう。男性も女性もこの仕事に参加する準備を整えなさい。

インド中が清潔で美しくなって団結すべき

先日、帰依者の一行がムンバイからプラシャーンティ ニラヤムへやって来ました。一行は皆裕福でした。一行は私に申し出ました。「私たちはムンバイ近辺の海にストゥーパ(塔)を建設したいのです。そのストゥーパは高さが何十メートルもあり、サイ ラムという文字が刻まれます。このプロジェクトが完成した暁には、スワミのダルシャンをいただきにプラシャーンティ ニラヤムにやってくるつもりです」。遠くからでも見えるように、夜にはライトアップされる予定です。このプロジェクトには何千万ルピーという費用がかかるでしょう。確かに、ムンバイの帰依者たちは多くを行っています。行っていることはすべて良いことですが、ムンバイの都市はとても汚れています。何よりもまず、ムンバイを公害のない都市にしなさい。これに関しては以前、ある人たちが尽力しましたが、うまくいきませんでした。理由はというと、満潮になると海面 が高くなり、市街のいくつかの地域が海面よりも低くなってしまうからです。皆さんも知っている通 り、水は低いほうに流れます。排水をポンプで汲み出さないかぎり、ムンバイは清潔にはなり得ません。ムンバイの人々には必ずそれができます。そこで、私は一行にはっきりと言いました。「あなたたちがこの仕事をしなさい。私は必ず訪れますから」と。一行全員が手を組めば、どんな仕事でもできます。加えて、一行にはその仕事に必要な根気と不屈の精神が備わっています。私はバーラタの国の全土が清潔で美しくなり、国民のすべてが平安と至福のうちに暮らせるよう願っています。スワミの幸せはすべての人の幸せにあります。私の幸せは皆さんの幸せと別 個のものではありません。もし、皆さんがたすべてが幸せなら、私も幸せです。皆さんの幸せは私の幸せです。ですから、どんな仕事に着手するときも、すべての人の平安と幸福のために行うようにしなさい。

人は何よりも水を必要とします。水は生命を支えるものです。二、三日食べ物がなくても生きられますが、水なしでは生きることができません。これから先、あり余るほどの雨が降ることでしょう。だれも苦労することはなくなります。実際、私はあらゆる苦難から世界を救うためにやって来たのです。私は皆さんの欠点を直し、過ちを許すことによって、確実に皆さんに幸せを与えます。皆さんは一体性と愛のうちに生きなければなりません。私たちは、プラーナ、アパーナ、ヴィヤーナ、ウダーナ、サマーナがパンチャ プラーナ(五つの生気)であると考えていますが、そうではありません。人間にとってのパンチャ プラーナは、サティヤ(真理)、ダルマ(正義)、シャーンティ(平安)、プレーマ(愛)、アヒムサ(非暴力)です。真理があるところにはおのずと正義が生じます。正義の道をたどることによって平安に到達します。平安から愛が生じます。真理と愛は相伴います。この二つをもっている人はすべてをもつようになるでしょう。

ハリジャンの家庭への訪問

昔、プッタパルティでは、ハリジャン(不可触民)の家は村から隔離されていました。私はよくハリジャンの家も訪れていました。そこにはナガッパという名前の者がいました。ナガッパの義理の息子ラームールが受けた教育は(八学年のうち)三学年まででした。ラームールはスワミのことをいくぶんか知っていました。ある日、ナガッパが私を自宅での食事に招待しました。私がそのことをスッバンマに告げると、スッバンマは私を思いとどまらせようとして、こう言いました。「何ですって、スワミ! ハリジャンの家に行くおつもりですか? どうかおやめになってください」。私は行くと言い張りました。そして、スッバンマにもいっしょに来るようにと言いました。スッバンマは正統なブラフミン階級に属していました。にもかかわらず、スッバンマは私について行く決意をして、こう言いました。「スワミのためなら私は何でもするつもりです」。私が先に歩き、スッバンマは私のあとについてきました。ラームールが道案内でした。ナガッパの家につくまで、辺り一帯が甘い香りに包まれていました。私は家の人に「この香りはどこで焚いているのですか?」と尋ねました。ラームールが答えて言いました。「スワミ! 私たちは何もしていません。香りはスワミご自身が漂わせているのです」。私は家の中に入りました。スッバンマは喜んで私のあとに続きました。スッバンマはそのとき62歳でした。私はアルミの皿でご飯を出されました。実際、それがその家にあったすべてでした。ステンレスの皿はまだ流行していませんでした。スッバンマは別 のアルミの皿でご飯を出されました。初め、スッバンマは高いカーストのブラフミンとしての優越感を抱いていました。のちに、スワミの忠告によってスッバンマはその態度を変えたのでした。スッバンマは思いました。「この私めが! 高いとか低いとか、差別 意識をもつべきではない」。スッバンマはその家でスワミといっしょに楽しく食事をしたのでした。

