サティヤ サイババの御言葉

日付:1971年12月23日
場所:マドラス
サティヤ サイ ババ 第5回SSO全インド大会の御講話(下)の御講話より

王道

今大会で下された決議の数々、ここでオーガニゼーションのユニットのために立案された規則と規定を、神の御前へと到る王道と見なさなくてはいけません。それらは旅が円滑に速く進むようにしてくれるものです。バーラタの子として、あなた方はこれらの規則が定める規律によって守られるバーラタ古来の文化の理想を育まなくてはいけません。精神と知性が弱まっているために、あなた方はそれらの理想に忠実でいること、それらが課した誓約と規定を守ることは自分たちには不可能だということを見出しつつあります。ユニットを正しく機能させるために、私たちが過去5年間、多くの規則、および制約とガイドラインを定めてそうした規則の重要性を強調してきたにもかかわらず、それらの規則はオーガニゼーションの改善のために役立てられるよりも、むしろ誤用されてきました。

その誤用の結果、あなた方は自分の心の汚れを落とすこと、社会に蔓延する悪を根絶することなどできそうにないと感じています。空の明るさが濃霧によって隠されるのと同じように、悪と不道徳の霧はハートを暗くし、無神論や他の病弊を生み出します。それはあなた方の存在の目的、あなた方に役立つよう設立されたこのオーガニゼーションの目的を忘れさせます。今は忘れていなくとも、そのことを心に留めておきなさい。

霊的な団体に入ってさえ、様々な野心と計画を胸に、そこでの重要な地位を手に入れる人もいます。そのような人々は、多くの場合、自分の計画こそが霊的に最善である、自分の方法そこが最善であると、真剣に信じ込んでいます。多くの人は、自分が入ったサティヤ サイ オーガニゼーションの目的と計画にまったく無知であるために、それと同じことをするかもしれません。しかし、無知は言い訳にはなりません!

アートマには誕生も死もなく、成長することも衰弱することもない

電気の性質はいまだに神秘に包まれていますが、人間は電気から恩恵を得る方法を無数に考案してきました。電気は本来どこにでも見出せますが、人間が考え出した特定の発明品を用いてのみ、集めること、蓄えること、活用することができます。それと同じように、いたる所に存在する霊的な「アートマ シャクティ」(内なる神聖な力)は、体の中に蓄えられ、細い電線、すなわち神経を通り抜け、心身の働きを照らし、導きます。心身の働きは、執着や一時的な楽しみに向かうのではなく、至福(アーナンダ)に向かわなければいけません。知性として細胞と神経の一つひとつに流れている生命原理も、同様にアートマ〔真我〕の反映です。

生まれてきた者に、死は付き物です。来ることは去ることを意味します。誕生がなければ死もありません。アートマには生も死もなく、広がることも、成長することも、衰弱することもありません。アートマに歴史はありません。アートマについて言えるのは、存在しているということだけです。アートマは常に、知であり、至福です。物事を望む強い衝動があり、それは「イッチャー シャクティ」〔イッチャーは、意志、望み、欲の意〕と呼ばれます。しかし、それも「アートマ シャクティ」、つまり、あなたの中核である神から派生したものです。このことをよく認識し、心身に有害なものを欲しがってその品位を落としてはなりません。

そのようにして昇華させた願望は、愛(プレーマ)の基盤です。それは「イッチャー シャクティ」を方向付ける敬神の木の果実です。その果実には、苦い外皮(マーヤー、迷妄、幻影)と堅い種(相違を認識すること、相違感)があります。それらを捨て去って、果汁の甘さを味わわなくてはいけません。その甘い果汁はアートマが授ける至福です。もちろん、外皮をむいたり種を取り除いたりする苦労なしに果汁を飲む、少数の幸運な人々もいます。プラフラーダはその種の人間でした。プラフラーダはマーヤーにも相違感という愚劣にも影響されませんでした。プラフラーダは、生まれた時から、神の御名の甘美さ、愛の木の果汁の甘さしか知りませんでした。

