サティヤ サイババの御言葉

日付:1969年10月12日
場所:プラシャーンティニラヤム
ダシャラー祭の御講話より

特別な夜

ナヴァラートリ〔九夜祭〕は、善が悪に勝利したことを祝うお祭りです。神の力(パラ シャクティ)は、マハー サラスワティー(浄性)と、マハー ラクシュミー(激性)と、マハー カーリー(鈍性)としての具現という顕現において、九日間の奮戦で悪徳と邪悪とエゴの力に打ち勝つことができました。そういうわけで、最後のヴィジャヤ ダシャミーの日(勝利を祝う十日目)に締めくくりの礼拝が行われるのです。

それは感謝のお祭りです。感謝は神聖なものであり、感謝の心のなさは悪魔的なものです。しかし、感謝の意を捧げるときには、殺されたのは誰か、救われたのは誰か、そして、それはなぜか、ということも探ろうと努めなければなりません。人間の六つの敵は、人間の内なる意識に深く留まり、人間の活力を蝕んでいます。それらが、殺されるべき鬼たちです。それらは、情欲(カーマ)、怒り(クローダ)、貪欲(ローバ)、執着(モーハ)、慢心(マダ)、憎悪(マーッツァルヤ)です。これらは人間を鬼の程度にまで貶めます。これらは、神の推進力という最高の錬金術によって打ち負かされ、変えられなければなりません。そうすれば、奮戦の九夜は、心(マインド)を清めることと魂を明るくすることに捧げられた、新たな種類の夜になるでしょう。それは、ギーターの中で「世俗の日」と表現されている夜です。一般の人にとって明確で魅力的なことは、ヨーギにとっては興味のないこと、知らないことです。ヨーギにとって明確で魅力的なことは、世俗の人にとっては興味のないこと、知らないことです。それがこのめちゃくちゃな世の中の特質です。

一切を神の栄光のために行いなさい

プラシャーンティ ニラヤムでナヴァ ラートリー、すなわち、新しい夜、九つの夜(ナヴァは「新しい」と「9」の両方を意味する)を祝うことは、まさしく、驚きと喜びに満ちた貴重な機会です。というのも、ここは六つの敵が永久に滅んだときに手に入る、平安〔プラシャーンティ〕の住まい〔ニラヤム〕だからです。これから掲揚されるプラシャーンティの旗は、人間が六つの敵を征服し、ハートの蓮の花の中に灯された英知が輝いているという、達成の象徴です。それはスワ ラージ(自分を支配下に入れたこと)の旗、つまり、自分は最も自分に密接にかかわりのある領域の支配者である、と嘘偽りなく主張することができたときに掲げる、真の独立の旗です。それはアーナンダ〔至福〕の風になびく旗であり、内なる輝きの到来を告げる旗です。それは最も高い英知と最も深い平安のあけぼのを告げる旗です。

人間は、自分たちは遠くの空まで飛行して月にさえ着陸した、と自慢に思っていますが、平安のうちに暮らすことや、隣人たちと平和に暮らすことができずにいます。地上での人間の生活は恐れと不安でいっぱいなのに、人間は恥ずかしげもなく自分たちは万物の霊長であると宣言しています! 人間は、自分の中で燃えている火を消す方法を知らないというのに、爆弾が放つ火で都市を全壊させることはできるのです。

スワ ラージ(自分を支配下に入れたこと)とは、アートマを認識することによって自分の感官と心(マインド)と知性を完全に支配していることを意味します。自分で十分にできることを他人に頼ってはなりません。自分の望みを満たすために使用人を疲れさせる一方で、あなたは怠けて座って瞑想をしていることに、何の意味があるでしょう? 活動に従事し、敬虔さに満ちた行為に献身し、一切を神の栄光のために行うこと――これはあなたが頼りにしている「瞑想」よりもはるかに実りあることです。

体温計が体の熱を示すのと同じように、あなたの話すことや行いや振る舞いはあなたの心の中にあるものや心の姿勢を示し、あなたを悩ませている世俗の熱がどれほど高いかを見せています。話すことや行いや振る舞いは、憎しみや慢心といった感情の熱に左右されない、浄性のものでなければなりません。平安に話して、他の人たちの平安を増進しなさい。あなたの話すことや行いが人間的ですらないならば、あなたがしているジャパ〔唱名〕やディヤーナ〔瞑想や坐禅〕に何の意味があるでしょう? 獣の泥道をはいつくばって進んでいて、どうやって神に近づくことができますか? 今日はダシャラー祭〔ナヴァラートリとヴィジャヤダシャミーの計十日間のお祭り〕の初日です。ですから、今日、心の不純物を洗い流すことを決意しなさい。そうすれば、私が伝えようとしているインスピレーションを吸収することができるでしょう。

心の平安を求める人は、自分が見ていなくてはならない荷物も減らす必要があります。荷物が多ければ多いほど、煩わしさも増します。物質的な所有物と主観的な欲望、これらはどちらも、悟りを目指すレースではハンディとなります。散らかっている家は暗くてほこりっぽく、新鮮な空気の流れがなければ息苦しいものになります。人間の体も家です。その家を、古いがらくたやつまらない小間物、ゴミや余分な調度品で散らかるままにしておいてはいけません。そこに神聖の風が思いのままに吹き抜けることができるようにしなさい。そこが盲目の無知の闇に冒されないようにしなさい。人生は変化の海に架かる橋です。そこは通っていくものであって、その上に家を建ててはいけません。

プラシャーンティの旗を、寺院であるあなたのハートに掲げなさい。旗が教えている訓令に従いなさい。つまり、人間の自然な至福を損なう六つの敵を制圧し、動揺が静まったところでヨーガの段階を上がり、(そのてっぺんで)内なる神性(アートマ)の輝きが放たれて、すべてのものをずっと包み込んでいるようにさせる、ということです。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.9 C20