サティヤ サイババの御言葉

日付:1967年12月20日午後
場所:エルナークラム(ケーララ)
ケーララ州サティヤ・サイ・オーガニゼーション役員大会の御講話(下)

自発的な奉仕

今朝方、私は、サティヤ・サイの組織のさまざまな活動を行うときに皆さんがとるべき基本的な姿勢について話しました。これから、もっと細かい点にも触れて、皆さんが自分たちの地域において、サミティやサンガやマンダリーを代表してさまざまな企画を立てることができるようにしましょう。

何人かの会員は、学生たちの見当違いで野放しの行動について話し、学生たちが社会の役に立つ価値のある一員になれるよう、自分のエネルギーと冒険心を良い方向に向ける必要性があると述べました。しかし、学生たちは、年長者と指導者たちを真似ているだけです。学生たちは、親や教師が何か目当てのものを得るために他人と争っているところや、地位や権力を得るために仲間内で争っているところを見ているのです。そのため自分たちも、他人と争ったり、学生同士で争ったりするのです。両親と教師と年長者は立派な模範を示さなければなりません。そうしないと、このような学校や大学に通うことの一切が無駄になります。いや、それどころか、それは絶対に有害です。

人間の内面には良心というものがあり、つねに正しいアドバイスをささやき、正しくない行動を止めようとします。人間はこの良心の声をほとんど黙らせてきましたが、それは神の声であり、その声を黙らせることはできません。子どもたちに良心の声を意識させなさい。ケーララ州の田舎では、長老たちが周りの子どもたちを集めて毎晩一時間ほど神を讃えるストートラ〔讃歌〕を唱える習慣が、嬉しいことにいまだに残っています。このような習慣をよ蘇(みがえ)らせるのは大事なことです。こうして過ごす時間は活(い)きた時間であり、平安と喜びを豊かに与えてくれます。果物の木を植えれば、その木には果物が実ります。ニームの木を植えてオレンジが実ることは期待できません! 嘘、恐れ、不和を植えれば、同じものが実ります。

見せびらかしのない思いやりの行動をとりなさい

サミティは、子どもたちのために教室を開いて、ウパニシャッドやインド古来の叙事詩からの物語を話して聞かせたり、バジャンを教えたり、プラーナ経典からのテーマを基にした劇を演じさせたりすることもできます。子どもたちに、両親、教師、年長者に対する尊敬の念を育てさせなさい。子どもたちの家庭環境を、より清く、神聖な雰囲気にしなければなりません。子どもたちが親の姿勢を見て、親が幸福で心配事がないのは親が神を信じ切っていて身に起こるすべての出来事は天の配剤であることを認識しているからなのだ、と理解するようでなければなりません。日曜日には、子どもを集め、さまざまな聖典を子どもたちが魅力を感じるような方法で教えるのもよいでしょう。その際、栄養のある牛乳を飲ませれば、子どもたちは牛乳(キシーラム)と聖典の真髄(サーラム)の両方を得ることができます。

皆さんの中に医者がいたら、代金の支払いを強要することなしに貧しい人々を治療し、料金を払える裕福な人にするのと同じくらい丁寧で心のこもった治療を施してあげなさい。それを神のために行い、神に捧げる礼拝(プージャー)と思いなさい。皆さんの中に弁護士がいたら、お金がなくて有能な弁護士を雇うことができない無防備な人や、悪事を働く者によって苦しめられている人を助けなさい。このような慈悲の行為を言いふらしてはなりません。見せびらかすことなく、自発的に行いなさい。こうした奉仕は、新聞の見出しや写真の力を借りて奉仕行為を宣伝することより尊いのです。このような宣伝をすることは、慈悲の行為の価値を下げます。周りにいる人が不幸なとき、あなたは心が落ちつかないはずです。あなたがその人たちの不幸を取り除くとき、あなたはその人々を幸せにしているのと同時に、自分自身も幸せにしているのです。同様に、周りにいる人が幸せなとき、あなたも幸せを感じるに違いありません。これは前に述べた例より難しいことですが、本当の善良さの表れです。

身障者になされる奉仕は霊性修行

万人が自分の身内であることを認識し、自分が持つ技能を人々と分け合うことにより、皆にとって最大の利益が生じるようにするのがあなた方の義務です。技能は預かり物であり、皆を助けるためのものです。身体障害者、精神障害者、知的障害者、犯罪者、孤児、難民の施設で行われる奉仕は、実に、有益であり、良い霊性修行(サーダナ)です。刑務所や病院における奉仕も同様です。このような施設に足しげく通い、人々を慰め元気づけなさい。施設に入っている人々の心の中に信愛の光を灯しなさい。そこでバジャンを歌い、家族に手紙を書くのを助け、読書できるような本をあげたり、本を読んで聞かせたりして、親戚や友人のいない人の拠りどころとなりなさい。あなたの微笑みは、彼らの心の暗闇に灯された、ろうそくの光となるでしょう。

女性の帰依者は、もし熱意があり、必要な支援が得られるなら、バジャンをするため、聖典や本の学習をするためのみならず、女性に奉仕するためにも、マヒラー・サットサンガ〔女性の善き仲間の会〕を始めることができます。スラム街の貧しい人たちのところへ行って、愛と喜びを広めなさい。貧しい少女たちを集めて、まっとうに生計を立てる術を授けるよう尽力しなさい。バジャン、そして、ジャパや瞑想という霊性修行によって、少女たちの生活に甘美さを加えなさい。本当の自分は肉体に包まれたアートマであることを知る権利は女性にもあります。女性も、アートマの持っている力と喜びと平安を引き出すことができるのです。少女たちに祈る習慣を教え込みなさい。それによって、心のあらゆる不純なものが浄化され、神が本来の光輝を発するようになります。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.7 C47