村に帰ると、村人たちはいっしょになって、「スッバンマはマラ(ハリジャン)になった。だれもスッバンマには触らないように」と言ってやじり始めました。スッバンマはこう答えました。「望むところです。みんな私に触らないようにしておくれ。スワミが私に触ってくださればそれで十分です。私には子どもはいませんから、娘をよその家に嫁がせる必要もなければ、よその家の子を家に入れる必要もありませんから。スワミが一緒にいてくださるだけで十分です」。スッバンマは帰依者全員のための食事を作っていました。このもてなしの気持ちから幸運がもたらされ、スッバンマは自分の畑から豊かな収穫を得ていました。スッバンマは年に二、三度収穫を得ていました。それほどの米を家に貯蔵しておくことは不可能だったため、米は特別 に作った穀倉に入れていました。このように、スッバンマはスワミへの奉仕に人生を捧げていました。ある日、私はスッバンマに尋ねました。「スッバンマ! 何がほしい?」。スッバンマは答えました。「スワミ! 私にはこの世的な欲はございません。私が肉体を去るときに、スワミのその神聖な御手で死水をとっていただけるなら、もうそれだけで十分です」。私はスッバンマの願いをかなえると約束しました。

スッバンマの解放

あるとき、私はチェンナイから車で帰ったことがありました。スッバンマがその前夜に亡くなったのでした。スッバンマの親戚 は、遺体をスッバンマの家からブッカパトナムにある火葬場に運ぶ手配をしているところでした。親戚 たちは私を見るとすぐに、駆け寄ってきて言いました。「スッバンマが昨日亡くなりました」。私は言いました。「それは幻覚にすぎません。スッバンマは死んではいません。スッバンマは私を見るまで肉体を去ることはありません」。そう言うと、私は車を引き返してスッバンマの家に向かいました。スッバンマの母親はまだ健在でした。母親は悲しみに打ちひしがれ、こう嘆きました。「スワミ! 娘はずっとスワミのことを思いながら、『サイラム、サイラム』と昨夜まで唱え続けていました。娘は『スワミはいらっしゃいましたか? スワミはいらっしゃいましたか?』とずっと尋ねていました」。スッバンマの遺体には布が掛けられていました。私は布を取って、スッバンマを呼びました。「スッバンマ! スッバンマ!」。スッバンマは目を開き、だれもが驚愕しました。神が約束をしたら、どんな状況にあっても神はその約束を忘れることはありません。私は言いました。「私の手で死水をとることを望んでいたのでしょう? さあ、これを飲みなさい」。そう言って、私は水の入ったコップにバジルの葉を浸し、その水をスッバンマの口に含ませました。するとスッバンマは水を飲み、私の両手をしっかりとつかんでうやうやしく両目に当てて言いました。「スワミ! 私はスワミにいとまごいをするためにずっと待っていたのです。今、去ることをお許しください」。私は許可を与え、スッバンマは私に融合しました。私は彼女の思い出に集合住宅を建て、スッバンマの名をつけました。

