サティヤ サイババの御言葉

日付:1976年9月

ブリッツ紙インタビュー?

訳注: ブリッツ紙(Blitz)は1941年から90年代半ばまで存在したインド初のタブロイド版の週刊英字新聞。ブリッツ紙の創刊者であるボンベイ出身のR.K.カランジア氏(1912-2008)は、無神論者とマルクス主義者を自称していたが、サイ ババへの2時間半に及ぶ独占インタビューに成功し、それを1976年9月11日のブリッツ紙に掲載した。



R.K.カランジア氏(以下RKK)によるインタビュー?

RKK: まずは、スワミジ、あなたの三回連続の降臨における、過去、現在、末来、つまり、シルディ サイ ババからサティヤ サイ ババへ、そして、来るべきプレーマ サイ ババへ、というあなたの予言について知りたいのですが。

サイ ババ: 第一に、あなたは、現代の三人の化身とラーマやクリシュナといった過去の化身たちはまったく同一であるということを把握しなければいけません。これは別の課題です。人々が現在を理解できていない時、どうして過去について十分に理解することができますか? どの化身も、時間と環境と務めに関して、完全、完璧です。ラーマやクリシュナやサイとしての神のさまざまな現れに違いはありません。
 ラーマは真理と正義の根に栄養を与えるためにやって来ました。クリシュナは引き続きその平安と愛の苗を育てました。今、それらの神聖な原理は全面的な崩壊の危機にあります。その理由は、邪悪な力の猛攻撃の下で人間が弱くなっていることです。邪悪な力が人の善と霊性と神性を圧倒しているのです。そのために、今のアヴァターが、宇宙の力のすべてを注いでダルマを非ダルマから救うためにやって来たのです。

なぜ神は人間の姿をとるのか?

RKK: 今のアヴァターというのは、サイ ババのことですか?

サイ ババ: そうです。私は、時代時代に、その時々に、ダルマを非ダルマから救うために化身します。反目や不一致や不和が世界を覆いつくす時にはいつも、神が人の姿をとって化身して、人類に愛と和と平安への道を示すのです。

RKK: それは理解可能です。しかし、疑い深い人たちは「なぜ神が人間の姿をとる必要がるのか?」と疑問に思っています。

サイ ババ: なぜなら、それが神が人の中に化身する唯一の方法だからです。アヴァターは人間の姿をとり、人間的に振る舞います。そうすれば、人類は神を親族だと感じることができるからです。それと同時に、アヴァターは神の高さに上昇します。そうすれば、人類は自分も神に到達したいと切望することができるからです。人生の要因である内在の神を悟らせることが、アヴァターたちがそのために人間の姿をとってやって来る務めです。
 ラーマやクリシュナといった以前のアヴァターたちは、敬虔な生き方の敵と見なされた何人かの者を滅ぼし、そうすることでダルマを復興しければなりませんでした。今は、しかしながら、悪があまりにも多くの者を穢しているので、人類そのものが滅亡の脅威にあります。ですから、私という今のアヴァターにおいては、人類を正し、意識を引き上げ、神へと到るための真理、正義、平安、愛という元の正しい道に連れ戻すために、私が無形の神の力のすべてを備えてやって来たのです。

三つ組の化身のメッセージ

RKK: なぜその務めは、シルディ ババ、サティヤ ババ、プレーマ ババという三人の別の化身に分担する必要があるのですか?

