サティヤ サイババの御言葉

日付:1992年10月24日
場所:プラシャーンティ マンディル
ディーパーヴァリー祭の御講話より

神を悟るためにハートを浄化しなさい

人間は、生まれた時には善い性質も悪い性質も持っていませんが、食べ物や周囲の仲間の影響によって、自分の持つ性質に変化が起こります。人は付き合っている仲間しだいでエゴと執着を強めます。教育を身につけると慢心が生じ、他の人たちよりも自分のほうが優れているという強い自惚れを抱くようになります。この驕りはハートを汚します。

牛乳に汚れた水が入ってしまったら、牛乳を沸騰させて浄化する必要があります。それと同じように、ハートの不純物を取り除くには、さまざまなサーダナ〔霊性修行〕をする必要があります。瞑想、ヤグニャ〔供犠〕、苦行といった修行は、心(マインド)の満足をもたらすだけです。ハート〔フリダヤ/フルダヤ/内なる宮居〕が神の愛の熱に溶けたときにだけ、悪い性質を取り除いてハート本来の輝きを呼び戻すことができるのです。太陽光線をレンズに通して集めれば、綿のかたまりを燃やすことができるのと同じように、知性の光線は、神の愛のレンズを通ったときにだけ、人の悪い性質を破壊するのです。

人間の内にある鬼の性質の増加

人間は、神から来たにもかかわらず、神性を曇らせる迷妄に包まれています。迷妄に捕らえられているかぎり、神を理解することはできません。迷妄のせいで、人は体に執着し、尽きることのない欲望を抱いています。それは人間の内にある鬼の性質の増加へとつながります。

「人間」を意味する「ナラ」という語がありますが、「ナ」は「ない」を意味し、「ラ」は「滅亡」を意味します。ですから、「ナラ」という語は、「人間は滅亡しない者(つまり永遠なる者)である」と述べているのです。「ナラ」に「カ」を加えると、地獄を意味する「ナラカ」となり、天国とは反対のものとなります。人間は、鬼のレベルに堕ちると、神性を忘れて地獄への道をたどります。

プラーナ〔古代インド神話集〕の話によると、ナラカアスラ(阿修羅ナラカ/ナラカースラ)はディーパーヴァリーの日に滅ぼされたと言われています。ナラカアスラは肉体的な快楽への執着に満ちた悪魔でした。ナラカアスラは、情欲、怒り、貪欲といった悪い性質でいっぱいでした。ナラカアスラは女性にとって恐怖の存在であり、数々の悪事を行っていましたが、自ら身の破滅を招くこととなりました。それは女性の手、クリシュナ神の妃サティヤバーマーの手によるものでした。

注目すべきは、クリシュナ神がサティヤバーマーにその機会を与えたのは、サティヤバーマーが慢心と嫉妬心を取り除くための浄化の過程を受けさせられた直後だったということです。トゥラーバーラム〔天秤を用いて寄進者の体重と同じ重さの物を寄進するインド古来の習慣〕のエピソードで明らかにされているように、サティヤバーマーは、クリシュナ神の体重よりも重い贈り物をすることでクリシュナ神を取り戻せるというナーラダ仙の助言を受けて、自分の持っている貴重品をすべて差し出して天秤皿の上に載せましたが、天秤は傾きませんでした。最終的に天秤を傾けたのは、ルクミニー〔クリシュナ神のもう一人の妃〕がクリシュナへの祈りと共に捧げた1枚のトゥラスィーの葉でした。そのことによって、サティヤバーマーの慢心と嫉妬は打ち砕かれました。

このプラーナの話とは別の、ディーパーヴァリーの祝祭についての宇宙的な解釈があります。ナラカは、月といっしょに地球の周りを回っている星でした。ある時、ナラカが地球に向かってくる様子を示したため、人々は差し迫る大惨事を回避するためにクリシュナ神に祈りました。クリシュナは、ナラカ星を破壊して世界を災厄から救うための行動を起こさなければなりませんでした。その日以来、ディーパーヴァリーは悪から解放された喜びの日として祝われてきました。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.25 C36