サティヤ サイババの御言葉

日付:1968年2月22日
場所:プラシャーンティ ニラヤム
第一回アーンドラ プラデーシュ州
サティヤ サイ オーガニゼーション役員大会におけるババの御講話?
(サイの学校の学生に向けた御講話)

瞼と瞳

私は、社会奉仕に熱心な学生、畏敬の念から生じる謙虚さが表れている学生、規律を順守している学生、学業優秀な学生に、今日、賞が与えられたことを、嬉しく思います。賞賛に値するそうした資質は、後の人生を有用で有益なものにするための良い基盤となります。教育とは、物や人に関する多大な情報を得ることではありません。教育とは、歓喜と平安と勇気の源泉である内なる不滅の魂を覚ることです。ここ〔サイの学校〕で、皆さんはヴェーダやシャーストラやプラーナを学んでいます。それらに含まれている教えと並行して、ヨーガ(感覚器官を制御すること)やディヤーナ(瞑想、禅)の指導も受けています。このプラシャーンティ ニラヤムの空気の中で成長し、善良でシンプルな生活を目指してそうした基礎を身に付けるのは、素晴らしい幸運です。あなた方の両親も本当に幸運です。この国には、一家族に5〜6人の子供がいます。何億人もの子供がいる中で、ここにいるわずかな子供だけがこの恩寵を手に入れたのです。これは祝うべきことです。

人生は、徳を積むため、徳を保持するために送るべきものであり、富を築くために送るものではありません。過去の偉大で道徳的な英雄たちの話に耳を傾け、それを反芻しなさい。そうすれば、それらの理想をあなたのハートに刻み込むことができます。近ごろでは、個人でも、家庭でも、社会でも、共同体でも、そして、経済、政治といったあらゆる分野で、さらには、霊性〔アートマに関連すること〕の分野においてさえも、徳は極めて珍しいものになりつつあります。そのため、徳が育つ土壌である規律も衰弱しています。

お金持ちになることは低俗な業績にすぎない

一人ひとりの人間を尊敬しないなら、地位や経済状況や霊的な発達がどれほどのものであれ、その人の人生に平安と幸せはあり得ません。そうした敬意は、自分の中のアートマ(真我)と同じアートマが他人の役を演じている、という確信によってのみ生じるものです。そのアートマを他の人々の中に見なさい。他の人々も、あなたと同じく、飢えや渇き、切望や願望を持っているのだと感じなさい。同情心と、奉仕したいという熱望を持ち、人の役に立ちなさい。

ここプラシャーンティ ニラヤムには、世界中のあらゆる場所から、あらゆる成長の段階にいる人々が、あらゆる問題を抱えて、あらゆる形の痛みや悲しみや苦しみを持って、さまざまなあらゆる動機でやって来ます。その人たちの前で、あなた方はこの教育機関(パータシャーラ)の学生として、謙虚と敬意の輝かしい手本であらねばなりません。あなた方の両親は、子供が苦痛や不名誉を得ることなく生きられるようにと祈っています。そんな親たちに、あなた方は自分の振る舞いによって良い評判をもたらさなければいけません。お金持ちになることは低俗な業績にすぎません。それは闇商人や強盗にもできることです。苦しむことなく、また、他人を苦しませずに生きること、それこそが、もっと崇高で、もっと高潔なことです。あなたの体と時間と願望を、転落のための道具ではなく、向上のための道具にしなければなりません。

来るべき日に、あなた方はこの国の隅々まで行って、人々の霊的飢えを呼び覚まし、それを満たすことのできる手段を提供しなければなりません。あなた方が学業に従事しているこの場の空気は、その役目に必要な訓練をするのにたいへん適しています。あなた方はパンディト(学僧)たちを教師に擁していますが、彼らは家庭と家庭生活を断念して、特権として得た奉仕を行うことに幸せを感じているほどの者たちです。あなた方はアメリカや北インドからやって来た教師を擁していますが、彼らには信仰心と信愛がしっかりと浸み込んでいます。彼らはあなた方を自分の子供として見ています。私に世話を任された子供として見ているのです。ですから彼らは、瞼が瞳を守るように、あなた方を守ります! 彼らに感謝しなさい。子供が母親の恩を受けているように、あなた方は彼らの大きな恩を受けているのです。

徳と克己を放つ光となりなさい

あなた方は私の講話と指示を聴くという貴重な機会を得てきました。それらはあなた方のハートに刻まれています。あなた方の話すことはそれらについてであり、あなた方の会話は、私や私の言葉、私の神性遊戯(リーラー)や栄光(マヒマー)が中心です。自分の村に帰ったら、そこに残してきた若い仲間に、こういった経験の甘さを分かち合いなさい。

私のアドバイスはこうです。この崇拝をあなたの生活の中で生かしなさい。ここの仲間と村の仲間に、あなたがどれほど規律正しいか、あなたがどれほど誠実に両親に従っているか、あなたがどれほど深く師を尊敬しているかが、見えるようにしなさい。あなたの村の、徳と克己を放つ光に、ランプになりなさい。無規律、無作法、無責任、悪習慣に逆戻りしてはなりません。あなたの村でも、また、どこにいても、ここにいる時と同じように賞賛に値する振る舞いをしなさい。

そこでも、ブラフマ ムフールタム〔ブラフマンの刻〕(午前4時30分から5時15分のブラフマンの瞑想に専念するのに吉祥の時間帯)にベッドから起き、プラナヴァ(オーム)を唱えなさい。たとえあなたの周りにグループがなくとも、スップラバータム(目覚めの讃歌)を繰り返し、しばらく座ってディヤーナ(瞑想、禅)に浸り、ヨーガの行であるスーリヤナマスカール(太陽神への礼拝)をしなさい。時刻があなたにプラシャーンティ ニラヤムでバジャン(神への信愛の歌)が始まったことを思い出させたら、バジャンを歌いなさい。そうすれば、あなたが運んできたプラシャーンティ ニラヤムの神聖な空気に、両親は意気揚々とするでしょう。年長者たちはあなたから和と勇気をもたらす規律を学ぶでしょう。

食事に文句をつけてはなりません。両親が出してくれるものは何でも喜んで食べなさい。両親から使い走りを命じられても、反抗してはなりません。喜んで走って、用事を済ませなさい。両親があなたに介護をしてほしいと望んだら、楽しく、知性を使って介護をし、そのチャンスを得たことを喜びなさい。

ここでも、どこででも、今も、いつも、今述べたような生活をしなさい。そうすれば、あなたを見ていて、すべての思考と言葉と行いを知っている私は、あなたにもっともっと恩寵を注ぐことができます。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.8. C5