各人が3つの段階を通らなくてはならない

学校に上がった途端に大学に入れる少年はいません。小学校、中学校、高校1年生、2年生、3年生といった各段階にたどり着いては超えていく、ということをしなければなりません。それと同様に、霊性の道においても、仕事〔カルマ〕、礼拝〔バクティ〕、英知〔グニャーナ〕、それから、最後の犠牲〔ティヤーガ〕という段階があります。犠牲とは、熟した果実が木から落ちることです。その時、果実は自らの命を支えて維持してくれている木から自らを切り離し、自らの愛情と執着を犠牲にします。仕事は肉体の段階のためのものです。礼拝は心の段階、英知は霊的段階のためのものです。あなた方はこの3つの段階を通らなくてはなりません。あなた方の一人ひとりが通らなくてはなりません。私が「あなた」と言うとき、3人のあなたがいます! 「あなたがあなたであると思っているあなた」、すなわち、肉体、物質的な人間です。それから、「他の人々があなたであると思っているあなた」、すなわち、精神的なあなた、あなたの激情、感情、衝動、態度、信念、気持ちなどです。そして、「本当のあなた」、すなわち、アートマ、魂、あなたという個人の真の実在です。

次に、あなたは自分が責任を負っているユニットは初等段階にあるのか、高等段階にあるのかを調べなくてはいけません。今年が5年目であるという事実から判断すれば、オーガニゼーションは今、小学校の高学年の段階にあると仮定することができます。この時期には、規律が常に油断なく守られていなくてはいけません。そうすれば、高校や大学の段階が有益なものとなるでしょう。建てたい建物の階数が多ければ多いほど、基盤を深くしなければなりません。あなたは、真我顕現という、この上なく荘厳な塔を築く計画を立てています。そうであれば、信仰と規律、献身と全託という強固な基盤を整えることに大きな注意を払わなくてはなりません。ユニットにおけるあなた自身の活動を照らし合わせて、それほどの基盤が築かれているかどうか、自分で判断してみなさい。

聖者たちが定めた道に従いなさい

人間は、自分が組み立てたヤントラ(機械)という手段によって、建設と破壊の能力を百万倍も向上させました。一個の原子爆弾が、多数の軍隊が達成できなかった破壊を引き起こしました。それと同じように、霊性の分野においても、人間の中に隠れている力は、人間が発見したマントラを通して宇宙の神秘を見破るという、途方もない仕事を達成することができます。マントラとは「強力な祭文」を意味します。人間はヤントラを作りますが、マントラは人間を作ります! ヤントラを作る人は科学者と呼ばれます。マントラを知っている人は聖者と呼ばれます。聖者たちによって定められた道に従うなら、成功は確実です。というのは、聖者たちは最も純粋な意図と、最も高潔な理想を持ってその道を定めたからです。

神は、天国にいるわけでも、カイラーサ山やヴァイクンタ天やスワルガ天にいるわけでもありません。神がどこかの場所や土地だけに現れると信じてそこへ出かけて行くことは、真に嘆かわしい迷信です。神はどこにでも、どの人の中にも、どんな時にもいます。神はすべての中ですべてを目撃しています。神は空間と時間に満ちるエネルギーであり、因果関係として現れるエネルギーです。オーガニゼーションは、恐れることなく、戸惑うことなく、この真理を会員たちの心に植えつけ、この真理を広めなくてはいけません。オーガニゼーションは、人は目に見える動く神の化身であり、神は人の中で輝き、人を通して手招きしていることを示さなければいけません。

神は、人の中で、人を通して礼拝されるべきです。これこそが、あなた方が日常生活の中で実践しなければいけないメッセージです。これこそが、あなた方が行動に移さなければいけないプログラムの主要項目です。ユニットの中に、政治力を獲得することを狙った策略や計略を持ち込んではなりません。さらに、国籍、言語、階級、経済的地位、学識、年齢、性別を理由とする嫌悪や不信がわずかでもあってはなりません。アートマを崇敬し、愛を通してアートマの至福(霊的至福)を引き出しなさい。

