日付:1971年5月14日
場所:ダールワール〔カルナータカ州の都市〕
SSO全インド大会の御講話より
皆さんは、私たちのオーガニゼーションの基本理念に従った生き方をしなければなりません。オーガニゼーションは皆さんをセヴァ〔奉仕〕へと招じ入れますが、セヴァは霊的成長のまさに初めの一歩です。セヴァは、報酬を問わずに進んで仕事に取り組む熱意の現れです。というのは、仕事が礼拝として捧げられるからです。このような態度は、エゴイズムの毒針を抜き取り、森羅万象に内在する神性を心に深く認識させます。あらゆる霊的な活動の真の主根は神への信仰心であり、それはオーガニゼーションを通して行われるものであっても、オーガニゼーション以外を通して行われるものであっても、同じことです。
オーガニゼーションにあるのは、一つのシステムと一つの秩序でなければなりません。つまり、一つひとつのユニット〔州や地区やセンターといった単位の一団〕は、全インドのパターンに従うべきであるということです。いかなる州であっても、我流で物事を執り行ってはなりません。マイソールもケーララもグジャラートも、すべての州が同じパターンを模範とすべきであって、分離した個別のユニットとして物事を進めてはなりません。一つひとつのユニットは、毎年開かれる全インド協議会で定められた規則と規定を尊重し、それに従わなければなりません。
皆さんにとって、この大会〔協議会〕は、もっぱら善き仲間たちに混じって一日、二日過ごし、神へと至る旅路におけるこの先の段階のために霊的バッテリーを充電する機会です。1に1を足すと、1は2になります。1の隣に1を置くと、それは11と読まれます! これが、サットサングという、賢者や善人との交わりの計測法です。すべての取るに足りない1は、最後には偉大なる1〔唯一者〕に到達しなければなりません。それが最終的なゴールであり、旅の終わりです。ヴェーダは、カルマ(行為)を通して人をウパーサナ(礼拝)へと導き、それから最終的にグニャーナ(足かせを壊してくれる英知)へと導きます。
全託するなら、自分を丸々差し出しなさい
一つひとつのユニットのリーダーたち、つまり、会長、副会長、事務長、その他の役員たちは、自ら正しい道を歩み、正しくあらねばなりません。役員たちは全員、ナガラサンキールタン、つまり、夜が明ける早朝に村や町の道を歩きながら歌うバジャンに参加しなければなりません。もし、金持ちや影響力のある者たちが、自分は家で座っていて、他の人々にサンキールタンに加わるようにと言うようであれば、私たちはそのような人たちを会長や役員として必要としません。いかなるユニットも、そのような人々に頼るべきではありません。たとえその人たちがどれほど裕福であろうとも、です。金銭は来ては去りますが、道徳は、いったん来れば成長します!
繊維質が付いたままのココナッツを割ろうと試みてごらんなさい! それは不可能な作業です。まず、繊維質の中にある実を取り出しなさい。それから実を打ち割れば、果肉が手に入ります。繊維質という覆い、すなわち、感覚的な欲望を取り除きなさい。そうすれば、霊性の旅という果肉を手に入れることができます。
皆さん方の中には、実に私の目の前で、私の意志にすべてを委ねましたと言い切る人がたくさんいます。それは言葉だけのことにすぎません。あなたの心はあなたのものではありません! あなた方は心のおもちゃになっていて、その気まぐれな思いつきや、戯れに振り回されています! それでどうして、心を私に渡したなどと言い切ることができますか? 全託するなら、自分を丸々委ねなければなりません。何一つあなたのもとに残っていてはなりません。そうしたとき、あなたが私に与えることのできるものの中に、あなたが自分のものと呼べるものがありますか? あなたが私に忠誠を捧げることは、カーヴェーリー川の水をカーヴェーリー川に注いで戻すことでしかありません! そこには称賛に値するものは何もありません。
あなたが体重計の上に乗り、前より5キロ増えたと大喜びをするとき、体重計はあなたのはしゃぎようを見て笑います。体重計は、
「そうだ! 不意に今、君に死が降りかかったら、君を担ぐ葬儀屋の負担が五キロ増えるのさ!」と、心の中でくすくす笑うことでしょう。
あなたは、この世というダルマクシェートラ、すなわち、正義の宿る場所にやって来たのですから、正しくありなさい。
人にするようにと言うことを自ら実践しなさい
あなたの運命は快楽の頂上を究めることではなく、至福の頂上に登ることです。ダヤー(慈悲)とダルマ(正義)は、あなたを頂上まで、高く、高く引き上げます。ですから、この二つの性質を、どれほど小さな行為においても、自分に可能な限り精一杯実践しなさい。いつも人に親切にできるとは限りませんが、少なくとも親切な話し方はできるのではありませんか? あなた方はそれができますが、実践していません! 舌は、人に害を及ぼし、傷つけるという特別な力を持っています。ですから、あなた方は、特別に注意して舌をコントロールすべきです。あなたの言葉で、いかなる人にも苦痛を与えてはなりません。愛を広め、常に愛に満ちていなさい。人を愛することができなければ、どうして神を愛することを望めるでしょう?
