サティヤ サイババの御言葉

日付:1989年6月18日
場所:プラシャーンティ マンディール
サイ大学の学生への連続講話②より

神の感応

親愛なる学生諸君!

白檀(びゃくだん)の木は、自分に振るわれる斧(おの)にさえ、何の恨みも持つことなく芳香を放ちます。神もそれと同じように応対します。無知と傲慢(ごうまん)と愚かさによって盲目になっている人たちは、神についてありとあらゆることを言うでしょう。想像を膨らませて、神を激しく責め立てさえもするでしょう。けれども、神はまったく意に介しません。そういった悪い人、悪意のある人にも、神は祝福と恵みを与えます。

善悪は表裏一体です。アヨーディヤー(ラーマが治めた都)の民たちは、シュリ ラーマにおおいなる愛と忠誠を抱いていました。しかし、民たちの嘆願と哀願の一切にもかかわらず、ラーマは森へ行くことに決めました。ラーマが哀願に応じなかったとき、民たちの愛と忠誠は恨みと憤慨へと変わりました。

「私たちは、ラーマの心(ハート)は甘露のように甘いと思っていた。ラーマの心はバターのように柔らかいと感じていた。ラーマがこれほど硬い心の持ち主だとは思ってもいなかった」

アヨーディヤーの民たちは、このように苦々しく思っていました。これは彼らが以前ラーマについて感じていたのとは正反対の感情です。

あらゆるものは善悪を併せ持っている

あらゆるものは、善悪、損得、称賛に値することと非難に値することといった、対極の性質を併せ持っています。信者にとって、離れることと繋(つな)がることは、どちらも悲しみの原因です。善人と離れることは悲しみをもたらします。悪人と繋がることは信者を悲しませることになります。最も重要な霊性修行(サーダナ)は、善人の仲間を探し求めること、悪意を持っている人との繋がりを避けることです。

現代人は、善行をせずに善行の果報を得ようとし、罪深い行いをしていながら、その応報を避けたいと望みます。悪行の報いを避けたいのであれば、悪行をしないようにしなければいけません。有徳の行いの果報が欲しいのであれば、有徳の行いをしなければいけません。

人は愛と堪忍寛容の性質を育まなければいけません。愛は与えることと許すことで成長します。利己心は得ることと忘れることで成長します。

学生諸君!

今の若いうちから、人生は計り知れないほど貴重なものであるということを自覚するようにしなさい。人生で学ばなければならないことは無数にあります。自分の時間の一分一分を有効に使いなさい。自分のハートが純粋無垢(むく)なままであるかどうかを見なさい。

主ダクシナームールティ(苦行者の姿をとったシヴァ神)は沈黙を通してメッセージを伝えました。「話す」という手段を用いることは滅多にありませんでした。ダクシナームールティは、相手を見るだけで、宇宙と神についての深遠な真理を伝えることができました。

遊行中に海辺にたどり着いたとき、ダクシナームールティは海からオームカーラ(オームの聖音)の振動が生じているのを聞いて歓喜しました。海はシャブダ ブラフマン(音の姿をとった神)を表しています。海は神の壮大さと威厳の象徴です。

ダクシナームールティは、海から絶えず波が寄せてくることから一つの教訓を導き出しました。海に屑(くず)が落ちると、海は一時もそれをそのままにせず、すぐに波で次々と屑を運んで岸に押し上げることに気がついたダクシナームールティは、海にこう問いました。

「そなたは何と利己的なのだ! そなたの大きさと深さは計り知れない。その哀れな物にいくらか場所を与えることはできないのか? それほど大きなそなたが、この哀れな物を許容しないというのは、あまりにも利己的だ」

すると、海はもっともな答えを返しました。

「主よ! あなたがご存知ないことは何もありません。もし今、この一つの汚(けが)れが私のもとに留まることを許してしまったら、やがて私は投げ捨てられた浮遊物で覆われて、私の姿全体が変わってしまうでしょう。ですから私は、汚いもの、私を汚すものは、何であれすぐに放り出すのです。そうして初めて私は清らかでいられるのです」

それと同じように、たとえほんの小さなものであれ、悪い思考があなたの心(マインド)に入ってこようとしたら、瞬時にそれを締め出すようにしなさい。それを小さなもの、ささいなものと考えるなら、それはその悪い思考があなたの心に入ってくるのを許すということです。その結果、心はやがて悪い思考で一杯になります。その過程で、あなたの性格もすっかり変わってしまいます。人間性も蝕(むしば)まれてしまいます。ですから、あらゆる努力を払って悪い思考と悪い感情を締め出して、可能な限り人間性を向上させなければいけません。

真実のために立ち上がれ

小さな努力の積み重ねによって、大きなことを成し遂げることができます。小さな蟻(あり)でも何匹もいれば大蛇を倒すことができます。自分は小さな存在だと考えてはなりません。自分の義務を果たすための力と決意を得ようと努めなさい。この世では往々にして困難が持ち上がってくるものです。自分より優れている人をうらやむのは、多くの人に共通することです。カラスはカッコーを敵対視しています。鷺(さぎ)は白鳥に野次を飛ばします。けれども、カッコーも白鳥もそういったことは気にしません。この世にはカラスや鷺のような負けず嫌いがたくさんいます。似たような体験をしても、それに負けてはなりません。臆(おく)することなく立ち向かい、真実のために立ち上がりなさい。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.22 C11