サティヤ サイババの御言葉

日付:1968年11月21日
場所:プラシャーンティ・ニラヤム
第2回サティヤ・サイ・オーガニゼーション全インド大会 連続講話(上)

共通の財産を分かち合いなさい

アーンドラ・プラデーシュ・サティヤ・サイ・オーガニゼーションの役員たちが、キーラカという名の年(60周期のヒンドゥーの暦年のうちの一つ)に首尾よくここで再び集うことは、喜びの源です。これは、この奉仕に関して、あなた方にすばらしい未来があるというしるしです。キーラカは、回転軸の釘(くぎ)、支柱、円柱という意味です。あなた方が行う仕事は、大会中のあなた方の決議によって、さらに強く、さらにしっかりとしたものとなるでしょう。さらに、今月はマールガシーラ月でもあります。シーラ(頭)すなわちブッディ(理性、知性)がそのマールガ(道)である、というのがその教訓です。神に到達するには、真偽、束の間のものと永遠のもの、非実在と実在を識別する力、そして、知性が非常に重要です。だからこそ、まだ幼い年齢のうちに、少年たちに「ガーヤトリーマントラ」を教えるのです。というのも、「ガーヤトリーマントラ」は、宇宙にみなぎる知性に向けて、小さな子どもの心に明かりを灯してください、そして、感覚の束縛から自由になれるよう、もっともっと有効に知性を使えるようにしてくださいと、懇願するからです。さらに、今日は白半月〔新月の翌日から満月までの期間〕の初日でもあり、まったくの暗闇であった一夜の後、最初の月光が地球に射す日です。

すべての仕事は自分のハートを浄化することを意図している

あなた方の注目を大きな問題へと向けるため、そして、時間を大切に使うために、私はあなた方にこの大会で話し合う4つの項目を提示します。私は皆さんに、このセッションが終わったらすぐに地区ごとに集まって、これらの点に関する共同のレポートをまとめ、正午までに私に提出することを望みます。1つ目は「オーガニゼーションの会長すなわち総裁の義務と責任」です。2つ目は「地区の会長の義務と責任」です。3つ目は「資金集めの問題」です。4つ目は「次回のサティヤ・サイ・オーガニゼーションの世界大会と全インド大会の開催地」です。

私は、リーダーシップを発揮する存在である各ユニットの会長、および、ガイダンスとインスピレーションを与える存在である地区の会長が、自分の義務と責任を自覚し、資金という重いハードルを乗り越えたときに、オーガニゼーションは上手く行くようになると思っています。

ここで、はっきりと言わなければなりませんが、あなた方の中の100人のうち90人は、私があなた方にオーガニゼーションを結成することを許した目的を、まだ明瞭に思い描けていません。それは誰かに権威や権力を与えるためでも、私に名声と知名度を確保するためでもありません。それは、地上において、しっかりとした基盤の上に、神を父とする人類の同胞愛を築き上げることです。あなた方はこのことをしっかりと把握していなければなりません。あなた方は、オーガニゼーションを通じての社会奉仕に携わっているのではなく、あなた自身の奉仕に携わっているのです。どの仕事の項目もすべて、あなたのハートを拡大して浄化することを意図します。これは、この国土の聖賢たち、そして、一切の聖典と経典の号令です。

神でさえ、自らの働きによって、知られ、崇拝される

川は、うねうねと曲がって流れるよう矯正されます。さもなければ、川岸の街並を浸食し、削り取ってしまうことになるでしょう。車を有益な目的のために加速させるには、教習を受けたドライバーを必要とします。気まぐれと慢心にくつわ轡をかけるため、そして、自制と謙虚さを身に付ける習練を積むための規則や規定があるのは、こうした理由によるものです。

役員を選ぶときには、任務への適性を熟慮しなさい。いったん就任させたら、その役員に対して不平を言ったり、批判をしたりしてはなりません。目的と異なる仕事をしてはなりません。役員たちに真心込めて協力し、自分の才能と熱意のありったけをオーガニゼーションに注ぐよう励ましなさい。この国のすべてのオーガニゼーションにとって命取りとなっているものは、あなた方が自ら責任ある地位へと持ち上げた人に対する不信と、その人を引きずり降ろそうとする傾向です。権力と権威が人に集まるのは、その人の働きによるものであって、言葉や職種によるものではありません。神でさえ、自らの働きによって知られ、崇拝されているのです。

人は誰もが自らのうちに3つの力の源を有しているということを覚えておきなさい。それは、個人としての力の源、子どもあるいは神の手足としての力の源、そして、アートマが祀られている寺院としての力の源です。皆さんは、かつてハヌマーンがラーマにこう言ったというのを読んだことがあるでしょう。

「私が自分をこの体であると思うとき、あなたは私の主であられます。私が自分を個別のジーヴァ(魂)であると思うとき、私は自分があなたという光源の反映であることを自覚しています。私が自分をアートマであると自覚するとき、私はあなたであり、あなたは私であることを私は自覚しています」

いつも、自分は神の影にすぎない、神の写像にすぎないという意識でいなさい。そうすれば、どんな障害もあなたを妨げることはできません。神は真理という王道を歩いています。神の両足にしがみ付く神の影は、谷にも山にも、火にも水にも、ちりにも埃にも映ります。ですから、もしあなたが神の御足にしがみ付いていれば、影と同様に、人生の浮き沈みに影響されずにいることができます。一つのオーガニゼーションの中で霊性修行者(サーダカ)たちを混合させるのは、この放棄(ティヤーガ)と献身の姿勢を促進するためであり、内輪もめに熱を上げる機会を作るためではありません。あなた方は、万物の宝である私を共有するために、そして、平安と歓喜という、私が降り注ごうとしてやって来たものを最大限に引き出すために、オーガニゼーションを通り抜けなければなりません。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.8 C43