日付:1965年11月23日
場所:プラシャーンティ ニラヤム
ババ様の40歳の御降誕祭の御講話?より
真理の探究はあなたの日々の霊性修行にならなくてはなりません。一瞬一瞬をその主たる義務のために用いなさい。真理はあなたの知性がタパスによって清められた時に、あなたの知性に映し出されます。タパスとは、より高い動機をもってなされるあらゆる行為、アートマを求める熱望を示すあらゆる行為、過去の愚行を悔い改めること、徳を貫こうという確固たる決意、自制、成功と失敗に直面しても平静を貫くことを意味します。ターパム〔タパスの語根〕とは、熱、燃えること、強烈さ、熱心に努力することを意味します。捨離と規律を養うのはタパス(苦行あるいは宗教上の厳格さ)です。
この規律は、現代のように、道をそらせようとする誘惑が非常に多い時には欠くことのできないものです。この鉄の時代(カリユガ、末世)、暗黒が人の心を覆い隠す時には、歩む道を照らすことのできるどんな小さなランプも大いに歓迎されます。だからこそ、私はあなた方に、善行(サット カルマ)、善い振る舞い(サダ アーチャーラ)、善い態度(サット プラヴァルタナ)に立脚するようにとアドバイスするのです。そうすれば、つねに主と共にいることができるでしょう。さらに、あなた方は自らを高める言葉を「聴く」こと(シラヴァナ)、そのアートマの促しを反芻すること(マナナ)、それから、その正当性を認識したら、それを深い畏敬の念をもって瞑想すること(ニディディヤーサナ〔消化吸収/実践〕)、に努力を傾けなければなりません。これらのみが向上をもたらすもの、有益なものであり、これら以外の行為は二次的なものです。
今日は日蝕があり、大勢の人が降誕祭のお祝いは行われるのだろうか、それとも延期になるのだろうかと、心配していました。月の影が太陽を覆うのは、恐れるべき災厄ではありません。悪いことが起こる前兆、不吉なことと見なすべき蝕は、マーヤー(幻)の影が知性を覆うことです。心は月、知性は太陽です。心と知性が蝕を被らないよう注意しなさい。そうすれば、あなたは安全です。外界の空に何かが起こっても、心配せずにいなさい。暗い欲望、卑しい激情、醜い感情、残忍な意図が、あなたの内にある空に暗い影を落としたら、心配しなさい。主の光輝、主の涼やかな光が、あなたのハートの奥で薄暗くならないよう注意しなさい。
プラシャーンティ ニラヤムの紋章
誰かがいつもの席順を変えたことに私は気づいています。女性が左側、男性が右側に座っています。つまり、女性はほとんど灼熱の太陽に照り付けられ、男性は木陰に座っています。ですから、私は皆さんをこれ以上長く引き止めるつもりはありません。私はプラシャーンティ ニラヤムのシンボルである旗〔蓮の花が先端に付いた塔の周囲に五大宗教のマークがあしらわれており、その蓮の花の中央から英知の炎が生じて光を発している様子を、塔を赤、マークを白、光を濃いオレンジと薄いオレンジの縞で描いた旗〕を掲げるつもりです。この旗は、プラシャーンティ〔大いなる平安〕、すなわち、人がすべての二元を押しのけて穏やかな心の安定という至高の歓喜を得て、浮き沈みや苦楽によって心が乱されず、心の波立ちが静まり、嵐が二度と襲ってこない状態の象徴です。この旗には紋章が描かれていますが、それはこのベランダの正面にあるコンクリート製の象徴〔サルヴァ ダルマの塔〕を表したものです。これは巡礼者が自分のハートの祭壇に祀られた主の玉座に前進していくことを要約しています。
巡礼者は、カーマ(世俗的な欲望)の荒野を踏み越え、怒りの雑草が茂るぬかるみを乗り越え、憎悪と敵意の崖を乗り越えて、進まなければなりません。そうすれば、調和と愛の緑の牧草地でくつろぐことができるでしょう。人は、このようにして自分の内にいる敵を征服し、ヨーギ〔神との合一を果たす人〕として内なる王国の波立ちを沈め、自らのハートの静寂の中で休息しなければなりません。これが、この円の中心にある柱の六重の輪の意味です。六つの輪は、ヨーギの修行における人の脊柱のナーディ(霊管の流れ)の六つのチャクラ(エネルギーの中心)です。
最も奥まった意識の、乱されない静けさの中に定まった人は、ハートの蓮の花が千の花びらを開き、それから真理への目覚めの炎がプラシャーンティ〔大いなる平安〕として光を発するのを見出します。その瞬間、求道者は、自分と自分以外の人々はすべて一つであること、その一つとはブラフマンであることがわかります。この進歩は、どの人も今日か将来、今生か来世で果たさなければならないものであり、この旗のシンボルとしてはっきりと描かれています。ですから皆さんは、この旗がプラシャーンティ ニラヤムの上にはためく時、自分のハートにも同じ旗を掲げる決意をしなさい。今日、長い巡礼の旅の第一歩を踏み出しなさい。得るために捨てなさい。受け取るために抑えなさい。もっとはっきりと見るために(内を見ること)盲目(外界を見ない人)になりなさい。
サイババ述
翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.5 C55