サイ ババ: 三人は別々ではありません。私がすでに述べたように、三人はその任務の最終目的において、まったく一つです。例をあげましょう。1キロの砂糖のかたまりがあるとします。そのかたまりは甘い味がします。次に、そのかたまりを小さく砕いてみます。そのかけらはどれも甘い味がします。それらをさらに細かい粒状にしてみます。あなたはそれらにも同じ甘さがあることがわかります。ですから、違いというは量の違いであって、質の違いではないのです。アヴァターたちもそれと同じです。アヴァターたちの務めと、その務めを果たすのに必要な力は、時と状況と環境によって異なります。しかし、それらは同一のダルマ スワルーパ〔ダルマの化身〕、すなわち、神の体のものであり、そこから引き出されるものなのです。
 果実を例にとってみましょう。果実は種で始まり、種が木へと育ち、その木に果実がなります。行為は種に喩えられ、礼拝は木に喩えられ、英知は果実に喩えられます。
 前のアヴァター、シルディ ババは、この世の統合の基盤を築き、人類に義務は礼拝であるというメッセージを与えました。今のアヴァターの任務は、同一の神、すなわち神性が、すべての人に宿っているということを、万人に悟らせることです。人々は、肌の色や宗派にかかわらずお互いを敬い、愛し、助け合うべきです。そうすることで、すべての行為は礼拝となることができます。最後に、プレーマ サイ、第三のアヴァターが、神はまさしくすべての人に宿っているだけでなく、すべての人は神である、という福音を広めます。それが最後の英知であり、それがすべての男女に神へと向かうことを可能にさせます。三人のアヴァターは、行為、礼拝、英知という三つ組のメッセージを伝えます。

人は人類へと発達しなければならない

RKK: では、それが聖なる任務であり、この三つ組の化身の神聖な目的なのですか?

サイ ババ: 一体性を確立する中で全人類を一つのカーストすなわち家族にすること、つまり、アートマの悟りをすべての男女にもたらすことが、その土台であり、その上に、この宇宙的な計画が置かれているのです。 ひとたびそれが悟られれば、人と人、人と神を結び付ける共通の神の財産が明らかにになり、愛が全世界を導く光景となって広がるでしょう。
 まず初めの段階で、人はその一貫した潜在力を十分に発揮して、人類へと成長しなければなりません。今、そのような人類は世界に存在しません。思いと言葉と行いが一貫していません。今の人は、考えていることとは別のことを言い、それとは正反対のことをしています。ですから、私たちのところにいるのは、混乱し、混同している人、自己矛盾する考えを持っていて攻め立てられている人です。私たちが目にすることがないのは、善い思い、善い言葉、善い行いによって動機づけられている人類です。私たちは、人が思いと心と言葉と行いの相互の一貫性を持つために、人に自分の内にいる神を悟らせる必要があります。

愛と信愛の福音

サイ ババ: ひとたびこの初期の教えが、家庭、学校、大学、社会、都市、州、世界の国々に説かれれば、人間は全人類は一つの家族であるという事実に気づくようになります。キリストが説いたように、すべては一つ、万人に等しくありなさい。肝心な点は、一つであるということです。人類という一つのカースト、一つの階級、一つの宗派があるのみです。そして、これを成し遂げることができるのは、自我すなわちエゴを、清らかで、私心のない、普遍的な愛と信愛に全託することによってのみです。愛は土台、共通の分母であり、信愛は神の火花、人と人、人と神を接合し、一つにし、統合する要素です。
実例をあげましょう。(サイ ババは私たちの間の床面にご自分のハンカチを広げた。)ここに一枚の布があります。ご覧のとおり、これは全部糸でできています。一本一本糸を抜いていくと、布は弱くなります。糸を合わせると布はしっかりとし、強くなります。人類も同じです。愛は、布の何億、何十億本もの糸のように人類を束ね、信愛はその布を再び神と結び付けます。私は、ですから、愛に肉体を与え、それを、人類の信愛を助けに、人を改心させて人類の兄弟愛を生み出すために、私の道具として使うのです。私はいつも、一日を愛で始め、愛で満たし、愛で終えなさい、と言っています。これは、神へと到る一番早い方法、一番確実な道です。

 人生は愛、それを楽しみなさい。
 人生は挑戦、それに挑みなさい。
 人生は歌、それを歌いなさい。
 人生は夢、それに気づきなさい。
 人生はゲーム、それをプレイしなさい。

神の化身シルディ ババ

RKK: シルディ ババは、彼が亡くなった1918年から8年後に生まれ変わってくると、実際に断言したのですか?

サイ ババ: ええ、しました。それはカーカ ディクシット〔シルディ ババの側近の一人〕と、他の何人ものシルディ ババの帰依者によって、記録されています。

RKK: 何があなたをご自分はシルディ ババの生まれ変わりであると確信させているのですか?

