サティヤ サイババの御言葉

日付:1962年11月24日
場所:プラシャーンティ ニラヤム
御降誕祭 連続講話?

ほんのわずかな小さなエゴ

平安の化身たちよ!

私は今日、皆さんを「平安の化身」と呼びましたが、もしかしたら、「きわめて大きな平安の化身たちよ!」と言ったほうがよかったかもしれません。なぜなら、皆さんは平安だけでなく、きわめて大きな平安を見せてくれているからで、それは通常の忍耐力ではありません。皆さんは3時間近くも床にしゃがんで座っています。たぶん、自分ではそれに気づいていないでしょう。それは、ギーター〔『バガヴァッドギーター』〕に関するブルス・アッパンナ・シャーストリの博学な講演と、『バーガヴァタ』に関するカッルリ・ヴィーラバッドラ・シャーストリの興味深い講演が、皆さんをおおいに夢中にさせていたからです。皆さんが私にも話をしてほしがっていることには、私も気付いています。ここにいる、バンガロールから来た花屋は、長年の帰依者です。そう、おそらく20年来の帰依者でしょう。その彼らが、花で飾ったジューラー〔ぶらんこ〕を準備していて、私にそれに乗って皆に見せるようせがんでいます。私はそれを約束したので、がっかりさせるわけにはいきません。ですから、ごく手短に話します。

皆さんは、22日の夜に国境を越えて侵入してきた中国軍が、高次の力の不思議な働きによって促され、すでに自ら撤退したことを知ることになるでしょう。私が言った通り、私の誕生日は喜びの空気の中で祝われました。目に見えない力が、すんでのところで彼らをつかみ、後ろに放り投げました。人は、悪魔の力、すなわち、貪欲と強欲によって、攻撃的な戦争状態へと押し進められますが、神によって、神の力によって、強引に引き返させられるのです。

アッパンナ・シャーストリは、ギーター学者の第一人者です。ギーターには数々の解説書があり、それは私の髪の毛の本数と同じくらい多くあります! イェーラッパの書いた解説書はギーターをイェーラッパ ギーターへと曲解しようと試みたものでしたが、マラッパの書いた解説書はマラッパ ギーター以外の何物でもないということを証明しています。誰もが、ギーターはバガヴァッド ギーター〔神の詩〕であるということ、クリシュナが説きアルジュナが学んだものであるということを忘れています。「アルジュナの状態はどのようなもので、クリシュナはいかにしてそれを癒したか?」 この問いに取り組んでいるのは、シャンカラーチャーリヤの解説書だけです。

社会におけるブラーフマナの役割

アッパンナ・シャーストリは、「アヴァターはダルマの確立のために降臨する、そして、それはブラフミン〔バラモン〕を育てること、保護することによって達せられる」と述べました。ブラーフマナ〔バラモン階級〕とは、ブラフマ タットワ(至高神の本質)が据えられている者、ブラフマンの真理、すなわち、他でもなくブラフマンこそが真理である、ということを悟っている者、あるいは、少なくとも、その英知に到達するために定められている戒律に熱心に従っている者、のことです。ブラフミンは、社会がブラフマ グニャーナ(絶対実在の神聖な英知)という宝を発掘するための道具です。その道具のいくつかが、鈍い、不適当なものになっています。なぜでしょう? ブラフミンの多くが他の目的のほうを向いており、そのせいで、自分をその務めに不適切な者にしているからです。しかし、もちろん、道具は、もう一度同じ金属から作り出すことができます。ブラフミンは、今でも、信仰と道徳を復活させることができます。それは、サナータナ ダルマ〔古来永遠の法/永遠の宗教〕の創始者たちがブラフミンに課した目的である、元来の働きに献身することによって可能となります。可能性がある限り、ブラフミンを嘲笑したり、責めたりしてはなりません。ブラフミンを嘲笑することは、神を嘲笑すること、ヴェーダを嘲笑することにほかなりません。ブラフミンは、神への道標、ヴェーダへの道標と見なされているのですから。

自分の見る目を正し、迷妄を取り除きなさい

この創造世界のすべて、この歴史のすべては、神のリーラー〔神聖遊戯〕であり、もっと厳密に言えば、神自身であり、ブラフマンの真実であり、世界の真実です。ブラフマンと世界(ジャガト)が消えてしまうまでは、世界は唯一の「相対的な事実」であり、そのとき、世界さえもがブラフマンとして見られ、ブラフマンとして感じられ、ブラフマンとして知られます。そのとき、人は、「一切は至高者で満ちている」(サルヴァム ブラフマ マヤム)ということを知ります。もっと正確に言うならば、「満ちているもの」(マヤム)として認識されるべき、切り離された「一切」(サルヴァム)というものは存在しません。ブラフマンだけが、唯一無二のもの(アードヴィティーヤム)、一なる者(エーカム)、永遠なる者(ニッティヤム)、純粋なる者(ヴィマラム)、不動なる者(チャラム)です。誰が、一なる者(エーカム)からこのあらゆる多様性を創ったのでしょう? その答えは、「多様性はまったく存在していないので、この質問は成り立たない」というものです。この「多」は、人が作ったものでもなければ、力や衝動、連鎖、状況、偶然が作ったものでもありません。

「多」は存在しません! 「一」は「一」のままです。あなた方が、それを「多」と間違えているのです。誤りはあなた方にあります。あなたの見方を正しなさい。あなたの迷妄を取り除きなさい。ブラフマン(至高の実在)がプラクリティ(相対世界)に変わったのではありません。縄が蛇に変わることはありません。あなたが縄を蛇と間違えたのです。いつも、そして、永遠に、ブラフマンはブラフマンです。この事実に対するあなたの無知が、あなたにブラフマンをプラクリティとして見させているのです。世界〔現象界〕は迷妄という一本足で立っています。その足を切り落とせば、世界は倒れます。

あなた方は、迷妄に基づいた、この多様性、この「多」、このプラクリティ、この世界の消滅を、毎日経験していながら、その経験にしがみつこうとしません。それが悲劇なのです! あなたが眠っているとき、あなたの世界はどうなっていますか? あなたの多様性は何に包まれていますか? 深い眠りがもたらす気持ちのよさの根源は何ですか? 眠りは、世界の形見として、ほんのわずかな小さなエゴをとっておきます。そのため、眠りから目覚めても、あなたは前と同じ、迷妄に覆われた人であり、自分の空想が作り出したものによってしつこく悩まされている人なのです!

だから私は、何度もあなた方に、私をこの肉の寄せ集めだと思わないようにと言っているのです。しかし、あなた方は理解しません。あなた方は私を一つの名前で呼び、私には一つの姿しかないと思っています。覚えておきなさい、私のものでない名前はなく、私のものでない姿はないということを。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.2 C50