日付:1977年2月1日
場所:ブリンダーヴァン
ハヌマーンに関する御講話より
ハヌマーンは、自分の思考と言葉と行いを一致させることに成功しました。そのためハヌマーンは、肉体の力、心の安定、徳高い人格という無比なる偉大な特徴を有していました。ラーマーヤナの登場人物たちの中でも、ハヌマーンは貴重な宝石として輝いています。
さらに、ハヌマーンは偉大な学者でもあり、あらゆる物事や九つの文法の学派もマスターしていました! ハヌマーンは四つのヴェーダと六つのシャートラも知っていました。ギーターには、「学者とは、万人を動機づける同一の神の力を見る者のこと」(パンディターハ サマダルシナハ)とあります。ハヌマーンはその好例です。ハヌマーンは、自分が物知りであることを自慢しませんでした。ハヌマーンは、まさに誠実さと英知から生じる謙虚さの権化でした。ハヌマーンは、ラーマの原理であるアートマラーマ〔真我であるラーマ〕がすべての存在を照らしていることに気づき、何よりもそれを崇拝していました。
ラーマとラクシュマナは、シーターの手がかりを求めて森の中をさまよっていたとき、リシヤムーカ山にたどり着き、谷の日陰でしばらく休みました。心は悲しみに暮れ、体は弱っていました。ヴァーナラ〔猿族〕の王スグリーヴァとその腹心のハヌマーンが、近くの山のてっぺんから二人を見ていました。スグリーヴァは最初、あの二人は自分への永遠の復讐を誓っている兄ヴァーリの使者なのではないか、あるいは、兄の密偵が身を隠して動き回っているのではないかと考えて、心配しました。そのためハヌマーンは、自分が二人に近づいて、二人の身元と意図についての正しい情報をつかんできますと申し出ました。ハヌマーンは、十分な情報なしに結論を急ぐのは危険を伴いますと助言しました。
三種類の使者
ハヌマーンは、優しく快い言葉でラーマ兄弟に話しかけました。ラーマは、ハヌマーンの言葉遣いの正しさに感銘を受けました。ラーマ兄弟は問われたことすべてに即答し、ハヌマーンは二人の誠実さに満足しました。ハヌマーンは、二人を自分の主人である君主のもとに連れて行きますと申し出ました。ラーマとラクシュマナのダルシャン(姿を見ること)はハヌマーンのすべての罪を取り除き、スパルシャン(触れること)は数々の前世でのハヌマーンの行為の悪果をすべて焼き払い、サンバーシャン(会話)はハヌマーンの心を喜びで満たしました。これは、神性が及ぼす影響を歓迎するすべての人が経験することです。
結果的に、共通の悩みと問題を抱えていたラーマとスグリーヴァは友好関係を結び、お互いに助け合うことで問題がうまく解決されるだろうと確信しました。ハヌマーンはラーマの使者となりました。使者には三種類います。
ハヌマーンは最後の部類に属していました。ハヌマーンは、どんな障害があっても決してひるむことなく努力をし、自分の任務の結果に満足してから初めて報告をしました。ハヌマーンはラーマの命令を掘り下げて、ラーマの指示の意味することを知ることができました。
ラーマの言葉はハヌマーンを極めて有能にした
命令を受けるや、ハヌマーンは力と新たな自信がみなぎってくるのを感じました。それは、自分は命令を受けたのだから、自分にはその命令を遂行するのに必要な強さと知性、勇気と冒険心をラーマから与えられるのだ、という自信です。ですから、ハヌマーンが自分の度量や能力に不安を持ったことは一度もありませんでした。ハヌマーンの肉体と精神は、ラーマが自分にそれをするよう依頼したという事実によって、活力をおびました。電線の中にはプラスティックでコーティングされた銅線が入っていますが、良い働きをするには、外側と内側の両方の品質が高くなければなりません。それと同じように、ハヌマーンの肉体と内面の精神の両方が良い状態である必要がありましたが、ラーマの言葉がその両方を有能で活力あふれるものにさせたのです。
ラーマのダルシャン(姿を見ること)は、ハヌマーンのパワーを莫大に強化し、体力をも授けました。そうでなければ、どうやって100マイルも海を飛び越えることができたでしょう。それは、ジャーンバヴァンやアンガダといった他のヴァーナラ〔猿族〕の英雄ですらあえて挑戦しないであろう任務でした。ハヌマーンはそれをラーマの御名を唱えるだけで達成したのです。
ハヌマーンの生涯の重要な特徴
