サティヤ サイババの御言葉

日付:1977年9月7日
場所:サティヤ サイ大学ブリンダーヴァン校の学生寮
クリシュナ神降誕祭の御講話より

クリシュナ アヴァター

今日はクリシュナの誕生日として祝われています。クリシュナは牢屋で生まれました。このことは、神は人々のハートという暗くて狭い牢屋の中に顕れなければならない、すなわち、そこに肉体をとって生まれなければならない、そうすれば、人々は光を得て自由を得ることができるからである、ということを教えています。マーヤーは実在〔神〕の真実を隠してしまう幻想です。マーヤーは、肉体とそれに付属する物を人の真実であると見なす傾向にあり、肉体の欲望を満たすようにと私たちを促します。このようにして、人は神を忘れ、代わりに自分の中にある獣性の要求に耳を傾け、その結果として、高い理想から落ちてしまうのです。けれども、クリシュナが人の心という地下室〔牢屋〕の中に生まれるならば、その人は救われます。ですから、人は自分のハートの空洞の中にいる神に気づかなければなりません。

昨日、ウーティー〔高原避暑地〕から戻る途中、私たちはバンディプルの野生動物保護区に立ち寄り、飼い慣らされた象に乗って、野性の象たちを見るために森に入りました。想像してごらんなさい、象に乗って、象を探していたのです! 茂みの中に象の鼻がちらりと見えた時、私たちはとても感動しました。私たちは、飼い慣らされた家畜の象に乗って、人工的な習慣や技術の影響を受けていない、大自然の中にいる象を熱心に探していました。人間も、自然な環境のあらゆる場所で、自分の中のアートマン〔内なる神〕を無視して、自分を魅了するさまざまな影を探し出そうとしています。

クリシュナが八番目の子供として生まれた意味

シュリ クリシュナは、デーヴァキーの八番目の子供として生まれました。これには重大な意味があります。というのは、霊性修行の八番目の段階はサマーディ〔三昧(ざんまい)/定(じょう)〕だからです。これは、ヤマ〔禁戒〕、ニヤマ〔勧戒(かんかい)〕、アーサナ〔坐法〕、プラーナーヤーマ〔調息〕、プラティヤーハーラ〔制感〕、ダーラナー〔凝念〕、ディヤーナ〔禅〕の後に来る段階です。これらはアシュターンガ ヨーガ〔八支(はっし)ヨーガ〕、すなわち、八つの部分から成る修行として知られています。(悪い行いを慎むこと、戒律の遵守、呼吸法、姿勢、五感の対象物から心を引き離すこと、集中、瞑想、アートマとの同化)。七つのステップを首尾よく乗り越えて、その過程で心が清らかになった後、初めて主を見ることができるのです。

サマーディという言葉は、一般的に、一時的な意識の喪失、あるいはそれ以上の一時的な意識の高まりであると考えられています。しかし、それがサマーディの状態かどうかは、それがその人本人に及ぼした影響や、その人自身と他人に対するその人の態度によって判断しなければなりません。

「サマーディ」は、「サマ」(等しい)と「ディ」(知性)が結合したもの、つまり、すべての存在は根本的に等しいということを理解している知性のことです。この状態においては、違いや区別といった感情の一切が消滅するだけでなく、暑さ寒さ、悲しみと喜び、善と悪といった観念も無意味になります。人がこの状態に達すると、その人の意識の中に自動的に神が生まれます。

クリシュナが生まれた瞬間、父親をつないでいた鎖が外れて落ち、かんぬきが掛かっていた扉が開き、牢屋の看守たちは至福の海にのまれてこの世の出来事や物事が何もわからなくなりました。看守たちの中で燃えていた憎しみの火は冷やされ、暗闇は英知の夜明けに場所を譲りました。空は雨を降らせて地面を柔らかくし、土ぼこりを地面に落としました。五大元素が神の意志に逆らうことなどどうやってできるでしょう? 音、触、光、味、臭――すべてが平和と豊かさの新時代を祝うために昇華されました。

