サティヤ サイババの御言葉

日付:1989年6月25日
場所:プラシャーンティ マンディール
サイ大学の学生への連続講話⑧より

多の中の唯一者

何を達成するにしても、人間は自然を頼りとするしかありません。自然は誰かの個人的な所有物ではありません。自然は神のものです。神の恩寵がなければ、誰も自然の恩恵を楽しむことはできません。この真実に気づくことなく、傲慢(ごうまん)と自惚れから自然の開発に手を出している人たちがいます。これはきわめて誤った考えです。

人間が、神の許可を得ることなく世界で何かを成し遂げることはできません。神はすべての基盤です。ところが、人間は何でも自分がやっているという慢心でいっぱいです。この思い上がりこそが、人が破滅する原因であり、満たされない気持ちと失望の原因です。現代人は、神を忘れて、自然に依存して自分の生活を築いています。これは嘆かわしい過ちです。

まず、自然の根本的な支えである神に信仰を置き、それから、自然が提供してくれるものを楽しまなければいけません。神への信心は人間にとって第一に必要なものです。

では、神への信愛はどうやって表せばよいのでしょう? それは、ヴィブーティ(神聖灰)を塗ったり、晴れ着を着たり、誇らしげに数珠を着けたりといった、外面的な形で誇示するものではありません。帰依者たちは、個人的な義務と神への奉仕を区別して、礼拝や瞑想等々は神への奉仕であり、家族や友人に対して行うことは個人的な義務であると見なしています。この種の区別は神を欺いているのと同じです。神は遍在であり、万物を包含しています。ですから、ある種の仕事と別の仕事の間に区別を設けることには意味がありません。

すべての行為を神への捧げものと考えなさい

職務中の警官は制服を着用し、職務を離れているときには普段着を着ています。警官は制服と私服を区別します。これは世間的な観点からは一向に構いません。しかし、帰依者はそうした区別をすべきではありません。どんな仕事をするときも、職場でも、どこかよその場所でも、帰依者はそれを神への捧げものと考えるべきです。どんな職業に従事しても、それを神の仕事と見なしなさい。これは、「バーヴァ アドワイタ」(思いの不二一元)と呼ばれています。

次に、さまざまな形をし、さまざまな名前の付いた、さまざまな体が存在するという事実があります。しかし、そういった違いに関係なく、体というものは根本的に地水火空風という同じ五元素でできています。五元素はパラマートマ(大霊)のさまざまな側面です。そうであれば、どうして同じ共通の元素で構成されている人たちを区別する必要があるでしょう? ですから、「バーヴァ アドワイタ」と共に、「クリヤー アドワイタ」(行為の不二一元)も身に付けるべきです。これは、どんな仕事をしようとも、それを神に献じるべきであるという意味です。そのようにしてなされた行いはすべて、神に献じたことで、聖化され、神聖なものになります。そして、多を一つにするという聖なる性質を帯びます。

次は、「パダールタ アドワイタ」(物質の不二一元)です。あらゆる物質の根本的な基盤について探求を始めると、それは一つしかないということに行き着きます。たとえば、布は糸でできており、糸は綿でできています。共通の要素は綿です。基礎をなす根本的な一つの実体が忘れられたときに、区別がなされるのです。

「バーヴァ アドワイタ」(思いの不二一元)、「クリヤー アドワイタ」(行為の不二一元)、「パダールタ アドワイタ」(物質の不二一元)を正しく理解すれば、根本的な実在のヴィジョンを持つことができます。そうすれば、神の遍在を経験することができます。

神の愛に恋い焦がれなさい

神を理解するために自然の神秘を探ることに焦点を当てるという、現代的な試みを見てごらんなさい。これは間違ったアプローチの仕方です。努力は、自然は神から生じたということに気付くことに向けられるべきです。そうして初めて、神を経験することができます。あなたの心を、世俗のものから神へと、自然から自然の神へと、向き直さなければいけません。消えゆくもの、永遠でないこの世の事柄に浸ることで、人々は自分の人生を汚しています。現象界は自然の贈り物であるというのは明らかな事実です。魂も真実です。人間の旅は、非真から真実へと向かうものではなく、低次の真実から高次の真実へと向かう旅です。真実(真理、サティヤ)は一つです。その真実は神です。

神は愛を通じてのみ悟ることができます。あなたの信愛は、神があなたを捜し出すほどの信愛でなければなりません。母親が急いであやしに来てくれるまで延々と泣き続ける幼子のように、母牛を呼んで鳴く子牛のように、夫の帰りを待つ見捨てられた妻のように、帰依者は神の来訪に恋い焦がれる気持ちを募らせるべきです。それほどに恋い焦がれているものだけが、真の信愛であると、ウッダヴァは言明しました。

学生諸君!

バジャンとジャパをすることがバクティ(信愛)なのではありません。神の愛に恋い焦がれなければいけません。勉強といっしょに、信愛と霊性修行も深めなさい。霊性は教育の最高善です。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.22 C17