サティヤ サイババの御言葉

日付:1978年
場所:ブリンダーヴァン
第6回夏期講習における御講話より

人が自力で変容するのを助けるために神は人の姿をとって降臨する

本には大量の情報と知識が載っている
しかし、頭の中にはゴミが詰まっている
身に付けた教育は生計を立てるために使われているだけ
おお、バーラタの子どもたちよ
この真実に耳を傾けなさい

学生諸君、

私たちの神聖な言い伝えの中には、含蓄の詰まった、重要で意味深いたくさんの物語があります。この国の学生たちがその意味深さを理解できないというのは、実に不幸なことです。『バガヴァッドギーター』は、それは「神の歌」〔バガヴァッドはヴィシュヌ神、ギーターは歌の意〕であるということを意味しています。さらに、神の信者たちはバーガヴァタ〔ヴィシュヌ神と関係するものの意〕と呼ばれてきました。

ヴィヤーサ仙は『バーガヴァタ』〔ヴィシュヌ神とその化身たちに関する神話集〕の物語を12章に分けました。各章はスカンダと呼ばれています。『バーガヴァタ』は人間を輪廻から解放させるために与えられた神聖な物語です。『バーガヴァタ』の物語は、ヴィヤーサがシュカに説き、次にシュカがそれを人々に授けました。大聖仙シュカは大聖仙ヴィヤーサの息子です。シュカは父ヴィヤーサから余すところなくヴェーダを学びました。ヴェーダとヴェーダーンガ〔ヴェーダの手足を意味する補助教本集〕は、サンヒター〔本書〕と呼ばれる4つの部分に分けられました。ヴィヤーサは一方でシュカに当時の神聖な物語を話しながら、もう一方では『バーガヴァタ』の物語も記していました。

同時代にはカウラヴァ兄弟とパーンダヴァ兄弟〔両者ともヴィヤーサ仙の孫〕も生きていました。ヴィヤーサは、カウラヴァ兄弟とパーンダヴァ兄弟の戦いと、その戦いの中に見られた道徳を『マハーバーラタ』として叙述しました。『マハーバーラタ』は第5のヴェーダとも言われています。

ヴィヤーサは、神を理解することは一般大衆や学問に通じていない人には難しいということを認識し、そうした一般人が神を悟ることを容易にするために、『ブラフマスートラ』〔ウパニシャッドの哲学的考察を記した書〕という別の経典も記しました。

さらにヴィヤーサは、至福は神を想うことの中でのみ生じるものであり、それ以外の方法では生じ得ないという真理を打ち立てました。ヴィヤーサは、至福と幸福は、つまり神の具現であること、そして、よその場所では見つけられないことを打ち立てました。至福と幸福は神によってのみ与えられ得るものであり、それゆえ、そのようにして至福と幸福を手に入れた者は帰依者〔バクタ、信者〕と呼ばれます。帰依者と神との間に存在する親密な関係は『バーガヴァタ』に描写されています。こうしたことを理解するのは簡単なことではありません。

『ブラフマスートラ』を理解するのは難しいという状況に応じて、さらにヴィヤーサは、神の本質を明らかにするために18のプラーナ〔古代の神話集〕を生み出しました。

神性を高めるために最大限の努力を払ったにもかかわらず、人々の苦しみを取り除くことのできる容易な方法がないことを、ヴィヤーサは残念に思いました。ヴィヤーサは、普通の人々、学問のない人々を幸せにする方法と手段を見いだそうと多くの時間を費やしました。ヴィヤーサがそれらを沈思黙考していると、ナーラダ〔ヴィシュヌ神の意志により生まれた聖仙〕がやって来て、

「人間が幸福を得ることのできる唯一の方法は、神の栄光を描写して歌うことである」

と告げました。その日から、ヴィヤーサは主なる神のリーラー〔神聖遊戯〕の記述に取り掛かりました。

来る年も来る年も、人は暑さ寒さや雨といったものを体験します。そうした季節の変化があるために、人の思考、さらには健康にも、ある種の変化が生じます。また、季節が変わるとカッコーの鳴き声を耳にしたり、マンゴーが熟すのを目にしたりすることも周知の通りです。毎年、ほぼ同じ時に季節は廻ってきて、人に同種の体験を与えます。こういった繰り返しのサイクルについて考えてみましょう。

大聖仙(マハリシ、マハルシ)たちは、人にユガ〔循環期、時代〕について説明しようと試みました。季節は12ヶ月後にまた廻ってきます。曜日は8日目にまた廻ってきます。これらは誰にも共通の体験です。今日が金曜日なら、一週間経てばまた金曜日がやって来ます。今が5月なら、12ヶ月経てばまた5月がやって来ます。

