日付:1966年3月16日
場所:サンダール ヴァッラブバーイー パテール スタジアム(ボンベイ【ムンバイ】)
この巨大都市のさまざまな魅力あるものや娯楽をやめて、皆さんは神霊の呼び声に引き寄せられてこのスタジアムへやって来ました。これは誉められるべきことです。なぜなら、神霊の光は、世俗の事柄の闇の中でもがき苦しんでいる人たちにとって、真のかがり火だからです。闇は混乱を作り出し、あなたに物を見間違えさせます。闇の中では、木の切り株が、あなたの財布を盗もうとして潜んでいる泥棒のように見えます。アートマの知識は光であり、闇も、闇が作り出す疑心や多様性も、追い払ってくれます。アートマの知識がなければ、人は荒野で道に迷ってしまいます。人は、まるですべての記憶を失くしてしまったかのように、自分の名前も生まれた場所も自分が行こうとしている場所も忘れてしまったかのように、振る舞っています。そうした人々は、賢者たちの憐れみを誘います!
自分の正体であり、自分の存在そのものであるアートマを自覚することは、英知のしるしであり、闇を追い散らすランプへの点火です。アートマは至福の顕現、平安の顕現、愛の顕現ですが、これらはすべて自分の中にあるということを知らないと、人は自分の外にそれらを探し求め、その期待はずれの追求に疲れ果ててしまいます。鳥は、船のマストから離れて遠くまで飛んでいっても、またマストに戻らなければなりません。なぜなら、そこ以外、疲れた羽をたたんで止まれる場所はないからです。
英知がなければ、霊的な至福と平安を得ようとする努力の一切は無駄に終わります。あなたはお米と豆と塩と野菜とタマリンドを持っているかもしれませんが、それらを柔らかく、味よく調理するための火がなければ、それらはないのと同じです。それと同じように、ジャパ〔神の御名や短いマントラを繰り返すこと〕、ディヤーナ〔坐禅/瞑想〕、プージャー〔供養礼拝〕、巡礼――これらはどれも、そのプロセスをウォームアップするための基本的な真理と自分の実体に関する知識を持っていないなら、効果はありません。
アートマは、あらゆる喜びと平安の源であり泉です。このことを認識し、それについて深く考えなければなりません。この認識がなければ、人としての生涯は失われた機会となります。人は、ここから抜け出す方法を習うために、何度も何度もこの荒野にやって来なければなりません。食べる物の量、ベッドで過ごす睡眠時間、稼いで楽しむ富は、もし人生の主たる目的が無視されるなら、膨大な浪費に終わります。
美徳は強さ、悪徳は弱さ
人生は敵との戦いです。人生は、障害、誘惑、困難、躊躇との戦いです。この敵たちは、人の内側にいます。ですから、その戦いは絶え間なく、果てしないものとならざるを得ません。血流の中で成長するウイルスのように、情欲、貪欲、憎悪、悪意、慢心、妬みという悪徳は、人間のエネルギーと信心を徐々に奪って、人を時期尚早の崩壊に陥らせます。ラーヴァナは、学識、強さ、富、力、権威、そして、神の恩寵を得ていました。その一切があったにもかかわらず、心に巣食っていた情欲と慢心というウイルスが、ラーヴァナに破滅をもたらしました。それらのウイルスが活動を始めてからは、ラーヴァナはほんの一瞬も平安と喜びをもって生きることはできませんでした。美徳は強さであり、悪徳は弱さです。
内にいる敵たちとの戦いは、人それぞれ違います。どの人も、自分が行ったサーダナ〔霊性修行〕に値する結果、今生と前生での行いに値する結果を得ます。人生は、2+2は必ず4になる、機械的な計算式のとおりにはなりません。2+2はある者にとっては3かもしれないし、別の者にとっては5かもしれません。それはその人が2をどう評価するかによります。さらに、霊性の道においては、自分が今いるところから、一人ひとりが自分のペースで、自分が手に持っているランプの光で道を照らしながら、前に進んでいかなければなりません。悪魔は、うぬぼれが強すぎて、主の前にひれ伏すことができませんでした。武器や数字に頼りすぎていました。神霊の持つ自分よりも精妙で強い力を無視していました。その力は、山も橋も海も持ち上げて、元素の怒りを無にすることができました。
あなたは自分の性格を自己診断して、そこにはびこる欠点を見つけ出す努力をしなければなりません。他人の性格を分析して欠点を見つけようとしてはいけません。内省は、これまで育んできた自分の霊性を徐々に蝕んでいくやもしれぬ欠点を明らかにするために、とても必要なことです。人々は濃い色の洋服を買います。それは、そのほうが、ほこりや汚れが目立たないからです。人々は白い服は好みません。白い服は汚れの状態がはっきりとわかってしまうからです。けれども、あなたの汚れは闇の中に隠そうとしてはいけません。汚してしまったもろもろの性質を恥じて、それらの汚れをすぐに洗い落とすよう努めなさい。
