サティヤ サイババの御言葉

日付:1966年10月17日
ダシャラー祭連続講話④より

野性を飼い慣らす

霊的な文化の甘露を飲み、平安と喜びの中で日々を過ごした人が、今日、恐れ、内紛、欠乏、衰弱の激痛の中にいなければならないというのは、実に哀れみを誘う運命です。サラスワティー河は、地下を流れていて目には見えませんが、土に植えられた穀物を養い、肥料を与えています。そのサラスワティー河が枯れてきました。信仰心と信愛が衰えてきているのです。そのために、人は兄弟である人類同胞を、自分が崇敬している神の映しとしてではなく、ライバルや競争相手として見ています。

人類同胞への大いなる慈愛に満ちていた大聖仙(マハルシ)たちは、日々の生活と行動についての規則と規定、限度と方向を定め、そうすることで、人の手、頭脳、本能、衝動が人間に背を向けずに、サティヤ、ダルマ、シャーンティ、プレーマという理想へと向けられるようにしました。大聖仙たちは、あらゆる行為(カルマ)は、感情と激情を浄化して初めて天秤(てんびん)にかけられて承認されるものであり、もしその行為が人を駄目にしたり、汚したりするものであるならば、その行為は放棄すべしと、明言しました。バーヴァ シュッディ(心の性質の浄化)は行為(カルマ)の果報であり、バーヴァ(思考の過程)を曇らせたり、ラジャス(激情)へと駆り立てたり、タマス(鈍性)へとおとしめるような、いかなる行為も避けなければいけません。

ヤグニャとヤーガ(供犠とそのお供え)が定められたのは、人が放棄の栄光を身につけることができるようにするためであり、ぎらついた見せびらかしや派手な浪費を身につけるためではありません。

ヤグニャは、執行者と参加者に、肉体と精神の浄化の厳格な手順を課しました。それは彼らを至高者の御前へと連れて行きました。子供の初等読本に描かれている興味を引く絵のように、それらは注意を引き付けて、しっかりととらえました。それらは喜びあふれる読者たちを教えに沿わせ、知識そのものを習得するのを助けました。彼らは変化していく行為(カルマ)を通してアクシャラ(不変なる永遠の真理)を学びました。神仏の像を礼拝すること、寺院の儀式、誓願や断食、祭りや聖日、これらはすべて、人間の野性を飼い慣らし、真我顕現へと向かうまっすぐで険しい道を歩むよう人を訓練するために意図されています。

金(きん)よりも神を渇望せよ

大臣〔この日ヴェーダ プルシャへの七日供犠の開会式を行ったナラシンハ ラーオ氏〕が述べたように、人生と生活に対する長年の取り組みは、近年、後退に苦しんでいますが、必ずや再び勝利を収めるようになるでしょう。科学と西洋の流行の誘惑、皮肉な考え方と無慈悲なエゴイズムの誘惑は、徐々に消えていくでしょう。それは燃えかすの上の灰にすぎず、熱を発してはいますが、息を吹きかければ消えてしまいます。平原に影を落としながら空を横切る雲のように、こうした人の気を散らすものは、目的地から離れた所へと人々を連れていってしまいます。けれども、インドがこれまで受け継いできた財産を無くしてしまうと絶望する必要はありません。

今や統治者たちも同じ宝の相続人であり、その宝が比類なきものであるということに気づいていて、それが無視される危険は非常に少ないのです。統治者たちと統治されている人々との間に違いはありません。国民自らが統治者たちを選び、彼らに権力と責任、そして、包括的向上プログラムを計画し実行するための資金を委(ゆだ)ねているのです。

ですから、今は、統治者たちが遠く離れた国や奇妙な文化に属していた時代だった過去よりも、大きな相互理解と協力があるに違いありません。

大臣は、スピーチの中で、機械化と工業化の進歩は、結果的に、いかに社会の諸悪と個々人の不調和をもたらしてきたかを述べました。大臣は、これら邪悪なものを鎮めるサナータナ ダルマ〔古(いにしえ)よりの永遠の法〕の効力を認め、ヴェーダやシャーストラやプラーナを学ぶことを推奨しました。大臣は、宗教の指導者たちの諮問協議会について、サナータナ ダルマの行動規定と実践を保持し促進する際に統治者たちを手助けできるものであると述べました。統治者が与えたがっているものを、国民は受け取りたいと思わなければいけません。国民が達成したがっていることを、統治者たちは促進したいと思わなければいけません。これこそが、根本的な霊的活動の場において、この国が前進することのできる方法です。何にもまして、人々はもっと神を渇望し、金(きん)への渇望は減らさなければいけません。

ヴィシャヤ ヴァーサナー〔五感の快楽に結びついた衝動〕、すなわち、財産をためたい、贅沢(ぜいたく)三昧に暮らしたい、噂話に興じたい、嘘を言って楽しみたい、見せびらかして自慢したい、という衝動は捨て去らなければいけません。これらは、人を陳腐なものに縛り付けます。これらは、人の神性が、奉仕、犠牲、すべてに満ちる愛へと開花しようとするのを、抑えつけてしまいます。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.6 C31