サイ ババ: もちろん、私自身の実体験という知識です。シルディ ババを知っていた人は今ではもう一人も生きていないので、私自身の知識と体験以外、証拠はありません。これはまぎれもない事実ですが、私は40年前に自分はシルディ ババであると公言しました。その時、私は10才で、その時、南インドのこの地方では誰もシルディ ババのことを知らず、聞いたことさえなかったということが、この事実を証明しています。

ダルマだけが世界を救うことができる

RKK: 邪悪な力によって崩壊を余儀なくさせられているという、あなたの正確な状況分析のとおり、現状は、もう一つのマハーバーラタの類の戦争の必然性を示唆しているように見えます。これは、あなたがそのために働いている救済は、崩壊をもたらす戦争の後にやっと完了するということですか?

サイ ババ: 悪はそのような破局が起こる前に取り除かれなければならず、そうなるでしょう。小さな戦争や小ぜり合いは、もちろん、あるでしょうが、それは現在の状況では仕方ありません。マハーバーラタの戦争はまったく異なるものです。主クリシュナがそれを命じ、この世から邪悪な人たちと神を信じない勢力を除去するために、実際にアルジュナを戦場へ連れていきました。
 今は、あなたが言ったとおり、あまりにも悪が広がっているために、世界大戦の際には、人類自身が人類を核の大虐殺で滅亡させることでしょう。そのような破局を防ぐために、このアヴァターは、人間の意識を、現在の怒りや憎しみ、暴力や戦争の症候群より上に向上させてこの世を惨事から救おうと、やって来たのです。これは、ヴェーダ、シャーストラ、そして、人類をカルマの鎖(輪廻)から解放するためのダルマの福音を持つすべての宗教を通じて、人類の兄弟愛を復興することによってのみ、達成することができます。私はいつも言っています。さまざまな信仰を存在させ、それらを栄えさせ、あらゆる言語で、あらゆるメロディーで神の栄光を歌わせるように、と。これらが理想であるべきです。信仰間の違いを尊重し、各信仰が一体性の炎を消さない限り各信仰を正当なものとして認めなさい。

神 = 人間 − 欲望

RKK: これまでのババの話から、神と人には、違いや両者を二分するものはほとんどないよう思えるのですが、これは正しいですか?

サイ ババ: 完全に正しい。神は人、人は神です。私たちは皆、神のものを、私たちの内にある神の火花を、持っています。人々は皆、私同様、神なのです。神霊〔アートマ〕が人間の骨と肉をまとっているのです。唯一違うのは、人々は自分が神だということを知らないということです。人々は多くの過去生で犯した過ちのせいで、このカルマの牢獄にやって来ました。私は自分自身の自由意志で、この死にゆく姿をとりました。人々は体に縛られていますが、私にはその束縛はありません。最も重要な違いは、人々は欲望によってさらに高く遠くへ押されますが、私には人々を欲望のない状態にさせたいという究極の望み以外、欲望はないということです。
 具体例として、稲つまりお米をあげてみましょう。お米の粒はどれも籾で覆われています。お米の粒を取り出すには籾を取り除かなければなりません。籾とお米はどちらも同じ種からできます。お米は人間の中にいる神に相当し、籾は欲望に喩えられ、欲望は神を人に降格させます。ですから、私の公式はこうです。

 命+欲望=人
 命−欲望=神

神我顕現の方法

RKK: どのようにして、欲望を持たない命が人々から神々を作り出すのですか?

サイ ババ: 欲望を持たない命とは、清らかで正真の自己、すなわちアートマの顕現を意味します。欲望に縛られて、自己は自分本位へと退化します。アートマがエゴに変わるのです。神我顕現の方法は、自己から自分本位というエゴを洗い流すことです。そうすれば、あなたは心や理知を超えた意識状態に到達し、本当の自己、つまり神を顕現させることになるのです。心は布のようなもので、意識を覆って抑えています。その布を形成している糸は欲望です。もし私たちが欲望を手放せば、糸は落ち、布は消えてなくなり、私たちの本質が明らかになります。これが、自己を顕現させるにはエゴを取り除くべし、とヴェーダーンタが述べている意味です。

RKK: それは、人の心それ自体が人と神との間の垣根を作り出しているということですか?