主に対するヴァスデーヴァの帰依の深さ

ヴァスデーヴァ〔クリシュナの実父〕は、「声」に指示されて赤子をかごに入れ、それを頭に乗せてヤムナー川を渡り(その時ヤムナー川は二つに裂けて道を作った)、ゴークラ村まで運んでいきました。ゴークラ村では、同じ時間にナンダの妻のヤショーダーが女の子を産んでいました。ヴァスデーヴァが牢屋を飛び出した時、ロバが良い前兆である鳴き声を上げましたが、ヴァスデーヴァはそれで看守が目を覚ましてしまうのではないかと恐れました。そこでヴァスデーヴァは、かごを地面に置くと、両手で赤子の足を握って、看守たちが眠りから覚めないようにしてくださいと祈りました。主に対するヴァスデーヴァの帰依の深さはそれほどのものだったのです。

ヴァスデーヴァがナンダの家の寝室に入った時、ちょうどヤショーダーが女の赤ちゃんを産んだばかりでした。そこには、ナンダの妹で九歳になるラーダー以外、誰もいませんでした。ヴァスデーヴァはヤショーダーの脇にいた赤ん坊を持ち上げると、そこに赤ん坊のクリシュナを寝かせました。

その女の赤ちゃんはマーヤー シャクティ(幻力)の象徴です。なぜなら、主のアヴァター(神の化身)をそこへ導いたからです。ヨーガ シャクティ〔神との合一を遂げる力〕も、つねにアヴァターと共にある必要があります。そのため、ヨーガ シャクティは、ヴァスデーヴァのもう一人の妻であるローヒニーのもとに生まれたバララーマとなってやって来ました。

マーヤー シャクティは、デーヴァキー〔クリシュナの産みの母〕の寝台に寝かせられると、すぐに計略を実行しました。大声で泣いて看守たちを目覚めさせたのです。看守たちは赤ん坊が生まれたことをカムサ王に報告しました。カムサは、八番目の子供は男だと予想していました。ところが、それにもかかわらず、カムサはその女の赤ん坊をつかむと、岩に叩きつけました。すると、マーヤー シャクティは宙に浮かび上がり、カムサを殺すことになる者はゴークラ村ですくすくと育っていると言いました。

神であるクリシュナを負傷させられる者はいなかった

カムサはゴークラ村で生まれた大勢の赤ん坊を虐殺しましたが、クリシュナはカムサの目を逃れました。クリシュナは、カムサがさまざまな名目を付けてゴークラ村に送った殺し屋たちをことごとく倒し、その息の根を止めました。

美しい人間の姿に化けた女(おんな)羅刹(らせつ)のプータナーは、乳母としてナンダの家にやって来ました。プータナーは、

「お母さん! あなたは生まれたばかりの子供を何人も失くしていますが、その子の命は私の母乳で救えるかもしれません」と言いました。ヤショーダーは、その乳母は本当に思いやりのある女性で、彼女が言うように彼女の母乳には聖なる効能があるのかもしれないと思い、赤ん坊のクリシュナをプータナーに手渡しました。しかし、クリシュナはプータナーのもくろみを知っており、プータナーの生気を吸いつくして死に至らせました

しかし、私たちはクリシュナの手柄よりも、少年クリシュナに注意を向けましょう。こうした手柄の一切は、クリシュナは神であり、誰もクリシュナを傷つけたり倒したりすることはできなかった、ということを明らかにしています。民間信仰によると、死がこれ以上家庭から多くの子供の命を奪っていかないよう、人々はクリシュナの耳と鼻に穴を開け、鼻に金の針金を掛けたといいます。その鼻輪には小さな真珠が付いていました。真珠は、海の深い所に飛び込んで採ることから、物質界の神秘に飛び込んだ後に獲得する識別心(ヴィヴェーカ)を象徴しています。また、それは鼻先に付けられたので、目は完全には開かない(目を完全に開くと注意がそれるため)、あるいは、完全には閉じない(目をすっかり閉じてしまうと眠気がさして瞑想のプロセスを終わらせてしまうため)で、鼻先に集中して瞑想する必要を強調しようとするものでもありました。目は半眼にして、クリシュナが真珠を着けていた所である鼻先に向けるべきなのです。

