サティヤ サイババの御言葉

日付:1970年2月1日
場所:バンガロール
女性サットサンガ中央委員会発足式の御講話より

ラームとカーム

恐れ、不安、不正、不公平という悪魔的な力が猛威を振るう、世界の歴史上危機的な時である今、その嵐にやられないよう霊的な力で自らの身を装備することは、人類一人ひとりの義務です。これは緊急の必須課題であり、それに対して、インド女性には、するべき貢献、与えるべき奉仕、果たすべき役割があると、私は言わねばなりません。インド女性は、子供のハートの中に神を連れて来てそこに留まらせるようにしなければいけません。なぜなら、神を信じることこそ、人間が健康と幸福を取り戻すのに必要な強壮剤だからです。

「ええ、でも神とは何なのですか?」と、あなた方は私に尋ねるかもしれません。その質問をする前に、私はあなた方に別の質問をして、あなた方にその答えを受け取ってほしいと思います。

「あなたは何者ですか?」

あなた方が持っているこの「心と体の活動に携わる生涯」というチャンスは、封筒に入れられた手紙であり、あなたはそれを自然界(宇宙、被造物)という名のポストに投函しなければなりません。しかし、その前に書かなければならないことが2行あります。それは今のあなたがほんの少しも知らないことです! あなたは封筒に、「あなたは誰であるか」と「あなたの本当の住所」を書かなければいけません! それから、これはさらに重要なことですが、「それはどこに行くのか」、つまり、この人生はどのような運命に到達しなければいけないのか、すなわち、その封筒が配達される「宛先」を書かなければいけません!

サットサンガは自らが説くことを実践すべし

人生については、2つの根本的な問いがあります。「どこから?」と「どこへ?」です。そして、その両方とも、あなた方はまだ答えを見出していません。あなた方は何かにつけて、すぐにそれとは無関係の別の質問を1000もしてきたというのに! このサットサンガ(善き仲間/善人との親交の会)が、あなた方のためにこの2つの問題の上に少しずつ光を当ててくれることを私は確信しています。さて、「サットサンガ」という言葉についてですが、まず自分の家庭から始めなさい。家庭を、不和や内輪もめのない、調和のある、幸せで、円滑に営まれている場にするのです。理解と思いやり、堅忍と堪忍をもって、互いに協力と親切を施しながら、家庭の構成員である様々な人々、世代も違えば、知性も発育も学識のレベルも違う人々全員に、共に生活することを身に付けさせるのです。家庭に、母と子に、兄弟姉妹に、身内や親類の間に、平和が君臨するようにさせるのです。

あなた方は、家庭のサットサンガというしっかりとした土台の上に、地域社会、州、国、そして、世界のサットサンガという建物を建てることができます。土台がなければサットサンガというアイデアを広めようとしても嘲笑を招くだけでしょう。自分たちの説いていることを実践していない団体は、すでにたくさんあります。どこでも道を歩けば、その1つに当たります! 私たちのこのサットサンガは、もう1つの偽善団体に成り下がってはなりません!

宗教は神の子供たちの間から憎しみと敵意を取り除くことを目的として掲げていますが、どの宗教も争いに忙しくしているのを目にします! 言葉というものは、友情を固めるため、真心を深めるため、愛情に満ちた会話と思いやりに満ちた話によって人々をさらに近づけるための手段であるのに、それが恐ろしい武器になってしまっています! 寺院仏閣教会は平安の宿る場所ではなくなり、人々が闘争に携わるための組織になっています! 兄が弟と争っています。どの家庭も戦場になっています!

平和の夜明けは、家庭で共に平和に仲良く暮らす方法を、学び、実践し、教えたときにだけ、もたらすことができます。そうすれば、遅れることなく、苦労することなく、世界平和を確立することができます。

女性は堪忍寛容を身に付けるべし

あなた方のサットサンガは、お互いの性格的なものを譲歩し合って、大きくならなければなりません。男100人の会員もしくは働き手のいる団体はあり得ます。男性は共に1つのチームで働く術を知っています。しかし、女性は一般に、あまりにも個人主義です!