神はあらゆる言語の源

なぜ、先に述べたような外側のシンボルに偽りの価値を置くのですか? なぜ政治的な境界線の向こう側に生まれたことや、別の言語で神に呼びかけることを理由に、偏見を育てるのですか? あらゆる言語の源は神です。境界線は往々にして移動するものであり、見直され、改定され、変えられるものです。20年前、ボンベイから来た人がプッタパルティの農夫にどこの州の人かと尋ねると、農夫は「マドラス州です」と答えました。しかし、その後、マドラス州はアーンドラ プラデーシュ州とタミル ナードゥ州に分割されたため、アーンドラの人々とタミルの人々は対抗意識と新たな狭い観念を持つようになりました。

これらは人間が作り出した違いであり、それによって敬神の活動が妨げられてはなりません。神は一つ家族のための一つの家として宇宙を創造しました。各州はその大きな家の一つの部屋です。オーガニゼーションの会員は、人がどの州、宗教、カースト、共同体に属していようとも、どの言語を話そうとも、その人に愛と尊敬を広げなくてはいけません。

小さな例をあげましょう。わずか一週間前に起こったことです。今から数年前の1965年、バングラデシュ〔東パキスタン〕とパキスタン〔西パキスタン〕(当時は2つで1つのインドの州だった)がインドに攻め込んできました。しかし、最近になって、バングラデシュの人々がインドに逃げ込んできました。パキスタンがバングラデシュの人々を弾圧して支配下に置こうと決めたからです! バーラタ人〔インド人、神を愛する者の意〕が、命にかかわる困難な時に自分たちに対抗してきたバングラデシュの人々の敵意を思い返すことは、露ほどもありませんでした。バーラタ人は兄弟愛を持ってバングラデシュの人々を温かく迎え、食物と住まいと衣類を与えて何百万という人々を死滅から救いました。

愛は理屈を無視し、セヴァは三段論法を尊ばない

あなた方は、このインドの高潔な反応の中に、生来の放棄の精神と寛容の深さを見出すことができます。災難に苦しんでいるのが誰であろうと、いつであろうと、どんな状況下であろうと、あなたのハートは遅れることなくそれに反応し、実際的な方法で同情心を示さなければいけません。誰も人間の屑だと非難されるべきではありません。どんなに小さな棒でも楊枝として役立つことができます! 神は完全な善人も完全な悪人も創っていません。あなたの好き嫌いが人にそういったレッテルを貼るよう仕向けているのです。

オーガニゼーションの役員は、もっとしっかりと自らの真理の中に自らを定着させるよう努め、さらには、「自分は万人が同一の神霊の火花であるという真理に気づいている」ということを自らの振る舞いを通して実証するよう努めなさい。私はセヴァ(奉仕)をサミティの最も重要な活動と見なしています。というのは、セヴァは最高の霊性修行だからです。損か得か、賛成か反対か、このやり方かあのやり方かといった議論に巻き込まれてはなりません。それらは間違った学識や歪んだ学識がもたらすものです。愛は理屈を無視します。セヴァは三段論法を尊びません。あなたが培うよう求められている愛を流れさせるために、愛を通して作られた規則を守る努力をしなさい。私はこのことを頻繁に言っているので、あなた方は皆、すでに私の気持ちを知っているでしょう。一日を愛で始めなさい。一日を愛で過ごしなさい。一日を愛で満たしなさい。一日を愛で終えなさい。これが神への道です。

サミティは心臓、ユニットは手足

まず、サティヤ サイ セヴァ サミティが今後オーガニゼーションの主要なユニットになることが決議されました。サティヤ サイ サットサンガ〔善き仲間から学びを得る会合を行うユニット〕、サティヤ サイ バーラ ヴィカース〔子どもを教えるユニット。バーラは子ども、ヴィカースは開花の意。日本ではバルヴィカスと呼ばれる〕、サティヤ サイ スタディー サークル〔学習会を行うユニット〕、サティヤ サイ バジャン マンダリー〔バジャンを行うユニット〕、サティヤ サイ セヴァ ダル〔奉仕をするユニット。セヴァは奉仕、ダルは団の意〕といったユニットは、サミティに従属し、サミティに管理されます。サミティは心臓であり、各ユニットは手足です。手足は自分自身が法であるかのような単独の行動はできません。