サイ ババ: そうです。人は、心(マインド)つまりエゴと、本当の自分つまり意識〔純粋意識〕を、はっきりと区別しなければなりません。後者は、私たちがエゴである心の境界線を越えて、自分は真実を目撃する者だということに気づく助けとなります。普通、心の科学者は、心の世界に存在する、五感が知覚できるものを外側に見て「これは何か?」と問います。一方、意識の科学者は、つねに五感や心の理解を超えているものを内側に見て、「あれは何か?」と問います。
 ですから、神我顕現を達成するためには、人は心を超えて意識へと上昇する必要があります。永遠なる、普遍のアートマに到達するには、体をまとった自己が、とるに足らない、限りある、個人性という小さな牢獄を破らなければなりません。欲望は、五感と頭脳と心のものです。ひとたびあなたが欲望のない状態になれば、あなたは自己すなわちアートマを顕現させ、意識すなわち悟りを開き、宇宙の力と一つになります。こうして人は神へと到るのです。

RKK: あなたが物質化して人々に与えているヴィブーティ(神聖灰)と小さな装身具には、どんな意味があるのですか? 神人が、そのような、どんな手品師でもできるような奇蹟を示す必要があるのですか?

サイ ババ: 私に関する限り、それは私の神性の証明です。それは決して神性の誇示ではありません。手品の興行はすべて、あなたも知っているとおり、収入を得るために行われます。それらは手品師の商売の芸当です。それらは、ある種の合法化された騙しで成り立っていて、人に気づかれないような手業を使って、一つの場所から別の場所に物を移すものです。手品師にはスィッディ(超自然的な力)や奇蹟の力はありません。
 私がしているのは、それとはまったく異なる、創造の行為です。それは手品でもなければ、スィッディの力でもありません。一つに、私は見返りを求めません。もう一つ、私は物を移動させて人々を騙すようなことはせず、自分で物を創造します。さらに、私は、何かが必要だとか、自分の力を誇示したくてそれをしているのではありません。私にとって、それは、人々にその人へ私の愛を確信させ、そのお返しにその人の信愛を確保するための、一種の名刺です。愛には形がないので、私は私の愛の証拠として物質化を行うのです。それはただの象徴です。

RKK: 私はまだ、どうしてあなたが指輪やブレスレットや腕時計といった装身具の類を物質化しなければならないのか、理解できません。

お守り

サイ ババ: 多くの人は、私の守護の象徴としてのお守りを欲しがります。ですから、私は彼らにそれを提供するのです。困った時、その人たちは私がその人を助けることができるよう、指輪やブレスレットや腕時計を握り締めて私を憶念し、私の助けを呼びます。反対に、もし私が何か身に着けられないものを与えたら、おそらく彼らはそれをしまい込み、それについて忘れてしまうでしょう。
 重要なことは、どんな名前で呼んだとしても、そうした装身具やお守りは、人々が困った時や危機が訪れた時、その人に必要な安心感や、自分は守られているという気持ちを与え、その人と私との遠い距離を補う象徴的な連結を作り出すということです。帰依者が私を必要な時、そうした品物は無線のようにそのメッセージを私に伝え、私は即座に彼らを助けに行くのです。

RKK: しつこくてすみませんが、スワミジ、オメガやHMTの腕時計を贈るというのは、それらの製造会社を欺く行為、あるいは、特許を侵害する行為ではありませんか?