富と権力を積み上げることに無関心になりなさい。ドリタラーシュトラ〔『マハーバーラタ』に出てくる盲目の王〕は、自分の王国と百人の息子たちにしがみついていました。そして、最終的には王座を失い、全滅した王家の唯一の生存者として、惨めな人生を送らなければなりませんでした!
あるとき、ナーラーヤナ神の妃で富の女神であるラクシュミーと、ナーラーヤナ神の理智であるグニャーナ(英知)との間で大口論が起こりました。二人は自分の方が優れていると主張し始めました。ラクシュミーは富の方が上だと言いました。理智は、英知なき富は危険であると言いました。しかし、ナーラーヤナ神が間に入り、どちらも人の使い方次第で良くもなれば悪くもなる! と言いました。
ユニットでの自分の役職を、できる限り有意義に、つまり、自分のエゴを克服すること、神への道にある人々に良い刺激を与えること、人の苦痛を和らげることに使いなさい。バジャン、ディヤーナ(瞑想)、ナガラサンキールタンといった定例活動を、やらなければならないからやっている、とか、それにしがみついていなければ、誰かが自分の役職を奪い取るかもしれないからやっている、というようなことがあってはなりません。皆とそれを分かち合い、真心から行動しなさい。ただ話すだけではいけません。人にするようにと言うことを自ら実践し、それが有益であることを身をもって示しなさい。
動機が純粋なら、知は純粋なものとなる
神に溶け込みなさい。心を神聖な活動に浸らせなさい。
リーラテー ガムヤテー イティ リンガハ
(すべてが融合する先、すべてが進んで行く先、それがリンガなり)
神は、「チッタ チョーラ(心を盗む泥棒)」と呼ばれます。神が心を盗むのは、神は心を愛しているからだということがわかったなら、あなたの義務は、神が自分の強奪したものをよりいっそう喜べるように、心を清らかに保っておくことです。その「泥棒」は、あなたの幸福を願う唯一の存在です。それ以外の人は、あなたが死ぬとき残していく物に関心があり、あなたの「遺書」と「保険証書」を探します!
若さ、富、世評、地位、権力―すべてに速い浮き沈みが付き物です。ある一人の若者がいました。彼は父親の稼ぎを無駄遣いし、大学でMSMとして何年も留年していました! つまり、3月(March)の試験に落第し、9月(September)に試験を受け直し、再び3月(March)の試験を受けることを略して、MSMです! 〔MSMの本来の意味はMaster of Science in Management、経営学修士〕 ついに、その頑なな低能ぶりにうんざりした大学側は、その学生に学位を与えて、大学から追い出しました! 彼に結婚の話が来たとき、新婦は学位を持っている大卒の女性がいいと、彼は主張しました! そして、その相手は大卒でした! 彼はソファーにもたれて歌いました。「僕の人生は、今、バラ色だ。」彼は妻に、「熱いコーヒーを入れてくれないか!」と頼みました。妻は、「私もあなたと同じ大卒なのに、どうして私ばかりがコーヒーを入れなければならないの? キッチンに行って、自分のコーヒーは自分で入れてください」と答えました。すると、彼は別の調子で歌いました。「僕の人生は、真っ暗だ、ああ!」
すべてがうまくいっているときは天国、物事がうまくいかないときは地獄です! 同じ出来事が、今日は天国、明日は地獄になります。空腹が満たされるまでは、食べ物は手に入れたいものであり、空腹が満たされれば、食べ物は邪魔になります! 動機が純粋であれば、知は純粋なものとなり、知が純粋であれば、解脱は確実です。
拡大は愛、縮小は死
たとえば、現在多くのユニットで行われている、貧しい人々への食事の施しを考えてみなさい。あなた方は、年に一度、自分たちのユニットの設立記念日に、貧しい人たちへの食事の施しをしています。けれども、果たしてそれだけで十分なのでしょうか? それで問題が解決されるのでしょうか? 貧しい人たちは一年に一度しか食事をとらないのでしょうか? 貧しい人たちも、あなた方と同じく、日に何度も食べなければなりません。ですから、私は皆さんに求めます。一年に一回、何百人もの人に食事を施す代わりに、主婦が毎日、家族に食事を作る際にお米を量るとき、「これはスワミが受け取るお供え物のため」と言って一握りの米を別に取っておき、週末に、その「捧げた」米を使って、家庭で三、四人のひもじい人に食事を与えなさい。これが本当のアンナ サミダハ アルパナ、すなわち、「飢えという聖火に燃料としての食物をくべること」です。
新しい服が手に入らない場合や、自分の収入ではそうもできない場合には、古着を集めて貧しい人に与えても構いません。子どもはすぐに大きくなって、服のサイズが合わなくなってしまうので、それを取っておいて貧しい人たちが住む地区の子供たちにあげなさい。拡大は愛であり、収縮は死です!