インドの若者は、特にハヌマーンの生涯の特徴に注目しなければなりません。ハヌマーンは決して損得を計算しませんでした。「自分は成功できるのだろうか? なぜ全員の中から自分がこの任務に選ばれたのだろうか?」といったことは考えませんでした。ハヌマーンは、シーターの居場所を突き止めるようにとラーマに言われた時、「なぜ成功と失敗の可能性を秤にかける必要があるだろう? 責任は、私を選んだラーマ様が負ってくださる」と自分に言いました。ハヌマーンは、祈ってベストを尽くすことに決めました。
飛行中、海の中から山が隆起してきて、休息ともてなしを申し出ましたが、ハヌマーンはその申し出を断りました。海の中から鬼女が現れて、先に進む前に私と戦えと誘惑してきた時には、とりあわずに飛び続けました。ハヌマーンはラーマの放った矢のごとく空を駆け抜けました。ハヌマーンの勇気の土台は自信〔真我を信じること〕でした。ハヌマーンはその土台の上に真我の満足という壁を築き、その上に真我への犠牲という屋根を築き、真我顕現の至福を味わいつつ、その邸宅で暮らしました。
ここでハヌマーンのラーマへの信愛のすばらしい実例をあげましょう。橋が完成し、ランカーへの行軍を開始する前夜、ラーマは、涼しげな明るい月明かりの下で、猿王スグリーヴァ、ハヌマーン、ヴィビーシャナ、熊王ジャーンバヴァン、アンガダ王子、ナラ、ニーラらに囲まれて、海辺の砂地に寝そべっていました。ラーマはラクシュマナの膝を枕に横たわっていました。ふいにラーマは、なぜ月には斑点があり、それは何を示しているのか、という問いを投げかけました。それぞれが思い切ってそれに答えました。ある者はあれは地球の影だと言い、ある者はあれは月の表面にある大きな空洞や亀裂を示しているのだと言い、ある者はあれは巨大な土の山であるに違いないと言いました。ラーマは、長い間黙っていたハヌマーンに、おまえはどう思うのかと尋ねました。ハヌマーンは、あれは私の崇拝するラーマ様の顔が月に映っているのですと言いました! ハヌマーンは、自分が目を向けたどんなものの中にもラーマを見るという、類まれなる果報を有していたのです。
激性に注意せよ
ハヌマーンの姿は猿ですが、猿は本来、落ち着きがなく、しょっちゅう跳び回っています。「猿のようだ」というのは「移り気」の代名詞になっています。しかし、ハヌマーンには移り気なところは一切ありませんでした。ハヌマーンは神の子孫であり、ギーターで述べられている神の資質が際立っていました。ハヌマーンはラーマを黙想して至福を引き出していました。ハヌマーンは肉体の欲求と五感の欲求を完全に支配していました。ハヌマーンはアートマの輝きを放っていました。ハヌマーンはサティヤ(真理)とダルマという基盤の上に生涯を築き、仲間をそれと同じ道に導いて、自らが手本となってサティヤとダルマを実践しました。
三グナ(属性)である、浄性(サットワ)、激性(ラジャス)、鈍性(タマス)のうち、激性は特に注意すべき属性です。というのも、激性の第一の産物は色欲(カーマ)であるからです。偉大な学者であり、戦士であり、皇帝であり、強大な英雄であったラーヴァナを滅ぼしたのは、色欲です。色欲は人間のあらゆる善良な性質を押さえつけ、人を獣のレベルにまで落としかねません。激性の産物の中の第二のものは怒りです。怒りは英知の宝箱を奪い取り、粉々に砕きかねません。怒りはよく、アナラすなわち火に喩えられますが、アナラは文字どおり「不十分」〔ア=不、ナラ=十分〕を意味します。火は尽きることのない飢えを満たそうと、つねにもっともっとと燃料をむさぼります。
ハヌマーンはどの女性も母と見なしていた
ハヌマーンに色欲はありませんでした。ハヌマーンの怒りは「不十分」への怒りではありませんでした。ハヌマーンは、シーターを探すために、ラーヴァナの宮殿の女たちの大部屋に侵入して眠っている女たちの顔がラーマの説明したシーターの特徴に当てはまるかどうかを見なければなりませんでした。ハヌマーンはこの難しい試みを実行することにいたく罪悪感を感じ、いっそ自害してしまおうかとも考えました。なぜなら、それはあまりにも恥ずかしいことであり、そんなことをしたらラーマに合わせる顔がないと思ったからです。しかし、どうであろうとこれはラーマの命令であり、自分はそれに従っているのだと自分を慰めて、ハヌマーンは捜索を続けるために宮殿に戻っていきました。ハヌマーンはどの女性も自分の母親であると考えて、それゆえ、シーターはどこにいるのかと探し回るのではなく、自分の母親はどこにいるのかと探し回りました。これは現代の若者にとって良い教訓です。