第3回全インド大会の時に、マヒラー ヴィヴァーガ(女性の活動を担当するユニット)は男性の諸部門〔他のユニットすべて〕と切り離されました。そして、マヒラー ヴィヴァーガは関連するサミティの指揮下には入らず、指揮下に置かれませんでした。もちろん、ヴィヴァーガはそれ自体の会長と秘書〔事務局〕を持つことができますが、両者はセヴァ サミティの会長のアドバイスと提案、および、サミティのために定められた規則に従わなくてはいけません。

町ごとに1つのサミティがあるべきです。1つの町に複数のサミティがあってはなりません。サミティは、自らの管轄区域の中に100のバジャン マンダリー〔バジャンを行うユニット〕、あるいは、他の様々な活動に従事する100のグループ〔ユニット〕を有してもかまいませんが、サミティは1つだけです。

サミティの制限と活動

バーラ ヴィカースとセヴァ ダルは、サミティの手足にすぎません。しかし、私たちはバーラ ヴィカースをマヒラー ヴィヴァーガだけの特別活動とするよう決議しました。というのは、女性は女性ならではの方法で、愛情深く、親しみを込めて、聡明に、そして、熱心に子どもたちに対応することができるからです。バーラ ヴィカースには5歳から12歳までの年齢の子供を入れなさい。12歳より上〔13歳以上〕18歳未満の子供たちはジュニア セヴァ ダルに入れなさい。18歳から30歳まではセヴァ ダルの中で働きなさい。30歳を過ぎた人〔31歳以上〕はセヴァ サミティの会員になる資格が得られます。献身と奉仕を重んじる厚い心を示す人には、特にその資格があります。

バーラ ヴィカース運動が広がり、かつ、子供たちが高校に入れるようになったら、その子たちを受け入れてオーガニゼーションの理想に一致したやり方で教育を継続するために、高校を開設することができます。さらに、サティヤ サイ大学の開校に伴って、そのプロセスはサティヤ サイの加護の下で完成されるでしょう。このようにして、強力な基盤の上に、よみがえったバーラタ文化が築かれるでしょう。男性教師がバーラ ヴィカース教室を運営することはできますが、男性教師が受け持つのは男子生徒に限ります。

今日決定されたもう一つの行動方針を次に述べます。あなた方は皆、あらゆる類の人々が、あらゆるスタイルで、あらゆる内容の本を、あらゆる気まぐれに促されて書いていることを知っていますね。そのほとんどは個人的な利益を計算に入れています。しかし、今後これはやめなければいけません。サイ文献には著者や発行人の好みに合わせて出版されるべき本はありません。シュリ サティヤ サイ教育財団という名前で登録されている団体があります。原稿はその財団に提出し、財団が認める方法で、財団を通して出版されなくてはいけません。なぜなら、本は人間の能力を変容させ、変質させるものだからです。多くの人がただ自分の想像力だけに頼って、関連も体験もなしに本を書いているために、人々は事実と作り話、真実と虚偽を区別することができず、広大な荒野に取り残されています。

情報の流れは絶え間なく着実でなくてはならない

さらには、「シャーンティ」、「プラシャーンティ」、「シュッダ」、「サナータナ サーラティ」といったような様々な名前の付いた、たくさんの定期刊行物が、インドのほぼ全言語と英語で出版されており、それが混乱と複雑な問題を引き起こしています。ですから、定期刊行物は「サナータナ サーラティ」という同名の1つの月刊誌の各言語版だけにしなさい。今後は、人々の意志や好みに応じてそれ以外の定期刊行物が出版される可能性はなくなるでしょう。もしこのまま放置していたら基準が低下する可能性があり、さらには、当事者に財政上の損失が見込まれ、結果として困難に陥ります。したがって、財政的にも内容の範囲と権威においても信頼できる足場に、それぞれの言語圏の「サナータナ サーラティ」を置くことが決議されました。