これらを考慮した上で、大聖仙たちは、時代を「クリタユガ」、「トレーターユガ」、「ドワーパラユガ」、「カリユガ」という4つのユガに分けました。これらのユガは何度も何度も繰り返し廻ってきます。ここでの「クリタ」という言葉は「4倍」を表しており、「トレーター」は「3倍」を表しています。「ドワーパラ」は「2倍」を表し、カリは権威ある測定単位です。大聖仙たちによると、43万2千年が基本単位であり、これは「カリユガ」の年数を意味しています。この2倍である86万4千年が「ドワーパラユガ」を意味し、基本単位の3倍である129万6千年が「トレーターユガ」の長さです。基準の4倍、すなわち172万8千年が「クリタユガ」と呼ばれています。これらをすべて合わせると432万年になりますが、これはマハーユガと呼ばれています。1つのマハーユガのあと、再び「クリタユガ」が始まります。以上の方法で、そして、以上の単位を割り当てることによって、大聖仙たちは時代を説明しました。

これらのユガごとに、神はアヴァター〔神の化身〕となって、人間の内にある神性を明らかにすること、そして、自らが模範となって手本となる人生を人に示すことを目的として、顕現していました。神は、人間が近づきやすいように、そして、人間に幸福を与えることができるように、人間の姿をとって化身すると言われています。鳥や動物は自分たちに定められた制限を体験しています。人間として生まれることは、この宇宙の84万種の様々なジーヴァ〔生物、個別の存在〕の中で最も神聖なことです。それほど神聖な生を得るということは、実に大きな幸運です。

人間は1つの際立った特徴を備えています。鳥や動物と人間との間の違いを調べて理解しなければいけません。動物は1つの性質として残酷さというものを持って生まれ、残酷さを持ったまま生を送ります。いくら調教しても、動物の習性を完全に変えることは不可能です。動物は調教を受けている間は訓練された通りのことをするかもしれませんが、残酷さは捨てられません。人間はそうではありません。たとえ残酷さを持って生まれてきたとしても、努力、すなわち霊性修行によって、残酷さを取り除くことができます。

これで、更生を試みず、更正できないものが動物であり、更生できるものが人間であるということが明らかになりましたね。人類の更生と変容を容易にするために、神はユガごとに人間の姿をとって降臨します。更生は、時代によって異なる方法で引き起こされます。「クリタユガ」では、その方法は瞑想(ディヤーナ)でした。「トレーターユガ」での方法は供犠(ヤグニャ)でした。「ドワーパラユガ」では礼拝(アルチャナ)でした。「カリユガ」では唱名(ナーマスマラナ)にその卓越性が与えられました。これらは人間に用意された、自らを変えるための王道です。

「クリタユガ」では、大聖仙たちが苦行によってモークシャ〔解脱〕、すなわち主なる神のヴィジョンに到達しました。その神聖体験を楽しんだ大聖仙たちは、同じ時代に生きていた人々にその体験を伝えることができるよう、人々と交流しました。

「トレーターユガ」では、神がラーマの姿をとって人間として顕れ、自らの家族を手本に使うことによって、その時代の特色を示す理想的なダルマにのっとった行いを掲げることに尽くしました。さらに、ラーマは愛の権化であり、ラクシュマナ〔ラーマの弟〕は慈悲の権化であって、ダルマと慈悲が結び付いてこそ善い人間が作られるということも立証されました。これは真のダルマです。ダルマとは儀式礼拝のことであると思われていますが、真のダルマというものは日々の修行や儀式礼拝のことではありません。純粋なハートの中に生まれる慈悲こそが、真のダルマの基盤をなすものです。これは人間の最も重要な基本的性質でもあります。人は自分の良心の命じるところに従うよう努めなければいけません。こうした行いと手本によって、ラーマチャンドラ〔月のように魅力的なラーマ〕は全人類を正しました。

「ドワーパラユガ」が来るころには、神はクリシュナという人間の姿をまとって、人々に理想的な愛の手本を示しました。クリシュナのその側面はすべての人々を魅了しました。人々はクリシュナ アヴァターによって生み出された幸福と至福に我を忘れるほどでした。クリシュナは優しい愛情でその時代の人々の必要を満たしていました。クリシュナ アヴァターが包含していた偉大な真理は、『バーガヴァタ』の中で人々に伝えられています。悲しいときも嬉しいときも、苦しいときも楽しいときも、貧しいときも富めるときも、決して神を忘れるべきではないということを、クリシュナ アヴァターは示しました。ドラウパディー〔『マハーバーラタ』のパーンダヴァ兄弟の妻〕は、息子をすべて亡くして辛い苦しみの中にいましたが、アシュヴァッターマン〔息子を殺した敵〕と話をしたとき、大いなる堪忍寛容と情を示しました。苦しいときだけ神を思い、幸せなときにはすっかり神を忘れてしまうのは帰依者にとって正しいことではないと、『バーガヴァタ』は教えています。

実に、どのアヴァターも大変重要な教訓を伝えており、あなた方はそうした教訓の中で伝えられている内なる意味を理解しようと努めなければいけません。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Summer Showers in Brindavan 1978 C2