サティヤ サイババの御言葉

日付:1973年4月
場所:ハイデラバードの少年院
少年院でのババの御講話より

知っている者を知りなさい

人はどこでも、自分に割り当てられた地上での貴重な時間を、三つの無駄な追求のために浪費しています。それは、

  1. 自画自賛して、自分の利益を前面に押し出し、何としてでも己の権力を強めようとする。
  2. 他の人を中傷し、他の人の評判に泥を塗ろうとし、善人の悪口を言いふらし、悪人にへつらう。
  3. 軽薄に、無責任に話し、憎しみの火を焚きつけたり、あわてふためいて泥試合をしたりしながら、自分が被害を与えたことを気にも留めない。

というものです。人は、他人のことは何でも知ろうとしますが、自分のことを知ろうとしません!

「知っている者」のことを知ろうとすることをサーダナ〔霊性修行〕といい、「知っている者」についての知識をアートマ ヴィディヤー〔真我の知識〕といいます。この知識があってこそ、人はどこにいても平安に暮らしていくことができるのです。というのも、自分は神の火花にすぎず、他人も皆同じ神の火花であることがわかると、あなたはすべての人を敬意と真の愛を持って見るようになり、あなたのハートは最高の喜びで満たされ、エゴの主張は無駄になるからです。

人は遠く離れた場所に喜びを求め、静かな場所に平安を求めますが、喜びの泉はあなたのハートの中にあり、安息地はあなた自身の中にあるのです。月の上を歩く時でさえ、人は自分の恐れや不安、偏見や嫌悪感を持っていかなければなりません。神を信じ、道徳的な生活の正しさを信じなさい。そうすれば、どんな運命が訪れようと、平安と喜びを得ることができます。

愛だけが永続的な幸せと平安をもたらす

善、思いやり、寛容――この三つの道によって、人は自分と他の人の中にある神性を見ることができるようになります。現代人は、ハートが柔らかいことを、弱さや臆病や知性の欠如として非難します。人々は、憐れみや慈しみに対してハートを硬くしていなければならないなどと言っています。しかし、そのような方法では、戦争や破壊や転落があるだけです。

愛だけが、永続的な幸せと平安をもたらし、分かち合うことだけが、悲しみを減らし、喜びを増やすことができるのです。人は、分かち合い、奉仕し、与えるために生まれてきたのであって、奪うために生まれてきたのではありません。あなたのハートの祭壇に神への信仰という尊い真理を祀るとき、あなたは運命の打撃と開花を等しく積極的に歓迎するようになるでしょう。

人は、最高の喜びを得ること、その喜びを他の人と分かち合うことができます。ところが、人は今、悲しみだけを得て、その悲しみを他の人と分かち合っています。 昔、ある王様が、森の木こりから誠実なもてなしを受けたお返しに、広大な白檀の林をイナーム(贈り物)として与えました。木こりは白檀の価値を知らず、また、木から漂う香りの意味や特質を調べようともしませんでした。しばらくすると、木こりは白檀の木を全部切り倒し、炭にして売るために燃やしてしまいました。ほとんどの人は、自分の人生を無駄にして、白檀で木炭をこしらえて、それと交換に手に入るわずかな小銭に満足しています!

祈りという方法によって、神の恩寵を勝ち得ることができます。祈りは、あなたが感官の奴隷でいることから解放してくれます。神を褒め称え、自分は神によって動かされていると感じるとき、あなたの怒りや不安、偏見や妬みはなくなるでしょう。こうした激情は、体と心の健康を害します。貪欲や恨みを感じたら、その感情をコントロールしようと試みなさい。その感情を、病気を治療するように扱いなさい。治療法を見つけて、それを修得しなさい。

ある僧侶が、部族の山賊たちに罵詈雑言を浴びせられ、密林で追いかけられていました。密林の果てに行き当たると、僧侶はその手前の岩に腰を下ろし、山賊たちに、「一番酷いことをするがいい。ここで私の信徒の一団に会ったら、彼らはおまえたちの振る舞いに激怒して、おまえたちを叩きのめすだろう」と言いました。

規律は知的な生活の印

人間は、元来、愛であり、平安であり、歓喜であり、真理です。人間はこれらすべての化身、つまり、神性の化身です。人間は自分の基本的な特性に従ってのみ行動する義務があります。しかし、人間はそれらの上に「私」や「私のもの」という偽りの特性をかぶせ、自分の人格を汚しています。その汚れをどうやって取り除くかが、どこであれ、すべての宗教の課題です。

バジャンとナーマスマラナ〔唱名〕は優れた浄化法です。心は、ただひたすらに一つひとつの御名の甘さに浸らなればなりません。その結果として、初めて心は甘くなるのです。よい結果を生むという意識をもって、それらを修行として習慣的に行わなければなりません。それらを、ぎっしり詰まったスケジュールの中の、単なるお決まりの機械的作業へと退化させてはなりません。

