サティヤ サイババの御言葉

日付:1968年10月2日
場所:プラシャーンティ ニラヤム
ダシャラー祭連続講話⑨より

何本もの毒牙

皆さんはこの十日間、滋養に富んだ霊性食事を受け取ってきました。それらはあなたを強さと活力で満たしました。ですから、私は、その強さと活力を人生の最も高尚な目的のために役立てる方法について話します。その方法を知れば、あなたの努力はさらに功を奏し、疑念はなくなり、人生は価値あるものになります。

カイケーイー妃が、夫を説き伏せて自分の息子バラタを皇太子の座に就かせ、正統な王位継承者であるラーマを十四年間追放するという二つの要求に応じさせた時、ラーマとバラタのもう一人の兄弟であるラクシュマナは、おとなしく黙っていませんでした。ラクシュマナは、人間は小さな危機の一つひとつに勇気と自信を持って立ち向かわなければならない、ずるい策略に臆病者のように屈すべきではないと主張しました。自分の弓矢はどんな危機をも回避できると、ラクシュマナは豪語しました。

けれども、愛の力と比べれば、弓矢は劣った武器であり、無に等しいほどの武器です。ラーマはラクシュマナの話を冷静に聞き、そんな軽率な行い(カルマ)はやめるようにと助言しました。「ダルマが行い(カルマ)を導くべし」とラーマは言いました。そうしたときにのみ、その行いは賞賛に値するものとなり、成功を得ることができます。ラーマの母であるカウサリヤー妃は事態の急変に甘んじました。ラーマが隠遁(いんとん)者となって密林に向かおうとした時、カウサリヤー妃は、「あなたが体現するダルマがあなたを守りますように」と言って、息子を祝福しました。ダルマは愛として表現されます。ダルマは、人への愛、そして、人以下のもの、人以上のもの、動物、鳥、獣への愛として、表現されるのです。

ヤグニャを行うことは最も値打ちのある行為

椰子(やし)の木が最も良く育つのは、海岸です。ブラフマンの原理(ブラフマ タットワ)の木が最も良く育つのは、愛(プレーマ)という土壌です。ハートの領域は、慈悲の領域に変容しなければなりません。人間の本来の性質は愛です。人の自然な状態は愛です。人の呼吸は愛です。欲望の霧は愛を曇らせ、愛を歪めます。用水路に映る自分の姿を見て、他の犬だと思って吠えたてる犬のように、人も自分の姿に向かって吠え立てますが、その姿(人類同胞の姿)はブラフマンの姿でもあり、自分の姿でもあるのです。自分と自分の姿を切り離すのは良心の基盤です。相違ではなく、同一性に目を向けること。それが平安への道です。

あなたの理知があなたを導くかぎり、真理を探求しなさい。そうすれば、愛の原理に行き着くでしょう。ヤーグニャヴァルキヤ仙は、すべての活動の基盤についてジャナカ王に尋ねられ、「それは光である」と答えました。太陽が沈めば、月が光を照らします。太陽も月もない時は、耳が頼りです。耳の背後には心(マインド)があり、心の背後にはアートマがあります。それは至高神の火花です。

あなた方が見た、最後に犠牲の火〔ダシャラー祭の七日供犠の護摩壇〕に捧げたものは、プールナーフティ(満供)と呼ばれます。その時、炎が高く上がり、暗闇は完全に消え去ります。あなたが持っているものすべて――あなたが価値があると信じてきたものすべて――を神聖な供犠の炎の中に投じなさい。それらがあなたの目の前で灰になるのを見なさい。うろたえないで見ていなさい。ミティラーの都が炎に包まれた時にジャナカ王が見ていたように。それは、あなたが今、価値がある、望ましいと見なしているものすべてを神聖な目的のために捧げるという宣誓です。ヤグニャとは、地上の富と天の大志の両方を象徴する供犠です。献納と全託――これは最も値打ちのある行為です。人々は儀式の表側だけを見て、内的意義を見ていません。そのため、人々は表面上の壮麗さに集中し、虚飾を競い、大げさに自己顕示しています!

善い思考は美徳と愛の根を養う

ヤグニャは、「マントラ」、すなわち、それを「瞑想する」(マナナ)と「救いをもたらす」(トラ)真言、つまり音の記号に、心を定める機会です。詩聖は、マントラ ドラシタ(内なる霊眼によってマントラを見て平安への鍵の秘訣を見出す人)と呼ばれます。永遠不滅の絶対者の象徴であるこれらの音を唱えて栄光を称えることの効験は、全世界で感じられます。ですから、それは全世界の平安と繁栄(ローカ カッリャーナ)をもたらします。善い思考は、浄化し清める方法であり、美徳と愛の根を養う方法です。神に捧げられたものを判定することは、神だけが持っている権限です。私はヤグニャが好きです。私はヤグニャを行うよう指示します。あなた方には知識がないので、判定する権限はありません。あなた方は、ヤグニャやマントラの科学に精通していません。

すべてはブラフマンです。ヤグニャのマントラは、さまざまなやり方で神を叙述し、全創造物はブラフマンである、それは異なるものでも別のものでもない、と述べています。自然をブラフマンとして敬うべきです。

サルヴァム ブランママヤム

この自然のすべてはブラフマンで満ちており、
ブラフマンであり、ブラフマンが内在している

ヤグニャが定められているのは、「自然はブラフマンではない」という誤った見解を正すためです。あなた方は、限定されたものの見方を火に投じ、その代わりに、もっと大きな見方を得る必要があるのです。ヤグニャは犠牲と全託のサーダナ(霊性修行)です。

害を与える傾向を克服しなさい

人間性を神性に変容させることは、人に課された義務です。人の思考と言葉と行いは、この避けられない運命のための道具です。それは絶え間ない実践によって達成する必要があります。寺の僧侶は、献火の時、左手で鐘を振って鳴らしつつ、右手で樟脳の火を揺らさなければなりません。両手を別々に同時に動かすことは、実践を積み重ねた結果、できるようになるのです。新人の僧侶は、両方の手を揺らしてしまったり、樟脳の盆を振ったりしてしまいます! ヴェーマナは言いました。毒蛇は牙に毒があり、蠍は尻尾に毒があるが、人は口と目と手と心で毒を撒(ま)き散らすことができる、と。人は、身についたこの傾向を克服し、自分は神聖甘露を与える不滅の子供(アムルタッスヤ プットラ)であって、死に追いやる毒ではないということを、覚えておかなければなりません。

これはサーダナによって成就することができます。あなたは不滅の清らかなアートマであるということを信じなさい。そうすれば、利益や損失があなたに影響を及ぼすことはできなくなります。屈辱感や失望があなたを苦しめることはできなくなります。これらを恐れるのは基盤の弱い人だけです。強い人は少しも後悔することなくそれらを捨て去ります。五感が優勢であれば、平等観は夢となります。五感の支配者となりなさい。そうすれば、あなたは本当のあなたになることができます。乱されることのない、自由なあなたに。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.8 C41