スッバンマは偉大なる魂でした。スッバンマはよく自宅のテラスに上がっては、窓越しにイーシュワランマと話をしていました。スッバンマはよくこう言ったものです。「イーシュワランマ!あなたはスワミを生んで、私はスワミを育てたのだから、あなたはデーヴァキー(クリシュナの生みの母)で、私はヤショーダー(クリシュナの育ての親)ね」。イーシュワランマはこう答えたものです。「スッバンマ! あなたは自分の家で食事や宿を提供して、何百人ものスワミの帰依者に奉仕した。そのセヴァの実が結ばないわけはないでしょう? 必ず結びますよ」。肉体を去る前、スッバンマはイーシュワランマのもとへやってきて懇願しました。「私は行きます。よくサティヤの面 倒を見てあげて」。二人とも泣いていました。次の日、スッバンマは死にました。

舌と思いをきれいに保ちなさい

スッバンマの夫はナーラーヤナ・ラオという名でした。ナーラーヤナはいつも、自宅の前にあったトゥラスィー ヴルンダーヴァナ(神目箒(かみめぼうき)の植木)の近くに座っていました。ナーラーヤナが悪い道にそれたとき、私は彼を正そうと、歌をいくつか作って、数人の子どもたちに家の前で歌うように教えました。子どもたちは集ってナーラーヤナの家に行き、それらの歌を歌いました。その一つがこれです。

性格の悪い女たちと付き合ってはいけない
必ず堕落する
自分のカーストから追い出される
親戚からは邪慳(じゃけん)にされて、放り出される
友人に見られたら、チャッパルでたたかれる!

(テルグ語の歌)

子どもたちが集ってこの歌を歌いながら歩き回っていたとき、ナーラーヤナはひどく恥ずかしい思いをしました。ナーラーヤナは子どもたちを家の中に呼んで尋ねました。「だれがお前たちにその歌を教えたのだね?」。子どもたちは答えました。「ラージュが教えてくれました!」。ナーラーヤナは思いました。「確かにそうだろう。ラージュの他にだれが私の悪癖を知り得るだろう?」。そのときから、ナーラーヤナは非行と悪癖を断ったのでした。当時、ナーラーヤナの家によくマンゴーの荷車が来ていましたが、ナーラーヤナはまた、子どもたち皆にそのマンゴーを配ったのでした。

左手首に革ベルト巻いて
銀メダルをくっつける
そしてこう言う――これが流行りさ!
見るに耐えないおかしな格好
そしてこう言う――これが流行りさ!
長い口髭(くちひげ)短く切って
鼻の下にちょびっとちょび髭
そしてこう言う――これが流行りさ!

(テルグ語の歌)

こんなふうにして、人々が流行に夢中になるのをやめて、気高い思いを育むことができるよう、私はよく歌を作って村の子どもたちに歌わせていました。私はそのような方法で、子どもたちから年長者に至るまで、ありとあらゆる人に変容をもたらしたのでした。

今日、この日から、あなたがたは皆、村々に変容をもたらすという使命に乗り出すべきです。それは、村を町や都市へと変えるべきだということを意味しているのではありません。それは望まれていることではありません。まず第一に、村を清潔に保つべきです。町や都市はすっかり汚染されています。一見すると、人々は清潔そうで、きれいなズボンやシャツやネクタイをしています。しかし、心の中の考えや思いは皆、汚れています。清潔な白い服を身につけるなら、同じように、考えと思いの清らかさと神聖さも保つべきです。まず自分自身を変え、それから世界を変えるために働きなさい。

昨日、三人の少年がイーシュワランマの生涯をブッラ カター(アーンドラプラデーシュの伝承芸能である歌物語り)で披露してくれました。とても上手でした。スッバンマに関する描写 もたいへんよくできていました。そのすべてが私をとても幸せにしてくれました。これまでだれもあの話をそのような方法で書いた者はいませんでした。

(スワミはその脚本を書いたシュリ・クリシュナ・バスカールとブッラ カターを行った三人の少年を演壇に呼んで祝福しました。また、スワミは衣服も手渡し、いっしょに記念写 真もお撮りになりました)。

サイババ述

翻訳:サティア・サイ出版協会
出典:Sanathana Sarathi April 2007 p134-144
http://www.sssbpt.org/Pages/Prasanthi_Nilayam/Ugadi_Discourse20mar2007.html