クリシュナの三つの誓い

クリシュナの肌の色は、薄くも濃くもありませんでした。三ヶ所は濃く、一ヶ所は薄いという、両方が混じったものでした。一家はヴァイシュナヴァ カースト〔ヴィシュヌ神を信仰する家系〕だったので、両親はクリシュナの額の真ん中にムスクで線を描きました。クリシュナは手首に銀の腕輪を着けていました。当時、国のその地域の牛飼いの少年たちは、銀の腕輪を身に着けていたのです。しかし、クリシュナが身に着けていた腕輪は、ただの腕輪ではありませんでした。それには深い意味が含まれていました。

ヒンドゥー教徒は皆、供犠(ヤグニャ)や誓願、あるいは、人生の新たな段階へ進むといった神聖な物事に取りかかる前に、手首に腕輪を結びつける儀式を行わなければなりません。それは、自分はその誓願を果たす、あるいは、自分は人生の次の段階の義務を果たす、といった決意の象徴です。クリシュナは三つの誓いをしていて、腕輪はそれらを果たそうという決意の象徴でした。その誓いとは、ギーターの中でクリシュナが述べているものです。

  1. ダルマ サムスターパナールターヤ サムバヴァーミ ユゲー ユゲー(ダルマを復興してよみがえらせるために、私は時代ごとに化身する)。
  2. ヨーガクシェーマム ヴァハーミャハム(私は私に頼るすべての者の平安と繁栄を保証する責任を負う)。
  3. モークシャイッシヤーミ、マー シュチャーハ(私は心の底から私に全託するすべての人を救い、生死の輪廻から解放する)。

このように、クリシュナは、もし人がクリシュナに追随し、クリシュナを崇拝するならば、その人を極貧と苦しみから救うこと、罰とその過酷な報いから救うことを保証しました。さらにクリシュナは、人間の姿をとってやって来て、人類をダルマの道へと導き、それによって人類を悲しみと生死の鎖から解放するということも、世界に保証しました。

クリシュナは神の愛の権化だった

クリシュナ以外のことを思わずにクリシュナを崇める者たちすべてへの恩寵を約束した時、クリシュナは、カーストや信条、肌の色や国や出自の制限は一切なく、学識や年齢やカーストによる特別な恩恵を受ける人は誰もいないと述べました。クリシュナは愛(プレーマ)の権化でした。クリシュナの愛には限りがありませんでした。あなた方はどれほど幸運であることか! 今、その同じクリシュナが、完全なる愛の神の化身(プレーマ アヴァター)が、あなた方の間を歩いているのですから! 私がその時身に着けていたカウストゥバ〔ヴィシュヌ神の宝飾品〕をあなた方に見せましょう。

(そしてババが手を揺らすと、まばゆい光と共に、手のひらの上に類稀(まれ)なる宝飾品が瞬時に現れました。それはバーガヴァタ〔ヴィシュヌ神とその化身の物語〕やプラーナ〔神話集〕に登場する有名なカウストゥバでした。大きくて人を黙らせるほどの輝きを放つ青緑色のエメラルドで、形は長方形、ダイヤモンドにぐるりと囲まれていて、金の鎖に吊(つ)るされていました。それから、ババは学生や教師、他の人々の間をお歩きになり、その全員が間近でその神聖な宝石を見ることができるようにしてくださいました。)

神が人間の姿をとって化身する理由

クリシュナは普通の人間として人々の間を歩き、神の指示を守るようにと、人々を神の愛によって引き寄せました。クリシュナは、ほら貝や円盤、棍(こん)棒や蓮の花といった神のしるしを見せびらかすことは慎みました。クリシュナは冠すらかぶりませんでした。少年のころ、クリシュナは頭にタオルを巻いただけの姿で、牛の後ろに付いて牧草地へ行っていました。

(ここでババは長いタオルをご所望になり、ご自分の頭にタオルを巻いて、当時クリシュナがどんな様子であったかを見せてくださいました。その当時は、今と同じくブリンダーヴァンやゴークラ村の周囲にはたくさんの孔雀(くじゃく)がいたので、落ちている羽を見つけると、クリシュナはそれをタオルの間にはさんだのですと、ババはおっしゃいました。畏敬の念で神を崇める何百人もの帰依者の前で、ババが立ち上がって少年ゴーパーラ〔牧童/牛を護る者〕としての姿を見せてくださったのは、極めて稀な素晴らしい喜びの瞬間でした。)

