サティヤ サイババの御言葉

日付:1974年7月23日
場所:アナタプル市
サティヤ サイ女子大学創立記念日の御講話より

真理は一つ

エーカム サット ヴィップラーッ バフダー ヴァダンティ
真理は1つ、しかし、賢者はそれを様々な名前で呼ぶ

真理の姿をとった、ただ1つの神がいるだけです。その神を学識者たちは様々に描写しました。これはバーラタ〔インド、神を愛するものの意〕からの最も重要な訓戒です。

人生は、固有の体として過ごすなら悲しみであり、アートマの原理で満たされていれば幸せです。唯一性と一体性には幸福があります。多様性は悲しみをもたらします。これはインド文化の重要な側面でもあります。

「私は何者か?」これを探求しないなら、人間として生まれてきた目的は何だというのですか? アートマを探求することこそが人間の第一の義務です。バーラタ文化は、万人は自分という存在の原理、自分の神聖さの比類なき原理を認識する努力をし、しかるべく振る舞わなければいけないと、宣言しています。

アヤム アートマ ブランマー
この真我は神なり

個々の魂は皆、一体性という側面を持っています。そして、同一の光を持っています。1個の小さな灯火で、どれほど多くのランプにでも火を灯すことができます! この単純な事実を否定できる人は誰もいません。1個のアートマの光によって、他のいくつものハートを燃え立たせることができます。聖典は、

エーコーハム バフッスヤーム
一なるものが多になろうと意志した

と述べています。外側はどれほど違って見えても、内側の姿はすべて、同一の原理の一部分です!

同一の風が、涼しい微風や竜巻といった変化に富んだ姿を見せるのは周知の事実です。見た目には明らかに種々の姿と名がありますが、真理は1つです。

一体性の中には幸福があります。

エーカム サット
真理は一つ

皆さんはこの訓戒をバーラタ以外のどこでも見出すことはないでしょう。サナータナ ダルマ〔永遠の法〕だけがこの原理を力説しています。もし人々が一体性の原理からはずれて多様性に執着しているとしたら、それは自分自身の弱さが原因であって、私たちの国の文化のせいにすることはできません。この文化を守ってきた数々の神聖なハートに悪意に満ちた意図を吹き込む人々がインド国内にいるというのは、不名誉なことです。

光の道を歩みなさい

『バガヴァッドギーター』はそのような人々に「嫉妬深い人」という烙印を押しています。「嫉妬心」(アスーヤー)は、他人の幸せや繁栄が我慢ならないという邪悪な性質であり、隣人を愛すること、悩み苦しんでいる人を助けること、神聖な動機を与える同一の存在が内なる御者として自分にも万人にも内在しているのを見ること、を妨げます。「嫉妬心」(アスーヤー)は他人の行動のあら探しをしたがり、他人の徳や優れた部分を見えなくさせます。

『バガヴァッドギーター』の第9章は、この面を深く論じています。クリシュナは、2つの異なる道、「シュレーヨー マールガ」(健全な道)と「プレーヨー マールガ」(悲しみの道)についてアルジュナに教えました。けれども、アルジュナはその意味を理解できず、バガヴァン〔クリシュナ〕に説明を求めました。アルジュナほどの人が、人類の代表として選ばれたまさにその人が、理解できなかったのです。そうであれば、普通の人にそれが理解できますか?

神性を確立する上で、クリシュナはまず「嫉妬心がないこと」という原理を教えました。現代では全人類が不安と悲しみと絶望と落胆でぐらついています。それは、欠陥のある見方や欠陥のある聞き方から生じた、憎しみ、嫉妬心、狭量さが増えたせいです。国や信条にかかわらず、人間は盲目になってしまいました。人間はすっかり悪意に浸っています。他人から悪意を習得し、悪意を聞き、悪意を見、悪意について話し、その結果、悪意の権化となっています。議論に没頭している人々は、悪意ばかりに注意を向けるせいで、悪意に満ちた人々よりもさらに悪意で一杯になっています。このような人々が、どうして万人の中で輝いている一体性を理解することなどできますか?

人々から教育の中心地と呼ばれる権威を得るためには、この汚れた欠陥のある見方を破壊しなければいけません。教育は英知の具現です。英知の印は一体性に関する気づきです。たとえ名前は様々でも、本質は同一です。教育は、創造、維持、破壊という時の三相すべてに行き渡っている真理の姿を探し出さなければいけません。人々は今、教育を軽んじて、些細なものや、取るに足りないものを教育から得ようとしています。教育の地位や価値をおとしめています。学生、教師、教育を推進する人々は皆、多様性を避けて一体性を育てるよう懸命に努めなくてはいけません。ところが、現代では、教育の名の下に無謀な自由が広く伝えられています。自分の子供の恥知らずな振る舞いのせいで、親たちは世間に顔を向けることができません。教育は、平安と幸福を広める代わりに、不安と悲しみを引き起こしています。クリシュナは、カウラヴァ兄弟の病気〔悪〕に適した薬は矢の雨であるという判断を下しました。手遅れになる前に、教育の分野において適切な処置を取り上げるかどうかは、あなた方にかかっています。不安と苦悩を和らげるために、現代の教育制度を復興しなければいけません。

