サティヤ サイババの御言葉

日付:1984年9月10日
場所:プラシャーンティ ニラヤムのマンディール
ガネーシャ チャトゥルティーの御講話より

ガネーシャを礼拝する意味

ヴィナーヤカとは、行為を果たす行く手を塞ぐあらゆる障害を取り除く者を意味します。また、ヴィナーヤカは、自分の誕生と存在は自分の神聖な両親〔シヴァ神とパールヴァティー女神〕のおかげであり、二神を救い主として求めるべきである、という真理を明示しています。これが、ガネーシャ神がヴィナーヤカやヴィグネーシュワラ(障害を取り除く神)と称される理由です。ヴィナーヤカは、ガナパティ、すなわち、「すべてのガナ〔神群〕の主」とも呼ばれています。この御名には内なる意味があります。ガナパティは最高の知能で知られています。その知能ゆえに、ありとあらゆる神群を支配下に置くことができるのです。

スークシュマ ブッディ(知性の強烈な力)を持つ者だけが神の本質を悟ることができます。聖者ティヤーガラージャは、人が神を認識するためには洗練された知性が必要か否かを探求しました。「猿(ハヌマーン)はどうして海を渡ることができたのか?」、「ラクシュミー〔ヴィシュヌ神の妃〕はどうして神に到達できたのか?」、「ヤショーダー〔クリシュナの養母〕はどうしてクリシュナを縛ることができたのか?」、「バラタ〔ラーマの末弟〕はどうして飽きることなくラーマの栄光を味わうことができたのか?」 これらはすべて、神への至高の信愛の力ゆえでした。

ガナパティは最高の知能を持っています。その知能はガナパティに一切を包含する神の性質を理解することを可能にさせました。その知能を世に知らせることができるよう、ガナパティはあるテストを課せられました。パラメーシュワラ〔シヴァ神〕は、自分の二人の息子であるヴィナーヤカとスッブラマンニャに世界一周するよう求めました。そして、先に帰ってきた者にただちに褒美を与えると告げました。スッブラマンニャは自分のクジャクにまたがり、やる気満々でその競走に出発しました。

世界一周の旅を終えたというガネーシャの主張

大きな体格でネズミを乗り物にしているガナパティは、どう見ても弟に勝ち目がありません。どうして世界一周することが望めるでしょう? ガネーシャが競争に参加しないでのんきに座っているのを見て、神なる両親は、なぜまだ出発しないのかガネーシャに尋ねました。両親はガネーシャに早く出発するよう急き立てました。しかし、ガナパティは食べていたものを味わい続け、いっこうに出発する気配をみせません。

しばらくして、スッブラマンニャがその場に近づいてくるのを見ると、ガナパティは両親の周りをぐるりと回り、両親の前に腰を下ろして、自分は世界を一周してきたと主張しました。パールヴァティーはガナパティに尋ねました。

「世界を回りもせず、ただ私たちの周りを回っただけで、なぜおまえはそのように主張するのですか?」

ガネーシャは答えました。

「おお、母上様、全世界にはあなた方お二人が遍満しています。お二人の周りを回ることは、全世界を回るに等しいことではありませんか? イーシャーヴァースヤム イダム サルヴァム(この世界のすべてに神が満ちている)、ヴァースデーヴァス サルヴァム イダム(ヴァースデーヴァは万物である)、といった言明は何を意味していますか? お二人は遍在なのですから、お二人の周りを回ることは全宇宙を回るのと同じことです。」

ガネーシャはそのように言いました。パラメーシュワラはヴィナーヤカに褒美を授けて言いました。

「おまえは鋭い知性を持っているので、すべての神々の長となるがよい。」

それゆえ、新しい家に入居するときであれ、結婚式を執り行うときであれ、他の宗教的な行事の際であれ、何らかの吉兆の儀式が行われる前には、ありとあらゆる人からヴィグネーシュワラが礼拝されるのです。

シヴァ神の家族は理想的な家族であることにも注目しなければいけません。この家族は、お互いの中にある敵対要素にもかかわらず和を保っています。シヴァの乗り物(牡牛)、パールヴァティーの乗り物(ライオン)、ガネーシャの乗り物(ネズミ)、スッブラマンニャムの乗り物(クジャク)は、通常の状態では互いに敵対しています。しかし、神の御前に生きるとき、彼らは敵意を捨てて平和に暮らすのです。この神の家族の和は、神のいるところには平和と親睦があることを示しています。憎しみと嫉妬心は、神が遍在であることを忘れたとき、無視したときに起こります。

ヴィナーヤカ チャトゥルティーのような聖日は、そのような神聖な真実を思い出すため、心を清めてしかるべく生きるためにこそ、祝われるべきです。聖日を祝宴や浮かれ騒ぎをするための休日と受け止めるべきではありません。すべてのガナ〔神群〕が私たちに友好的になり、助けとなってくれるよう、ガナパティを礼拝すべきです。ティヤーガラージャは、

「もしダイヴァ アヌグラハ(神の恩寵)を手に入れるなら、すべてのグラハ(惑星)は手中に収まるだろう」

と歌いました。神が恩寵を降り注いでくれるよう、自分のハートを清めなければなりません。ハートが、愛、思いやり、堪忍寛容といった性質で満ちていないなら、一切の教育、あらゆる聖典の知識、そして、どのような類の礼拝も、何の役にも立たないでしょう。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.17 C22
   『インドから来た象の神様 ガネーシャ神・聖天・歓喜天 サティヤ サイ ババ講話集』