サイ ババ: 私はあなたに、そういったことはないと断言します。もし腕時計を一つの場所から別の場所に移したのであれば、それはその会社を欺くことや特許を侵害することになるでしょう。しかし、私は移動するのではなく、すべて創り出すのです。何であれ、私が意志すると、即座に物質化されます。私は、特許侵害だといってクレームをつけてきた会社は一つもないということを知っています。

ヴィブーティの意味

RKK: あなたが物質化するヴィブーティについてはどうですか? 私たちはその妥当性について知りたいと思っています。なぜなら、あなたを批判する人たちが、それとそっくりなヴィブーティの模造品を作る手品師を送って、あなたの信用を落とそうとしているからです。

サイ ババ: 私が物質化する物は、深い意味と象徴を備えた神性の現れです。それは、神あるいはアートマあるいは神霊の、あらゆる姿の、普遍、不滅、永遠という性質の象徴、つまり、この世の、はかない、変わりゆくすべての物が燃えてなくなった時に残っているものです。
 私はあなたに、欲望のない命が必要だということを話しました。シヴァ神が愛欲の神カーマを焼いて灰の山にした後、シヴァ神はその灰を体に塗って、欲望の征服者として光り輝きました。カーマが滅ぼされた時、プレーマが愛の女神として主権を握りました。これが灰の持つ意味です。
 第一に、それは生死の輪廻の象徴であり、その輪廻の中で万物は最終的に灰と化します。「塵にすぎないお前は塵に還る」〔創世記3章19節より〕。塵すなわち灰は、物の最後の状態です。それはもうそれ以上の変化をこうむることはできません。霊的には、灰は受け手に欲望を手放すこと、すべての情念、執着、衝動を焼きつくすこと、という警告を与え、人を思いと言葉と行いにおいて清らかにします。
 この教訓を強調するために、私は愛と信愛を持って私のもとに来た人に灰を物質化するのです。他の物質化と同じように、それはお守りとしても働き、病人を治したり、必要な人に守護を与えたりします。それは神性の象徴であり、あなたが言ったような手品師のペテンとはまったく違います。

癒しの奇蹟

RKK: あなたは死人を生き返らせるほどの奇跡の治療を行ったと信じられています。伝えられるところによれば、あなたは遠く離れた場所で溺れていた人や事故に遭った人を救ったという事例がある、と。医療の専門家たちは、あなたが遠隔操作で手術をしたと証言しています。あなたはどうやってこれらをやってのけたのですか?

サイ ババ: 私のサンカルパ、つまり神の意志と力、によってです。アヴァターとして、この力は、本来備わっているもの、固有のものであり、私の意志と決定に属する完全で自然なものです。私には、私の状態にとって自然なことである奇跡と呼ばれているものを行うのに、マントラもサーダナ(霊性修行)も、タントラ〔護符〕もヤントラ〔経典〕も不要です。私の力は、善という実在の単なる表現あるいは主張であり、それはあらゆる時、あらゆる場所で、すべてもの、すべての場を私に融合させます。この奇蹟は神の無限の力のものです。
 さて、あなたの質問の重要な点に移りますが、こうした癒しの現象には二重の面があります。私は、その人が霊的にそれを受け入れる状態にあるという条件で、人々を治すこと、救うこと、そして、人を生き返させることさえできます。それは電気のプラスとマイナスの電流のようなものです。私の癒しの能力はプラスの電流に喩えられます。私へのあなたの信愛はマイナスの電流です。ひとたびその二つがつながると、その信愛が癒しの奇蹟と呼ばれるものをもたらすのです。
 人の病気や健康の本当の原因は心です。その人自身がその両方の原因であり要因です。ですから、癒しや治療に関して言えば、本人の心の中で、その目的のために必要な信心を生み出さなければなりません。私のすることは、ただその人に、自分を治そうという自信と意志と力を与えることだけです。私に対する帰依者の信心の深さに報いた私の豊かな愛が、望まれた結果を生じさせるのです。

スィッディでも手品でもない

RKK: では、それらはあなたを批判する人たちが言っている、スィッディの力でも手品でもないのですか?

