サティヤ サイババの御言葉

日付:1966年
人間の卓越性に関する御講話より

創造物の頂点

従来の創造物の数は840万種であり、その進化の過程の最後の種が人間です。しかし、その数はなぜ840万種で止まったのでしょうか? そこで止まったのは、人間が頂点であり完全だからです。実のところ、人間はマーダヴァ〔神〕なのですが、人間はその真実を無視し、自分はただの人間にすぎないという信念にしがみついています。

人間には生まれつき、マナス(マインド/心)、ブッディ(知性)、チッタ(推論する能力)、アハンカーラ(エゴ)が賦与されています。この4つすべてが一人の人間の中に統合されています。それに対して、鳥や動物、その他の種は、たいていアハンカーラ(エゴ)しか持っていません。それらの種の一生は、アハム〔「私が」という自我〕とその欲望や要求が中心となっています。しかし、人間はサティヤ〔真理〕、ダルマ、シャーンティ〔平安〕、プレーマ〔愛〕に従う能力を持っていて、それは人間だけが持っているのです。もしその能力を表してそれを発達させなかったら、人間はヴァーナラ(猿)やダーナヴァ(人食い鬼)と同じように悪くなってしまうでしょう。

人間が創られた時、人間を上回るものを創り出す必要などありませんでした。この点を明示するカーリダーサ〔古代インドの宮廷詩人で劇作家であったサンスクリット語の詩聖/カーリー女神のしもべの意〕の話があります。ボージャ王の宮廷の詩人や学者たちが、カーリダーサの評判がうなぎ登りに上がったこと、そして、王室のパトロンがカーリダーサに惜しみなく与えたものの大きさに嫉妬したと言われています。そのため、彼らはカーリダーサに関する毒言を王の耳に吹き込みました。王がそれらの陳述は嘘か真か確かめようとカーリダーサに問いただした時、カーリダーサは一人きりで、自分を中傷する者たち対して無力でした。カーリダーサには、自分のもう一人のパトロンであったカーリー マータ、すなわち母なるカーリー女神しか訴える相手がいませんでした。カーリダーサは王に言いました。

「私は寺院でカーリー女神に祈り、身の潔白を証明してもらいますから、全員をその場に来させてください。そうすれば、カーリー女神が下さる返答を聞くことができます。」

母なる女神へのカーリダーサの信心はそれほどのものでした。

翌朝、宮廷中の者たちがカーリー寺院にやって来ました。カーリダーサが祈ると、ぴんと張り詰めた静寂の中、皆に声が聞こえました。

「カヴィルダンディー、カヴィルダンティー、バヴァブーティストゥ パンディタハ」(ダンディ〔古代インドの作家で詩論学者/ダンディン〕は詩人、ダンディは詩人、バヴァブーティ〔古代インドの劇作家〕はパンディト〔学僧〕)

それがすべてでした。求めていたのはカーリダーサとその是非についての審判でしたが、カーリダーサについては何も言及されませんでした。当然ながら、カーリダーサは激怒しました。カーリダーサはかっとなって我を忘れ、

「コーハム ランデー?」(この女狐〔めぎつね〕め、私は誰だ?)

と怒鳴りました。カーリー女神は黙ったままでした。しかし、その言葉がカーリー女神の怒りを買ったわけではありませんでした。しばらくして、カーリー女神は答えました。

「トワメーヴェーハム、トワメーヴェーハム、トワメーヴァ アハム、ナ サムシャヤハ」(あなたは私、あなたは私、私はあなた、それは疑いのないこと)

この同一こそが人間の運命なのです。

すべての行為をバクティで満たしなさい

ヴィヤーサ仙は、人間に人間の価値を気づかせました。ヴィヤーサ仙はヴェーダを編纂し、『マハーバーラタ』、『バーガヴァタ』、18のプラーナ〔神話集〕、『ブラフマスートラ』を書きました。最も高く崇敬されているのはヴェーダかもしれませんが、これらにはどれも、同じ甘美な教えが含まれています。

ボートは小さな乗り物かもしれませんが、ボートはあなたに海を渡らせてくれます。ランプは小さな器具かもしれませんが、ランプは密林を通り抜けるあなたの道を照らしてくれます。必要なのは、継続的な努力、途切れのないカルマすなわち行いです。たいまつ(松明)は2メートル弱しか照らせないのに、あなたは夜のうちに3キロ進まなければならないかもしれません。しかし、絶望してはいけません。たいまつを手に持って歩き続けなさい。一歩進むごとに、たいまつが数歩先まで照らし出してくれるでしょうから、あなたは目的地に安全に到達することができます。

歩き続けなさい。なまけて道端にしゃがみ込んでいてはいけません。一歩進んだら、別の一歩を踏み出しなさい。シュラヴァナ(傾聴)、マナナ(反芻)、ニディディヤーサナ〔聴いたことを実践すること〕(集中)と、順に進んでいきなさい。ただし、すべての行為をバクティ〔神への愛/信愛〕で満たしなさい。バクティは、人生にさらなる欲望を起こさせるために付け加えられるものではありません。バクティはまさに命の息吹です。バクティは、あらゆる行い、あらゆる言葉、あらゆる思考を鼓舞すべきものです。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.6 Ch15