サティヤ サイババの御言葉

日付:1966年10月15日
ダシャラー祭連続講話①より

節約と五大元素

ダシャラー祭は、人間が光に向かって前進していくのを妨げる敵対者に対して善の力が勝利したことを祝うお祭りです。こういった祝祭を取り決めてきた聖者たちには、高尚な意図があります。彼らは、人々が祝祭の内的意味を吸収すること、そして、祝祭日の一つひとつを、各人が一人で始めなければならない主の御足への旅を思い出させるものとして、また、霊性修行(サーダナ)の一歩として、用いることを望んでいるのです。善の力(神々、デーヴァ)は、あらゆる生き物の中で悪(悪魔、アスラ)の力と戦っています。宇宙を育み養っている偉大な神の力(マハーシャクティ)に頼りさえすれば、彼らは容易(たやす)く勝利して、ゴールへとたどり着くことができます。

人々は、自分自身を改善しようという努力もせずに、世界を改善しようとしています。それはなぜかというと、他人に助言を与えて忠告するほうが、助言を受け入れて自分自身を向上させるより、簡単だからです。他人というものは根本的に映しですから、その元の姿、つまり、あなた自身が、自分の姿を改善しなければなりません。美徳と善良さを求める内なる切望を強め、揺らぐことなくそれを持ち続けるようになりなさい。そうすれば、あなたは他人を改善することに取りかかることができるでしょう。

あなたに神の力を授けてくれる礼拝の一つの形について話しましょう。至高神は、まず始めに、空、風、火、水、地という五大元素となって自らを表しました。一切の創造物は、二つ以上の元素がさまざまな割合で結合したものにすぎません。五大元素の特徴的な性質は、耳、肌、目、舌、鼻で認識される、音、触感、形態、味、匂いです。五大元素には神が満ちているのですから、人は畏敬の念を持って、謙虚に、感謝して、五大元素を使わなければいけません。

自然は本質的には神そのものである

あなた自身と他者の繁栄を図るために、五大元素を知的に使いなさい。節度を持って、共同体への愛に満ちた奉仕、万物への愛に満ちた奉仕と考えて、五大元素を使いなさい。五大元素は、すべて無料であり、貴い可能性に満ちています。その潤沢と貴重さに感謝しなさい。経験から、あなた方は、風や火や水は多すぎると健康に害を及ぼすことを知っていますね。必要以上の水を飲むのは拷問です。息を吸い込みすぎれば窒息します。適度な火は私たちを温め、また、物を熱したり溶かしたりしくれますが、限度を超えると大惨害になってしまいます。音でさえ、限度を超えると惨事となり、人を混乱させ、気を狂わせることのできる凶器となります。

ですから、五大元素を効果的に使うことは、それ自体が一つの礼拝の形態となるのです。肉体には一定の体温を持つ機能が備わっており、体温がそれ以上や以下になると、人は健康でいること、活動的でいることができなくなってしまいます。自然(プラクリティ)は本質的には神そのものです。

イーシャーヴァースヤム イダム サルヴァム
このすべては神で満ちている

ヴァースデーヴァスサルヴァミダム
このすべては神である

ですから、静かに歩き、畏敬の念を持って動き、有り難く活用しなさい。

昔、ある行者が、牛乳が飲みたいという強い欲求を感じました。行者は、その欲望を満たすか滅ぼすかしてくださいと神に祈ることに決めました。行者は、主が乳(にゅう)海(かい)の上でアナンタ(千の頭のある蛇)にもたれていることを知っていたので、そのナーラーヤナ〔ヴィシュヌ神〕の姿をとった主に祈願することにしました。行者はそのための苦行(タパス)を始めました。その苦行の元来の目的は牛乳が飲みたいというまったく肉体的な欲求でしたが、主は行者の揺るぎなさをとても喜び、行者にしかるべき試練とテストを与えた後に、解脱そのものを授けました。牛乳が欲しくて苦行(タパス)を始めたその男は、永遠に母の母乳を飲む必要がなくなるという報酬を与えられたのです。これが神の恩寵の大きさです。神は慈悲によりその行者を憐れみ、この男は一日一杯の牛乳を追い求めることで努力を無駄にしていると感じたのです。

人は深く無執着を身につけなければいけません。講話を聞いたり、何か宗教的な文言の解説を耳にして、あなたが、それなしではいられなくなっているような食べ物や飲み物を断とうと躍起になっても、それは役に立ちません。あなたを神から引き離しているものすべてから、あなたを引き離しなさい。

沈黙を保つことは霊性修行(サーダナ)の一歩

沈黙が行き渡るとき、あなたは神の存在を感じます。商業施設の興奮と混乱の中では、神の足音を聞くことはできません。それは、すべてが沈黙で満たされているときにこだまする、音の姿をとった神(シャブダブラフマー)です。それゆえ私は、沈黙や、声を落として最小限の音で話すことを実践するよう、力説しているのです。声を落として話しなさい。少しだけ話しなさい。囁(ささや)くように、甘く、真実を話しなさい。何か重い物を床に置くときには、配慮して置きなさい。上からドスンと落として大きな音を立ててはなりません。布団を上から投げ落として敷いてはいけません。布団を畳んで、あなたが敷きたい所に持っていって、ゆっくりと敷きなさい。自分の行動の一つひとつを調べて、あなたが最小限の音でそれを行っているか見てみなさい。おしゃべりは最小限にしてあらゆる物事を処理しなさい。遠くに立っている人に大声で叫んではいけません。相手のそばに行くか、相手にあなたの近くに来てもらうよう合図しなさい。大地と水の神聖を汚す使い方があるのと同じように、大きな音は空気の神聖を汚すものです。

こうした理由で、あなた方皆がプラシャーンティ ニラヤムで従うことが要される、いくらかの規則があるのです。あなたがここで学んだ霊性修行(サーダナ)の一つのステップとして沈黙を保ち、どこに行ってもそれを実践することは、これらの規則の中で最も明白な規則です。また、水と電気、周囲の土地と空間の一切を、分別を持って使うことを重視しなさい。

あなたがバジャンをしているとき、あるいは講話を聞いているときに、あなたの注意が、その行為と、あなたが持ってきた料理(ホールの外の荷物置き場に置いてある自分の食べ物)とに分割されていないかを見なければいけません。それが安全に保管されていることを確かめてから、ここに来なさい。あるいは、もっと良いのは、物質的な所有物への過度の執着から逃れることです。

それから、あなた方は、瞑想、ジャパ、静かに唱名(ナーマスマラナ)をすることに時間を費やすようにと言われていますね。なぜなら、平安と歓喜を外界の自然の中で見つけることはできないからです。平安と歓喜は人間の内にある王国に隠されている宝物です。ひとたびその所在が突き止められれば、人はもう二度と悲しんだり動揺したりすることはなくなります。

ですから、この聖なる環境を、この素晴らしい機会を、この貴重な日々を、最大限に活用しなさい。息を吸い込むたびに神の御名を唱えなさい。息を吐き出すたびに神の御名を唱えなさい。神の中で、神のために、神と共に生きなさい。これこそが、今私が掲揚しているプラシャーンティの旗のメッセージです。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.5 C28