木が無事に生き延びるには、根が強くなければなりません。それと同じように、建物にはきちんとした土台が必要です。現代の教育制度は、自信〔真我への信頼〕と自己満足〔真我の満足〕に欠けているため、無知を根絶して真理の重要性を確立することができません。教育を受けた人々は、いくら正しい道に気づいていても努力奮闘する力を持っていません。この理由は何でしょう? 教育機関が真理を促進する教育を授けていないことです。倫理と正義と霊性の領域に関する真理と非真理を識別することを教える制度を導入すれば、そのとき初めて皆さんは、非真理と、無秩序と、無法の増加を食い止めることができるようになるでしょう。

現代の教育機関は物質的な教育だけを与えており、霊性教育は完全に無視されています。そのせいで、学生たちは強さと能力を欠いています。現代の制度は盲人が盲人の集団を導いているようなものです。弱い人間は何一つできません。信仰心のない人間は呼吸をしていないと言っても過言はないでしょう。

ナーヤマートマー バラヒーネーナ ラビャフ
この真我は弱い人間には勝ち取れない

これはヴェーダで述べられていることです。あらゆる力の源であるアートマを自覚していない人は、根本的に弱く、人々をさらに弱くさせることしかできません。

「自分のことは信じているが、神は信じていない」などと言えるのは、無知な人だけです。神を信じていないのに、どうして自分を信じることが可能でしょう? 「自分」とは厳密には何ですか? 現世の体が本当の自分ですか? そうではありません! 本当の自分は名前と姿でできているものですか? いいえ、違います! 人は神なのです。神こそが、人の本当の姿なのです! ひとたびこのことを理解すれば、人はいかなる敗北にも遭遇することはないでしょう。「自分」というものに関する真の原理は、コンスタントな黙想と、「私は何者なのか? 私の思考はどこへ行くのか?」という質問によって悟ることができます。

人は自分の思考を絶えず見張っているべきです。現在は未来へと導くものです。過去はすでに確定されたものです。過去、現在、未来は、実際には別々のものではありません。現在の原因は過去の行為です。今、善い行いをしていないのに、どうして未来に善いものを受け取ることを期待できますか? 善行をせずに善果を求めて何になりますか? 人々は悪い運命を嫌がるくせに、悪い行いをし続けています。何が善くて何が悪いかを知っていながら、エゴと無知のために、そして、信仰心がないために、自分を甘やかして台無しにしています。なかには自分の悪い行いを正当化しようとさえする人もいます。その一方で、善悪について本当に無知な人はほんのわずかです。盗みが悪いことだとわかっているからこそ、泥棒は変装して身を隠すのです。

学位ではなく人格を分配する

女子学生の皆さん!

いっときの幸せのために誤った道を行くなら、その百倍の悲しみを経験しなければならなくなります。悪い愚かな考えは一時的な喜びを与えてくれますが、その跳ね返りは悲惨なものになるでしょう。

目があるのに盲人のように振る舞い、足があるのに足が不自由であるかのように振る舞い、健全な心があるのに狂人のように振る舞う人たちを、あなた方が正さなければいけません。平和を説いていながら人を扇動して煽るようなやり方をしている人々に、善い教訓を与えなくてはいけません。クリシュナ神は言いました。

ニミッタ マートラム バヴァ サヴィヤ サーチ
そなたは単なる道具となれ

ですから、あなた方全員が、この神聖な使命において役に立つ道具とならなくてはいけません。

この大学は、学位をばらまくために創立されたのではありません。この大学を通じて、犠牲、人格、善意等々といった特質を授けることが私たちの目的です。患者に苦い薬を与える前に、患者が好きな食べ物の中にそっと薬を入れておくことがあります。それと同じ方法を用いて霊的知識を与えるために、この大学は始められました。お金を搾り取るという目的で教育機関を設立するという昨今の風潮は、まことに嘆かわしいものです。

私は、この大学がますます発展し、あなた方全員が私たちの理想に基づき、幸福を吸収して拡大していくことを望んでいます。将来、本校の女子学生たちが社会の不合理を矯正してくれることを、私は確信しています。

復興という使命に取りかかる前に、まず皆さんは自分の思考を清らかにし、模範的な振る舞いをするようにならなくてはいけません。

私は、あなた方全員が、気高く至福に満ちた思考を抱くよう祝福します。今日は本校の創立記念日です。今日、上級生たちは先へ進み、新入生たちが入ってきます。この大学の特色は、入ってくることだけがあり、出ていくことはないというものです。皆さんは、さらに高い学位を取得して、いつでもこの大学に教師として加わってよいのです。皆さんは、本校に戻ってきて高潔な原理を教える権利を持っているのです。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Women's Role C8/Sathya Sai Speaks Vol.12 C44