サティヤ サイ オーガニゼーションと、オーガニゼーションのユニットは、会員以外の人からお金や物資を集めてはなりません。寄付集めは、水と火のように、この運動〔サイの活動〕とは相反するものです。もし、この点を許してしまえば、霊的進歩は消滅することになるでしょう。寄付は会員だけがするようにして、誰かれ構わず声をかけたり、サミティ(ユニット)の会員以外の人に要請したりしてはなりません。
マイソールには、これは自分の写真から出たものだとか、自分の所から出たものだなどと言ってアムリタやヴィブーティなどを配っている人たちがいます。彼らは何週間かはそれらをただで配りますが、しばらくするとその辺の物乞いのようにお金を要求し始めます! そのようにしてお金を求めることも、お金を払うことも、罪です。帰依者たちは、そのような場所や人々には近づかないようにしなさい。
ひけらかし、見せびらかし、自慢を避けなさい
心に神を思い浮かべなさい。神を見るのに、なぜそのような場所や、外に行くのですか? また、別の所では、私がそこに来てランゴーリの粉〔家や寺院の入り口などに吉兆模様を描くのに使う彩色を施した米の粉〕などで字を書いて人々と交信する、などと公言しています! 仮に私がどこかに行ったとしても、私はそのようなことはしません。あなたが私を見ることができるように、私は直接行きます。私は第三者や霊媒を通して話したり答えたりはしません! 自分の家で、ナーマスマラナ(唱名)や、ジャパ(マントラなどを繰り返し唱えること)や、バジャンを続けなさい。この場所に来なさいとか、あの場所に行きなさい、といったような特別な呼び出しはありません。あなたがどこにいようとも、どの御名を好もうとも、どの姿を喜ぼうとも、あなたの心が純粋ならば、私はあなたを祝福します。ひけらかし、見せびらかし、自慢はしないようにして、簡素で、ひたむきで、やさしくありなさい。
自分の家庭から虚と偽善と残酷さを一掃し、一歩進んでバル ヴィカス(子どもの開花教室)を始めなさい。そうしなければ、子どもたちは伝染病にかかってしまいます!
サティヤ サイ オーガニゼーションの中に、権威ある地位を獲得したり、そうした地位にいる人から地位を奪うための白熱した政治的派閥争い、派閥の形成、噂の流布、人気取りを持ち込んではいけません。人の上に立つために帰依者の間に溝や派閥を作ってはなりません!
たとえ自分が中傷されても、平静さを失ってはいけません。誹謗中傷には耐えることです。ヴィシュワーミトラが気づいたように、怒りは霊性修行の最大の敵です。一度の怒りの発作は、三ヵ月分の健康と能力を消耗します。クリシュナは、野戦で九度ジャラーサンダを激怒させました。何度も何度も、クリシュナはあともう少しで捕えられるというところでジャラーサンダから逃れたのです。度重なる怒りの発作がジャラーサンダを弱らせ、九度目に激昂したとき、ジャラーサンダはいとも簡単に倒されてしまいました!
いつ、どこにいても、常に注意していなさい
満足は天国、悲しみは地獄、怒りは敵、平静は鎧、そして、慈悲は同志です。皆さんはシャーンティと三回唱えませんか? それは、人間に平安を促すため、神々に平安を促すため、そして、自分が住まなければならない自然環境に平安を促すためであり、また、体と心と理智に平安をもたらすためです!
ラーマやクリシュナの名のもとに運営されている団体の一員である者たちには、目に見える主はいませんが、このオーガニゼーションには、ここに主がいて、助け、助言し、指導することができます。ここでは、自分の心に浮かんだ考えや望みに応じて振る舞うことはできません。あなた方は、いつ、どこにいても、常に注意していなければなりません。エゴを取り除き、奉仕しなさい。差し出された手を握って、自らを辱めてはなりません。助けが必要なときは、私に頼みなさい。
手を伸ばすのは、神の恩寵を求めるためだけにしなさい。ぺこぺこしないで、権利として恩寵を求めなさい。子が父に求めるように求めなさい。神は最も近しく、愛しいものであると感じなさい。あなた方は反映、すなわち写しであり、私はビムバ〔太陽や月の表面、光源〕であり、映るものです。光源とその写しとの間に、何か重大な違いなどあり得ますか? あなた方は皆、私です。私はあなた方、皆です。私は自分がアートマであることを知っていますが、あなた方は自分は肉体であると信じています! あなた方は砂糖でできた人形であり、私は砂糖です。どんな御名も崇敬しなさい。その崇敬は私に届きます。なぜなら、私はすべての御名に返答するからです。誰かを中傷すれば、それは私に響きます。なぜなら、すべての人は、私の意志の表現であるからです。
サイババ述
翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.11 C24
サイ ラム ニュース138号(2011年5・6月号)pp.2-9掲載