アヨーディヤーでのシュリー ラーマの戴冠式の際には、大臣や著名な訪問者、協力者、それから、ヴィビーシャナやスグリーヴァ、ジャーンバヴァンやナラやニーラといったラーマの仲間たちに、贈り物が贈られました。しかし、ハヌマーンには何も与えられませんでした。それを見て、ハヌマーンの私心のなさと英雄的行為、信愛と献身によって最も恩恵を与えられていたシーターは、痛みを感じました。シーターは、隣の玉座に腰かけていたラーマにその気持ちを伝えました。ラーマは、何でもシーターの望む贈り物を与えてよいと言いました。そこでシーターは自分の真珠のネックレスを外し、ハヌマーンの手のひらの上に載せました。するとハヌマーンは即座に真珠をバラバラにして、一粒ずつ自分の歯で真珠を噛み、不愉快な気持ちで吐き出しました! シーターの顔は怒りで真っ赤になりました。シーターはラーマに、ハヌマーンはしょせん猿なのですねとささやきました。問われると、ハヌマーンはこう言いました。「私はただ真珠の中にラーマが入っているかどうかを調べていただけです。どの真珠にもラーマは入っていなかったので、私は真珠を吐き出しました。もしラーマが入っていないなら、それは私にとっては石と同様、価値はありません」
師に対するハヌマーンの信愛の模範
その時、その場に集っていた高名な聖賢の一人であるアガスティヤ仙が立ち上がり、ハヌマーンに問いを投げかけました。「ハヌマーン! そなたはラーマの音のしない物を身に付けることも、まとうことも、食べることも、持ち歩くこともしないと言う。さて、そなたは体を持ち歩いていないのかね? その体はラーマの音がするのかね?」
ハヌマーンはその挑戦を受けて立ちました。ハヌマーンは手首の体毛を一本抜くと、それをアガスティヤ仙の耳に当てました。驚いたことに、その体毛は「ラーマ、ラーマ、ラーマ」と間断なく唱えていたのです! 主のものであるものすべてに対するハヌマーンの忠誠心と信愛は、それほど深く、誠実だったのです。それこそが、どのような任務であってもハヌマーンが成功を収めた理由です。
戴冠式の祝典の後、シーターとラーマ、そして弟たちは、共に座ってこれまでの出来事を思い返し、もっともっとラーマに仕えたいという願望を表しました。バラタとシャトルグナが最もそれを欲しました。そこで彼らは、ラーマに供することのできるあらゆる奉仕を書き出してリストにし、その場にいた者たちに割り当てました。その時、ハヌマーンはいませんでしたが、ハヌマーンが入ってくると、他の者たちは、ほくそ笑み、ハヌマーンがラーマに仕える機会は残っていないと告げました。ラーマもいっしょにハヌマーンをからかいました。ハヌマーンはひどく落胆して懇願しました。「お願いです、もう一度リストを見直してください。どんなにわずかな奉仕でも、どんな小さな奉仕でもいいですから、見落とされた奉仕があったら私に与えてください」
彼らは見落としがないことを確信していたので、ハヌマーンにそのリストに手渡しました。幸いなことに、ハヌマーンは誰にも割り当てられていない奉仕を見つけました。〔インドには〕あくびが出たら口の前で指をパチンと鳴らすという習慣があります。もちろん、普通はあくびをした人が自分で指を鳴らしますが、アヨーディヤーの王であるラーマの場合、自分で指を鳴らしたら間違いなく品位にかかわります。ハヌマーンは、ラーマがあくびをしたらすぐに指を鳴らすという義務を与えてはもらえないかと懇願しました。他の者たちはそれに同意しました。というのも、実際、ラーマがあくびをする機会は極めて稀だと思ったからです。しかし、ハヌマーンにとって、それは神の恵みでした。というのも、これからはつねにラーマの顔を見ていて、いつでも指が鳴らせるようにし、自らの義務であるその慣行を実行する機会を待っていられるのですから!
それもラーマの恩寵でした。なぜなら、ラーマの認識と計画なしに、何が起こり得るでしょうか? 帰依者を神の御前から遠ざけることなど、誰にできるでしょうか? ラーマはこの出来事によって、神の望みを妨げること、帰依者と神の間に立つことは誰にもできない、ということを示したのです。
サイババ述
翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.13 Ch.28