サティヤ サイババの御言葉

日付:1974年11月23日
場所:プラシャーンティ ニラヤム
ババ様の四十九歳の御降誕祭の御講話(下)より

浮かれ騒ぎのパーティーであってはならない

神聖アートマの化身である皆さん! あなた方は今日の日をスワミの誕生日として祝っています。そして、ここで熱心にさまざまなプログラムを行うことを通してアーナンダ(神聖な至福)を得ています。けれど、実のところ、私は、誕生日だからといって、今日は特別な日だなどとは思っていませんし、そのような理由で今日を祝いたいとも思ってはいません。私は、人々に人の実体と人生の目的の神秘を明かすためにやって来たのです。私は人々に私の誕生日を祝う仕事を課すために来たのでもなければ、個人に向けた盛大なお祭りをしてもらうために来たのでもありません。いついかなる時も、今回の地上での滞在においても、あるいは他のいかなる滞在においても、私にはそのような望みはありません。

では、私はどんな日に自分の誕生日を祝うのでしょうか? それは、あなた方全員が自らのハートの中に純粋なアーナンダを体験する、その日にです! 今、あなた方のハートはさまざまな恐怖や不安にさいなまれており、悲惨な状況や喪失感で張り裂けそうです。悲しみに引き裂かれながら今日を私の誕生日だと明言することは、意味のないことのように思えます!

この事に関して、さらにもう一つ、あなた方に警告しておかなければならないことがあります。私を理解しようとして時間を無駄にしてはいけません。そのような試みをしてあなた方の時間を浪費してはいけません。私がこのようなことを言う理由(わけ)は、誰の能力も私を理解するには及ばないからです。ですから、不可能なことをやろうとしても、あなたの時間と労力を無駄にするだけです。あなたが自分自身を知ることができた時、初めてあなたは私を理解することができるのです。

サティヤ サイ トラストによるカレッジの設立の必要性

大きなことであれ、小さなことであれ、この宇宙に私が必要とするものなど何もありません。いつ、いかなる瞬間であれ、いかなる物、いかなる活動に対してであれ、欲望が私をとらえたことはありません。私は、与えるためにやって来た者であって、受け取るために来た者ではありません。そして、あなた方が私に差し出せるものは、純粋で完璧な愛だけです。あなたがそれを私に差し出す時、私はアーナンダを得ます。

先日のダシャラー祭の期間に、ある発表がなされました。その発表は私と関係があるのかと尋ねられたら、関係があるのは名前だけだと、私は答えます。それ以外、私はそれらとは一切何の関係もありません。

現在、世界中の若者たちが、誤った、望ましくない道を好んで求めていることを鑑(かんが)みて、サティヤ サイ セントラル トラストの一員たちは、多くの州にカレッジを設立するという決定を下しました。そして、それらの学校機関を通じて、若者たちにさまざまな方法で自分を変容させる機会を与え、インド文化の理念が損なわれることなく維持できるようにし、あらゆる信仰とその根本的真理に共通の美徳である力と甘美さを若者たちに具(そな)えさせようと、決めました。この計画を実現させるために、彼らはスワミの五十歳の誕生日を活用して、大々的にそれを開示して、祝うことにしました。彼らがそのように決めたのは、熱心さと深い信愛(バクティ)の結果です。

カレッジを設立するには資金が必要です。お金なしには、どんな仕事も成し遂げられません。たとえどんなに小さく、ささいなことであってもです。ですから、彼らは、各帰依者が生涯にわたって五十ルピーという額を出資するということで合意に達しました。そうすれば、元金を作ることが可能になり、それによって教育と健康のための奉仕を開始し、それらを発展させることができるだろう、と。彼らは高い理想と純粋な意図によって動かされ、そのような決断をしました。

どんな祭事であれ大金を使うのは許しがたい罪である

彼らは以上のような決議を私の前に差し出しました。私は彼らの提案に次のように答えました。

「そうですね。その仕事を、お金を集めるという一つの目的に揺り動かされて、内々で進めるのはやめなさい。公然とやりなさい。個々人、政府、外部の世間一般の人たちの心から、あらゆる疑念を払拭できるような方法を採りなさい」

結局、あの日、彼らは発表しました。そして、多くの人が、その発表に自分なりのさまざまな解釈と馬鹿げた言動を加えました。人々は、スワミの五十歳の誕生日を祝うために五百万ルピーを費やすことを提案している、と広めはじめました!