サイ ババ: それらは、手品でも、適切な修練やヨーガの修行で万人が身につけることのできるスィッディの力でもなく、人々を守る、癒して救う、品物を物質化する私の力は、神に源を発するものであり、アヴァターのみが使うことのできるものです。それらは、志したり訓練したり発達させたりすることのできるものではまったくなく、宇宙の力から流れ出るものです。

RKK: あなたが目に見えない霊に命令し、その霊があなたの命令に従って一つの場所から別の場所に物を移動することができるのだと言っている者もいます。

サイ ババ: 私には、目に見えない霊に命令する必要はありません。なぜなら、私自身の神性が物を物質化するからです。私は万物であり、すべての場であり、全知であり、全能であり、遍在です。ですから、何でも私が意志すれば、即座に起こります。真理、愛、平安といった性質のように、それらは全世界の背後にあるアートマ(神)や宇宙の力を発生させるものなのです。

RKK: あなたの地元の信者も海外の信者も、自分たちのハートの奥深くにサイ ババがいるのだという肯定的な証言をしています。あなたを「私の内に宿る神」と書いている人もいます。この現象をどう説明しますか?

内に宿る神

サイ ババ: それは、その人たちの信愛に報いた、その人たちへの私の愛の恵みです。つまるところ、私が何度も言っているように、私たちは皆、同じ神聖原理のものなのです。小さな火花として万人に内在している神性は、完全な炎として私の中に存在しており、万人の内にある神の小さな火花のすべてを完全な神の炎へと成長させることが、私の任務です。
 この成長にまず必須なのは、恩寵を受け取る人も、それを成就させるのに必要な信愛を自分の側から差し出さなければならない、ということです。サイ ババという存在を、内に宿る神のごとく自分のハートの中に持ち続けている人たちは、この主の帰依者に属します。彼らは私のもとに来て、私を見、私を聞き、彼らに対する私の愛を体験し、信愛の心でその愛を受け取ります。そうして、彼らは私の一部となり、私の神性となるのです。
 疑い深い人、当惑している人には、私は次の例をあげます。海の真珠を採りたい人は、海の深くに潜って真珠を採ってこなければなりません。海岸近くの浅瀬でパチャパチャして、海には真珠はないなどと言っても、どうしようもありません。そんな話は全部でたらめです。それと同じように、もしこのアヴァターの愛と恩寵を手に入れたいなら、その人は深く潜ってサイ ババに浸らなければなりません。そうして初めて、人は私と一つになって、私を自分のハートの奥深くに持ち続けるようになるのです。

RKK: スワミジを批判する人たちは、どうしてババは、サンカルパ シャクティ〔神の意志の力〕を使って、干ばつの時に雨を降らせたり、飢饉の時に食べ物を物質化して苦しんでいる人たちを助けたりしないのか、と尋ねます。アヴァターには、人間が自然の力を抑えて、地震や洪水、干ばつや飢饉や伝染病といった災害を防ぐことができるよう、助けることはできないのですか?

サイ ババ: これから話すことが、まさに、そうした災害を克服するために、人の内に宿る神として化身することによって、私が行っていることです。アヴァターには人を助けることのできる二つの方法があります。一方が瞬時に解決する方法であるのに対して、もう片方は長い時間をかける方法です。
 瞬時の解決策を用いれば、自然そのものの根本的な性質にも、因果応報というカルマの法則にも反することになります。大多数の人は、カルマの法則に支配された、欲とエゴに満ちた俗世に生きています。その人たちは自らの行為の報いを受けます。これはその人たちに進化や退化をもたらします。もし、その人たちの問題を即刻解決するためにアヴァターが介入したなら、すべての行為、進歩、そして、進化すら停止してしまうでしょう。この解決策を認めることはできません。なぜなら、これは自然の法則をことごとく無視しているからです。
 もう一方の、より効果的な方法は、長期的な解決策であり、それによってアヴァターは、人が霊性の法則の真理を理解することができるよう、人を高次の意識レベルへと導きます。そうすることで、人は正義へと向き直り、より良い状態になるためにしっかりと働くことができるようになります。この方法は、人を、自然、および、因果応報という元のカルマの法則へと結び付けます。すると人々は、今、自分たちが被害者として巻きこまれている因果応報のサイクルを超越し、それによって、あなたの言ったような災害を未然に防ぐことができるよう、自然の力を抑えるようになるでしょう。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Spirit and The Mind p235-p258
   (The Essential Sai p40-p53)