サティヤ サイババの御言葉

日付:1968年10月1日
場所:プラシャーンティ ニラヤム
ダシャラー祭連続講話⑧より

模倣ではなくインスピレーション

私はダルマの復興のためにやって来ました。ですから、私は常に、人生のすべての歩みにおいてダルマを守るよう力説しています。ダルマは神の内なる声です。ダルマは良心であり、何世紀にもわたる経験と何世代もの苦行や禁欲の結果として、自ずと形成されました。ダルマは歴史の声であり、あなたがその命令に背くことを警告します。私があなた方をいっしょに呼んだのは、アーンドラ地区、特に当地のサイ オーガニゼーションの組織に関することを話すためです。というのも、組織を設立して運営するという務めに取りかかる前に、あなた方は、「いつ」「どのように」ということよりも、「なぜ」「どういうわけで」ということを知っておかなければならないからです! 会員たちを生活のさまざまな領域において向上させ、教育し、訓練することを目的とした機関が、国中に何千と散らばっています。それらは生まれ、良くなったり悪くなったりしながらしばらく存続し、そして、衰退し消滅します。そうした機関は初期の段階で消滅する率が最も高くなっています。それは、始めるときだけ熱心で、維持するときはそうでないからです。

サティヤ サイ セヴァ オーガニゼーションの唯一の目的であり、成長の土台である命の息吹は、唯一性、つまり、すべては一つである、ということを意識することです。ところが、蔓延する政治的抗争はこの組織をも襲い、十人の人間が十一の機関へと膨張していきます。ここでも政治と同じく、派閥、競争、権力や権威を求める喧騒、役員になりたいという貪欲が、頭をもたげます。人々は選挙や党派といった空気の影響を阻止することができずにいます。こうした策略や傾向は、霊的合一という目的地へと向かう求道者たちの組織には相応しくありません。

導きを祈りなさい、そうすれば教えられるでしょう

サティヤ サイ セヴァ オーガニゼーションは、愛の上に築かれます。愛の上で育ちます。愛を広げます。そこに愛以外の情動や態度が入り込む場はありません。

神性は磁石です。人間性は鉄です。愛はそれらをくっつける力です。ナラ〔人〕は鉄です。ナーラーヤナ〔神〕は磁石です。愛は二つを一つに引き寄せる力です。人を苦しめるアシャーンティ(平安の欠如)は消え去るべきです。人はプラシャーンティ(深く根ざした内なる平安)を獲得すべきです。これこそが、私が始めた組織の目的です。

正直でいること、愛すること、活動的であること、そして、真実と愛と他者への奉仕の手本でいることによって、私に奉仕しなさい。つまり、あなた自身に奉仕しなさい。オーガニゼーションの各ユニット〔部門や会や協会〕の成長が遅すぎる、と不平を言う人々がいます。子供が成長して一人前になるには、長い年月が必要です。花が甘い果汁をいっぱい含んだ果実に変わるには、長い時間が必要です。忍耐と固い信念を持ちなさい。

派閥や意志の弱さによって汚された誇示や叫びや低下があるならば、始めてはなりません。他の組織や人を模倣せず、彼らのそこでの業績に到達するよう努めなさい。インスピレーションと、それを用いることのできる道筋は、あなた自身のハートから湧き上がってくるものです。模倣によってミーラー〔クリシュナ神の偉大な信者〕になろうとするのは不可能です。マドラスでは、帰依者たちが声を合わせて歌いながら長い距離を歩くナガラサンキールタンが新たに始まって、さまざまな通りを五十六キロも歩きました! あなたの場所ではそれほどのことができるでしょうか? 私は、あなたの場所では多少違ったやり方でナガラサンキールタンを始めるように、というインスピレーションをあなたに与えるかもしれません。導きを祈りなさい。そうすれば、教えられるでしょう。私はあなたに、静かに甘美にナガラサンキールタンを始めるようにとアドバイスするかもしれません!

ナガラサンキールタンは周囲の空気を浄化する

私は、量ではなく、霊的努力の質を求めます。私はハートの中に入り込み、その努力を促した動機、それを駆り立てた感情、それを形作った気持ちを調べます。一家で神の栄光を歌いながら、同じ通りにあるいくつかの家の周囲を歩くことができるかもしれません。それは実に、賞賛に値します。私は、道具類や飾り付け以上に、誠実さや堅実さを評価します。私は、逃れられない義務としてあなた方にナガラサンキールタンという務めを与えているのではありません。あなたの場所の状況を判断し、もしできるようであれば実行しなさい。ナガラサンキールタンは健康と歓喜を与えるでしょう。あなたは、自分も他人も、そして、皆が呼吸する周囲の空気も、浄化することができます。ナガラサンキールタンは人々のハートを動かし、内面の気分の高まりの中で我を忘れさせることができます。まず自分に奉仕しなさい。それから他人を助けなさい。これが自己を救済する最良の形です。なぜなら、それはあなたを神へと導いて、あなたは他人の良い手本となることができるからです。