人は五感の熱に苦しんでいる
ボーガ〔享楽〕、あるいは、今、贅沢と呼ばれているもの、人々を興奮と狂気の追及へとずるずると引き込んでいくもの、これらの本性についても考えなさい。食品の多種多様な味や色や匂いの一切は、公平に正面から考えるなら、飢えという病を治す薬にほかなりません。人間が考えだした飲み物の一切は、渇きという病を軽減する薬にほかなりません。人間は、五感の熱に苦しんで、気晴らしや娯楽、ピクニックや宴会、ダンスといったインチキ療法を試しますが、結局、それでは熱が下がらないことに気づくだけです。潜んでいたウイルスを無力にさせた時、初めて熱は下がります。英知の光が射した時、初めてウイルスは死ぬのです。
人の心(マインド)を引き付ける2つのものがあります。それは、ヒタ(有益なもの/ためになるもの)とプリヤ(快いもの/大好きなもの)です。快いものよりも、有益なものを好みなさい。なぜなら、快いものは、あなたを底のない落とし穴に滑り込ませる道へと導いていくかもしれないからです。
ヴィビーシャナはラーヴァナに有益なことを話しましたが、ラーヴァナは自分に媚びへつらう大臣たちが話す快いことに耳を傾けました。ラーヴァナは弟を追放し、ご機嫌取りを厚遇したのです。有益なものよりも快いものを好んだことが、ラーヴァナの運命を決めました。
真の医者はあなたの病気をすべて治すことに関心を持ち、そのために、あなたの健康を回復するのに有益なことを助言します。グル〔導師〕とはそのような医者のことです。たとえグルの処方箋が口に合わなくとも、グルの言いつけを守りなさい。なぜなら、グルによってのみ、あなたは治ることができるのですから。
静寂、簡素、謙遜を養いなさい
今、この国は、有益なものではなく、快いものを追い求めています。すべての困窮と不満の理由はそこにあります。インド文化は常に、困難な道、有益な道を重視してきました。ところが、人々は今、五感の要求に応じる文化――外側のもの、外部のもの、虚飾、気まぐれ、幻、刹那的なもの――を追い求めています。インド文化は、五感の要求に応じるのではなく、五感をコントロールするようにと助言しています。
車はハンドルで運転しますが、ハンドルは車の中にあります。ハンドルを回すと外側のホイールが動きます。それと同じように、人間も中にあるハンドルを回さなければなりません。そうすれば、前に進むことができます。外側でホイールを動かそうとするのは、無知の印です。それは貴重なエネルギーの浪費です。外側に気を散らすよりも、内側への集中を深めるべきです。
騒音、複雑、うぬぼれではなく、静寂、簡素、謙遜を養いなさい。1日24時間のうち、6時間を働いて収入を得ることと支出することに、6時間を神を想うことに、6時間を睡眠に、6時間を他者への奉仕に使いなさい。あなたたちは今、神を想うことに5分も費やしておらず、それを恥じてもいません。なんという悲劇でしょう!
解脱を味わいたいという思いを募らせるための最善の策
あなたの現在の状態(シティティ)、向かう方向(ガティ)、能力(シャクティ)、傾向(マティ)について、じっくりと考えなさい。それから、段階を追ってサーダナの道に入っていきなさい。そうすれば、毎日、毎時、毎分、ゴールに近づくのが早まっていくでしょう。
アルジュナは、主自身からギーター ウパデーシャ(霊的指導)を受ける資格を与えられました。なぜなら、アルジュナは、ヴィシャーダ〔落胆〕、ヴァイラーギャ〔無執着〕、シャラナーガティ〔全託〕、エーカーグラター〔一意専心〕という、偉大なメッセージを理解するのに不可欠なものを表し、示したからです。
解脱への切望が言葉で表せないほど強くなると、人は、その高い目的のためには役に立たない社会的慣習、世間の規範、行動律を脇に置くことができます。そのため、プララーダは父親との関係を絶ち、ビーシュマはグルに逆い、ミーラーは夫を捨て、シャンカラーチャーリヤは母親に言い逃れをすることができたのです。
解脱を味わいたいという思いを募らせるには、ナーマスマラナ(主の素晴らしさという砂糖が浸み込んだ主の甘美な御名を口で唱えて御姿を心に思い浮かべること)が最善の策です。ナーマスマラナは、いつでもどこでも、宗派やカースト、性別や年齢、経済状態や社会的地位を問わず、誰もが実践することのできる修練です。ナーマスマラナは、あなたが無限なる者に常に接触し続けていられるようにし、それによって、あなたにいくらかの英知と無限なる者のパワーを送り伝えるでしょう。
サイババ述
翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.13 C34