もう一つの重要な問題があります。オーガニゼーションがまだ効果的に組織化されていないことです! ユニットからの活動報告がサミティに届いておらず、サミティは地域の会長に報告をしていません。同様に、地域の会長は州の会長に報告しておらず、州の会長は州の活動の全体状況を私に提出することができません。下からの情報の流れと上からの指示と感化は、途切れることのない着実なものでなければいけません。

これらの規則の順守は、オーガニゼーションを強くします。オーガニゼーションは、人類全体の手本としてのバーラタ文化の育成を目的としています。このオーガニゼーションは、各人の中のアートマは万人の中のアートマであり、各人が礼拝する神は万人が礼拝する神であることを信じています。バジャンではサティヤ サイの歌だけを歌うべきだと主張することはできません! 私はその種の狂信的な行為を大変嫌っており、非難しています。なぜなら、すべての御名と御姿は私だけを意味しているからです! あなた方が私の名前のどれか一つに固執して、それ以外の名前を避けるなら、あなたは私の真理に関する己の無知をさらけ出しているということになります。アートマの原理を明らかにし、アートマの栄光を体験したとき、あなたは規則の領域を超越します。しかし、それまでは行為の限度と指針を守らなければいけません。

オーガニゼーションのシンボルの使用

州の会長たちは、ただちに次の追加点に注意を払わなくてはいけません。いくつかの州では、人々が私の力の顕現を公にし始め、売買で利益を生み出すことを視野に入れて自分たちを宣伝屋に変えています。この種の商売をしているユニットがいくつかあり、それらはいまだにオーガニゼーションの中に存在しています! あなた方はそれらのユニットをオーガニゼーションから切り離すことを決めなければいけません。私たちの名前を使って大勢の人が寄付や献金を集めています。そのせいで、オーガニゼーションの規定を知らない人々が間違った方向に導かれ、だまされています。どれほど裕福であっても、どれほど学者として高名であっても、どれほど社会で影響力のある重要な人物であっても、もしオーガニゼーションの規則に違反したら、その人物をオーガニゼーションから除名するよう努力しなければいけません。これは、違反がわかった時点で、即座に実行されなければいけません。ケーララ州とマイソール州においては、これを即刻、良心の呵責なく、実行しなくてはいけません。

オーガニゼーションのシンボルは「宗教間の和、すべての信仰の一体性、あらゆる接近の手段の受容」です。今、このシンボルが、バッジや便箋、結婚式の招待状などに見境なく使われ、さらには、使う人の個人的な好みでアレンジされたり変更されたりしているのを私は知っています。それは混乱を引き起こしています。というのは、オーガニゼーションのユニットやサティヤ サイ セヴァ ダル用に同一のものと確認できる1つのシンボルがないからです。公用書簡に使う便箋には同一のデザインを採用し、バッジには全国で同一のシンボルを採用するよう決議しなければいけません。もしあなた方が信仰と規律という王道を歩むなら、あなたが中に入りたいと切望している王宮に到着することができます。

様々な宗教の根本的な類似性を理解しなさい

霊的進歩には4段階あると言われています。それは、サーローキャ(王宮にいること)、サーミーピャ(王の御前にいること)、サールーピャ(王の権威の一部を身につける特権があること)、サーユージャ(王自身になること)です。聖書には、最初キリストは「私は神の使いである」と述べ、のちに「私は神の子である」と述べ、最後に「私と私の父は一つである」と述べたとあります。そして、さらには、「聖霊と同一である」という宣言もあります。コーランにも似たような考え方が示されています。サティヤ サイ オーガニゼーションは、これらの根本的な類似性を学んで実証する機会を探し出し、愛と助け合いの精神を促進しなくてはいけません。

あなた方の中には、私たちが定めた規則がナイフの一突きやハンマーの一撃のように思える人もいるかもしれません。しかし、それらの規則は、癒すため、溶接させるためにあるのです。規則に従い、行動する際には誠実に規則を守りなさい。そうすれば、あなた方の道は、花びらを敷き詰めた道のように柔らかく滑らかなものとなるでしょう。あなた方が規則を守り、規律と信愛の恩恵を受け取るよう祝福します。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.11 C35