規律は、知的な生活の印です。親は、子供が親の管理から外れてコンパスや碇なしで漂流することを許すべきではありません。多くの親が、子供に食事を与え、撫でてかわいがり、それから、友人や楽しみを見つけるようにといって、自由の名の下に子供を放置します。親たちは、子供の心にどんな印象が植え付けられるかを配慮することもなく、子供を映画に連れていきます。親たちは子供の友人を歓待しますが、その子の身元や習慣については尋ねません。親たちは、子供にタバコや酒を勧めることさえし、いつかそれを後悔することになるということをわかっていません。このようにして、親たちは、自分の行動によって、自分は子や孫の敵であることを宣言しているのです。

人生という道には上り坂もあれば下り坂もある

私は子供が好きです。私は子供たちをとても大切にしています。私は細かいところまで子供たちに注意を払います。私は、ふさわしい時にふさわしい助言を子供たちに与え、また、親たちにもそうするようにと言っています。私は子供たちに、規律、敬意を持って両親に従うこと、規則正しい食事と運動、勉強やバジャンや瞑想などの時間を厳守することを要求します。私はまた、病人の看護など、いくつかの奉仕活動を奨励します。

私は、軽薄な話、贅沢な暮らし、有害な習慣、映画に夢中になること、恐怖漫画、ペンフレンド、異国風の服装、人目を引くための風変わりな髪型といったものを非難します。こうした手段によって、少年少女はだんだんと不正と不道徳の道へと引きずり込まれてしまうのです。 規律はあなたに、失望に耐える訓練をさせます。人生という道には上り坂もあれば下り坂もあり、どんな薔薇にも棘がある、ということをあなたは知るでしょう。今、人々は棘のないバラを欲しがって、人生は五感の喜びの武勇伝であり、年がら年中ピクニックでなければならないと思っています。そして、そうならないと激高し、他の人を非難しはじめるのです。誰もが自分の楽しみのことばかり考えていたら、社会はどうやって進歩することができますか? 弱者はどうやって生き延びることができますか? 「あなたのものではなく、私のもの」――この貪欲さが諸悪の根源です。この区別が、神にさえ当てはめられています! 「あなたの神ではなく、私の神!」、「私の神ではなく、あなたの神!」と。

私は今日、あなた方、少年院の子供たちといっしょに過ごせたことを、実に嬉しく思っています。神のいる所で時を過ごすことは、過去の功徳の報いによる幸運です。あなた方は、ここで非行に対する裁判所からの処罰を受けています。私はあなた方に、人は皆、過去生で犯した過失や罪を償うために、長い期間、あるいは短い期間、軽労働や重労働の刑を受けているのだ、ということを教えてあげましょう。どの雨粒も、地表を打ちつけてへこませます。すべての欠点が修正されなければならず、すべての罪が洗い流されなければなりません。すべての人は囚人です。

人生の黄金律を学びなさい

なぜならば、どこへ行っても、二人の看守が付き添って、一挙手一投足が監視されているからです。一人で行くことができてこそ、人は自由であると言えるのです。けれども、今、「私」〔アハンカーラ〕と「私のもの」〔ママカーラ〕が、人を一人にしてはくれません。それらはあなたの両脇を歩き、あなたの一歩一歩に少しずつ影響を与えていきます。「私」〔エゴ〕は、あなたは体であり、心であり、感官であり、知性であると主張します。「私」は、体を強く美しくすることに気を配れ、心を引き付ける気まぐれに応じろ、舌や目のつかの間の喜びを追求しろと、あなたをそそのかします。「私」は、理性こそが真理を測る唯一の道具であると言い、直観と経験を否定します。

心は、単なる所有の喜びや、他人から価値のあるものの奪う喜びのために、奪い、手に入れ、自分のものにしろと、あなたに教えます。しかし、心は、「私」と「私のもの」という二つの手錠を解くために使うこともできるのです。心を神に定まるようにさせなさい。そうすれば、どちらも消えてなくなるでしょう。

あなたの行為の一つひとつを吟味して、それが人に痛みを与えないかどうかを見極めて、もしそうであったら、やめなさい。自分がしてほしくないことは人にしないこと――これは黄金律と呼ばれています。そうです、これは善悪を見分ける最高のテストです。もし誰かがあなたの持ちたいと思っているものを持っていても、それを奪ってその人を惨めにしてはいけません。あなたは、自分の好きなものが他人に奪われることを望んでいますか?

自分の力の限り人に奉仕することを身につけなさい。両親と先生と年長者を敬うことを身につけなさい。この人たちは、いつもあなたの成長を考えてくれています。村に帰ったら、地元のセヴァ サミティ〔サイ オーガニゼーション〕に加わって、バジャンや奉仕プログラムに参加し、そこのメンバーといっしょに勉強しなさい。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.12 Ch.13