パーンダヴァ兄弟がアッシワメーダ〔王が慈善を施すための馬供犠〕とラージャスーヤ ヤグニャ〔戴冠式の際の王供犠〕を挙行した時、クリシュナは、自分も奉仕ができるよう、何か任務をあてがってほしいと言いました。クリシュナにはカウラヴァ一族を全滅させることもできたにもかかわらず、パーンダヴァ兄弟を救うために良識を植え付けようとしたのです。今もその時と同じく、教えとメッセージは同じです。それは、「汝自身を知れ、それが私を知る唯一の方法である」というものです。

熱意をもって、命あるものすべてとの結びつきを持ち、愛を通じて彼らの愛を勝ち取り、彼らの見る目を正したり、彼らの意識を浄化したりする過程を通じて、彼らを彼らの核である神我顕現へと導くこと――これが皆さんの目の前にある使命です。人間の姿をとらない限り、誰も近づこうとはしないでしょう。もし外見が人間を超越したものだったら、人々は距離を置くでしょう。だから、シャーストラ(霊性の科学/法典や論書)は、「人の姿をとった神(ダイヴァム マーヌシャ ルーペーナ)」が人類を救いに来なければならないと述べているのです。

クリシュナが語ることが真実だと信じなさい

「五大元素」は主の意志の産物です。ですから、五大元素はクリシュナの意志に従います。クリシュナが言ったことは何でもそのとおりになりました。実際、真実の唯一正しい定義は、「クリシュナが語ることが真実である」というものです。このことを信じなさい。このことを固く信じなさい。

ある日、クリシュナがアルジュナといっしょに散歩に出かけた時、クリシュナは木の枝に止まっている鳥を指差してアルジュナに尋ねました。

「あの孔雀が見えるか?」

「もちろん見えます」とアルジュナは答えました。

「ああ、アルジュナ、あれは孔雀ではない、鷲(わし)だ」

とクリシュナが言うと、アルジュナはすかさず、あれは鷲であるということに同意しました。すると、クリシュナは同じ鳥を指差して自分の発言を正し、

「すまない。あれは鳩だ」と言いました。

アルジュナも自分の発言を正して言いました。

「はい。今見ると、あれは鳩です、間違いありません」

クリシュナは、アルジュナを笑って言いました。

「あれは鳩などではない、カラスだ。」

すると、アルジュナも異議を唱えることなく同意して、

「まぎれもなく、あれはカラスです」と言いました。

そこで、クリシュナはアルジュナの愚かさを非難しました。なぜなら、アルジュナはクリシュナの言うことすべて――孔鷲、鳩、カラス――ということに盲目的に同意したからです。アルジュナはこう言い返しました。

「あなたのおっしゃることが、私にとっての真実です。あなたはカラスを鳩に、孔雀を鷲にすることがおできです。あなたが断言することに、どうして私が意見を異にすることなどあるでしょう? あなたの言葉は、私が判断の基とする真実なのです。」

皆さんもこうした信心を持ち、自分のエゴや他人の皮肉によって方向を変えないようにしなければなりません。識別力(ヴィヴェーカ)と無執着(ヴァイラーギャ)を育みなさい。そうすれば、皆さんのハートは香り高い美しい花となるでしょう。 ここに、サイが蓮の花の上に立っている写真があります。サイ クリシュナは皆さんのハートという蓮の花の中に座るでしょう。サイ クリシュナは、守護者として、案内人として、つねに皆さんと共にいて、皆さんに恩寵を降り注ぐでしょう。サイ クリシュナは、母となり、父となり、師となり、最も近い血族となるでしょう。サイ クリシュナは、あなたのすべてとなるでしょう。

ですから、私は皆さんがカリキュラムの一部として教わる学科をよく勉強することを望んでいます。自分の技能と知性を最大限に使って、学生としてのあなた方の義務を行いなさい。あなた方が良くなるために課している規律に従いなさい。ジャパ〔神の御名やマントラを繰り返し唱えること〕と瞑想を行い、セヴァ〔無私の奉仕〕の姿勢を培いなさい。良い息子、良い国民になって、家族と社会と国に評判をもたらしなさい。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.13 C38
*原書には日付が六月一日と記されていますが、九月七日が正しい日付です。