「女三人仲良く暮らせたためしなし」という、人々の体験から生まれた通念もあります。

テルグ語の川柳のようなものには、こう詠まれています。

「女一人を前にすれば世界は震え上がり、女が二人いようものなら海は干上がる! 女三人集まれば、ああ、昼に空から星が落ちてくるだろう!」

女性のこの言われようは、どうしてでしょう? 女性には「サハナ」が極端に欠けているからです。「サハナ」というのは、人の欠点を我慢すること、精神的強さ、堪忍寛容、忍耐力、そして、仕返しを考えることなく静かに耐え忍ぶ能力のことです。そのために、女性は男性よりも弱いと言われているのです。これは、女性は忍耐力を養う必要があるということを指しています。あなた方は意見の相違や性格の違いに耐え、理解と同情心を育もうと努めなければなりません。それは「サハナ」を強めてくれるでしょう。

このサットサンガの会員には、団体や組織運営の経験を長く積んでいる有能な人たちもいます。しかし、これは基礎的な組織です! あなた方はバーラタ文化(インド文化、神聖で献身的な文化)の基本を決して忘れてはなりません。自分の膝に子供を乗せているときに、それを子供に吸収させなさい。我が子を乳母に手渡してはなりません。乳母はその文化を知らず、それを気にかけることもありません。童謡を使って子供に『ラーマーヤナ』の教訓を身に付けさせなさい。子供に「バー バー ブラック シープ!」〔「キラキラ星」のメロディーに載せて歌うメーメー黒羊さんという意味の歌詞で始まる歌〕などを詰め込んで、子供を黒羊〔組織や家族の中の厄介者〕にしてはなりません!

ラーマを胸に据え、手で務めを果たしなさい

奉仕の精神を養い、この都市のスラム街や刑務所や病院での何らかの奉仕プログラムに携わりなさい。囚人への慈悲の心を持ちなさい。それが囚人を更正させる最前の方法です。女性の囚人たちが、信じる心、人類の善を信じる心を育てるようにさせるのです。そうすれば、女性の囚人たちも反社会的な活動に手を染めることはなくなるでしょう。子供は汚れや自分の尿や便を嫌悪しません。しかし、大きくなるにつれて嫌悪感が生まれて留まるようになります。それと同じように、犯罪者たちは自分の冷淡なところをなくすこと、自分の振る舞いを嫌悪することを身に付けるようになります。

やさしい言葉、元気が出るような言葉をかけてくれる人が誰もいない病院の入院患者は、もしあなた方が病床に同情の光を運んでいったなら、泣いてありがたがるでしょう。もしそういった女性の入院患者が近親者に気持ちを伝えたいと望んでいたら、本人に代わって手紙を書いてあげなさい。物語を話して聞かせてあげなさい。読書するのにふさわしい良書を渡してあげなさい。花や果物をあげなさい。ほんの少し周囲を明るくして、笑顔を降り注ぎなさい。それはそれ自体が回復を早める効き目のある薬となるでしょう。

「ソーシャル サービス(social service 社会奉仕)」が、評判を得るためやカメラを意識してするような「ショーシャル(show-cial 見せびらかしの)ワーク」になってはなりません! また、「スローシャル(slow-cial のろまな)ワーク」になってもいけません! 善いことを、当然それを受けるべき人に対して行うのに、なぜ、のろのろするのですか? あなたにできる限りの量を、できる限り速くやりなさい。もし何も善いことができないならば、少なくとも人を害することはやめなさい。あるいは、あなたに奉仕してくれる人の欠点を見つけるのはやめなさい。

セヴァ〔無私の奉仕〕は瞑想よりもよい霊性修行の形であるということを知りなさい。あなたの隣にもがき苦しんでいる人がいて、あなたがその人を親切に扱わず、その人を助けるためにできる限りの努力をしないなら、神はあなたが行う瞑想を高く評価することができるでしょうか? もがき苦しんでいる人から離れた場所でジャパや瞑想による自己救済に没頭していてはいけません。姉妹の間を歩いて、助けを施す機会を探しなさい。ただし、舌には神の御名を置き、心の目には神の姿が映っているようにしなさい。それこそが最高の霊性修行です!

ディル メー ラーム、ハト メー カーム
ラーマ神を胸に、務めを手に

この精神で進んでいきなさい。そすれば、神の恩寵は十分にあなたに降り注がれるでしょう。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.10 C3