日付:1977年7月7日
場所:アナンタプル市
サティヤ サイ女子大学 カレッジ デーの御講話より
イーシャーヴァースヤム イダム サルヴァム
主なる神は全宇宙に遍満している
ラソー ヴァイ サハ
神はその甘さなり
そのイーシュワラが、アンギーラサ〔部分部分の甘さ〕として神聖な光輝を放ちつつ、人間の手足や臓器すべての中に存在しています。五感を通じて得た知性は「真理」ではあり得ません。この種の気づきは、私たちの中に堅実さと無執着という性質を育てます。放棄〔ティヤーガ〕は、欲望を減らすことによって、初めて可能になります。『ラーマーヤナ』はこの種の放棄を育むための大きな助けとなります。
ティヤーゲーナイケー アムルタットワ マーナシュフ
〔放棄によってのみ不滅は得られる〕
『ラーマーヤナ』は放棄に関する歴史書です。ラーマは帝国すべての完全な権限を担うべく数時間後に即位する寸前でした。そのような歓喜の時に、ラーマは父の約束を守るために、アヨーディヤーの都を去って14年間森で暮らす決意をしたのです。『ラーマーヤナ』の隠れた意味を理解することが重要です。ラーマは真我(アートマ)であり、シーターは真理(サティヤ)、ラクシュマナは理智(ブッディ)、スグリーヴァは識別心、ハヌマーンは勇気、ヴィビーシャナは浄性、クムバカルナは鈍性、ラーヴァナは激性です。ダシャラタ王は10の感覚を授けられた者〔10(ダシャ)の感覚器官という馬にひかれる馬車(ラタ)の意〕です。ダシャラタ王の中の真我と理智は停止していました。3つのグナ〔鈍性・激性・浄性という3属性〕はダシャラタ王の3人の妃です。
肉体意識から離れよ
人生の4つの目的(プルシャールタ)、すなわち、ダルマ、富(アルタ)、欲望(カーマ)、解脱(モークシャ)は、ダシャラタ王の4人の息子です。『ラーマーヤナ』の中にあるすべての物語は、私たちに理想を教えています。ラーマは全人格の中にダルマを吸収していた人でした。ラーマの弟たちは皆、ダルマを授けられていました。
ラーモー ヴィグラハヴァーン ダルマハ
(ラーマはダルマの化身なり)
人は、アートマ ラーマ〔真我なるラーマ〕の恩寵により、平安と至福に到達します。『ラーマーヤナ』の中心的テーマは、「万人は体への執着から離れて内なる神性を引き出すべきである」というものです。ハートの中に物欲が残っている限り、最高の富(パラマールタ)を獲得するのは不可能です。シーターはラーマへの熱烈な愛と信愛から、ラーマについて森へ行きました。シーターは神聖なラーマに寄り添うことを手にしました。しかし、金色(こんじき)の鹿を手に入れたいという欲望(カーマ)に心を奪われた時、シーターはラーマを失いました。人は欲望を捨てた時、ラーマに近づきます。これは、私たちが『ラーマーヤナ』から学ぶべき道徳的教訓です。「愛着(あいじゃく)は病、放棄はヨーガ」という格言は、万人と万国に共通です。
ラーマを想うことであなたのハートを清めなさい。ラーマの原理が自分の実体であることを悟りなさい。そうすれば、あなたの人生は成就するでしょう。永遠なるヴェーダの文化を実践しなさい。落胆に余地を与えることなく、決意と勇気をもって霊的な生活に入りなさい。私は、皆さん全員がアートマの力と至福を手に入れるよう祝福します。
サイババ述
翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Women's Role C14