もしも周囲の環境があなたにそうしたサンキールタン〔集団で神の御名や栄光を歌うこと/グループ バジャン〕に参加することを許さないならば、家にいて、あなたのハートという静かな洞窟で一人で歌いなさい。定められているからといって、一度にその定められた時間の長さの間、定められた曲数を歌うことはありません。ハートは数で判断しません。ハートが与える満足を計ることはできません。その満足は信心によってのみ湧き上がります。心が揺れ動くと、忠誠心は軽くなり、愛は消滅し、もめごとが始まります。この病気は、アーンドラ プラデーシュ州だけでなく、すべての州のユニットに影響を及ぼします。

人々は、同じ神、同じ御名、同じ御姿を礼拝しているのですから、お互いに同席することを喜び、お互いのプログラムに協力しなければなりません。そこに優劣という概念があるべきではありません。人々は分裂し、対抗するユニットを作り、常連や追従者を得るために張り合い、愛や信愛の訴えを無視します。すべての努力は、恩寵を得るため、そして、神がエゴに取って代わるためにある、ということを人々は忘れています。私が一人の帰依者と別の帰依者を区別していないというのに、なぜ皆さんは区別し、争うのですか? そんなことをするのは、あなた方が自分の愚かしい、ねじけた思いを白状しているようなものです。私は知っていますが、そのような霊的でない行いがユニットに影響を及ぼしているのは、誰か「大きな」人たちがオーガニゼーションに入っている所だけです。「小さな」人たちは、静かに謙虚に取り組んでいます。

手の込んだ複雑な儀式は必要ない

いくつかの場所では、プージャー(礼拝の儀式)が、お金で雇われた人の手で仕事として行われています。同じことが家庭でも起こっています。単に小銭を払ったからといって、どうやって雇われ人が信愛を抱くことなどできるでしょう? 私は複雑なマントラを要求してはいません。あなたが心の中で神を礼拝すれば、すなわち、心を込めて神を呼べば、それで十分です。金銭を必要とする儀式や複雑さは、皆さんのオーガニゼーションを貪欲と悪意と憎悪の王国へと引きずり下ろしてしまうでしょう。豚はその貪欲さのゆえに非難され、犬はその怒りのゆえに罵(ば)倒(とう)されます。ですから、だんだんとそうした悪に陥ってしまわないようにしなさい。

マヌは、お腹を空かせた客人に食べ物を分け与えるのは偉大な供犠(ヤグニャ)であると述べました。あなたは私の写真に花を供えて礼拝し、十万の(ラクシャ)供養礼拝(アルチャナ)と称して十万本の花を捧げているかもしれませんが、もしその日、あなたが食べ物のお供えをしているときに飢えた人が食べ物を乞いに来て、あなたがその物乞いを追い払うなら、あなたの礼拝は実を結びません! もし飢えている人の苦しみをあなたのハートが感じないなら、あなたが礼拝で捧げた蓮華の花びらはレンガの破片へと変わり果てます。

神はあなたが思い焦がれる姿で現れる

昔、一人のサーダカ(霊性の求道者)が、クリシュナ神のいくつかの壮麗な面を表現するさまざまな御名でクリシュナ神を呼び、

「どうかあなたが世話をしている牛の群れから出て、ほんの少しだけ私の所に来て、私の渇きを癒してください」

と、祈りました。そのサーダカが木の下で苦悩の涙を流しながら思い焦がれていると、そこに年老いた行者がやって来ました。サーダカはその行者に胸の内を打ち明けて、最も実現しそうにないその願いが叶うよう祝福してほしいと懇願しました。しかし、行者は、

「神はあらゆる姿を超越している。神は姿に制限されはしない。神はすべてであり、それ以上だ。神がそなたの望む姿で現れることなどどうしてできようか?」

と、言いました。その言葉を聞いてさらに苦悩が深まったサーダカは、自分の心に焼き付けた神の御姿が現れるようにと、さらに熱心に求めました。神はこの姿をしていて、あの姿はしていないなどと、誰が言えるでしょう? 神の自由を制限できる人はいません。神に関する行者の考えに、神が拘束されるでしょうか? 神は信者に望まれたとおりの姿で現れて、その信者が得るにふさわしい法悦を与えます。別の御姿や御名を信仰している人を非難したいという思いに駆られたときには、このことを思い出しなさい。

ある学生に、四つの偉大な原理であるサティヤ、ダルマ、シャーンティ、プレーマ(真理、道徳、平安、愛)を教えることを申し出た学僧がいました。その初日に、学僧はサティヤ(真理)を講義し、

「明日はダルマとは何かを教えよう!」

と言いました。翌日、学生は姿を現しませんでした! 学僧はその学生を探しに行って捕まえて、叱責しました。すると学生は、

「私は今、サティヤ(真理)を実践しています。私は最初の学課をマスターしてから次の学課を学ぶつもりです」

と答えました。この学生はまさしく真の帰依者です。

深く潜りなさい。そうすれば真珠を手に入れます。潜らない人は泡を手に入れます。潜る人は真理を手に入れます。潜り、知り、体験しなさい。そうすれば、あなたは、導いて案内する権限を得ます。他に方法はありません。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.8 C40