実際、誕生日だとか、何か他の祭事を祝うためだといって五百万ルピーのお金を浪費するのは、悪行の度合いにおいて、他に比べようもないほどの罪です。食べ物と住む所がないために、さまざまな惨めな思いをしている人が世界中にいる時に、もし誰かが自分の誕生日に五百万ルピーを使うとしたら、それは、とてつもなく使い方を間違えている、憎むべき罪である、と非難されるべきです。

このことだけではありません。プラシャーンティ ニラヤムでは、シヴァラートリでも、ナヴァラートリでも、降誕祭でも、どんな祭事であろうと、決してお金の使い方を間違えたり、浪費したりしてはなりません。たくさんの人が、ここでのダシャラー祭に何百万ルピーも使われたと想像しているでしょう。ですが、ここにやって来た人全員が、それぞれのハートに宿る豊かな信愛から奉仕をしたのです。ですから、どんな目的のためにも一パイサも使われていません。ヤグニャ(供犠)を執り行ったルットウィック(ヴェーダの僧侶)たち、スピーチをした講演者たちは皆、愛と信仰心からここへやって来て、喜びを分かち合いました。彼らが快適なようにと、セヴァ ダルとセヴァ サミティの会員たち、そしてボランティアたちによって、お世話がなされています。彼らは祭事を成功させようと力と腕をふるって尽くしています。どんな項目にも一パイサも使われていません。

今日、あなた方は、プラシャーンティ ニラヤムの敷地は、きれいで気持ちがいいと思っています。どうしてでしょうか? 何人の掃除夫が雇われ、何人の労働者が使われたのだろうと、皆さんは思っているかもしれません。いいえ、一人も雇われてはいません。一人ひとりが自分の滞在している場所とその周囲をきれいにしているのです。そのようにして、一切お金をかけることなく清潔さが保たれています。世界中で、プラシャーンティ ニラヤムほど、資金が良い目的のために使われ、出費が最小限に抑えられている所はないと断言してよいでしょう。

いつでも病人と貧しい人を助けられるようにしていなさい

プラシャーンティ ニラヤムは、物質的、倫理的、経済的、道徳的、霊的、世間的、さらには政治的な分野においてさえも、最高の理念を掲げ、模範を示しています。ここには、それに反するようなものが入る余地はどこにもありません。いかなる矛盾も生じる可能性はないと断言できます。それにもかかわらず、一部の無知な人たちは、事実に基づくことなく、自分勝手な推測で、誤った結論を広めて回っています。言っておきますが、たとえ世界中でたった一人の人がプラシャーンティ ニラヤムでの間違った足取りを指摘してきたら、その人は会って納得させられるでしょう。なぜなら、プラシャーンティ ニラヤムは、霊的な悟りを目指すという高邁(こうまい)で神聖な理念を掲げ、それを身をもって示すという仕事に、ひたすら専念しているからです。プラシャーンティ ニラヤムは、世俗的な富を求めているわけでも、支持や名声を求めているわけでもありません。

神聖なるアートマの化身である皆さん!

慈善活動をしたいと感じたら、自分の心(マインド)を、良い教育機関の開発、病人のための治療施設の設置、貧しい人たちの困窮を改善することに向けなさい。ここでではなく、どこででも、私たちオーガニゼーションの会員は、学生、病める人、貧しき人を助ける準備ができていなければなりません。そして、助けたくてたまらないようでなければなりません。どこで行われようとも、この仕事は私を喜ばせる仕事なのだと思いなさい。

あなた方は私に何も捧げる必要はありません。私はただ、あなた方に、組織によって行われるそうした活動の中で人々を助け、癒すという役割を果たすことによって、人生の目的を実現させてほしいだけです。

あなた方皆が知っていることですが、私は誰にも、花一輪、果物一つ、ココナッツ一つでさえ、ここへ持ってくることを許していません。ですが、人々のなかには、信愛や献身のあまり、あるいは急に熱狂的になったり感激のあまり、衣服を私に郵送したり、ここに来る時に持ってきて私の前に差し出したりする者がいます。今日、この日から、こういったことをしないよう、私は指示します。このことを私の命令として守りなさい。それにもかかわらず、もし誰かが衣服を持ち込んだりしたならば、その人はプラシャーンティ ニラヤムへ入ることを許されません。そのような人たちは、スワミの願いと命令に背いた者として扱われます。あなた方が私に捧げものとして差し出すべきものは、純粋な愛のみです。

ですから、今日この日から、あなたの日々と年月を、とても困っている人を助ける活動に費やしなさい。そして、今生での人としてのあなたの存在を、価値のある、実り多きものとするのです。私はあなた方がそのように行動することを願い、あなた方を祝福します。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol12. C53