サティヤ サイババの御言葉

日付:1972年11月23日
場所:プラシャーンティ ニラヤム
47歳御降誕祭の御講話(1)

ゲームをプレイしなさい

体がすべてだと思うこと、そして、体の中には何も宿っていないと思うこと――これが第1の間違いです。海がなければ波はなく、アートマ(神我)がなければ体はないということを、無視すること、あるいは忘れることは第2の間違いです。アートマに限界や気分はありません。限界や気分に捕らえられているのは、個々人です。ひとたび自分は本質的にはアートマであるということを知れば、あなたも何の影響も受けなくなるでしょう。

個人のもう一つの特徴は、人は他の人たちから孤立して一人で存在することはできないということです。個人は、水面に落ちた一滴の油のように広がっていき、遠くまで手を伸ばします。「私」は、自分以外の「私」を求めて、「私たち」になろうとします。人生は「私」から「私たち」へと前進していくことです。けれども大抵は、「私」から「彼ら」へと道をそれてしまいます。そして、神、すなわち「私たち」に到達することができません。

理智だけが、人を本当の道と偽りの道、正しい歩みと正しくない歩みを見分ける識別の道に向かわせることができます。これが、ガーヤトリー讃歌〔ガーヤトリーマントラ〕を通じて「私が正しく歩むことができるよう、私を照らしてください、私の知性を促してください」と、ずっと昔から人が祈り続けてきた理由です。

人間の持つ理性を働かせる力は、その人が今生において受ける教育によって形成されるだけではなく、そのさらに大きな部分が、数々の過去生の影響や将来の出来事へと持ち込むものによって形成されます。もしその力が自己権力の拡大に使われるなら、迷妄を増大させます。他者への奉仕に使われるなら、実在の啓示が促進されます。理性は、心の気まぐれ具合を観察し、人間一人ひとりの中に存在し輝いている神性を明らかにしなければなりません。

アヴァターたちは常に注意を払い、気づいていて、輝いている

すべての人に「愛」を与えなさい。エゴを手放しなさい。人類同胞への思いやりを持ち、彼らとの親しい間柄を感じ、奉仕の中で英雄的行為を示しなさい。すべてを照らすアートマを思い浮かべ、終わることのない至福をそこから引き出しなさい。

体をまとってやって来る者は、誰もがアヴァター〔神の化身〕です。つまり、神の神聖な降臨です。であれば、ラーマやクリシュナ、仏陀やキリストの特別な特徴は何ですか? なぜあなた方は彼らの誕生日を大変な崇敬の念を持って祝うのですか? 彼らの特別な点は、彼らはアートマという真実に気づいており、あなた方は気づいていないということです。気づきは、恩寵、栄光、威厳、力、光輝を授けます。気づきは、輪廻、時間、空間、因果からの解放、睡眠、夢を見ている状態、起きている状態からの解放を、授けます。あなた方にとって、睡眠はフィクションであり、夢は幻想であり、起きている状態はあらゆる方向に襲いかかる嵐です。アヴァターは常に注意を払い、気づいていて、輝いています。

賢人とは、自分の理性を鋭く明確に保ち、物事の実体を見る人です。賢人は次の助言に耳を傾けます。

人生は挑戦、それに立ち向かいなさい。
人生は愛、それを分かち合いなさい。
人生は夢、それに気づきなさい。
人生はゲーム、それをプレイしなさい。

これが巡礼者の本当の前進です。これが、森を横切るライオンの、恐れを知らず、堂々とした、勝利の歩みです。ライオンのうなり声は森に棲むものすべてをパニックに陥らせます。それと同じように、英知の後光は恐怖と疑いという暗黒の群れを追い出します。

人生は猛烈な台風のようにあっという間に通りすぎていきます。あてがわれた年月は太陽を前にした雪のように溶けていきます。しかし、人は貴重なチャンスを無駄にして、愚かさと軽薄さへと迷い込んでいます。「非真から真実へと導き給え、暗闇から光明へと導き給え、死から不死へと導き給え」という、人の魂の切望は、実現していません。そうであれば、アヴァターを礼拝し、アヴァターが人の姿をとった人を聖日として祝うことに、何の意味がありますか?

あなたのハートに愛の種を植えなさい

アヴァターのメッセージは、あなたの中で、あなたのハートの中で生まれ、生き、成長しなければなりません。それが、あなた方が祝わなければならない誕生日です。自分の村でアヴァターの誕生日を祝いなさい。長旅をして、肉体をまとった私がいる場所までやって来る必要はありません。あなたのハートの中に愛の種を植え、それが育って奉仕の木となり、至福という甘い果実が大量に実るようにさせなさい。その至福をすべての人々に分け与えなさい。これが誕生日の正しい祝い方です。

私はあなた方に、「私の人生は私のメッセージです」と言ってきました。私はウパニシャッドの中にある方法をあなた方に強く勧めます。それは、「母親を神と崇めよ、父を神と崇めよ、師を神と崇めよ、客人を神と崇めよ」というものです。今、私は彼ら〔母イーシュワランマと父ヴェーンカマ ラージュ〕の体が墓に入れられて提示されている場所に行こうとしています。それは、私があなた方に助言したように、両親に感謝と敬意を表すためです。その後、プラシャーンティの旗がマンディルの上に掲揚されます。その旗をあなた方のハートの神社に掲揚しなさい。その神社には神が祀られていて、あなたの人生のすべての瞬間にその臨在が実感されるのです。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.11 C50